3週間に一度行く床屋のマスターにきのうのてんまつを熱弁すると、「文科のお役人もわかっていて非を改めて聖徳太子の名前を消し去ろうとしてるようだから」と優しく慰めてくれた。
そこで、いやそれはおかしいと反論。
「日本書紀に聖徳大法王と書かれている」と言うと即座に「日本書紀は見栄で書いた」と反論
こちらも、「年号入りの仏像に法皇と書いてあって法皇というのは出家した天皇で聖徳太子は太子どころか天皇になって出家までしている」というや否や「後から作れる」と言うのでここで持論の「中国の史書で日本の天皇が夜が明けたら弟に任せると2人の天皇がいて」そしてここは理解してもらえないと持論を引っ込めて「この天皇は推古天皇でもう一人の天皇すなわち聖徳太子が昼間は政治を行った」と言い放ってやると、マスターは「大昔のああ言えば上祐だね、あんた嫌われるよ」と一言、ふと鏡を見ると体がややこわばっているような気がして、その手には剃刀があったのに気が付きいつものように押し黙って妄想にふけってうとうととし始めた。
高々本を出版した程度で高ぶりすぎだったことを反省するとともに義父にも母にもついつい反論しすぎて嫌われたことを思い出してしまった。
※持論は推古天皇は用明天皇で聖徳太子は敏達天皇。
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