『日本書紀』をよく見ると、筆の違いが浮かび上がる。天智紀と、天武・持統紀。使われる漢字、語り口、教養の色、それは、別人の筆と言われる。年号に目を向ければ、さらに明白になる。白鳳、朱雀、朱鳥、大化、大長。『書紀』には一貫した改元の記録がない。しかし、『二中歴』や他の文献には、これらの年号がある。
改元を続けた系統と、途切れた系統。それは、二つの王朝の痕跡では? 文武に繋がる天智の弟? 天武と、その妻・持統。もう一方は、天智の子を名乗る、別の天武。この意味は一つ。別の王朝、別の「天武」、別の改元があった。元明天皇が認めた改元と認めなかった元号があった。藤原氏の『家伝』に記される白鳳五年。内臣・中臣連が「超拝紫冠」、本来より高位(臣下の最高位)の冠を授けられた。
661年の白鳳改元は、倭王・嶋皇祖母の在位中。その死後も改元なし。倭とは異なる俀国の改元。それは、俀国女王・天豊財皇祖母の改元だったのかもしれない。661年、天智は素服稱制。昼間を統べる皇太子になった。俀国の権力を手中にしたからこそ、改元したのでは。文武の即位が「正史」とされる陰で、大化や大長という年号は、奪われた皇位の痕跡となった。『新唐書』は、複雑な親子関係を誤り? ながらも、「聖武 死 女孝明 立」と、諡号前の孝謙天皇まで記している。朱鳥の天武、それが、もう一人の「正統」だったのかもしれない。
「天武」は、二人いた。一人は、天智の弟? (太皇弟なので叔父?) 朱鳥に崩じた、天智と併存した天皇。一人は、天智の子を名乗る、元号を奪われた天皇。文武が即位しても、建元できなかった4年間。そこにいたのは、まだ退位していなかった天皇の影。そして、年号は静かに語る。「ここに、もう一つの王朝が、確かに存在した」と。天智と文武に血縁があるなら、『新唐書』は天智の孫と記しただろう。血縁が無かったのか?