卑弥呼、その名は、時代を越えるのか?
『三国志』・『後漢書』に登場する女王、卑弥呼が西暦239年、突如、歴史の舞台に姿を現した。魏の正史に記された、倭の統治者の卑弥呼。しかし、その「卑弥呼」は、本当に〝あの″卑弥呼だったのか?
というのも、もうひとつ、別の史書に、あまりに似た名の女王が登場している。それは、朝鮮の正史『三国史記』。新羅の阿達羅尼師今(あだつらにしきん)二十年、西暦173年の記録。「倭女王卑彌乎 遣使來聘」、倭の女王・卑彌乎が、使者を遣わして来聘す。
卑弥呼といえば、魏の時代の女王。けれどこちらは、それより約70年も早い。しかも、名前は「卑彌乎」。読みも意味も、限りなく〝卑弥呼″である。それでは、このふたりは同じ人物? それとも、〝卑弥呼″という名を継いだ、別の女王なのか?
ここで、日本側の記録にも目を向けてみよう。『日本書紀』景行天皇十二年、西暦82年。そこに現れるのが、夏磯媛という「一国」の女王。『三国志』の邪馬「壹国」の「一国」と同じ国の熊襲の女王?(※通説は一国を「ある国?」という。「一」は特定できるから「一」。壱岐は「ある岐」ではない。ひとつの解っている国。解らないある国なら或国・或岐と記すべき。一云の後は特定の解っている人物名が記される)
『後漢書』は邪馬台国、『三国志』は邪馬壹国、国の名前が違う? また、その同じ年に登場するのが、熊襲の王の娘・市鹿文(いちかや)。やはり、「いち」家の女王? 彼女は「火国造」に任じられる。この二人の女性は、『魏志倭人伝』の卑弥呼、そして宗女の壹與(臺與)とのつながりを、そっと示しているように見える。
