孝安天皇の名は天戸目。婿入りを果たしたのが、羸津世襲の娘・葛󠄀木避姫だろう。『舊事本紀』に記される彼の名の地名は天。つまり彼もまた、磯城王統の名、天忍人を受けた正当な王。孝霊天皇の義父にあたる。首都は磯城から葛城の室の秋津島へ。そして、十市県主の祖と呼ばれるので、十市へ逃れたのだろう。
ここに見えてくるのは、系譜の構造。
県主 (=葉江・浮孔宮天皇)←対抗勢力→政大夫(彦湯支・出雲醜)
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磯城彦(=葉江・懿徳天皇)←対抗勢力→出雲大臣・出石心大臣
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和知都美(=葉江・孝昭天皇) ←対抗勢力→羸津世襲大臣
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娘の紐某姉の婿、「磯城彦」を襲名した大目(=孝安天皇・大矢口宿祢?)
←対抗勢力→羸津世襲大連
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大目の娘・細媛(婿の孝霊天皇・大水口宿祢?) →欝色雄大臣の新王朝へ(紐某姉の子)
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磯城王家の衰退(磯城縣主)→十市縣主
(※安寧「崩御時年五十七」から考えて綏靖十五年に浮孔宮朝廷が始まった)