『山海經』では、「天」は雲の向こうの神秘の世界ではなく〝天″とは〝海″だった。 中国から東へ海を渡った先に、壱岐、対馬、隠岐、九州北部・山陰に沿って浮かぶ、島々が広がっている。中国人は古代中国の地理神話書『山海経』で、このあたりは「六合の間」と呼ばれる神霊が生まれる領域と考えた。
そして『古事記』には、こんな記述が残っている。
壱岐:「天比登都柱(あめひとつばしら)」
対馬:「天之狹手依比賣(あまのさでよりひめ)」
隠岐:「天之忍許呂別(あまのおしころわけ)」
どれも、「天(あま・あめ)」の名を頭に被せている。つまり、〝天″とは、空の上ではなく、神々が現れ、往来していた海の島々だった。
『山海経』にも「唯聖人能通其道」、聖人がそこをよく通ると記す。私たちは、この聖人をよく知っていて、「ひじり」と読み、肥後のこと。日本人はこの聖人を肥後の人と理解していた。その「天」は、やがてさらに広がっていく。『山海経』に記された沿岸の地、奄美、天草、西九州、山陰、北陸、そして琵琶湖にまで、人々はそこに〝天″という音を重ねていった。
奄美は丁度、海流が解れるところの近く。『山海經』の世界。「天之山」がある所?海士の故郷?中国人には山東半島の南に三人の天子の都があった。そして、天民は西の湖から遣ってきた。