神武の別名、豐御毛沼。その「豐」は、筑紫の豊国=豊日国とのつながりを思い起こさせる。豊国と思われる丈夫国? 海神(わたつみ)の姫・豐玉姫の孫、妹の子、それが、神武天皇だった。それは、三史とも同じ。海神の末裔が畿内にやってきたはずなのに、それぞれ違う王。名だけでなく、性格も異なっていた。
つまり――
『日本書紀』の天皇は、礼と王道の君子国の王
『舊事本紀』の天皇は、制度の周饒国の王
『古事記』の天皇は、交易に優れた大人国の王
それぞれの史書が語る「神武天皇」は、それぞれの王国の始祖だった。
今に伝わる「日本の起源」は、実は、ひとつではなかった。神武という名に込められたもの、それは、統一前の列島がそれぞれ語っていた、三つの起源神話の名残だった。そして、のちに統一した王権が、それらを一つに編み直し、〝日本の始まり″として書き換えた。
天皇は、どこの人だったのだろうか?「天皇」とは、かつて列島を支えた三つの王国が、それぞれの王を通して夢見た、理想の「王」のかたちだったのかもしれない。『日本書紀』は日向国の王が天皇になったと記すが出発地は不明。『旧事本紀』も生まれは日向国だが、出発は筑紫国。しかし、『古事記』にはまだ国では無い日向。「六合」の内の常神半島に「日向」が。それぞれの天皇は東征の出発地も時代も違うようだ。