日本の皇太子は奇妙だ。太子になってなくても太子。『古事記』、景行天皇には同時に三人の初めての太子が(※それ以前は忍穗耳のみ)。夢見で決めたこともある。「太子」。それは、本来、王位を継ぐべき者の称号。けれど、古代日本の太子たちを見つめていくと、その名の奥には、もう一つの意味が潜んでいる。それは、まるで、王朝交替の痕跡のように。「立太子」とは、王統の継承儀式だったのか?
まず目を向けるのは、神武天皇三十二年の出来事。この年、幼い神沼河耳が太子に立てられる。その年齢、わずか4歳。父母はすでに高齢。それまでの32年間、太子は不在だったのか? 兄・手研耳はすでに政治に関わり、『古事記』には、神武の妃・五十鈴依媛を奪ったという衝撃的な記述もある。
しかし、物語の終着点は兄・手研耳が弟によって討たれ、その弟が皇位に就くという〝逆転劇″。しかも、手研耳の妃・五十鈴依媛がそのまま皇后に。このとき、神八井耳が発した言葉、「汝之光臨天位 以承皇祖之業」。それは、神八井耳の王統を太子でない人物が受け継ぎなさいという宣言。沼河耳が太子なら、神八井耳の言葉は不要。つまり、神八井耳が皇太子か天皇であり、皇位を譲ったように語っている。この「立太子」は、名ばかりで、継承ではなかった。そこには、別の理由があったのでは?