続いて。
■ 周饒国と『舊事本紀』
『山海経・海外南経』に登場する「周饒国」。その名に響く「饒」の文字、饒速日と呼ばれる王祖の名に、重なる文字。周饒国を見て『舊事本紀』は〝饒″の文字を使ったのでは? 『古事記』は「迩藝速日」、『古事記』を記した王朝は〝饒″の文字を使わなかった。そして、長髓彦の妹を妻とした饒速日。長髓彦の名は、隠岐風土記を基にしたと言われる『伊未自由来記』に記される隠岐王・奈賀命とよく似ている。そして、饒速日の子・可美眞手は、政大夫として、食国(隠州国)に賜姓された。この「政大夫制度」は、『舊事本紀』にしか登場しない政治の体系。そして、神祖、天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊。狭の霧は狭という地域の神のよう。つまり、狭野として記された神武天皇は、周饒国の王統を継ぎ、制度を司る「政治の王」だったのかもしれない。
■ 大人国と『古事記』
そしてもう一つの国、「大人国」。船を造り、海を渡り、遠く大陸に市を持つ交易国家だ。『古事記』の冒頭に現れる、天之御中主。その「主(ぬし)」の音は、大人(うし)に通じる。主に『古事記』編者は大人国の大人を当てた。大国主、その名にも「ぬし」が。交易に長けた大人国の王の姿が、そこに見える。『山海経』を読んで、「おほ国」に大国の文字を振ったのだろうか。『日本書紀』は大国主を王と認めていない。いるのは王ではなく、大己貴神のみ。大己貴は宗像から越を動き回り、子を為した。舟で交易した姿を示し、宗像は丈夫国を思わせる。