たしかに、中国の史書に記された日蝕は、95%の確率で実際の天体の動きと一致していた。驚くべき精度である。しかし、だからこそ 残りの〝5%″は何故か。中には、計算の誤差を疑う人がいるかもしれない。しかし、この〝5%″の間違いには周期性無し。従って計算の間違いではない。15日の月食と間違えた1件を除くと、全てほんのわずか、1日の誤差である。しかし、その中には、完璧をめざした人々の営みが見えてくる。
日蝕は、新月、つまり朔日にしか起こらない。太陽と月と地球が、ぴたりと並ぶ、天空のほんの一瞬。 だから、史書の日付にたった一日のズレがあるだけで、それは〝誤記″とみなされてしまう。 しかし、 そもそも、朔日というのははっきり決められるものだったのだろうか? 鍵になるのは、古代中国の暦法、とくに〝朔″の扱い方である。
『史記』によれば、周の武王が「正朔」、国家の公式カレンダーを定めたという。陰暦が始まったのだろうか? つまり「この日を朔日とする」と、王が宣言する制度である。しかし、史書には、こんな言葉も記されている。
「言告朔也」――〝朔を告げる″
「不告閏朔」――〝閏月の朔は告げない″
「定正朔」 ――〝正しい朔日を決める″
朔日は、いつでも誰でも知っていたわけではなかった。 朔日、「月が見えない日」なんて空を見上げれば解るはず。