それは一本の刀から始まった。錆に覆われた古い刀。その表面に、かすかに刻まれた銘文。「泰■四年十■月十六日
丙午」、■は解らない文字。錆びた字は判読できず、その文字は、まるで時の彼方から届いた、かすかな囁きのよう。この刀こそ、七支刀。百済から日本へ贈られた、外交の証。
では、この「泰■」とは何なのか? どこの元号で、どの王の治世を示すのか。その謎の先に、ある〝女王″の影が浮かび上がってくる。『日本書紀』には、神功皇后五十二年に七支刀が献上されたとの記録。西暦にすれば、252年だ。
しかし、『古事記』によれば、神功皇后の夫・帯中日子が崩御したのは、壬戌年、362年と考えられる。その後、神功皇后は政を執り、筑紫から河内、戦いを経て、穏やかな治世を続けたと記されている。
ここで、ひとつの仮説を置いてみよう。神功元年を321年と設定する。『古事記』の御真木入日子が崩御して3年後、翌年から税を課すと決めた年。すると、百済王の即位年や薨去年と、不思議な一致が現れてくる。
神功皇后紀年 ― 西 暦 ― 百済王朝の出来事
神功五十二年 ― 372年 ― 七支刀の献上
神功五十六年 ― 376年 ― 貴須王、即位
神功六十四年 ― 384年 ― 貴須王、薨去
神功六十五年 ― 385年 ― 枕流王、薨去