日蝕の日付は、「干支」で刻まれていた。「甲子」から「癸亥」まで、60通りの組み合わせで、時を刻む。一見すると、中国独特の記号のようにも見えるが、日本語の音と不思議なほど馴染んでいた。
「酉(ゆう)」は日本語の「とり」のこと? 「子(し)」は〝こども″、ねずみの「ね」と読もう。このように、音の重なりから、自然に解けていく。もしかすると、日本語側にはすでに〝きのえのね″という言葉があって、それに漢字〝甲子″を当てはめただけだったのかもしれない。日本人は、一百七十九萬二千四百七十餘歳を数えた。適当でよかったら、百萬歳で十分である。「木火土金水」はみな日本の神、金(か)は河? 水(み)は海? 「ひ・ふ・み・・・」、兄は右、弟は左、百まで数えられる。
しかし、ここで見逃してはならない〝ズレ″がある。日蝕の日付は陰暦という幸運に恵まれ、新月の日が記録されたが、中国の暦には、「晦日」と「朔日」が、混同されることがあった。本来、新月、つまり 朔日にしか日蝕は起こらない。しかし、中国ではこのふたつが、しばしば同じものとして書かれていた。ひと月が30日で終わることもあるから。30日が晦日、小の月29日の次は晦日が朔日。日付にズレが生まれてしまう。「晦日」を30日と呼ぶのは日本。中国は? 太陽暦の名残?
日本では「晦日」と「朔日」をはっきり区別していた。「つごもり」と「ついたち」として、別の概念として定着していた。それは、日本独自の、驚くほど正確な暦感覚の証だ。従って、問いはこう変わる。「中国の暦って 本当に正しい?」、「それとも、日本の暦のほうが 精密だった?」、どちらが〝正しい″かは、言葉では決められない。天体の動き。月の満ち欠け。蝕の発生と日付の記録。それらを照らし合わせたときに、ようやく〝確かなもの″が見えてくる。
言葉は、幻想を生み出すことができる。しかし、太陽と月の歩みは、どの時代でも嘘をつかない。だから、歴史にとって「暦」とは、信じるための羅針盤。その羅針盤が指す先に、私たちがまだ知らない、ほんとうの歴史の姿が眠っている。