かつて、東の海に浮かぶ列島には、三人の王が、たしかにいた。倭国は昔、女王卑弥呼を戴いた国。火国を本拠として、隋・唐と交わった俀国。そして、静かに消えた、秦王国が。『旧唐書』は言う。「日本国 倭国之別種也」それはただの注釈ではない。血統と覇権が、統合の時を迎えたという、宣言だった。俀国は、筑紫の西に興り、隋の使者を迎えた。倭国は、筑紫の東に根を張る。そして、さらに東方に、秦王国があった。三つの王統が、列島の風に交錯していた。
660年代。百済が唐・新羅連合軍によって滅ぶ。倭国はその復興を願って、白村江へと軍を送った。しかし、敗北は深く、倭政権を大きく揺るがす。筑紫の王、薩野馬。唐から脱出し、唐軍を先導して帰還したのは、天智三年のこと。唐軍が五月に来日した直後、『書紀』に記される「大紫蘇我連大臣薨」。紫冠を私的に許された唯一の人物、蘇我入鹿。もちろん、私的など有り得ない。倭国では公的だけど、俀国では私的と見えた。