664年、政変の後に政務を継いだのは『藤氏家傳』に白鳳五年 665年「天萬豐日天皇 已に萬機を厭い 白雲に登る 皇祖母尊 俯して物願に従い 再び政務を掌る」。「皇祖母尊」、それが、天豊財。彼女こそ、『新唐書』に記された唯一の倭国女王。『新唐書』は同じく、「未幾孝德死」、即位後すぐ、崩御したと。
664年、政変の後に孝徳が皇位に就いだが、すぐに崩御。だから、天豊財が即位した。そして、665年、泰山の封禅に列席した〝倭国の天子″。その名は、皇祖母・中宮天皇。なぜ、太子の天智は即位できなかったか? それは、天智がまだ若かったから。
仏像も語る。666年、野中寺の銅造弥勒像の台座に刻まれた銘文。「丙寅年 四月大旧八日
癸卯・・・中宮天皇大御身労坐之時」それは、西暦666年だ。難波に都があり、政庁があった証。推古朝なら、明日香小墾田宮が首都。それなら、中宮寺に安置すれば? 明日香に住まない中宮天皇が、確かに在位していた。670年、倭国は「日本国」へと改名される。それは、地名の変更ではない。王統の再編。国家の新生。俀国の血が、倭奴の末裔として、新たな名を掲げた。680年、「中宮不悆」。薬師寺の銘文が記す女帝の病。それは、天豊財。彼女の死とともに、中大兄は初めて「天皇」を名乗る。それまでは「太子」。なぜなら、現職の女帝がいたから。
681年、新しい皇太子、草壁皇子。それは、別王朝の王の交代だ。母の住む浄御原と太子の妃がいる近江では首都が異なる。『日本書紀』が描いた天武清原王朝とは異なる、もう一つの系譜。中宮天皇の後継天智天皇だ。『日本書紀』を編ませたのは草壁皇子の妃の元明天皇、大海皇子の後継者なのだから、天智朝は別の系譜になる。