2021年6月30日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段15

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾尊親見泉國此既不祥也還乃追悔之日吾前到於不須也凶目汚穢之處故當滌去濯除吾身之觸穢則往見粟門及速吸名門然此二門潮太急故還向於日向橘之小戸檍原而秡除焉遂將盪滌身之所汚乃興言詔日陽神爲禊泉穢到日向橘之小戸檍原而秡禊御身時(?)成神十二柱故於投棄御杖(?)成神名衝立舩戸神次於投棄御帯(?)成神名道長乳齒神次於投棄御裳(?)成神名時置師神次於投棄御衣(?)成神名有和内良比能宇斯能神次於投棄御褌(?)成神名道俣神次於投棄御冠所成神名飽坐之宇斯能神次於投棄左御手之纒所成神名奥踈神号日奥津那藝佐彦神次奥甲斐辨羅神次於投棄右御手之纒所成神名鳥津神号日邊津那藝佐彦神次邊甲斐辨羅神伊奘諾尊詔上瀬者速下瀬者弱而初於中瀬潜滌之時(?)成之神二柱 神名八十禍津日神次大禍津日神覆爲直其禍而所成神三柱神名神直日神次大直日神次伊立能賣神覆入水吹生磐土命次出水吹生大直日命覆入吹生底土命次出吹生大綾津日神覆入吹赤土命次出吹生大地海原之諸神矣覆洗濯於海底時因以生二神号日底津少童命次底筒男命覆潜濯於潮中因以生二神号日中津少童命次中筒男命覆浮濯於潮上因以生二神号日表津少童命次表筒男命凡有六神矣底津少童命中津少童命表津少童命此三神者阿曇連等齊祠筑紫斯香神底筒男命中筒男命表筒男命此三神者津守連齊祠住吉三所前神」、【伊奘諾は、みずから黄泉の国を見た。これは不吉であった。帰って悔いて、「私はつい先ほど、ひどく穢れたところへ行ってきた。だから、私の体についた汚れを洗い、すすいで除こう」と言った。出かけて粟門と速吸名門を見た。ところが、この二つの海峡は潮の流れがとても急だった。そこで、日向の橘の小戸の、檍原に帰り祓った。体の汚れをすすごうとして、言葉に出して男神は黄泉の穢れを祓おうとした。日向の橘の小戸の、檍原で、体を祓った。このとき、十二柱の神が生まれた。まず、投げ捨てた杖が成った神の名は、衝立船戸。次に、投げ捨てた帯が成った神の名は、道長乳歯。次に、投げ捨てた裳が成った神の名は、時置師。次に、投げ捨てた衣が成った神の名は、和内良比能宇斯。次に、投げ捨てた袴が成った神の名は、道俣。次に、投げ捨てた冠が成った神の名は、飽咋の宇斯。次に、投げ捨てた左の手の腕輪が成った神の名は、奥疎神。名づけて奥津那芸佐彦という。次に、奥甲斐弁羅。次に、投げ捨てた右の手の腕輪が成った神の名は、辺疎神。名づけて辺津那芸佐彦という。次に、辺津甲斐弁羅。伊奘諾が「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」と言い、はじめ、中ほどの瀬で穢れを洗い清めたときに、二柱の神が生まれ出た。その神の名は、八十禍津日。次に、大禍津日。また、その禍を直そうとして三柱の神が生まれ出た。その神の名は、神直日。次に、大直日。次に、伊豆能売。また、水に入って磐土を吹き出した。次に、水から出て大直日を吹き出した。また入って、底土を吹き出した。次に出て、大綾津日を吹き出した。また入って、赤土を吹き出した。次に出て、大地と海原の諸々の神を吹き出した。また、海の底にもぐってすすいだときに、それによって二柱の神が生まれた。名づけて、底津少童という。次に、底筒男という。また、潮の中にもぐってすすいで二柱の神が生まれた。名づけて、中津少童という。次に、中筒男という。また、潮の上に浮かんですすいで二柱の神が生まれた。名づけて、表津少童という。次に、表筒男という。あわせて六柱の神がいる。底津少童、中津少童、表津少童この三神は、阿曇連達がお祀りする、筑紫の斯香の神だ。底筒男、中筒男、表筒男の三神は、津守連がお祀りする、住吉の三社の神だ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「是以伊耶那伎大神詔吾者到於伊那志許米上志許米岐穢國而在祁理故吾者爲御身之禊而到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而禊祓也故於投棄御杖所成神名衝立舩戸神次於投棄御帯所成神名道之長乳歯神次於投棄御嚢所成神名時量師神次於投棄御衣所成神名和豆良比能宇斯能神次於投棄御褌所成神名道俣神次於投棄御冠所成神名飽咋之宇斯能神次於投流(棄)左御手之手纏所成神名奥疎神次奥津那藝佐毗古神次奥津甲斐弁羅神次於投棄右御手之手纏所成神名邊疎神次邊津那藝佐毗古神次邊津甲斐弁羅神於是詔之上瀬者瀬速下瀬者瀬弱而初於中瀬隋迦豆伎而滌時所成坐神名八十禍津日神次大禍津日神此二神者所到其穢繁國之時國汚垢而所成神之者也次爲直其禍而所成神名神直毗神次大直毘神次伊豆能賣次於水底滌時所成神名底津綿上津見神次底箇之男命於中滌時所成神名中津綿上津見神次中箇之男命於水上滌時所成神名上津綿津見神次上箇之男命此三柱綿津見神者阿曇連等之祖神以伊都久神也故阿曇連等者其綿津見神之子宇都志日金析命之子孫也其底箇之男命中箇之男命上箇之男命三柱神者墨江之三前大神也於」と、『舊事本紀』にほゞ同じだ。

生んだ神は『古事記』も『舊事本紀』もほゞ同じ神名で、同じ神話を元にしていると思われるが、『舊事本紀』には大直日が重複して記述されて2つの神話をつなぎ合わせたようで、その後に大綾津日と対馬の日神と思われる神を記述して物部氏の対馬起源を示し、大直日は「葛城国造垂見宿彌」の子に「意富那毘」が同名で、他氏族の神と同名を使用するとは思えないので、葛城氏の神話を接合していると考えられる。

そして、「道長乳歯」の類似の神が『舊事本紀』の「乳速日」で「廣沸神麻續連等祖」と広国配下の神で葛城氏の役職名と証明した「白髮武廣國押稚日本根子」や「廣國排武金日」・「武小廣國押盾」の廣で『日本書紀』の安康天皇まで記述した部分には登場することが無かった人物の祖神で麻續連を「おみむらじ」と読むが、「中臣烏賊津使主」と同じ王朝の出自で『日本書紀』は「使主」を「臣・おみ」と認識せず、推古紀には認識したので、安閑天皇元年「使主皆名小杵也」と注釈を加え、「臣」の文字を使う制度は物部氏若しくは尾張氏の制度である。

また、「飽咋宇斯」、「和内良比能宇斯」は『舊事本紀』の「丹波道主王」、『古事記』の「丹波比古多多須美知能宇斯王」と主を「うし」と言う地域の神話で、 「道俣」は『舊事本紀』に「須勢理姫而所生之子者判挾木俣名其子云木俣神」と素戔烏の義父で、『古事記』では「八俣の遠呂智」、隠岐と敵対する「八」国の兵士で大国の神話である。


2021年6月28日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段14

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾尊勑桃子日汝如助吾於葦原中國所有顯見蒼生之落苦瀬而患楤(?手偏)之時可助告而賜名号日意富迦牟都美命矣伊弉冉尊親自最後追來于泉津平坂之時伊奘諾尊乃投其杖日自此以還雷軍不敢來矣伊奘諾尊覆於泉津平坂以千人所引盤右塞其坂路其石置中相對而立遂建絶妻之誓渡其事戸之時伊弉冉尊盟日不負於族乃(?)竪之神号日速玉之男神次掃之神泉津事解之男神伊弉冉尊愛也吾夫君言如此者吾當溢煞汝(?)治國民日將千頭矣伊奘諾尊乃報日愛也吾妹言如此者吾當産生日將千五百頭矣是以一日千人必死矣一日千五百人必生也伊奘諾尊因日自此莫過則生三神矣即投其杖是謂岐神号日來名戸神也覆投其帯是謂長道盤神也覆投其履是謂道敷神又云煩神又云開嚙神伊弉冉尊謂黄泉津大神覆以其追斯伎頻斯而号道敷大神覆所塞其黄泉坂之石者号道反大神覆所塞般石是謂泉門寒之大神覆塞坐黄泉戸大神也伊奘諾伊弉冉二神矣覆既及其與妹相闘於泉津平坂也伊奘諾尊日始爲族悲及思哀者是吾之怯矣時泉守道者日云有言矣吾與汝巳生國矣奈何更求生乎吾則當留此國不可共去是時菊理媛神亦有白事矣伊奘諾尊聞而善之乃散去矣如今世人所忌先於婦死夫避葬處盖縁斯欤凡厥所謂泉津平坂者不覆別有處(?)但臨死氣絶之際謂斯之欤謂出雲國伊賦夜坂伊弉冉尊者葬於出雲國與伯耆國堺比婆之山也伊弉冉尊葬於紀伊國熊野之有馬村焉土俗祭此神之魂者花時以花祭覆用鼓吹幡旗歌舞而祭矣」、【伊奘諾は、桃の実に「お前が私を助けたように、葦原の中国に生きているあらゆる人々がつらい目にあって、苦しんでいるときに助けてやれ」と詔勅して意富迦牟都美という名前を与えた。最後に、伊弉冉自身が、泉都平坂へ追いかけて来たとき、伊奘諾はその杖を投げて「ここからこちらへは、雷の兵は来ることができない」と言った。伊奘諾はまた、泉津平坂に千人引きの岩で、その坂道をふさぎ、岩を間に置いて伊弉冉と向かい合って、ついに離縁の誓いを立てた。その離別の言葉を交わしているとき、伊弉冉は「あなたには負けない」と誓って唾をはいた。そのとき生まれた神を、名づけて日速玉之男という。次に、掃きはらって生まれた神を泉津事解之男と名づけた。伊弉冉が「愛しい私の夫よ、あなたが別れの誓いをいうのなら、私はあなたが治める国の民を、日に千人ずつ絞め殺そう」と言った。伊奘諾は「愛しい私の妻よ、そのようにいうのなら、私は日に千五百人ずつ生ませる」と答えたので、日に千人が必ず死に、日に千五百人が必ず生まれる。伊奘諾がこれで「ここから入ってはいけない」と言って、三柱の神を生んだ。その杖を投げた。これを岐神という。名づけて来名戸という。また、その帯を投げた。これを長道磐という。また、その履を投げた。これを道敷または煩といい、または開歯という。伊弉冉を、黄泉津大神という。また、伊奘諾に追いついてきたので、道敷大神と呼ぶ。また、その黄泉の坂を塞ぐ岩を、道反大神と呼ぶ。また、塞いでいる岩を、泉門塞之大神という。また、塞坐黄泉戸大神という。伊奘諾・伊弉冉が、その妻と泉津平坂で争いあったとき、伊奘諾が「はじめあなたのことを悲しみ慕ったのは、私の気が弱かったからだ」と言った。このとき泉守道者が「伊弉冉からの伝言がある。『私はあなたと既に国を生んだ。どうして更に生むことを求めましょう。私は、この国にとどまって、一緒に行きません』といわれました」と言い、菊理媛も同じように言った。伊奘諾は、これを聞き、ほめて去った。今の人が忌むことに、先に妻が死んだとき、夫が殯の場所を避けるのは、これが始まりだろうか。いわゆる泉津平坂というのは、別のところにあるのではない。ただ死に臨んで息絶えそうなときをこういうのだろうか。出雲国の伊賊夜坂であるともいう。伊弉冉は、出雲の国と伯耆の国との境にある、比婆の山に葬った。伊弉冉は、紀伊の国の熊野の有馬村に葬った。土地の人がこの神の魂を祀るのには、花の時期に花でお祀りし、鼓・笛・旗を使って歌って舞ってお祀りする。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「尓伊耶那岐命造(告)桃子汝如助吾於葦原中國所有宇都志伎青人草之落苦瀬而患惚(悩)時可助告賜名号意富加牟豆美命(自意至美以音)最(宀)後其妹伊耶那美命身自追來焉尓千引石引塞其黄泉比良坂其石置中各對立而度事戸之時伊耶那美命言愛我那勢命爲如此者汝國之人草一日絞殺千頭尓伊耶那岐命詔愛我那迩妹命汝爲然者吾一日立千五百産屋是以一日必千人死一日必千五百人生也故号其伊耶那美神命謂黄泉津大神亦云以其追斯伎斯而号道敷大神亦所塞其黄泉坂之石者号道反之大神亦謂塞坐黄泉戸大神故其所謂黄泉比良坂者今謂出雲國之伊賦夜坂也」、【そこで伊邪那岐は、その桃の実に「お前は、私が助けたように、葦原の中国に有る宇都志伎青人草が、急な瀬に落ちて憂い苦しむ時に、助けた。」と告げて、名を与えて意富加牟豆美と名乗った。最後にその妻の伊邪那美は、自ら追い来った。ここで千引の石をその黄泉の比良坂に引き塞いで、その石を中心に置いて、互いに向かい合って立ち、言葉を交わした時、伊邪那美は「愛しい私の夫よ、このようにしたので、お前の国の人々が、日に千人の首を切って殺そう。」と言った。そこで伊邪那岐は「愛しい私の妻よ、お前がそのようにしたら、私は日に千五百の産所を建てよう。」と言った。そのため、日に必ず千人死に、日に必ず千五百人生まれる。それで、伊邪那美を名付けて黄泉津大神という。または、その折って来たものを、道敷大神と名付けた。また黄泉の坂で塞いだ石は、道反之大神と名付け、また塞いでいる黄泉戸大神ともいう。それで、その所謂、黄泉の比良坂は、今、出雲の国の伊賦夜坂という。】と訳した。

『舊事本紀』も『古事記』も撃退した桃の神を「意富迦牟都美」・「意富加牟豆美」すなわち意富神・津神と、隠岐と対馬の神と呼び、「なか」国の守り神としたと述べて、『舊事本紀』も『古事記』も、同じ神を祀り、「なか」国出身の王朝とここでは記述している。

通常『舊事本紀』も『古事記』も大神を使用しているが、この神にはあえて大神を使わず意富神が使われているのは、大国の神と分別していると考えられる。

そして、伊弉冉も黄泉津大神と大国の神と習合し、対馬が大国の配下となって、黄泉の軍を守る杖(王を象徴する)から生まれたのが岐神で、三貴神生みの神話が出来る基となったようである。

すなわち、この伊弉冉死後の説話は物部氏の出自の対馬の神話を付加したもので、軻遇突智が火の神とする『舊事本紀』の神話は『古事記』では「生火之夜芸速男神・・・亦名謂火之迦具土神」と迦が火を表しておらず、『日本書紀』では神武紀に登場し、『舊事本紀』の軻遇突智神話は火()を「か」と読む漢字が日本に入って来た後の説話で、『日本書紀』の神武紀に挿入したのは物部氏の神武天皇の説話を挿入したことを示している。

従って、『日本書記』の黄泉は対馬、『古事記』の黄泉は比婆山、『舊事本紀』の黄泉は熊野と述べ、『日本書紀』の伊弉冉の出身地は出雲国がまだ無く根国で天照の領地ではなく、将来出雲国になる地域で、根国は王朝の始まりとなる土地を述べていると考えられる。

2021年6月25日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段13

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾尊欲相見其妹伊弉冉尊追往黄泉國則到殯斂之處尓自殿騰戸出向猶平生出迎共語之矣伊奘諾尊謂日悲汝故來其愛我那迩妹尊吾與汝(?)作之國未作竟故可還矣伊弉冉尊對日悔哉吾夫君尊何來之晩也吾巳饗泉之竃矣雖然吾當寢息然愛我那勢命入來坐之事隠故欲還具與黄泉神相論請扶也勿視吾矣如此白而還入其殿内之間甚久難侍矣伊奘諾尊不聽(?)請于時闇也故刺左御髻湯津爪櫛索折其雄柱一箇以爲秉乃擧一片之火而見之今世人夜忌一片之亦夜忌擲櫛此其縁矣伊弉冉尊脹滿太髙腫沸虫流其上有八雷居於頭者火雷居於胷者火雷居於腹者黒雷居於陰者列雷居於左手稚雷居於右手土雷居於左足鳴雷居於右足伏雷也伊奘諾尊大驚之日吾不意到於不須也凶因語汚穢國矣乃急走廻歸之時伊弉冉尊恨日不用要言令吾恥辱汝巳見我情我覆見汝情于時伊奘諾尊(?)將出返之時不直黙歸而盟之日族離矣伊弉冉尊乃遣泉津配女追而留矣伊奘諾尊抜劍背揮以逃矣因投黒鬘此即化成葡萄醜女見而採敢之噉畢亦即追之矣伊奘諾尊覆投右鬘湯津爪櫛此即化生筍醜女亦抜而噉之敢畢則更亦追矣伊奘諾尊逃行且後於八雷神副千五百之黄泉軍令追尓抜所御偑十握劔而後手布里都之逃走矣伊奘諾尊乃向大樹放尿此即化成巨川泉津日狹女將渡其水矣伊奘諾尊逃到黄泉平坂則立隱桃樹採其桃子三箇待撃者黄泉雷軍皆悉逃還矣凡厥用桃避鬼(?)是其縁也」、【伊奘諾は、妻の伊弉冉に会いたいと、後を追って黄泉の国に行き、もがりの場所にやって来て、伊弉冉は御殿の戸を上げて出迎え、生きていたときのように語りあった。伊奘諾は「あなたが愛しくてやってきた。愛しい妻よ、私とあなたとで造った国は、まだ造り終えていない。だから帰ってこい」と言った。伊弉冉が「残念です。あなたは来るのが遅すぎた。もう、黄泉の国の食べ物を食べてしまって眠るところです。けれども愛しいあなたが、わざわざ訪ねてきたから帰りたいと思うので、しばらく黄泉の神と相談します。私を見ないで」と答えて、女神は、その御殿の中に入っていったが、その間がとても長く、待ちきれなくなった。伊奘諾は見ないでという願いを聞かず、暗かったので、左の御髻に挿していた湯津爪櫛の、太い歯の一本を折り、手灯として火をともして見た。今、夜に一つだけ火をともすことを忌み、また夜、櫛を投げることを忌むのは、これが由来だ。伊弉冉は、死体がはれ上り蛆がたかっていた。その上に八の雷があった。頭には大雷、胸には火雷が、腹には黒雷、陰部には列雷、左手には稚雷、右手には土雷、左足には鳴雷、右足には伏雷がいた。伊奘諾はとても驚いて「私は思いがけなくも汚い国に来てしまった」と言い、急いで逃げ帰った。伊弉冉は恨んで「約束を守らないで、私を辱しめた。あなたは私の本当の姿を見てしまった。私も、あなたの本心を見た」と言い、伊奘諾は恥じて、出て帰ろうとしたとき、ただ黙って帰らないで「縁を切ろう」と誓った。伊弉冉は泉津醜女を派遣して、追いかけさせて留めようとした。伊奘諾は剣を抜いて後ろを振り払い逃げた。そして髪に巻いていた鬘草の飾りを投げると、葡萄になった。醜女はこれを採って食べた。食べ終わると、また追いかけた。伊奘諾はまた、右の髪に挿していた湯津爪櫛を投げた。これは筍になった。醜女はそれを抜いて食べた。食べ終わるとまた追いかけた。伊奘諾はそこから逃げたが、その後に、八の雷神が千五百の黄泉の兵を率いて追ってきた。そこで帯びた十握の剣を抜いて、後ろを振り払いながら逃げた。伊奘諾は、大樹にむかって放尿した。これが大きな川となった。泉津日狭女がこの川を渡ろうとする間に、伊奘諾は逃げて黄泉平坂に着いた。そこになっていた桃の木の陰に隠れて、その実を三つ取って待ち、投げつけたら、黄泉の雷の兵はみな退散した。これが、桃を使って鬼を防ぐ由来だ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「是欲相見其妹伊耶那美命追往黄泉國尓自殿滕戸出向之時伊耶那岐命語詔之愛我那迩妹命吾與汝所作之國未作竟故可還尓伊耶那美命荅白悔哉不速來吾者爲黄泉戸喫然愛我那勢命入來坐之事恐故欲還且與黄泉神相論莫視我如此白而還入其殿内之間甚久難待故判(刺)左之御美豆良湯津々間櫛之男柱一箇取闕而燭一火入見之時宇士多加禮許呂々岐弖(此十字以音)於頭者大雷居於胸者火雷居腹者黒雷居於陰者析雷居於左手者若雷居於右手者土雷居於左足者鳴雷居於右足者伏雷居并八雷神成居於是伊耶那岐命見畏而逃還之時其妹伊耶那美命言令見辱吾即遣豫母都志許賣令追尓伊耶那岐命取黒御鬘投棄乃生蒲子是摭食之間逃行猶追亦判(刺)其右御美豆良之湯津々間櫛引闕而投棄乃生筝是抜食之間逃行且後者於其八雷神副千五百之黄泉軍令追尓抜所御佩之十拳劔而於後手布伎都都逃來猶追別(到)黄泉比良坂之坂本時取在其坂本桃子三箇待撃者悉坂返也」と『舊事本記』とほゞ同じである。

前項は八柱の山祇、この項は雷で前項は「つみ」・この項は「つち」で、「ち」も「み」も1文字で神霊を表し、「つ」は「対馬」か港の「津」を表す1文字と考えられ、「む(な)ち」と宗像の霊を表すように、対馬の霊や神を表すと考えたほうが合理的である。

そして、「祇」は3・5・8と多くなって行くことから、元々、対馬1国の神が3国・8国と出張所を作った大八島の国生みの説話に繋がる神の時代毎の神を表し、それに対する港の国神である槌、物部氏・尾張氏の狭の地域から降って来た先祖神を表すと考えられる。

その大八島すなわち大倭国、『後漢書』の「大倭王」の神話がこの項の神話で、大倭王が支配する邪馬台国すなわち熊襲の地、建甕槌が支配した十握の剱を持っている建素戔嗚の地の神話を取り入れた神話と考えられ、神武天皇・懿徳天皇より後の大彦達の親の世代あたりの神話である。

そして、槌に雷を使用した理由が伊賀槌からと述べたが、それに加えて、鳴雷が有るように、弥生時代の音を鳴らす道具の銅鐸も理由で、金山彦・金山姫の金は銅鐸が鳴り響く山を表しているのかもしれない。


2021年6月23日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段12

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾尊深恨日愛矣吾那迩妹尊唯以一兒謂易子之一本替愛我那途妹尊者乎則匍匐御頭邊匍匐御脚邊而哭流涕時御涙隨為神坐香山之畝尾丘樹下所居之神号日啼澤女神伊奘諾尊遂抜所帶十握劍斬軻遇突智頸為三段亦爲五段亦爲八段三段各化爲神一段是爲雷神一段是爲大山祇一段是爲髙寵五段各化成五山祇一則首化爲太山祇二則身中化爲中山祇三則手化爲麓山祇四則腰化爲正勝山祇五則足化爲雜(しぎ?)山祇八段各化為八山祇一則首化爲大山祇 亦名正麓山津見神二則身中化爲中山祇亦名胷(?)成津見神三則腹化爲奥山祇亦名奥山與津見四則腰化爲正勝山祇亦於陰所成神名闇山津見神五則左手化爲麓山祇亦名志藝山津見神六則右手化爲羽山祇亦名羽山津見神七則左足爲原山祇亦名原山津見神八則右足化爲戸山祇 亦名戸山津見神覆劍鐔垂血激越爲神亦走就湯津石村(?)成之神名日天尾羽張神亦名凌威雄走神亦云甕速日神亦熯速日神亦槌速日神今坐天安河上天窟之神也兒建甕槌之男神亦名建布都神亦名豊布都神今坐常陸國鹿嶋大神即石上布都大神是也覆劍鐸垂血激越爲神亦血走就湯津石村所成之神名日磐裂根裂神兒盤筒男盤筒女二神相生之神兒經津主神今坐下総國香取大神是也覆劍頭垂血激越爲三神名闇寵次闇山祇次闇罔象是時斬血激灑染於石礫樹草砂石自含火其縁也」、【伊奘諾が「愛しい私の妻。ただ一人の子のために、愛しい私の妻を犠牲にしてしまった」と深く恨んで、頭のあたりや、脚のあたりで這いまわって、悲しみの涙を流した。涙は落ちて神となった。これが香山の畝尾の丘の樹の下にいる神で、名を啼澤女という。伊奘諾はついに、腰に帯びた十握の剣を抜いて軻遇突智の首を斬り、三つに断った。また、五つに断った。また、八つに断った。三つがそれぞれ神になった。そのひとつは雷神となった。ひとつは大山祇となった。ひとつは高寵となった。五つそれぞれが五つの山の神になった。第一は首で、大山祇となった。第二は胴体で、中山祇となった。第三は手で、麓山祇となった。第四は腰で、正勝山祇となった。第五は足で、雜山祇となった。八つそれぞれが八つの山の神になった。第一は首で、大山祇または正鹿山津見という。第二は胴体で、中山祇または胸に生じた神で、瀬勝山津見という。第三は腹で、奥山祇または奥山上津見という。第四は腰で、正勝山祇または陰部に生じた神で、闇山津見という。第五は左手で、麓山祇または志芸山津見という。第六は右手で、羽山祇または羽山津見という。第七は左足で、原山祇または原山津見という。第八は右足で、戸山祇または戸山津見という。また、剣のつばからしたたる血がそそいで神となった。湯津石村に飛び散ってなり出た神を、天尾羽張またの名を稜威雄走または甕速日または熯速日または槌速日という。今、天安河の上流にいる、天窟である。天尾羽張神の子が建甕槌之男またの名を建布都または豊布都。今、常陸の国の鹿島にいる大神で、石上の布都大神がこれだ。また、剣の先からしたたる血がそそいで神となった。血が湯津石村に飛び散って、成り出た神を、磐裂根裂という。磐裂根裂神の子の磐筒男・磐筒女の二神が生んだ子が、経津主である。今、下総の国の香取にいる大神がこれだ。また、剣の柄頭からしたたる血がそそいで三柱の神となった。名を、闇寵、次に闇山祇、次に闇罔象という。このとき斬られた血がそそいで、石や砂や草木が染まった。これが砂や石自体が燃えることのある由来だ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「於是伊耶那岐命抜所御佩之十拳劔斬其子迦具土神之頸尓著其御刀前之血走就湯津石村所成神名石析神次根析神次石箇之男神次著御刀本血亦走就湯津石村所成神名甕速日神次樋速日神次建御雷之男神亦名建布都神亦名豊布都神次集御刀之手上血自手俣漏出所成神名闇游加美神次闇御津羽神所殺迦具土神之於頭所成神名正鹿山上津見神次於胸所成神名游縢山津見神次於腹所成神名奥山上津見神次於陰所成神名闇山津見神次於左手所成神名志藝山津見神次於右手所成神名羽山津見神次於左足所成神名原山津見神次於右足所成神名戸山津見神故所斬之刀名謂天之尾羽張亦名謂伊都之尾羽張於」、【そこで伊邪那岐は、身に着けた十拳劒を抜いて、その子の迦具土の首を斬った。そこでその刀の先に着いた血が、湯津石村に走り去って、なった神の名は、石拆。次に根拆。次に石筒之男。次に刀の元についた血も、湯津石村に走り去って、なった神の名は、甕速日。次に樋速日。次に建御雷之男。またの名は建布都。またの名は豐布都。次に刀の持ち手の上に集まった血が、手の俣から漏れ出て、なった神の名は、闇淤加美。次に闇御津羽。殺した迦具土の頭になった神の名は、正鹿山上津見。次に胸がなった神の名は、淤縢山津見。次に腹がなった神の名は、奧山上津見。次に陰がなった神の名は、闇山津見。次に左の手がなった神の名は、志藝山津見。次に右の手がなった神の名は、羽山津見。次に左の足がなった神の名は、原山津見。次に右の足がなった神の名は、戸山津見。それで、斬った刀の名は、天之尾羽張といい、またの名は伊都之尾羽張と言う。】と訳した。

この説話は軻遇突智によって国を獲得したことを示していて、『日本書紀』は3国、これは三身国で筑紫の豊・速・建、『古事記』は八国で八の頭を持つ山祇の遠呂智、三身国の綱で国造りしたように大国は三身国の援助を受けた国、素戔嗚は八国を統一したと主張する神話で、『舊事本紀』は『古事記』の八国から『日本書紀』の3国を除いた5国の山祇に分裂したと述べ、『古事記』・『舊事本紀』は『日本書紀』の3国豊・速・建が雷神・大山祇・高寵の 大山祇を祖とする氏族の分派だと述べている。

其々の氏族には同じような事象から神が生まれ、同じような名前がつけられ、其々の氏族の合従連衡や侵略によって神が合祀や習合や、移住もあったので、神の名も亦の名や、神名を区別するため地名が接頭語としてつけられ、神話を完成させるとき、その神の名を使えばよく、そのため、無関係な神が同一の神とし、氏族に都合の良い解釈を行ったと考えられ、天之尾羽張のように、氏族によって善にも悪にもなる。

『日本書紀』では高倉下が武甕雷から布都の剱を貰い、毒気に当たって眠っていた神武天皇が目覚めた記事があるが、文字は「韴靈」と記述して今で言う「スパっと切れる妖刀」のような意味の熟語と考えられ、それを、巨勢氏以降が「布都」とこれも切れる表音文字で表現し、樋も『日本書紀』では、素戔嗚が壊すのは畔で樋ではなく、允恭紀に下樋が記述され平郡王朝以外の王朝が使ったと考えられ、また、5世紀末においても、暦を知らない神話の歴史時代ではない氏族があったことを示している。


 

2021年6月21日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段11

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾伊弉冉二尊俱議曰吾已生大八州及山川草木何不生天下之主者欤先生日神号日大日靈貴亦云尊天照太神要大日委此子光華明徹於六合之内故二神喜日吾息雖多未有若此異靈之兒不宜久留此國自當早送于天而授以天上之事是時天地相去未還故以天柱奉送於天上矣次生月神号日月讀尊亦云月夜見亦月号其光綵亞日可以配日而治故奉送于天次生素戔嗚尊此尊可治天下而此神勇悍以忍安旦常以哭泣爲行故令國内人民以夭折覆使青山變枯山覆河海悉泣乾矣以惡神之音如猍蠅流万物之妖如吹風皆登矣次生蛭兒雖已三歳而腳尚不立初二神巡柱之時陰神先發喜言既違陰陽之理所以初終生此兒矣次生鳥磐橡樟舩即以此舩乃載蛭兒流放棄矣伊弉冉尊欲生火之産靈迦具穾智 亦云火焼速男命神亦云火焼炭神之時因生此子美舉登見炙而病(?)矣旦神避之時悶熱懊悩因爲吐此化爲神名日金山彦神次金山姫神次小便亦尿化為神名日罔象女神次大便亦屎化為神名日埴安彦埴安姬神次生天吉葛󠄀次生稚彦靈日神此神之子謂豊受氣比女神火神軻遇突智娶土神埴安姫生稚皇産靈神此神頭上生蝅與桒臍中生五糓伊弉冉尊生火神軻遇突智之時見焦而神退生矣伊奘諾伊弉冉二尊共所生嶋十四神四十五柱也其磤馭盧嶋者非(?)生亦水蛭子要淡嶋不入子例伊奘諾尊深恨日愛矣吾那迩妹尊唯以一兒」、【伊奘諾・伊弉冉は、「私たちはもう、大八州や山川草木を生んだ。どうして天下の主となる者を生まないでよいのか」と相談した。そこでまず、日の神を生んだ。大日孁貴という。または天照太神といい、大日孁という。この子は、華やかで光りうるわしくて、六合の中で照りわたった。それで、二柱は喜んで「わが子たちは沢山いるが、いまだこんなにあやしく不思議な子はなかった。長くこの国に留めておくのはよくない。早く天に送り、天の上の仕事をしてもらおう」と言った。この時、天と地とはまだそれほど離れていなかった。そのため、天の柱で、天の上に送った。次に、月の神を生んだ。名づけて月読という。または月夜見、月弓という。その光りうるわしいのは、太陽に次いでいた。それで日に副えて治めさせるのがよいと、天に送った。次に、素戔烏を生んだ。これは天下を治めるべきだったが、勇ましくて荒々しく、残忍なことも平気で行った。また、常に泣きわめくことがあった。それで、国内の人々が若死にさせられた。また、青々とした山を枯れた山に変え、川や海の水をすっかり泣き乾くように干上がる程で、禍いをおこす悪神のさわぐ声は、むらがる蠅のように充満し、あらゆる禍いが吹く風のように一斉に発生した。次に、蛭児を生んだ。三歳になっても脚が立たなかった。はじめ伊奘諾・伊弉冉が柱を回った時に、女神が先に喜びの声をあげた。それが陰陽の道理にかなっていなかったため、最後にこの子が生まれた。次に、鳥磐櫲樟船を生んで、この船に蛭児を乗せて流し棄てた。伊弉冉が、火産霊迦具突智または火焼男命、または火々焼炭を生もうとしたとき、この子を生んだために、陰部が焼けて病の床に伏した。そうして死ぬときに、熱で苦しんだ。そのため嘔吐して神となった。名を金山彦、次に金山姫という。次に小便をし、それが尿神となった。名を罔象女という。次に大便をし、それが屎神となった。名を埴安彦と、埴安姫という。次に、天吉葛を生んだ。次に、稚産霊日を生んだ。この稚産霊日の子を、豊宇気比女という。火の神の軻遇突智は土の神の埴安姫を妻にして、稚皇産霊を生んだ。この神の頭の上に蚕と桑が生じた。臍の中に五穀が生まれた。伊弉冉は、火の神を生むときに、体を焼かれて死んだ。伊奘諾・伊弉冉が共に生んだ島は十四。神は四十五柱になる。ただし、磤馭盧島は生んだものではない。また、水蛭子と淡島は子の数には入れない。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「故伊耶那美神者因生火神遂神避生(坐)也凡伊耶那岐伊耶那美二神共所生嶋壹拾肆嶋神参拾伍神故尓伊耶那岐命詔之愛我那迩妹命乎謂易子之一木乎乃匍匐御枕方匍匐御足方而哭時於御涙所成神坐香山之畝尾木本名泣澤女神故其所神避之伊耶那美神者葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也」、【それで、伊邪那美は、火の神を生んだので、とうとう神避った。すべての伊邪那岐、伊邪那美の二柱が、共に生んだ、十四島、神卅五神は伊邪那美がまだ神避る前に生んだ。ただ、意能碁呂島は、生んではいない。また、蛭子と淡島とは、子の例には入れない。それで伊邪那岐が「愛しい私の妻を子の一人と取り換えた。」と言って、それで枕へ這い、足へ這って哭いた時、涙が化った神は、香山の畝尾の木の元にいて、泣澤女と名づけた。それで、その神避った伊邪那美は、出雲の國と伯伎の國との堺の比婆の山に葬った。】と訳した。

『舊事本紀』は、ここでも、伊弉諾・伊弉冉が天の住人ではないと述べ、埴安彦・埴安姫が記述され、当然、政治の中枢にいる物部氏は平郡氏が既述した史書の『日本書紀』を知らないはずがなく、そこに出現する埴安姫・埴安彦親子を知らないはずがなく、埴安彦が稚皇産霊、埴安姫は河内青玉の娘なので青玉が『舊事本紀』の伊弉冉と言うことになり、『舊事本紀』の黄泉の国は和泉に当たり、埴安彦が長髓彦の物語のモデル、欝色雄が可美眞手のモデルと考えられる。

『日本書紀』では、伊弉冉の出身地が根国と記述し、葬った場所は記述しないが、原初では、水葬若しくは集落内に葬られているので、女は確実に出身集落に葬り、集落を出た男は結果的に水葬や風葬となると考えられ、『古事記』の伊弉冉は比婆の山が出身地、『舊事本紀』の伊弉冉は紀伊国熊野の「有馬村」が出身地のようで、各氏族にも独自の伊弉諾・伊弉冉のような人物が存在し、有名な伊弉諾・伊弉冉に名前を変えた。

そして、『舊事本紀』の神生みは、天照や月読ではなく、蛭子から始まり、最初に発声する順が間違いだから蛭子が生まれ、天に送ったのは蛭子で、その後で主神の火産霊迦具突智を生み、蛭子は葦で出来た舟で水葬したと考えられ、『古今和歌集 藤原興風』の「白浪に 秋の木の葉の 浮かべるを 海人の流せる 舟かとぞ見る」は海人が流す精霊流しの原型と考えられ、古代の葦舟の名残りと思うと以前述べた。

そして、天国の海流の上流から水葬して流れ着いた先が対馬(対岐)の黄泉で、その王が月読、蛭子は男だから水葬されたのであり、若しくは、男の伊弉諾は野垂れ死にを思わせる風葬で、伊弉諾から蛆がわき、草が生えて、生命を生む神と呼ばれたのだろうか。

2021年6月18日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段10

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「伊奘諾伊弉冉二尊既生国竟更生神十柱先生大事忍男神

次生石土毘古神次生石巣比賣神次生大戸日別神次生天之吹止男神次生大屋比古神次生風木津別之忍男神次生海神名大締津見神 亦名少童命次生水戸神名建秋津彦神 亦名建秋田命次生妹建秋津姫神覆速秋津彦速秋津姫二神因河海持別生神十柱先生沫那芸神次生津那美神次生那藝神次生頬那美神次生天之水分神次生國之水分神次生天之久比賣女道神次生國之久比賣女道神次生山神名大山止津見神一云大山神祇次生野神名鹿屋姫神亦云野推神覆大山祇神野稚神因山野持別而生神八柱先生天之狭土神次生國之狭土神次生天之狭霧神次生國之狭霧神次生天之闇戸神次生國之闇戸神次生大戸或子神次生大戸或女神覆生神名鳥之石楠舩神 亦云謂天鳥舩神覆生大宜都比女神伊奘諾尊日我所生之國唯有朝霧而薫満矣乃吹揆之氣化爲神是謂風神也風神号日級長津彦命次級長戸邊神次生飢時兒號稲倉魂命次生草祖号四草姫亦名野槌次生水門神等号建秋日命次生木神等号日句句廼馳神次生土神号日埴山姫神亦云埴安姫神然後悉生万物焉」、【伊奘諾・伊弉冉は、国を生み終え、さらに十柱の神を生んだ。まず大事忍男を生んだ。次に、石土毘古を生んだ。次に、石巣比売を生んだ。次に、大戸日別を生んだ。次に、天の吹上男を生んだ。次に、大屋比古を生んだ。次に、風木津別の忍男を生んだ。次に、海神、名は大綿津見またの名を少童を生んだ。次に、水戸神、名は建秋津彦またの名を建秋田を生んだ。次に、妻の建秋津姫を生んだ。また、この速秋津彦・速秋津姫の二神が、河と海を分担して十柱の神を生んだ。まず、沫那芸を生んだ。次に、津那美を生んだ。次に、頬那芸を生んだ。次に、頬那美を生んだ。次に、天の水分を生んだ。次に、国の水分を生んだ。次に、天の久比奢母道を生んだ。次に、国の久比奢母道を生んだ。次に、山神、名は大山津見一説には大山祇神を生んだ。次に、野神、名は鹿屋姫またの名を野推を生んだ。また、この大山祇と野稚が山と野を分担して八柱の神を生んだ。まず、天の狭土を生んだ。次に、国の狭土を生んだ。次に、天の狭霧を生んだ。次に、国の狭霧を生んだ。次に、天の闇戸を生んだ。次に、国の闇戸を生んだ。次に、大戸或子を生んだ。次に、大戸或女を生んだ。また神を生んだ。名を鳥の石楠船または天鳥船という。また、大宜都比女を生んだ。伊奘諾が「私が生んだ国は、ただ朝霧がかかっているが、よい薫りに満ちている」と言った。そうして霧を吹き払うと、その息が神になった。これを風神という。風神を名づけて級長津彦という。次に、級長戸辺、次に、飢えて力のない時に生んだ子を、稲倉魂と名づけた。次に、草の祖神を生んで、名づけて草姫またの名を野槌という。次に、海峡の神たちを生んだ。速秋日と名づけた。次に、木の神たちを生んだ。名づけて句々廼馳という。次に、土の神を生んだ。名づけて埴山姫また、埴安姫ともいう。その後、全ての物を生んだ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は「既生國竟更生神故生神名大事忍男神次生石土毘古神次生石巣比賣神次生大戸日別神次生天之吹上男神次生大屋毗古神次生風木津別之忍男神次生海神名大綿津見神次生水戸神名速秋津日子神次妹速秋津比賣神速秋津日子速秋津比賣二神因河海持別而生神名沫那藝神次沫那美神次頬那藝神次頬那美神次天之水分神次國之水分神次天之久比奢母知神次國之久比奢母智神次生風神名志那都比古神次生木神名久々能智神次生山神名大山津見神次生野神名麻鹿屋野比賣神亦名謂野椎神并四神此大山津見神野椎神二神因山野持別而生神名天之狭土神次國之狭土神次天之狭霧神次國之狭霧神次天之闇戸神次國之闇戸神次大戸或子神次大戸或女神次生神名鳥之石楠舩神亦名謂天鳥舩次生大宜都比賣神次生火之夜藝速男神亦名謂火之炫毗古神亦名謂火之迦具土神因生此子美蕃登見炙而病臥在多具理迩生神名金山毗古神次金山毘賣神次於屎成神名波迩夜須毗古神次波迩夜須毗賣神次於尿成神名弥都波能賣神次和久産巣日神此神之子謂豊宇氣毘賣神」とあり、概ね『舊事本記』と同じだが、『古事記』の神話は火を「か」と読む時代の神話で「句」を「迦」にして火の神を付け加え、かなり後代の神話である。

『日本書紀』には句句廼馳と草野姫(野槌)が登場するだけなのに対し、この2書は数多くの神が登場し、多くが重なっているが、これは、巨勢王朝の立役者の祖神が付け加えられたと考えられ、そのためなのか、『日本書紀』では景行天皇以降の「豊秋津」と豊国配下としているが、「速秋津」・「建秋津」と熊襲やそれ以前の配下で記述され、景行天皇より前の説話である。

しかし、『舊事本紀』は旧史書をなぞり、最後に自分の系図を付け加えるのが常なので、ここでは、級長津彦・級長戸辺・稲倉魂・草姫(野槌)・速秋日・句々廼馳・埴山姫(埴安姫)がそれにあたり、君子国の氏族を初め多くの氏族との上下関係を述べ、5世紀までの神話を取り入れ、記録あるものを紀伝体の歴史、記録が無い説話を神話に接合したと考えられ、『舊事本紀』は同じ説話が歴史時代と神話双方に記述されていると判断される。

それで、『古事記』は『日本書紀』の一書()より詳しく、平郡氏の皇后の葛城氏より巨勢氏の皇后の母方の歴史が古く、滋賀の伊勢遺跡の王朝の和珥・丸迩・物部氏の先祖神が反映されていることが考えられ、古代の皇位継承に皇后がその象徴だったことを物語っている。

また、大宜都比女が記述されていることから、粟国と血縁があり、速吸之門の道案内の「國神名曰珍彦」と珍彦は粟国出身のようで、『日本書紀』「珍彦爲倭國造」、『古事記』「娶木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣生子建内宿祢」と珍彦の娘で後に木國造を生む山下影日賣の子が建内宿祢で、建内宿祢の子の葛城氏の神武天皇の葛城襲津彦の東征の時に粟国の人物で建内宿祢の義父の珍彦が協力して、勝利をおさめて珍彦の子で葛城襲津彦の義兄弟が倭国造、兄弟の紀角宿禰が木国造となった続柄と思われる。


2021年6月16日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段9

  次の一書は、一書(10)一書曰伊弉諾尊勅任三子曰天照大神者可以御髙天之原也月夜見尊者可以配日而知天事也素戔嗚尊者可以御滄海之原也既而天照大神在於天上曰聞葦原中國有保食神宜爾月夜見尊就候之月夜見尊受勅而降已到于保食神許保食神乃廻首嚮國則自口出飯又嚮海則鰭廣鰭狹亦自口出又嚮山則毛麁毛柔亦自口出夫品物悉備貯之百机而饗之是時月夜見尊忿然作色曰穢矣鄙矣寧可以口吐之物敢養我乎廼拔剱擊殺然後復命具言其事時天照大神怒甚之曰汝是惡神不湏相見乃與月夜見尊一日一夜隔離而住是後天照大神復遣天熊人往看之是時保食神實已死矣唯有其神之頂化爲牛馬顱上生粟眉上生蠒眼中生稗腹中生稻陰生麥及大豆小豆天熊人悉取持去而奉進之于時天照大神喜之曰是物者則顯見蒼生可食而活之也乃以粟稗麥豆爲陸田種子以稻爲水田種子又因定天邑君即以其稻種始殖于天狹田及長田其秋垂穎八握莫莫然甚快也又口裏含蠒便得抽絲自此始有養蠶之道焉保食神此云宇氣母知能加微顯見蒼生此云宇都志枳阿鳥比等久佐」、【一書に、伊奘諾は、三子に「天照は、高天の原を御しなさい。月の夜見は、日に配して天の事を知らせなさい。素の戔嗚は、滄海の原を御しなさい」と勅任した。既に天照は天の上流にいて「葦原の中國に保食の神がいると聞いている。そこで月の夜見が、就任しなさい」と言い、月の夜見は、勅命を受けて降った。既に保食の神の許に着いた。保食の神は、首を廻して國に向けたら、口から飯が出た。又、海に向けたら、鰭を廣げ・鰭を狹み、亦、口から出た。又、山に向けたら、毛の麁・毛の柔を亦、口から出た。その品物全て備へて、お膳に貯へて饗した。この時に、月の夜見は、忿然と色を作って「穢いな、いやしいな、どうして口から吐く物で、敢えて私に饗応する」と言い、すなわち劒を拔いて撃ち殺した。その後に、命を復して、つぶさにその事を言った。その時に天照は、怒ること甚しく「お前は悪い神だ。顔を見たくない」と言い、月の夜見と、一日一夜、隔て離れて住んだ。この後に、天照は、また、天の熊人を派遣して調べさせた。この時、保食の神は、本当にもう死んでいた。ただし其の神の頂が、牛馬に化っていた。ひたいの上に粟が生れ、眉の上に繭が生れ、眼の中に稗が生れた。腹の中に稻、陰に麥及び大小豆が生れた。天の熊人は、残らず取り持ち去ってささげた。その時に、天照は喜んで「この物は、うつくしく蒼々と生え、食べて活きるものだ」と言って、乃ち、粟稗麥豆は、陸の田の種とした。稻を水田の種とした。又、それで、天の邑の王を定めた。即ちその稻種を、始めて天の狹の田及び、長の田に植えた。その秋には穎が垂れ下がり、八握に実って、とても快よかった。又、口の裏に繭を含んで絲に抽くことが出来た。これで始めて養蠶の道が出来た。保食神、を「うけもちのかみ」という。顯見蒼生、を「うつしきあをひとくさ」という。】と訳した。

この一書は『山海經』の対馬と思われる「在巫咸北兩女子」の女子國のその後の神話で、天照が追放された神話の様で、その場所を高国に書き換え、高国は既に農耕や牧畜・養蚕を行っていた国で、その種や卵や子牛や仔馬を手に入れたようだ

『山海經』では『海外東經』に八岐大蛇の出身地と考えられる「朝陽之谷」の北に「青丘國」に「五穀衣絲帛」、紀伊半島から北の太平洋岸の『大荒東經』に「三青馬」に「百穀所在」、紀伊半島から西の瀬戸内を含む『大荒南經』に「臷民之國」が「百穀所聚」、「焦僥之國」と隠岐と思われる「周饒國・焦僥國」の分国に「嘉穀是食」、「類之山」に「百穀所在」が有り、穀は耕すから穀で野草は穀とは言えず、「焦僥之國」か「青丘國」が高国に相応しそうである。

これまで検証した通り、国生み神話、神生み神話は本来それぞれの氏族の先祖の女神の子が支配者となり、男神はその女神に婿入りして、その子が女神の国の支配者となり、その娘が後を継ぎ、男は国を出て、新たな支配先を求めて天降ると考えられる。

伊弉諾・伊弉冉の神話は常立の国から伊弉諾が伊弉冉の国の一地域の磤馭慮嶋に来て、その子の日孁がその国の王となり、男の蛭子や素戔嗚を島外に追放して新たな伊弉諾となって、伊弉冉を探して新たな日孁を生む神話を意味する。

そして、素戔嗚は根国に天降って、『古事記』で足名椎・手名椎の跡取りの「櫛名田比賣」に入り婿し、その子が支配したのが「奴美」で、野見宿祢の「奴美」と考えられ、その子孫が大国主で、その大国主には別名がたくさん有って、多くの氏族の祖神を融合させた。

また、女王の伊弉冉が軻遇突智に代表される反逆者に殺されることで、国が纏まらず3国や5国や8国に分国してしまうという、日本の国の成り立ちを神話であらわされ、女王が氏族や国を纏めていることを示している。

『日本書紀』には、一説に伊奘諾は淡路に葬られ、他の説では天に上り復命し、日の少宮に留ったとあり、『日本書紀』の神話を最初に書いた葛城氏の建内宿禰の母方は『古事記』に「娶木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣生子建内宿祢」と建内宿禰が生まれたときはまだ木國造ではなく、葛城襲津彦が『日本書紀』を記述した葛城氏の神武天皇なので、 母影日賣の父珍彦が伊弉諾にあたり、九州曲浦より淡路に移り住み、この説話が記述されたと思われる。

2021年6月14日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段8

  次の一書は、一書()一書曰伊弉諾尊拔剱斬軻遇突智爲三段其一段是爲雷神一段是爲大山祇神一段是爲髙龗又曰斬軻遇突智時其血激越染於天八十河中所在五百箇磐石而因化成神号曰磐裂神次根裂神兒磐筒男神次磐筒女神兒經津主神倉稻魂此云宇介能美拕磨少童此云和多都美頭邊此云摩苦羅陛脚邊此云阿度陛熯火也音而善反龗此云於箇美音力丁反吾夫君此云阿我儺勢湌泉之竈此云譽母都俳遇比秉炬此云多妣不湏也凶目汚穢此云伊儺之居梅枳枳多儺枳醜女此云志許賣背揮此云志理幣提爾布倶泉津平坂此云餘母都比羅佐可尿此云愈磨理音乃矛()反絶妻之誓此云許等度岐神此云布那討()能加微檍此云阿波岐」、【一書に、伊奘諾が、劒を拔いて軻遇突智を斬り、三段にした。その一段は雷神、一段は大山祇神、一段は高龗となった。また、軻遇突智を斬る時に、その血が激くのり越えて、天八十河の中に在る五百箇磐石を染めて化り成った神を、なづけて磐裂神という。つぎに根裂神・兒磐筒男神。次に磐筒女神・兒經津主神。倉稻魂を「うかのみたま」という。少童を「わたつみ」という。頭邊を「まくらへ」という。脚邊を「あとへ」という。熯は火だ。龗を「おかみ」という。吾夫君を「あがなせ」という。竃泉之竈を「よもつへぐひ」という。秉炬を「たひ」という。不須也凶目汚穢を「いなのしこめききたなき」という。醜女を「しこめ」という。背揮を「しりへでにふく」という。泉津平坂を「よもつひらさか」という。尿を「ゆまり」という。絶妻之誓を「ことど」という。岐神を「ふなとのかみ」という。檍を「あはき」という。】と訳した。

次の一書は、一書()一書曰伊弉諾尊斬軻遇突智命爲五段此各化成五山祇一則首化爲大山祇二則身中化爲中山祇三則手化爲麓山祇四則腰化爲正勝山祇五則足化爲䨄山祇是時斬血激灑染於石礫樹草此草木沙石自含火之縁也麓山足曰麓此云簸耶磨正勝此云麻沙柯菟一云麻左柯豆䨄此云之伎音烏()含反」、【一書に、伊奘諾は、軻遇突智を斬り、五段にした。これが各五の山祇となった。一は首が大山祇。二は身中で中山祇。三は手で麓山祇。四は腰で正勝山祇。五は足で䨄山祇となった。この時、斬る血が激く灑き、石礫・樹草に染った。これが草木・沙石が自づから火をはなつ縁だ。山の足を麓という。これをはやまという。正勝を「まさか」という。あるいは「まさかつ」という。䨄を「しぎ」という】と訳した。

次の一書は、一書()一書曰伊弉諾尊欲見其妹乃到殯斂之處是時伊弉冉尊猶如生平出迎共語已而謂伊弉諾尊曰吾夫君尊請勿視吾矣言訖忽然不見于時闇也伊弉諾尊乃舉一片之火而視之時伊弉冉尊脹滿太髙上有八色雷公伊弉諾尊驚而走還是時雷等皆起追来時道邊有大桃樹故伊弉諾尊隱其樹下因採其實以擲雷者雷等皆退走矣此用桃避鬼之縁也時伊弉諾尊乃投其杖曰自此以還雷不敢来是謂岐神此本號曰来名戸之祖神焉所謂八雷者在首曰大雷在胸曰火雷在腹曰土雷在背曰稚雷在尻曰黑雷在手曰山雷在足上曰野(?里+)雷在陰上曰裂雷」、【一書に、伊奘諾は、その妻を見ようとして、もがりの處に着いた。是の時に、伊奘冉は、なお平生のように、出迎えて共に語った。すでに伊奘諾は「私の旦那様、お願いだから見ないで」と言った。言い終わって忽然と見えなくなった。その時は闇かった。伊奘諾は、一片の火を持ち上げて視た。その時に伊奘冉は膨れ上がって頭上を過ぎ去った。上に八色の雷公がいた。伊奘諾は、驚いて走り還った。この時に、雷達は皆起きて追って来た。その時に、道の邊に大きな桃の樹が有った。それで、伊奘諾は、その樹の下に隱れ、それでその實を採り、雷に擲げたら、雷達は、皆逃げ帰った。これが桃で鬼を避る縁だ。その時に伊奘諾は、その杖を投て、「ここから雷が還り、敢て来ない」と言った。これを岐の神という。本の號は來名戸の祖の神という。八の雷と謂ふ所は、首に在る大の雷。胸に在る火の雷。腹に在る土の雷。背に在る稚の雷。尻に在る黒の雷。手に在る山の雷。足の上に在る野の雷。陰の上に在る裂の雷。】と訳した。

次の一書は、一書(10)一書曰伊弉諾尊追至伊弉冉尊所在處便語之曰悲汝故来荅曰族也勿看吾矣伊裝諾尊不從猶看之故伊弉冉尊恥恨之曰汝已見我情我復見汝情時伊弉諾尊亦慙焉因将出返于時不直默歸而盟之曰族離又曰不負於族乃所唾之神號曰速玉之男次掃之神號泉津事解之男凢二神矣及其與妹相鬪於泉平坂也伊弉諾尊曰始爲族悲及思哀者是吾之怯矣時泉守道者白云有言矣曰吾與汝已生國矣奈何更求生乎吾則當留此國不可共去是時菊理媛神亦有白事伊弉諾尊聞而善之乃散去矣但親見泉國此既不祥故欲濯除其穢惡乃往見粟門及速吸名門然此二門潮既太急故還向於橘之小門而拂濯也于時入水吹生磐土命出水吹生大直日神又入吹生底土命出吹生大綾津日神又入吹生赤土命出吹生大地海原之諸神矣不負於族此云宇我邏磨穊茸」、【一書に、伊奘諾が追って伊奘冉のいる所に来て、「お前をいとしいとおもうから来た」と語った。「私を見るな」と答えた。伊奘諾は従わないで見た。それで、伊奘冉は、恥じ恨んで、「お前はすでに私の気持ちを知った。私もお前の気持ちを知ろう」と言った。その時に、伊奘諾はまた恥じて恨んだ。それで、帰ろうとした。その時に、ただ黙って帰らず、「お前を氏族を追放する」と誓った。「私の氏族は負けない」と言った。すなわち唾く神を、號けて日速の玉の男という。次に掃う神を、泉津の事解の男と名付けた。凡て二神。その妹と泉の平坂で闘うに及んで、伊奘諾が「氏族が悲く、思い哀れむことを、私は怯えている」と言った。その時に泉の守道が、「『わたしがお前と既に国を生んだ。どうして更に生きることを求める。私はこの国に留って、一緒に帰らない』と語った」と言った。この時に、菊理媛の神がまた言った。伊奘諾が聞いて善んだ。それで逃げ去った。ただし親ら泉國を見た。これは既に不祥だ。それで、その穢らしい悪を濯ぎ除おうと思って、往き粟門及び速吸の門を見た。しかし、この二門は、潮がとても急だった。それで、橘の小の門に還り向って、拂い濯いだ。その時に、水に入って、磐土を吹き生んだ。水を出て、大の直日の神を吹き生んだ。又入って、底土を吹き生んだ。出て、大の綾津日の神を吹き生んだ。又入って、赤土を吹き生んだ。出て、大の地海原の諸の神を吹き生んだ。不負於族を「うがらまけじ」という。】と訳した。

一書()から一書(10)は、軻遇突智によって分国した其々の国々の国の始祖の神を述べていて、5国への分国は壱岐・対馬(津岐)・隠岐・讃岐・八岐のことで、一書()と一書(10)は八岐が文字通り8国で、おそらく、野洲の「野岐」を「八」の文字に割り振ったと考えられ、8国名と8神名の説話と考えられ、大国・日国・土(津神)国・稚国・黑国・山国・野国・裂()国で、軻遇神と対の神の菊理媛とその子達八の祖神の魂神・事の 開神・磐神・大直日神・底神・大綾津日神・赤神・大地海原神と考えられる。

雷公の公は八岐大蛇に支配される宮主の脚摩乳を老公と呼び、垂仁天皇で初めて郡公と美濃国の弟彦で使用し、雄略天皇が一事主に対しても「公」と呼んでいる。

すなわち、雄略天皇が中国文献を読んで「公」の文字を使用し始めたことが解り、尾張姓を得るのが大臣尾綱根で、「伊我臣祖大伊賀彦」、「大彦命・・・伊賀臣凡七族之始祖」と大彦・大伊賀彦が母系で雷は伊賀槌と考えられ、弟彦の父尾綱根が尾張姓を賜姓されそれまで姓が無く、尾張朝廷の天皇だったと思われ、前の朝廷の家系の王に公の文字を使用したと考えられる。


2021年6月11日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段7

 一書()は続けて、「・・・伊弉諾尊既還乃追悔之曰吾前到於不湏也凶目汚穢之處故當滌去吾身之濁穢則往至筑紫日向小戸橘之檍原而秡除焉遂将盪滌身之所汚乃興言曰上瀬是太疾下瀬是太弱便濯之中瀬也因以生神號曰八十枉津日神次将矯其枉而生神號曰神直日神次大直日神又沈濯於海底因以生神號曰底津少童命次底筒男命又潛濯於潮中因以生神号曰表中津少童命次中筒男命又浮濯於潮上因以生神號曰表津少童命次表筒男命凢有九神矣其底筒男命中筒男命表筒男命是即住吉大神矣底津少童命中津少童命表津少童命是阿曇連等所祭神矣然後洗左眼因以生神號曰天照大神復洗右眼因以生神號曰月讀尊復洗鼻因以生神號曰素戔嗚尊凢三神矣已而伊弉諾尊勅任三子曰天照大神者可以治髙天原也月讀尊者可以治滄海原潮之八百重也素戔嗚尊者可以治天下也是時素戔嗚尊年已長矣復生八握鬚髯雖然不治天下常以啼泣恚恨故伊弉諾尊問之曰汝何故恒啼如此耶對曰吾欲從母於根國只爲泣耳伊弉諾尊惡之曰可以任情行矣乃逐之」、【伊奘諾は、還って、追ったことを悔い、「私はけがれた汚穢な所に行った。だから、わが身の濁った穢を濯ぎ去りたい」と言って、筑紫の日向の小戸の橘の檍原に行きついて、祓い除いた。それで身の汚い所を洗い濯ごうと、「上瀬はとても疾く、下瀬はとても弱い」と言って、中瀬で濯いだ。そこで生んだ神を、名付けて八十枉津日の神という。次に其の枉りを矯そうとして生んだ神を、名付けて神の直日の神という。次に大の直日の神。又、海の底に潜って濯いだ。そこで生んだ神を、名付けて底津少童という。次に底筒男。又、潮の中に潜って濯いだ。そこで生んだ神を、名付けて中津少童という。次に中筒男。又、潮の上に浮いて濯ぐ。そこで生んだ神を、名付けて表津少童という。次に表筒男。凡て九の神だ。その底筒男・中筒男・表筒男は、住吉の大神だ。底津少童・中津少童・表津少童は、阿曇の連達の祭る神だ。それで、左の眼を洗った。それで生んだ神を、名付けて天照の大神という。復、右の眼を洗った。それで生んだ神を、名付けて月讀という。復、鼻を洗った。それで生んだ神を、名付けて素の戔嗚という。凡て三神。すでに伊奘諾は、三子に「天照の大神は、高天原を治めなさい。月讀は、滄海原の潮の八百重を治めなさい。素戔嗚は、天の下を治めなさい」と詔勅して任命した。この時に、素の戔嗚は、年がすでに長じていた。復、八握の鬚髯が生えていた。それでも天の下を治めず、常に啼き泣いて恨だ。それで、伊奘諾は「お前はどうしていつも啼いている」と問いかけ、「私は母に根の國にいきたい思って、只、泣いているだけだ」と答えた。伊奘諾は嫌悪して、「思うとおり行ってしまえ」と言い、それで放逐した。】と訳した。

黄泉国は対馬の「狹」から伊弉冉の出身地の「竹野媛者因形姿醜返於本土則羞其見返到葛野自堕輿而死之故號其地謂堕國今謂弟國」と葛野がある山城の弟国に挿げ替えて、葬った地域を大国の「醜」と言う地域に書き換え、さらに、「醜」と言う地域の出身の『舊事本紀』で大國主と合祀した「葦原醜雄」に、そして、「出雲醜大臣命・・・申食國政大夫以爲大臣・・・大臣之号始起」と最初の大臣の「出雲醜」に、それが、「欝色雄」・「欝色謎」・「物部連祖伊香色雄」・「伊香色謎」へと受け継がれる。

八(神倭)国王懿徳天皇の義兄の建飯勝が「出雲臣女子沙麻奈姫」と出雲を手に入れ、「出雲色多利姫」の子の大国の王と思われる「出雲醜大臣」で建飯勝の義父若しくは義兄と考えられ、「倭志紀彦妹真鳥姫爲妻」と「八」国王と思われる志紀王の姫を娶った大国王の出雲醜大臣、子も出石心大臣と大国王で、『舊事本記』で饒速日が出雲醜で真鳥姫が御炊屋姫、志紀彦が長髓彦を表した物部氏の神武東征である。

安寧・懿徳天皇の時代は孔子が生きた時代で、安寧・懿徳朝の時代に君子国が存在していなければ、孔子の君子礼賛の君子に具体性が無く、孔子が生きている時代の中国の王は君子とは思っておらず、孔子は日本に憧れ、君子が日本に居た、それが『山海經』の君子国で、その後を継いだ、天皇名に大倭が付加される、『続日本紀』で大和が君子国と記述され、紀元前290年から始まる孝霊朝から丹波大国が支配する大八(大倭)国となったと考えられる。

2021年6月9日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段6

  一書()は続けて、「・・・後伊弉諾尊追伊弉冉尊入於黃泉而及之共語時伊弉冉尊曰吾夫君尊何来之晩也吾已湌泉之竈矣雖然吾當寢息請勿視之伊弉諾尊不聽陰取湯津爪櫛牽折其雄柱以爲秉炬而見之者則膿沸虫()流今世人夜忌一片之火又夜忌擲櫛此其縁也時伊弉諾尊大驚之曰吾不意到於不湏也凶目汗()穢之國矣乃急走廻歸于時伊弉冉尊恨曰何不用要言令吾恥辱乃遣泉津醜女八人(一云泉津日狹女)追留之故伊弉諾尊拔剱背揮以逃矣因投黑鬘此即化成蒲陶醜女見而口採噉之噉了則更追伊弉諾尊又投湯津爪櫛此即化成筍醜女亦以拔噉之噉了則更追後則伊弉冉尊亦自来追是時伊弉諾尊已到泉津平坂一云伊弉諾尊乃向大樹放尿此即化成巨川泉津日狹女将渡其水之間伊弉諾尊已至泉津平坂故便以千人所引磐石塞其坂路與伊弉冉尊相向而立遂建絶妻之誓時伊弉冉尊曰愛也吾夫君言如此者吾當縊殺汝所治國民日将千頭伊弉諾尊乃報之曰愛也吾妹言如此者吾則當産日将千五百頭因曰自此莫過即投其杖是謂岐神也又投其帶是謂長道磐神又投其衣是謂煩神又投其褌是謂開囓神又投其履是謂千()敷神其於泉津平坂或所謂泉津平坂者不復別有處所但臨死氣絶之際是之謂歟所塞磐石是謂泉門塞之大神也亦名道返大神矣・・・」、【その後に、伊奘諾は、伊奘冉を追って、黄泉に入って共に語った。その時に伊奘冉が、「あなたは、どうしてのんびりやって来たのです。私は、すでに泉の竈のものを食べた。それで、もう寝りについた。もう見ないで」と言った。伊奘諾は、聞かずに、陰で湯津の爪櫛を取って、その雄柱を牽き折って、松明にして見たら、膿が流れて蟲がわいていた。今、世の人が、夜一片の火を忌んだり、夜擲櫛を忌む縁だ。その時に伊奘諾は、大変驚いて、「私は、けがれた汚穢の國に来たとしらなかった」と言い、急いで走げ帰った。その時に、伊奘冉は、「どうして約束を守らないで、恥をかかせた」と恨み事を言って、泉津醜女八人、(あるいは、泉津日狹女という)を派遣して追い留めた。それで、伊奘諾は、劒を拔いて後ろに振り回して逃げた。それで、黒鬘を投げた。これが、蒲陶に化った。醜女、見て採って食べた。食べ終わってさらに追った。伊奘諾は、又、湯津爪櫛を投げた。これが筍に化った。醜女はまた拔いて食べた。食べ終わって更に追った。後で伊奘冉も自ら追って来た。この時に、伊奘諾は、すでに泉津平坂についた。そして、伊奘諾は、大樹に向って尿を放った。これが巨川と化った。泉津日狹女はその水を渡ろうとする間に、伊奘諾は、すでに泉津平坂に至った。それで千人引所の磐石で、その坂路に塞いで、伊奘冉と向かいあって立って、絶縁の誓を言った。その時に、伊奘冉が「愛しき旦那様、そう言うなら、お前が治める国民を、日に千人絞め殺そう」と言った。伊奘諾は、「愛しきお前、そう言うなら、私は日に千五百人産もう」と答えた。それで、「ここを越えて来るな」と言い、その杖を投げた。これを岐の神という。又、その帶を投げた。これを長道の磐の神という。又、その衣を投げた。これを煩の神という。又、その褌を投げた。これを開囓の神という。又、その履を投げた。これを道敷の神という。その泉津平坂で、あるいは、泉津平坂というのは、復、他には無い、但死に臨んで氣が絶える際をいうとある。塞がる磐石というのは、この泉の門を塞ぐ大神をいう。亦の名は道返の大神という。】と訳した。

「岐神」の「岐」は国のことで、『古事記』では伊弉諾を伊耶那岐と書き、最初は海の女神と岐の男神と考えられ、『舊事本紀』で「岐神」が「経津主・武甕槌」の先導役になった神話は神武東侵でも流用され、この説話は「高皇産霊」が大人国の「大巳貴」に国譲りを迫った事代主の神話のようだ。

「ふなと」神を「岐神」と表意文字にしたのは、港が国の象徴でそれを「国」神としたが、中国ではその国神を君子と記述し、日本では岐神子と呼んだと考えられ、君子国は岐神国を意味し、神武建国は君子国すなわち三国王三嶋溝杭が八国の野洲王八重事代主に支配され、その結果、事代主の婿が天皇になり、君子国の三国王に冠位の主を与えた結果、君主国となり、「八国」は神倭(みや)国となったとおもわれ、葛城氏はその配下となった。

経津主も同時期、武甕槌は溝杭の曽孫の建甕尻が「亦名建甕槌」と呼ばれ、母系が出雲臣で、その子豊御氣主は紀伊名草姫を娶って紀伊に入って、その子大御氣主は大八王と姻戚になり、八咫鏡の亦名で眞經津鏡と多紐文鏡若しくは三角縁神獣鏡と関係が有りそうである。

2021年6月7日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段5

  一書()は続けて、「・・・時伊弉諾尊恨之曰唯以一兒替我愛之妹者乎則匍匐頭邊匍匐脚邊而哭泣流涕焉其淚墮而爲神是即畝丘樹下所居之神號啼澤女命矣遂拔所帶十握剱斬軻遇突智爲三段此各化成神也復剱刃垂血是爲天安河邊所在五百箇磐石也即此經津主神之祖矣復剱鐔垂血激越爲神號曰甕速日神次熯速日神其甕速日神是武甕槌神之祖也亦曰甕速日命次熯速日命次武甕槌神復剱鋒垂血激越爲神號曰磐裂神次根裂神次磐筒男命一曰磐筒男命及磐筒女命復剱頭垂血激越爲神號曰闇龗次闇山祇次闇罔象然・・・」、【ある時に、伊奘諾は、恨んで「唯、一児と、私の愛しき妻と替えられない」と言い、則ち頭のあたりで腹ばい、脚のあたりで腹ばい、啼きに泣いて涙を流した。その涙が墮ちて神となった。これがすなわち畝の丘の樹の下に居る神だ。啼澤の女と名付けた。とうとう帯びた十握の劒を拔いて、軻遇突智を斬り三段にした。それぞれ神と化り成った。また、劒の刃から垂る血が、天の安の河邊に在る五百箇の磐石となった。すなわちこれは、經津の主の神の祖だ。また、劒のつばから垂れる血が、激しく飛び越えて神となった。名付けて甕の速の日神という。次に熯の速の日神。その甕の速の日神は、武の甕槌の神の祖だ。または、甕の速の日という。次に熯の速の日。次に武の甕槌の神。また、劒の切っ先から垂れる血が、激しく飛び越えて神となる。名付けて磐の裂の神という。次に根の裂の神。次に磐の筒男。他の言い方で、磐の筒男及び磐の筒女という。また、劒の頭から垂れる血が、激しく飛び越えて神となった。名付けて闇の龗という。次に闇の山祇。次に闇の罔象。】と訳した。

斬軻遇突智を切った十握剱は「噴之狹霧」とやはり『舊事本紀』の主神の狹霧を接頭語にした「田心姫・湍津姫・市杵嶋姫」を生んだ「須佐之男」の剱で、八岐大蛇を退治した剱でもあり、「須佐之男」を主人公にした「丈夫国」の神話で、速水の門近辺の曲浦で釣りをしていた珍彦は紀伊国造りの祖で岡縣主祖は熊鰐で、珍彦の神話と考えられ、宗像近辺の神話と考えられる。

すなわち、この啼いているのは、伊弉諾ではなく「此神有勇悍以安忍且常以哭泣爲行」と記述するように素戔嗚と考えられ、武甕槌は出雲臣の子の沙麻奈姫の子で、素戔嗚が根国に行く途中で住んだ場所が「出雲之清地」である。

そして、「龗」は『古事記』に速須佐之男と櫛名田比賣の子の八島士奴美とその妃で大山津見の娘の木花知流との子の布波能母遲久奴須奴、その妃の日河の父が「淤迦美」で丈夫国王が八国を支配下にしたことを記述しているが、出雲臣の子達が出現する神話なのだから、崇神天皇以降の神話で、『後漢書』の「女王國東度海千餘里至拘奴國」の拘奴国の神話の可能性が有る。


2021年6月4日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段4

 次の一書は、一書()「一書曰伊弉諾尊與伊弉冉尊共生大八洲國然後伊弉諾尊曰我所生之國唯有朝霧而薫滿之哉乃吹撥之氣化爲神號曰級長戸邊命亦曰級長津彥命是風神也又飢時生兒號倉稻魂命又生海神等號少童命山神等號山祇水門神等號速秋津日命木神等號句句廼馳土神號埴安神然後悉生萬物焉至於火神軻遇突智之生也其母伊弉冉尊見焦而化去于」、【一書に、伊奘諾と伊奘冉と、共に大の八の洲國を生んだ。その後に、伊奘諾が、「私たちが生んだ國は唯、朝霧のみ有って、薫り滿ちていない」といった。乃ち吹き撥する氣が神と化った。名を級長の戸邊という。亦は級長の津彦という。これは、風の神だ。又、飢た時に生む子を、倉稻の魂という。又、生まれた海の神達を、少童という。山の神達を山祇という。水の門の神達を速の秋の津の日という。木の神達を句句廼馳という。土の神を埴の安の神という。その後に、悉に萬の物を生んだ。火の神の軻遇突智が生れるに至って、その母伊奘冉は、焦れて化り去った。】と訳した。

この一書は本文より詳しく『古事記』と同じ背景の神話と思われ、信濃國直丁が鳥養部になる前、倭武以降に得た神話と考えられ、級長は信濃の「しな」で、『古事記』の「迫到科野国之州羽海将殺時建御名方神」と国譲りの御名方神の説話を知っている氏族の神話と考えられる

「少宮」は伊奘諾が「淡路之洲」で隠遁した宮で、また「玉依姫海童之小女」と神武天皇の母系が「少・童」の文字を使い、「少彦名」は『舊事本記』で「行到熊野之御碕」から常世に去り、海神となったと述べ、『日本書紀』は小女と少女のように漢字を使い、少彦は小彦と同義と思われ、少彦は吉備の小国の人物と考えられる。

風の神、風は伊勢の枕詞で、伊勢志摩の伊勢ではなく、伊勢遺跡の伊勢の神の可能性が高く、倉稻は『古事記』「宇迦之御魂神」「大国主神亦為宇都志国玉神而其我之女須世理毘売為適妻而於宇迦能山」の「うか」もしくは文字から考えると高倉下のいた「菟田高倉山で、さらに、「萬魂」の子は『先代舊事本紀」に「次萬魂尊兒天剛風命(高宮神主等祖)」と高の王の高木神である。

船着き場の神が豊国と呼ばれる前の速国の分国の安芸の津の日神で、日別は九州日国の分国で、『梁書』に「文身國」とあり、『山海經』に東シナ海と日本海西部と日本の太平洋側に日国「三身國」の海岸が有る国の分国が文身國で、祖の分国で安芸にいる日神と記述している。

現代に言われている蜻蛉野は神武天皇が三一年猶如蜻蛉之臀呫焉由是始有秋津洲之號也昔・・・浦安國細戈千足國磯輪上秀眞國・・・玉牆内國・・・虚空見日本國」のように秋津洲と命名していて、神武以降に建国した人物が作った神話である。

そして、土の神の埴安神は「河内青玉繋女埴安媛生武埴安彦命」と崇神紀で大彦と戦う人物の「八」国で、以前、この人物が長髓彦と証明し、この一書の氏族は君子国の流れをくむ、中の国出身の王朝であることを誇示している。

そして、その火神の軻遇突智、これはおそらく、木の神の句句廼馳と分岐した神で『後漢書』の「自女王國東度海千餘里至拘奴國」、「倭人」が「倭奴國」なら「拘奴國」には「拘人」がいて、『三国志』に「狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗」と、「狗古智」・「句句廼馳」は類似している。

すなわち、この一書は黒曜石や縄文土器の中心地の信濃から三国を支配した越国、越神の風下の野洲、そして、木国の木津、さらに、吉備の小国、安芸、豊前と大八国になる前の神倭(神八)国を建国した氏族の「火」を「か」と読む漢字と知っている、魏朝以降の神話と考えられる。



2021年6月2日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段3

  次に、一書()一書曰伊弉冉尊生火産靈時爲子所焦而神退矣亦云神避矣其且神退之時則生水神罔象女及土神埴山姫又生天吉葛天吉葛此云阿摩能與佐圖羅一云與曾豆羅」、【一書に、伊奘冉は、火の産靈を生む時に、子の爲に焦れて、神退った。または、神避るという。その神が退こうとする時に、則ち水の神罔象女、及び土の神埴山姫を生み、又、天の吉葛を生んだ。天の吉葛、これをあまのよさつらと云う。あるいは、よそつらという。】と訳した。

この神話は一書()の軻遇突智を稚産靈の父、産靈に置き換え、伊奘冉の後継者おそらく吉葛を娶った正当な王だと述べ、漢字理解が進んで「火」神と「日」神を「照らす」神と同等の意味と考えている。

ここの「稚」は「志賀高穴穗宮」の配下だった 稚国王の「 稚足彦」の子「足仲彦」が紀伊戻っており、その上司が息長氏で敦賀が居住地と理解され、「稚」足彦が支配していたのが敦賀だった可能性が高く、「稚」は若狭の「わか」だったと考えられる。

稚国王の子の足仲彦は「なか」国王となって中臣氏を配下にし、旧中国王の中臣氏の女王の「大中姫」、やはり日国の女王を示す姫を使用し、朝廷は山城王族の大酒主の娘の「弟媛」を皇后にしたようで、媛の文字を使っている。

仲哀天皇は葛城家の「なか」国王と尾張朝廷の仲哀天皇と、高穴穗の別朝廷・秦国物部朝廷とを記述している。

一書()一書曰伊弉冉尊且生火神軻遇突智之時悶熱懊惱因爲吐此化爲神名曰金山彥次小便化爲神名曰罔象女次大便化爲神名曰埴山媛」、【一書に、伊奘冉は、火の神、軻遇突智を生もうとする時に、熱に悶へ懊惱とした。それで吐いた。これが神と化った。名を金山彦という。次に小便が神と化った。名を罔象女という。次に大便が神と化った。名を埴山媛という。】と訳した。

この神話は土器を作り、農耕を行い、銅器を作り、漢字を理解した後の神話の様だ。

次に一書()一書曰伊弉冉尊生火神時被灼而神退去矣故葬於紀伊國熊野之有馬村焉土俗祭

 此神之魂者華()時亦以華()祭又用鼓吹幡旗歌舞而祭矣」、【一書に、伊奘冉は、火神を生む時に、灼かれて神退いて去った。それで、紀伊の國の熊野の有馬の村に葬った。土の俗、この神の魂を祭るには、花で祭った。又、鼓吹き幡旗を用いて、歌い舞って祭る。】と訳した。

一書()から()は伊弉冉の国を軻遇突智の説話を利用して産靈・魂の神話を接合した説話で伊弉冉を殺した軻遇突智(産靈)の子孫が若狭(わか国)に遷り国を建国した説話のようだ。

『日本書紀』の木の神「くくつち」が火の神「かぐつち」に変化し、「火()」を「か」と読むということを知っていることを示していて、知った時期は、まず第一が十干を理解した、五行説がまだない、紀元前667年頃に丙丁を「かのえ・かのと」と読んだかどうか、第二が五行説を認識できた前300年頃が考えられるが、第二なら干支は別の文字が使われ、第一なら既に「木火土金水」の順という考えがあったということになる。

また、『日本書紀』も『古事記』も「丁」を「よほろ」と読み、平郡朝では「丁」の音を「てい」と知っているので「孁音力丁反」と「りきてい」の反の「れい」と注を記述し、『古事記』も干支に読みを記述せず、「丙」を和語で使用していない。

しかし、五行説が無い周武王の時、『史記』に「甲子日紂兵敗」と干支で吉凶を占い、「十一年十二月戊午」と日干支を使っており、さらに、干支が別の文字で使われていたのなら『日本書紀』本文に読みが記述されると思われ、「干支」を「えと」のように「兄弟」と読み、「朔」の読みが「ついたち」で朔日と同じ読み、「晦」も同様で「晦日」と同じなので、前667年頃に日干支や年干支の文字と読みを使い、「火」を「か」と読んだ可能性が高く、『日本書紀』本文の軻遇突智は前667年以前の神話である。