2021年6月30日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段15

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾尊親見泉國此既不祥也還乃追悔之日吾前到於不須也凶目汚穢之處故當滌去濯除吾身之觸穢則往見粟門及速吸名門然此二門潮太急故還向於日向橘之小戸檍原而秡除焉遂將盪滌身之所汚乃興言詔日陽神爲禊泉穢到日向橘之小戸檍原而秡禊御身時(?)成神十二柱故於投棄御杖(?)成神名衝立舩戸神次於投棄御帯(?)成神名道長乳齒神次於投棄御裳(?)成神名時置師神次於投棄御衣(?)成神名有和内良比能宇斯能神次於投棄御褌(?)成神名道俣神次於投棄御冠所成神名飽坐之宇斯能神次於投棄左御手之纒所成神名奥踈神号日奥津那藝佐彦神次奥甲斐辨羅神次於投棄右御手之纒所成神名鳥津神号日邊津那藝佐彦神次邊甲斐辨羅神伊奘諾尊詔上瀬者速下瀬者弱而初於中瀬潜滌之時(?)成之神二柱 神名八十禍津日神次大禍津日神覆爲直其禍而所成神三柱神名神直日神次大直日神次伊立能賣神覆入水吹生磐土命次出水吹生大直日命覆入吹生底土命次出吹生大綾津日神覆入吹赤土命次出吹生大地海原之諸神矣覆洗濯於海底時因以生二神号日底津少童命次底筒男命覆潜濯於潮中因以生二神号日中津少童命次中筒男命覆浮濯於潮上因以生二神号日表津少童命次表筒男命凡有六神矣底津少童命中津少童命表津少童命此三神者阿曇連等齊祠筑紫斯香神底筒男命中筒男命表筒男命此三神者津守連齊祠住吉三所前神」、【伊奘諾は、みずから黄泉の国を見た。これは不吉であった。帰って悔いて、「私はつい先ほど、ひどく穢れたところへ行ってきた。だから、私の体についた汚れを洗い、すすいで除こう」と言った。出かけて粟門と速吸名門を見た。ところが、この二つの海峡は潮の流れがとても急だった。そこで、日向の橘の小戸の、檍原に帰り祓った。体の汚れをすすごうとして、言葉に出して男神は黄泉の穢れを祓おうとした。日向の橘の小戸の、檍原で、体を祓った。このとき、十二柱の神が生まれた。まず、投げ捨てた杖が成った神の名は、衝立船戸。次に、投げ捨てた帯が成った神の名は、道長乳歯。次に、投げ捨てた裳が成った神の名は、時置師。次に、投げ捨てた衣が成った神の名は、和内良比能宇斯。次に、投げ捨てた袴が成った神の名は、道俣。次に、投げ捨てた冠が成った神の名は、飽咋の宇斯。次に、投げ捨てた左の手の腕輪が成った神の名は、奥疎神。名づけて奥津那芸佐彦という。次に、奥甲斐弁羅。次に、投げ捨てた右の手の腕輪が成った神の名は、辺疎神。名づけて辺津那芸佐彦という。次に、辺津甲斐弁羅。伊奘諾が「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」と言い、はじめ、中ほどの瀬で穢れを洗い清めたときに、二柱の神が生まれ出た。その神の名は、八十禍津日。次に、大禍津日。また、その禍を直そうとして三柱の神が生まれ出た。その神の名は、神直日。次に、大直日。次に、伊豆能売。また、水に入って磐土を吹き出した。次に、水から出て大直日を吹き出した。また入って、底土を吹き出した。次に出て、大綾津日を吹き出した。また入って、赤土を吹き出した。次に出て、大地と海原の諸々の神を吹き出した。また、海の底にもぐってすすいだときに、それによって二柱の神が生まれた。名づけて、底津少童という。次に、底筒男という。また、潮の中にもぐってすすいで二柱の神が生まれた。名づけて、中津少童という。次に、中筒男という。また、潮の上に浮かんですすいで二柱の神が生まれた。名づけて、表津少童という。次に、表筒男という。あわせて六柱の神がいる。底津少童、中津少童、表津少童この三神は、阿曇連達がお祀りする、筑紫の斯香の神だ。底筒男、中筒男、表筒男の三神は、津守連がお祀りする、住吉の三社の神だ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「是以伊耶那伎大神詔吾者到於伊那志許米上志許米岐穢國而在祁理故吾者爲御身之禊而到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而禊祓也故於投棄御杖所成神名衝立舩戸神次於投棄御帯所成神名道之長乳歯神次於投棄御嚢所成神名時量師神次於投棄御衣所成神名和豆良比能宇斯能神次於投棄御褌所成神名道俣神次於投棄御冠所成神名飽咋之宇斯能神次於投流(棄)左御手之手纏所成神名奥疎神次奥津那藝佐毗古神次奥津甲斐弁羅神次於投棄右御手之手纏所成神名邊疎神次邊津那藝佐毗古神次邊津甲斐弁羅神於是詔之上瀬者瀬速下瀬者瀬弱而初於中瀬隋迦豆伎而滌時所成坐神名八十禍津日神次大禍津日神此二神者所到其穢繁國之時國汚垢而所成神之者也次爲直其禍而所成神名神直毗神次大直毘神次伊豆能賣次於水底滌時所成神名底津綿上津見神次底箇之男命於中滌時所成神名中津綿上津見神次中箇之男命於水上滌時所成神名上津綿津見神次上箇之男命此三柱綿津見神者阿曇連等之祖神以伊都久神也故阿曇連等者其綿津見神之子宇都志日金析命之子孫也其底箇之男命中箇之男命上箇之男命三柱神者墨江之三前大神也於」と、『舊事本紀』にほゞ同じだ。

生んだ神は『古事記』も『舊事本紀』もほゞ同じ神名で、同じ神話を元にしていると思われるが、『舊事本紀』には大直日が重複して記述されて2つの神話をつなぎ合わせたようで、その後に大綾津日と対馬の日神と思われる神を記述して物部氏の対馬起源を示し、大直日は「葛城国造垂見宿彌」の子に「意富那毘」が同名で、他氏族の神と同名を使用するとは思えないので、葛城氏の神話を接合していると考えられる。

そして、「道長乳歯」の類似の神が『舊事本紀』の「乳速日」で「廣沸神麻續連等祖」と広国配下の神で葛城氏の役職名と証明した「白髮武廣國押稚日本根子」や「廣國排武金日」・「武小廣國押盾」の廣で『日本書紀』の安康天皇まで記述した部分には登場することが無かった人物の祖神で麻續連を「おみむらじ」と読むが、「中臣烏賊津使主」と同じ王朝の出自で『日本書紀』は「使主」を「臣・おみ」と認識せず、推古紀には認識したので、安閑天皇元年「使主皆名小杵也」と注釈を加え、「臣」の文字を使う制度は物部氏若しくは尾張氏の制度である。

また、「飽咋宇斯」、「和内良比能宇斯」は『舊事本紀』の「丹波道主王」、『古事記』の「丹波比古多多須美知能宇斯王」と主を「うし」と言う地域の神話で、 「道俣」は『舊事本紀』に「須勢理姫而所生之子者判挾木俣名其子云木俣神」と素戔烏の義父で、『古事記』では「八俣の遠呂智」、隠岐と敵対する「八」国の兵士で大国の神話である。


0 件のコメント:

コメントを投稿