2021年6月11日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段7

 一書()は続けて、「・・・伊弉諾尊既還乃追悔之曰吾前到於不湏也凶目汚穢之處故當滌去吾身之濁穢則往至筑紫日向小戸橘之檍原而秡除焉遂将盪滌身之所汚乃興言曰上瀬是太疾下瀬是太弱便濯之中瀬也因以生神號曰八十枉津日神次将矯其枉而生神號曰神直日神次大直日神又沈濯於海底因以生神號曰底津少童命次底筒男命又潛濯於潮中因以生神号曰表中津少童命次中筒男命又浮濯於潮上因以生神號曰表津少童命次表筒男命凢有九神矣其底筒男命中筒男命表筒男命是即住吉大神矣底津少童命中津少童命表津少童命是阿曇連等所祭神矣然後洗左眼因以生神號曰天照大神復洗右眼因以生神號曰月讀尊復洗鼻因以生神號曰素戔嗚尊凢三神矣已而伊弉諾尊勅任三子曰天照大神者可以治髙天原也月讀尊者可以治滄海原潮之八百重也素戔嗚尊者可以治天下也是時素戔嗚尊年已長矣復生八握鬚髯雖然不治天下常以啼泣恚恨故伊弉諾尊問之曰汝何故恒啼如此耶對曰吾欲從母於根國只爲泣耳伊弉諾尊惡之曰可以任情行矣乃逐之」、【伊奘諾は、還って、追ったことを悔い、「私はけがれた汚穢な所に行った。だから、わが身の濁った穢を濯ぎ去りたい」と言って、筑紫の日向の小戸の橘の檍原に行きついて、祓い除いた。それで身の汚い所を洗い濯ごうと、「上瀬はとても疾く、下瀬はとても弱い」と言って、中瀬で濯いだ。そこで生んだ神を、名付けて八十枉津日の神という。次に其の枉りを矯そうとして生んだ神を、名付けて神の直日の神という。次に大の直日の神。又、海の底に潜って濯いだ。そこで生んだ神を、名付けて底津少童という。次に底筒男。又、潮の中に潜って濯いだ。そこで生んだ神を、名付けて中津少童という。次に中筒男。又、潮の上に浮いて濯ぐ。そこで生んだ神を、名付けて表津少童という。次に表筒男。凡て九の神だ。その底筒男・中筒男・表筒男は、住吉の大神だ。底津少童・中津少童・表津少童は、阿曇の連達の祭る神だ。それで、左の眼を洗った。それで生んだ神を、名付けて天照の大神という。復、右の眼を洗った。それで生んだ神を、名付けて月讀という。復、鼻を洗った。それで生んだ神を、名付けて素の戔嗚という。凡て三神。すでに伊奘諾は、三子に「天照の大神は、高天原を治めなさい。月讀は、滄海原の潮の八百重を治めなさい。素戔嗚は、天の下を治めなさい」と詔勅して任命した。この時に、素の戔嗚は、年がすでに長じていた。復、八握の鬚髯が生えていた。それでも天の下を治めず、常に啼き泣いて恨だ。それで、伊奘諾は「お前はどうしていつも啼いている」と問いかけ、「私は母に根の國にいきたい思って、只、泣いているだけだ」と答えた。伊奘諾は嫌悪して、「思うとおり行ってしまえ」と言い、それで放逐した。】と訳した。

黄泉国は対馬の「狹」から伊弉冉の出身地の「竹野媛者因形姿醜返於本土則羞其見返到葛野自堕輿而死之故號其地謂堕國今謂弟國」と葛野がある山城の弟国に挿げ替えて、葬った地域を大国の「醜」と言う地域に書き換え、さらに、「醜」と言う地域の出身の『舊事本紀』で大國主と合祀した「葦原醜雄」に、そして、「出雲醜大臣命・・・申食國政大夫以爲大臣・・・大臣之号始起」と最初の大臣の「出雲醜」に、それが、「欝色雄」・「欝色謎」・「物部連祖伊香色雄」・「伊香色謎」へと受け継がれる。

八(神倭)国王懿徳天皇の義兄の建飯勝が「出雲臣女子沙麻奈姫」と出雲を手に入れ、「出雲色多利姫」の子の大国の王と思われる「出雲醜大臣」で建飯勝の義父若しくは義兄と考えられ、「倭志紀彦妹真鳥姫爲妻」と「八」国王と思われる志紀王の姫を娶った大国王の出雲醜大臣、子も出石心大臣と大国王で、『舊事本記』で饒速日が出雲醜で真鳥姫が御炊屋姫、志紀彦が長髓彦を表した物部氏の神武東征である。

安寧・懿徳天皇の時代は孔子が生きた時代で、安寧・懿徳朝の時代に君子国が存在していなければ、孔子の君子礼賛の君子に具体性が無く、孔子が生きている時代の中国の王は君子とは思っておらず、孔子は日本に憧れ、君子が日本に居た、それが『山海經』の君子国で、その後を継いだ、天皇名に大倭が付加される、『続日本紀』で大和が君子国と記述され、紀元前290年から始まる孝霊朝から丹波大国が支配する大八(大倭)国となったと考えられる。

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