2021年5月31日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段2

  次の一書は一書()一書曰日月既生次生蛭兒此兒年滿三歲脚尚不立初伊弉諾伊弉冉尊巡柱之時陰神先發喜言既違陰陽之理所以今生蛭兒次生素戔嗚尊此神性惡常好哭恚國民多死青山爲枯故其父母勅曰假使汝治此國必多所殘傷故汝可以馭極遠之根國次生鳥磐櫲樟橡舩輙以此舩載蛭兒順流放棄次生火神軻遇突智時伊弉冉尊爲軻遇突智所焦而終矣其且終之間臥生土神埴山姫及水神罔象女即軻遇突智娶埴山姫生稚産靈此神頭上生蠶與桑臍中生五穀罔象此云美都波」、【一書に、日月が既に生れた。次に蛭兒を生んだ。此の子は、年齢が、三歳になっても、脚がまだ立た無かった。初め、伊奘諾伊奘冉は柱を回った時に、陰の神が、先ず喜び言葉を発した。陰と陽の理に適わなかった。そのため、蛭兒を生んだ。次に素の戔嗚の尊を生んだ。此の神、性格が悪く、常に哭きうらむことを好み、国民が多く死に、青山を枯した。それで、その父母は、「お前がこの国を治めたら、必ず壊し傷つけることが多いとおもう。だから、お前は、遠い根の国を治めなさい」と詔勅した。次に鳥の磐の櫲樟の船を生んだ。すなはちこの船で蛭兒を乗せて、流れに任せて放ち棄てた。次に火の神、軻遇突智を生んだ。この時に伊奘冉は、軻遇突智の爲に、焦かれて死んだ。其の終ろうとする時に、臥しながらも土の神の埴山の姫及び水の神の罔象女を生んだ。即ち軻遇突智は殖山姫を娶って、稚の産靈を生んだ。此の神の頭の上に、蠶と桑と生れた。臍の中に五穀生れた。「罔象」、これを「みつは」と云う。】と訳した。

この神話は、「わか」国の神話で、蛭兒に重ね合せた素戔嗚を追い出して、伊奘冉の国を奪い、殖山姫がペア神で、初代の王が稚の産靈で「日」国出身の王で『三国志』の「狗古智卑狗」の国と考えられ、火を「か」と読む時代、すなわち、漢字の意味を知った後の神話で、霊が神で『山海經』の「神霊」を理解した上の文字使いである。

髙皇産靈の表意文字も本来「たか」神が王朝を名乗りったので、「神」を使わず「皇」の文字を使用し、「むすぶ」を「産む」と理解し、「たか」国が『山海經』の「霊」すなわち霊を「ひ」と読むように「日」国の支配者と理解していることを示し、霊はひめ・ひこのことだと述べている。

「高国」は高祖連峰が有る、糸島のことと考えられ、高祖山に高祖神社が有り、糸島半島突端部にも有って、『古事記』の「高千穂宮伍佰捌拾歳御陵者即在」は高祖山の高祖神社が相応しく、『三国志』の「伊都國官曰爾支」より前、『日本書紀』の199年の「伊覩縣主祖五十迹手」が白銅鏡を持って景行天皇を迎え、その後「縣主」となった、この年までが580年と述べていると考えられる。

「主」も『三国志』の「爾支」を使わなかった理由は、『山海經』の「君子国」と『論語』の『八佾』の「

偏遠小國有君主」と君子は天子の意味で君子の分国の王が「君主」と理解して諸王を主と当て嵌めたと考えられ、そのため、「お主」も「爾・なんじ」も同じ意味で使用された。


2021年5月28日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段1

 『日本書紀』の慶長版は続けて、海川山を生み、木祖の句句廼馳、草の祖の草野姫亦の名は野槌をを生み、大日貴(一書に天照大神・天照大日)、月の神(一書に月弓尊、月夜見尊、月讀尊)を生んで天に送り、次に蛭兒を生み天磐樟船に載せ放棄し、次に素戔嗚尊(一書に神素戔嗚、速素戔嗚)を根の國に放逐したと、地祇・三貴子の誕生とスサノオの追放を記述する

本来の神話が、『日本書紀』のこの段の神である海・川と霊の山を生み、日国王の草野姫を生んだ説話が最初で、九州北部の『山海經 海外西經』の「女祭」・「女丑」の国の神話、その後、同じく九州の『後漢書』の「自女王國東・・・拘奴國」、『三国志』の「狗奴國・・・狗古智卑狗」の豊前と思われる山の霊の句句廼馳とペア神の野槌を生んだ神話を流用し、同じく九州の「奇肱之國・・・有陰有陽」の神話や、日孁と蛭兒の神話、「帝俊妻娥皇生此三身之國」と夫婦が3国を生んだ神話を流用して、国生みや、神3神の日孁貴・月讀・蛭兒を生み、対馬と思われる、女子國・・・兩女子居水周之」と神の月読・霊の孁貴の神話を流用した。

『日本書紀』の反乱する熊襲の拘奴国の「男神曰大倉主女神曰菟夫羅媛」とそれに対する邪馬台国の熊鰐と熊鰐を支配する大倭王の角鹿笥飯宮の神功皇后と邪馬台国を含む倭国を管理する『三国志』の「伊都國官曰爾支」と記述される伊覩縣主になる五十迹手、そして、熊襲の拘奴国が豊前を撤退して、熊鰐が岡縣主となり、「曰神夏磯媛」(奴津委襲日女・日神子・卑弥呼)が倭国を纏め上げて大倭王は撤退したと考えられる。

ここで、日女は他に媛・姫を使っているが、主要な「ひめ」には「姫」を使用して、当然、後代の梁の『野馬台詩』の姫氏国、周王朝の姻戚説は『日本書紀』作成時には有り得ず、もしそうなら、万葉仮名は不用で、全使用漢字が表意文字となるはずである。

したがって、姫氏国等では無く、『山海經』の「三身国」すなわち「三神国」・「三日別国」は帝俊が分国した国で、その前身の日国女王が「日女」、日国の諸王女が「姫」で、その影響下の女王が媛と平郡氏は分別したのではないだろうか。

『梁書』が梁王朝以外の資料を多く含むと論証した通り、『野馬台詩』は日本の平郡氏が纏めた『日本書紀』を基にした記述と考えられる。

日孁・蛭兒がペア神で、 月讀は対岐の夜神・黄泉と対馬の王で対馬海流の上流で水葬すると対馬に流れ着き、そこを死者の国とし、対馬が母の生地の根の国、素戔嗚が「なか」国出雲の根別の国を統治させ、母の生地、すなわち母国は王朝によって変質し、物部氏は熊野である。

それに対して一書は一書()一書曰伊弉諾尊曰吾欲生御宇之珍子乃以左手持白銅鏡則有化之神是謂大自()孁尊右手持白銅鏡則有化出之神是謂月弓尊又廻首顧眄之間則有化神是謂素戔嗚尊即大日孁尊及月弓尊並是質性明麗故使照臨天地素戔嗚尊是性好殘害故令下治根國珍此云于圖顧眄之間此云美屢摩沙可梨爾」、【一書に、伊奘諾が、「私は、国を治めるべき「うづ」の子を生もうと思う」と言って、左の手で白銅鏡を持ったときに、化けた神が有り、これを大の日孁という。右の手に白銅鏡を持ったときに、化けた神が有った。是を月の弓という。又、首を廻して顧り観る間に、化る神が有った。是を素の戔嗚と謂う。即ち大の日孁及び月の弓は、ともに、性質が明麗で天地を照すように臨んだ。素の戔嗚は、傷つけたり壊したりする性格だった。それで、降して根の國を治めさせた。珍、これを「うづ」と云う。顧眄之間、これをみるまさかりにと云う。】と訳した。

一書()仲哀天皇八年而上枝掛白銅鏡」とあるように、『後漢書』や『三国志』の時代に記述されたおそらく熊鰐が岡縣主になったように宗像近辺の神話で地を日孁、海を月弓、戔嗚は「根子」が「山背根子」・「大直根古」など根国の王を表すように、その王朝を建てた人物建内宿禰の母系の珍彦神話で丈夫国の末裔の様だ。

ここでは、蛭兒が素戔嗚に入れ替わり「よみ」の国から「根」の国に対象国も入れ替わっていて、「珍」を「うづ」と読ませるように『古事記』に「娶木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣生子建内宿祢」と木国造りの祖の宇豆比古の故国の珍国、これは、珍彦が曲浦すなわち鰐浦で釣りをしていて、遠賀川河口を中心とした神話である。

2021年5月26日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第四段5

   次に『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・伊奘諾尊詔日吾與汝矣改往巡柱吾矣自左汝矣自右巡柱相逢而為御戸婦昆如此約束竟矣伊奘諾伊弉冉二尊如約巡行天柱會逢同處之時伊奘諾尊先唱曰妍哉可愛少女欤伊弉冉尊後和曰妍哉可愛少男欤伊奘諾尊問伊弉冉尊日汝身有何成耶伊奘諾尊對日吾身具成而有成餘雄元之處耶伊弉冉尊對日吾身具成而有不成合雌元之處耶伊奘諾尊詔日思欲以吾身成餘處雄元之處判塞汝身不成合雌元之處以為産生國土如何伊弉冉尊對日冝然善矣於是雌雄初會欲將交合産於國土而不知其術于時鶺鴒然飛來搖其首尾二神見而學之即得交通之術矣先産生淡路州為胞意所不快故日淡道州即謂吾恥也次生伊豫二名州次生築紫州次生壹岐州次生對馬州次生隠岐州次生佐渡州次生大日本豐秋津州因茲以先(?)生謂大八州矣然後還生之時生吉備兒嶋次生小豆嶋次生大嶋次生姫嶋次生(?)鹿嶋次生兩兒嶋凡産生十四嶋其處處小嶋皆是水沫潮凝而成者也先生大八州兄生淡路州謂淡道之穂狭別嶋也次伊豫二名嶋謂此嶋身一而有面四海面有名伊豫國謂愛止比賣讃岐國謂飯依比古阿波國謂大宜都比賣土佐國謂速依別次隠岐之三子嶋謂天之忍許呂別次筑紫之嶋謂身一而面四海面而有名筑紫國謂白日別豊國謂豊日別肥国謂建日別日向國謂豊久士比泥別次熊襲國謂建日別次伊岐嶋天比祭都柱次津嶋謂天之狭手依比賣次大倭豊秋嶋謂天御虚空豊秋津折別次生六小嶋兄吉備兒嶋謂建日方別次小豆嶋謂大野手止比賣次大嶋謂大多麻止流別次姫嶋謂天一根次血鹿嶋謂天之忍男次両兒嶋謂天両屋総産生大八洲次六小嶋合十四箇嶋其處處小嶋皆是水沫潮凝而成者也」、【伊奘諾が「私とあなたとで、改めて柱を回ろう。私は左から、お前は右から柱を回ってお互いが会ったところで夫婦となろう」と約束して、二神は約束どおり天の御柱を回り、同じところで出会った。この時、伊奘諾が、「おお、何とすばらしいおとめだ」とまず唱えた。伊弉冉は「まぁ、何とすばらしい男だ」と後で答えた。伊奘諾が伊弉冉に「あなたの体はどうなっている」と尋ねた。そして、「私の体は、出来上がって余った、雄の元という所がある」と言った。伊弉冉は「私の体は、できあがらない、雌の元という所があります」と答えた。伊奘諾は「私の体の出来上がって余ったところで、お前の出来上がっていないところを合せてふさいで、国を産もうと思うが、どうだ」と言った。伊弉冉は「いいですね」と答えた。ここで、初めて交じり合い、国を産もうとしたが、その方法を知らなかった。このとき、鶺鴒が飛んできて、その頭と尻尾を振った。二神はそれを見習って、互いに通う方法を知った。まず、淡路州を生んだが、不満足な出来だった。そのため淡路州という。「わがはじ」の意である。次に、伊予の二名の州を生む。次に、筑紫州を生む。次に、壱岐州を生む。次に、対馬州を生む。次に、隠岐州を生む。次に、佐渡州を生む。次に、大日本豊秋津州を生む。これによって、以上の生んだ国を大八州という。その後、生んで帰るときに、吉備の児島を生む。次に、小豆島を生む。次に、大島を生む。次に、姫島を生む。次に、血鹿島を生む。次に、両児島を生む。計十四の島を生んだ。その所々にある小島は、水の泡の潮が固まってできたものだ。まず、大八州を生んだ。兄として淡路州を生んだ。淡道の穂の狭別島という。次に、伊予の二名島、この島は身体は一つで顔が四つあり名がある。伊予国を愛比売。讃岐国を飯依比古。阿波国を大宜都比売。土佐国を速依別。次に、隠岐の三つ子の島を天の忍許呂別という。次に、筑紫の島で体は一つで顔が四つあり顔に名がある。筑紫国を白日別。豊国を豊日別。肥国を建日別。日向国を豊久士比泥別。次に、熊襲の国を建日別という。次に、伊岐島を天比登都柱という。次に、津島を天の狭手依比売という。次に、大倭豊秋津島を天御虚空豊秋津根折別といいう。次に、六つの小島を生んだ。兄の吉備の児島を建日方別という。次に、小豆島を大野手比売という。次に、大島を大多麻流別という。次に、姫島を天一根という。次に、血鹿島を天の忍男という。次に、両児島を天両屋という。大八島すべてを生んだ。次の六つの小島と合わせて十四の島になる。その所々にある小島は、水の泡の潮が固まってできたものだ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は「・・・如此言竟而御合生子淡道之穂之狭別嶋次生伊豫之二名嶋此嶋者身一而有面四毎面有名故伊豫國謂愛止比賣讃岐國謂飯依比古粟國謂大宜都比賣土左國謂建依別次生隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別次生筑紫嶋亦身一而有靣四毎靣有名故筑紫國謂白日別豊國謂豊日別肥國謂速日別日向國謂豊久士比泥別熊曽國謂建日別次生伊岐嶋亦名謂天比登都柱次生津嶋亦名謂天之狭手依比賣次生佐度嶋次生大倭豊秋津嶋亦名謂天御虚空豊秋津根別故因此八嶋先所生謂大八嶋國然後還坐之時生吉備兒嶋亦名謂建日方別次生小豆嶋亦名謂大野手上比賣次生大嶋亦名謂大多麻上流別次生女嶋亦名謂天一根次生知訶嶋亦名謂天之忍男次生兩兒嶋亦名謂天兩屋」とあり、ほゞ同様の内容である。

国生みすると言うが、その国は既に存在する国に出張所を創った程度の事と思われ、それを証明するように、すでに「伊予国・讃岐国・粟国・土左国・筑紫国・豊国・肥国・熊曽国」という国が存在し、隠伎之三子嶋(天之忍許呂別)・伊岐嶋(天比登都柱)・津嶋(天之狭手依比賣)・大倭豊秋津嶋(天御虚空豊秋津根別)・女嶋(天一根)・知訶嶋(天之忍男)・兩兒嶋(天兩屋)と天がつく天国の領域、淡道之穂(狭別)と狭国の分国、土左國(建依別)と建国の分国、筑紫國(白日別)豊國(豊日別)・肥國(速日別)・熊曽國(建日別)と日国の分国、日向國(豊久士比泥別)・大倭豊秋津嶋(天御虚空豊秋津根別)と「ね」国の分国、吉備兒嶋(建日方)と建国の分国、粟國(大宜都比賣)・小豆嶋(大野手上比賣)と大国の分国らしき名前が記述されて、『山海經』の「大人國」と思われる丹波大縣王が大人の市の一つである吉備や阿波まで領域をもっているように、主導権を持った国が存在する状況だ。

そして、『舊事本紀』が「大倭豊秋嶋謂天御虚空豊秋津折別」、『古事記』も「大倭豊秋津嶋(天御虚空豊秋津根別」と『日本書紀』は「天」は「海」だが、2書は「天」の文字を「虚空」のことと理解し、『日本書紀』を表意漢字の文書として理解し、『日本書紀』を知った上の史書で、また、壱岐の女王の出身地が女嶋だったことが別名の一根からうかがえる。

そして、『日本書紀』では壱岐・対馬が直接統治でなかったものが、390年即位の応神廿年409年に「倭漢直祖阿知使主其子都加使主並率己之黨類十七縣而來歸焉」と倭国は帰順したが、403年の「始之於諸國置國史記言事達四方志」の後年で、壱岐・対馬が資料に無く、『日本書紀』では壱岐・対馬を大八島にできなかったが、巨勢氏の『古事記』以降は大八島に入れた。

『舊事本紀』の肥国が「建日別」とあり、熊襲国も「建日別」と同じで、『古事記』では肥国が「速日別」とあり、これは「速須佐之男」の速で、もともと、「速日別」が熊襲に奪取されて、「建日別」と記述する熊襲が豊前・豊後・日向・肥後を領地と記述する景行天皇の時代、『後漢書』の「自女王國東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種而不屬女王」と豊前が「拘奴國」で景行天皇は周防から豊前に出撃して、筑後まで平定していて、これを背景にした神話なので、『舊事本記』の記述が熊襲を筑紫に含めなかった原因であろう。

2021年5月24日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第四段4

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「天祖詔伊奘諾伊弉冉二尊日有豊葦原千五百秋瑞穂之地冝汝住脩之則賜天瓊戈而謂寄賜也伊奘諾伊弉冉二尊奉詔立於天浮橋之上共計謂有物若浮膏其中盖有國乎廼以天元瓊矛而探之獲是滄海則投下其矛而因畫滄溟而引上之時自矛末落垂滴瀝之潮凝結為嶋名日磤馭盧嶋矣則以天瓊矛指立於磤馭盧嶋之上以為國中之天柱也伊奘諾伊弉冉二尊天降其嶋則化竪八尋殿共住同宮矣伊奘諾尊問伊弉冉尊日汝身有何成耶伊弉冉尊對日吾身者成成而有不成處一處耶伊奘諾詔日吾身者成成而有成餘處一處耶故以我身成餘處判塞汝身不成合處以為産國土如何伊弉冉尊對日然善矣伊奘諾尊詔日吾與汝矣廻天御柱而行逢遘合如此約束日汝者自左吾者自右徊逢約竟分巡天柱同會一面矣伊弉冉尊先唱曰喜哉遇可美少男焉伊奘諾尊次對曰喜哉遇乎可美少女焉伊弉諾尊告伊弉冉尊曰吾是男子理當先唱而婦人先唱事既不祥雖然共為夫婦而生子因陰陽始遇合為夫婦産之兒即是水蛭子此子入葦船而流也次生淡州亦不入子例也伊奘諾伊弉冉二尊議日今吾所生之子不良冝還覆上詣於天具奏此狀則共還覆上詣於天而奏聞也天祖詔以太占而卜合之詔日先舉婦言是不良乎冝更亦改降乃卜定時白而降矣・・・」、【天の祖神が伊奘諾・伊弉冉に「豊の葦原の秋に稲穂がたくさん実る国がある。お前たちが行って治めなさい」と言って、天の瓊矛を授けて任せた。伊奘諾・伊弉冉が命令を受けて、天の桟橋の上に立って、話し合って言った。「脂のようなものが浮かんでいる。そこに国があるだろうか」と言って、天の瓊矛で下を探って海原で国を得ようと、矛を突き下ろして海をかき回し、引き上げるとき、矛の先からしたたり落ちる潮が固まって島となった。これを磤馭盧島と名付けた。そして、天の瓊矛を磤馭盧島の上にさし立て、国の天の御柱とした。伊奘諾・伊弉冉はその島に天降り、大きな御殿を造り、共に住んだ。伊奘諾が伊弉冉に「あなたの体は、どのようにできている」と尋ねた。伊弉冉は「私の体は出来上がりつつあるが、出来上がっていないところが一か所ある。」と答えた。伊奘諾は「私の体は出来上がって、余ったところが一か所ある。だから、私の余ったところで、お前の足りないところをふさいで、国を生もうと思うがどうだ。」と言った。伊弉冉は「それがいい」と答えた。そこで伊奘諾は「それでは天の御柱を回って、相まみえましょう。」と約束して「あなたは左から回って、私は右から回って会おう」と言った。約束どおり分かれてめぐり会った。伊弉冉が先に「まぁ、何とすばらしい男に出会えた」と唱えて、伊奘諾がつぎに「おお、何とすばらしいおとめに出会えた」と答えた。伊奘諾が伊弉冉に「私は男子だ。男から先にいうべきだ。女が先に唱えるのはよくないが、夫婦となって子を生もう」と告げた。こうして陰陽が始めて出会って、夫婦となって子を産んだ。最初に生まれたのが水蛭子だ。この子は葦船に乗せて流した。次に淡島を生んだ。この子も子の数には入れなかった。伊奘諾、伊弉冉の二神が「いま、私たちの生んだ子は不吉だった。天に帰り上って、この様子を申しあげよう」と相談した。そこで、二人で天に上り、申し上げた。天の祖神は太占で占って「女が先に声をかけたのが良くなかった。もう一度天降れ」と言い、決めた日に再び降った。】と訳した。

そして『古事記』前川茂右衛門寛永版は「於是天神諸命以詔伊耶那岐命伊耶那美命二柱神修理固成是多陀用弊流之國賜天沼矛而言依賜也故二柱神立天浮橋而指下其沼矛以畫者堛許々袁々呂々迩畫鳴而引上時自其矛末垂落塩之累積成嶋是淤能碁呂嶋於其嶋天降坐而見立天之御柱見立八尋殿於是問其妹伊耶那美命曰汝身者如何成荅曰吾身者成成不成合處一處在尓伊耶那岐命詔我身者成々而成餘處一處在故以此吾身成餘處判塞汝身不成合處而爲生成國土生奈何伊耶那美命荅曰然善尓伊耶那岐命詔然者吾與汝行廻逢是天之御柱而爲美斗能麻具波比如此之期乃詔汝者自右廻逢我者自左廻逢約竟以廻時伊耶那美命先言阿那迩夜志愛上袁登古袁後伊耶那岐命言阿那迩夜志愛上袁登賣袁各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美度迩興而生子水蛭子此子者入葦舩而流去次生淡嶋是亦不入子之例於是二柱神議云今吾所生之子不良猶宜白天神之御所即共参上請天神之命尓天神之命以布斗麻迩尓卜相而詔之曰女先言而不良亦還降改言故反降更往廻其天之御柱如先於是伊耶那岐命先言阿那迩夜志愛袁登賣袁後妹伊耶那美命言阿那迩夜志愛袁登古袁・・・」とほゞ同様の内容である。

『日本書紀』では「國中之柱」とこれから生む自国の中心と記述しているが、『古事記』では「見立天之御柱見立八尋殿」と八国にはすでに尋殿という宮が中心の国が有り、同じような中心を「なか」国では御柱と呼び、新しく手に入れた淤能碁呂嶋に矛を立てて、新しい国の中心の宮と見立てて建国したと述べ、『古事記』の「なか国」はすでに「八国」王朝がすでに存在する時に建国したことを示す。

『古事記』も『日本書紀』も柱を中心に国生みしたと述べ、その柱がどんなものか記述しなかったが、『舊事本記』ではその柱が、瓊矛だったと述べ、『古事記』は瓊矛を柱と見立て御殿と見立てたと記述した。

すなわち、『舊事本記』は御殿がその爾が中心に置かれた場所だとし、そこに住んで国生みしたと述べ、瓊矛が王の爾だったことを示し、この習慣が「八」国の建国の方法で、この習慣以降、王朝建国時、いつも太柱を建てて御殿を作り、そこに天皇の爾を安置しているのだろう。

『日本書紀』には記述されない淡国が記述されるが、この淡国は粟国では当然有り得ず、『古事記』の国生みに含まれない「隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別」である『山海經』の「三首國」の東の隠岐の島後の「周饒國」・「天之忍許呂」・磤馭盧島である隠岐の於母島のことと考えられ、『古事記』や『舊事本記』の記述時代には磤馭盧島が何処の島か忘れ去られていたと考えられる。


2021年5月21日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第四段3

  次に、一書()一書曰先生淡路洲次大日本豊秋津洲次伊豫二名洲次億岐洲次佐度洲次筑紫洲次壹岐洲次對馬洲」、【一書に。淡路の洲を先に生む。次に大日本の豐の秋津の洲。次に伊豫の二名の洲。次に億岐の洲。次に佐度の洲。次に筑紫の洲。次に壹岐の洲。次に對馬の洲。】と訳した。

一書()は、一書()の国生みの筑紫より前に隠岐を挿入しているので、隠岐の神話を一書()の王朝の神話に挿入した可能性が高く、大国が大八国に含まれず、懿徳天皇より前の神話である

次に、一書()一書曰以磤馭慮嶋爲胞生淡路洲次大日本豊秋津洲次伊豫二名洲次筑紫洲次吉備子洲次雙生億岐洲與佐度洲次越洲」、【一書に、磤馭慮の嶋を胞として、淡路の洲を生む。次に大日本の豐の秋の津の洲。次に伊豫の二名の洲。次に筑紫の洲。次に吉備の子の洲。次に億岐の洲と佐度の洲とを雙に生む。次に越の洲。】と訳した。

一書()は一書()のと同様で、筑紫が吉備子国を得ているので、「吉備兒嶋謂建日方別」と熊襲が吉備を配下にした時代の神話を挿入している。

隠岐と佐渡が双子の国とされる記事が複数あり、冠帶の周饒國は三小島より先に佐渡が領地の様で、対馬海流による船の経済圏をよく示して、やはり大国がないので懿徳より前の神話の様だ。

次に、一書()一書曰以淡路洲爲胞生大日本豊秋津洲次淡洲次伊豫二名洲次億岐三子洲次佐度洲次筑紫洲次吉備子洲次大洲」、【一書に、淡路の洲を胞として、大日本の豐の秋の津の洲を生む。次に淡の洲。次に伊豫の二名の洲。次に億岐の三子の洲。次に佐度の洲。次に筑紫の洲。次に吉備の子の洲。次に大の洲。】と訳した。

一書()は隠岐の王家の神話を挿入した神話で、神倭王の流れを汲む王家の神話の可能性が高く、懿徳以後の大八国の神話である。

次に、一書(10)一書曰陰神先唱曰姸哉可愛少男乎便握陽神之手遂爲夫婦生淡路洲次蛭兒

【一書に、陰の神先づ「とても美しい、可愛く若い男よ」と唱えた。便ち陽の神の手を握って、遂に夫婦となって、淡路の洲を生む。次に蛭兒。】

一書(10)は淡路国の蛭兒が、おそらく、「大日孁貴」と対の神で、淡路国出身の大蛭兒が大国の姫神と夫婦になった神話なのではないだろうか。

すでに、『日本書紀』以前の史書「諸國置國史記言事達四方志」と志があり、それらを知った人々が、自分たちの国や氏族が自分たちの王朝での地位・序列を考えた自分たちの氏の史書の『舊事本紀』や『古事記』などを作ったその神話部分を記述したと思われる。
『舊事本紀』の狭霧は葦牙彦舅や中主より前に記述されるが、実際の時系列は葦牙彦舅・狭霧・中主で狭霧は高天原という国がすでにある所で生まれていて、高天原を生んだ神が存在し、中主は「なか」国という数ある国の中の王で、多くの主がいて、その王の中の王の大王や「圓大使主」の大使主、「胸形大神是則今在筑紫國御使君之祖」の使君と王の王の大王がいて、大王は天皇ではなく、複数の大王がいて、大王の中で天皇の爾を得た人物が天皇となる。

2021年5月19日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第四段2

 次に一書()一書曰伊弉諾尊伊弉冉尊二神立于天霧之中曰吾欲得國乃以天瓊矛指垂而探之 得磤馭慮嶋則拔矛而喜之曰善乎國之在矣」、【一書に、伊奘諾と伊奘冉の二神は、天の霧の中に立って、「私は、國をえる」と言った、乃ち天の瓊矛を、指し垂して探ったら、磤馭慮の嶋を得た。それで矛を拔いて、「なんと善い國が在った」と喜んだ。】と訳した。

次に一書()一書曰伊弉諾伊弉冉二神坐于髙天原曰當有國耶乃以天瓊矛畫成磤馭慮嶋」、

【一書に、伊奘諾伊奘冉の二神が、高天の原に居て、「本当に國が有るのか」といって、それで天の瓊矛で、磤馭慮嶋を描いた。】と訳した。

この2つの一書は国生みの場所が異なり、本文と一書()は天の浮橋と天国の船から延ばした桟橋で磤馭慮嶋を生んでいるが、一書()は天国の霧という地域、一書()は髙国の天原という土地がありそこで磤馭慮嶋を生んでいて、この霧や天原は対馬の人物が隠岐を得た神話と考えられる。

次に一書()一書曰伊弉諾伊弉冉二神相謂曰有物若浮膏其中蓋有國乎乃以天瓊矛探成一嶋

 名曰磤馭慮嶋」、【一書に、伊奘諾伊奘冉の二神が、「物が有って浮ぶ膏のようだ。その中にもしかしたら國が有るかもしれない」と語り合った。それで天の瓊矛で、探って私たちの嶋となった。名づけて磤馭慮嶋という。】と訳した。

この一書(2~4)は「葦牙彦舅」の国の神話の影響を受けていない神話と思われ、一書()が一番古く、伊弉神が浮ぶ膏と比喩し、日本では膏はおそらく鯨油でクジラを磤馭慮嶋にたとえて得ている

次に一書()一書曰陰神先唱曰美哉善少男時以陰神先言故爲不祥更復改巡則陽神先唱曰美

哉善少女遂将合交而不知其術時有鶺鴒飛来搖其首尾二神見而學之即得交道」、【一書に、陰の神まず「美しい、善く若い男よ」と唱えた。その時に、陰の神の言葉が先だったので、不吉として、更にまた、改めて回った。それで陽の神がまず、「美しい、善く若い女よ」と唱えた。遂に接合しようとしたがその方法を知らなかった。その時に鶺鴒がいて、飛び来たってその首と尾を搖らした。二神が見て学び、それで方法を得た。】と訳した。

この一書は『山海經』の丈夫國の北の「有陰有陽」の「奇肱之國」の神に名が無い初段階の神話で、女性も先頭に立って土地を開墾していたが、男性が他領地を獲得をするようになった神話なのではないだろうか。

次に、一書()一書曰二神合爲夫婦先以淡路洲淡洲爲胞生大日本豊秋津洲次伊豫洲次筑紫洲次雙生億岐洲與佐度洲次越洲次大洲次子洲」、【一書に、二神夫婦が合して、先ず淡路の洲淡の洲を胞として、大の日本の豐の秋の津の洲を生む。次に伊豫の洲。次に筑紫の洲。次に億岐の洲と佐度の洲とを雙に生む。次に越の洲次に大の洲次に子の洲】と訳した。

一書()の神話は本文と同じように阿波や淡路島から逃れた豊秋津洲出身の王の流れを汲む王が筑紫の王とともに、伊予・隠岐や君子国の越を破り大人国の丹波や吉備を配下にした大倭国王となったと主張している。

ある王が国の成り立ちを述べる時、協力者になった順を重要視するのは当然の帰結である。

2021年5月17日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第四段1

   『日本書紀』の慶長版は続けて、先ず淡路洲、大日本豐秋津洲、伊豫二名洲、筑紫洲、億岐洲、佐度洲、越洲、大洲、吉備子洲の大八洲國を生み、さらに、對馬嶋、壹岐嶋の国生みを行う。

これは、伊奘諾伊奘冉が桟橋から矛を使って隠岐の於母島に侵略し、国のシンボルの宮殿の中柱を立て各地の州・船着き場に分国を建国し、大倭国が支配する国だと述べ、『山海經』の「冠帶」する「周饒國」出身の安芸を支配した王の天皇の神話と思われる。

『日本書紀』の国生み神話は「豊秋津洲次生伊豫二名洲」のように豊や伊予など支配者がすでに存在し、淡路島の船着き場の村で王が敗れて逃亡し、豊国の秋の津の船着き場で男王が八国の構成国の筑紫国や大国や越国などの船着き場に中継地を作って、八国が国を支配した神話を流用したもので、『山海經』の「周饒國」や「大人國」・「丈夫國」・「君子國」の神話が原点と考えられる。

それに対して一書()「一書曰天神謂伊弉諾尊伊弉冉尊曰有豊葦原千五百秋瑞穗之地宜汝往脩之廼賜 天瓊戈於是二神立於天上浮橋投戈求地因畫滄海而引舉之即戈鋒垂落之潮結而爲嶋名曰磤馭慮嶋二神降居彼嶋化作八尋之殿又化竪天柱陽神問陰神曰汝身有何成耶對曰吾身具成而有稱陰元者一處陽神曰吾身亦具成而有稱陽元者一處思敬()以吾身陽元合汝身之陰元云爾即将巡天柱約束曰妹自左巡吾當右巡既而分巡相遇陰神乃先唱曰姸哉可愛少男歟陽神後和之曰姸哉可愛少女歟遂爲夫婦先生蛭兒便載葦舩而流之次生淡洲此亦不以充兒數故還復上詣於天具奏其狀時天神以太占而卜合之乃教曰婦人之辭其已先揚乎宜更還去乃卜定時日而降之故二神改復巡柱陽神自左陰神自右殷()遇之時陽神先唱曰姸哉可愛少女歟陰神後和之曰姸哉可愛少男歟然後同宮共住而生兒號大日本豊秋津洲次淡路洲次伊豫二名洲次筑紫洲次億岐三子洲次佐度洲次越洲次吉備子洲由此謂之大八洲國矣瑞此云彌圖姸哉此云阿那而惠夜可愛此云哀太占此云布刀磨爾」、【一書に、天の神、伊奘諾伊奘冉に、「豐の葦原の千五百の秋の瑞穗の地が有る。お前が行って脩めなさい」と言った。すなわち天の瓊戈を貰った。そこで、二神は、天の上の浮橋(?桟橋)に立って、戈を投げて地を求めた。それで、滄い海をかきなでて、引き擧げたときに、戈の鋒より垂り落ちる潮が固まって嶋と爲った。名づけて磤馭慮嶋といった。二神は、嶋に降り、居住して、八尋の殿を作りった。又、天の柱を堅めた。陽の神は、陰の神に「お前の体に何の有るか」と問いかけた。「私の体に備わった、陰の元というのが一つある」と答えた。陽の神が「私の体にも備わった、陽の元というのが一つある。私の体の陽の元を、お前の体の陰の元に接合させたい云々」と行った。それで天の柱を巡ろうと「お前は左から回れ。私は右から回る」と約束した。それで分れ回って相遇した。陰の神が、まず「とても美しい、可愛く若い男よ」と唱えた。陽の神も、後に同じく、「とても美しい、可愛く若い女よ」と言った。遂に夫婦と爲って、先づ蛭兒を生んだ。それで葦の船に乗せて流した。次に淡の洲を生んだ。これも子の数に入れなかった。それで、元に戻って、天に上り詣でて、詳しくその事を報告した。その時に天の神は、占って、「婦人の言葉が先だったからだ。もう一度帰れ」と教えた。掛け声の順を占って決めて海流を降らせた。それで、二神は、改めて復、柱を回った。陽の神は左、陰の神は右回り、遭遇した時に、陽の神が、先ず「とても美しい、可愛いく若い女よ」と唱えた。陰の神が後に、「とても美しい、可愛く若い男よ」と同調した。その後に、宮で同居して子を生んだ。大の日本の豐の秋の津の洲という。次に淡路の洲。次に伊豫の二名の洲。次に筑紫の洲。次に億岐の三子の洲。次に佐度の洲。次に越の洲。次に吉備の子の洲。これを大の八の洲國といった。「瑞」、これを「みつ」と云う。「妍哉」、これを「あなにゑや」と云う。「可愛」、これを「え」と云う。「太占」、これを「ふとまに」と云う。】と訳した。

この一書は阿波出身の王が「豊葦原千五百秋瑞穗之地」と豊の葦の安芸がすでに存在すると述べるように、安芸の王家から朝廷を奪った、『日本書紀』を記述した王家と同族の神話で、この王家の時は、大国の王が配下でなく、大八国と記述しているが、実際はその前の八国の建国説話で、紀元前7世紀に君子国王の溝橛を八国王の八重事代主が支配して神八(倭)朝廷を起こし、懿徳天皇の時出雲大臣饒速日が畿内に乗り込んで、大八国王朝が始まった考えられ、世襲足姫の母系の葛城氏の神話と考えられる。

本文は矛を武器とする国が上位国であるのに対して、この一書は戈を武器とする国が上位国だったことが解り、暦と日干支を理解する人物は宮で神事を行う人々が、記録を含めて残したため、日本書紀の歴史部分となったが、多くの国は記録が無い神話の国々であったようだ。

ここに記述される「磤馭慮嶋」は『伊未自由来記』に「隠岐は小之凝呂島」と言い伝えられたり、『古事記』に「生隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別」と小島三島が忍許呂別なのだから於母嶋が忍許呂島で『山海經』の「周饒國」、三子嶋は「一身三首」の三首國」で丹波の「大人國」の於漏知に支配され、大己貴が於漏知・八王に勝って八国の八上比賣を娶って大人国王となったようだ

そして、「磤馭慮嶋」に柱を立てたのが、宮の太柱の始まりで王朝は夫婦でこの神殿建設の儀式をすることで建国したことになり、その場には神祖を祀り、前王の皇太后、そして男王と女王が居て、ここでは矛や戈を持つが、後代には天皇の爾を手にして王朝建国の宣言をしたのだろう。


2021年5月14日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第二・三段2

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「三代耦生天神角杙尊亦云角龍魂尊妹活杙尊別天三降尊 獨化天神第二世之神也四代耦生天神埿土煮尊亦云埿土根尊妹沙土煮尊亦云沙土根尊別天合尊亦云天鏡尊獨化天神第三之神也五代耦生天神大苫彦尊亦云大戸之道亦云大富道亦云大戸麻彦妹大苫邊尊亦云大戸之亦云大富邊亦云大戸麻姫別天八百日尊 獨化天神第四之神也六代耦生天神青橿城根尊亦云沫薙亦云面足尊妹吾屋惶城根尊亦云惶根尊亦云蚊雁姫尊別天八十萬魂尊獨化天神第五之神也七代耦生天神伊弉諾尊天降陽神伊弉冉尊天降陰神別高皇産霊尊(亦名高魂尊亦名高木命獨化天神第六之神也)兒天思兼命(天降信濃国阿智祝部等祖)次天太玉命(志部首等祖)次天忍日命(大伴連等祖亦云神狭日命)次天神立命(山代久我直等祖)次神皇産霊尊(亦云神祝尊)次天御食持命(紀伊直等祖)次天道根命(川瀬造等祖)次天神玉命(葛󠄀野鴨縣主等祖)次生魂命(猪使連等祖)次津速魂尊兒市千魂命兒興登魂命兒天兒屋命(中臣連等祖)次武乳遺命(添縣主等祖)次振魂尊兒前玉命(掃部連等祖)次天忍立命(纏向神主等祖)次萬魂尊兒天剛風命(高宮神主等祖)巳上七代天神伊弉諾伊弉冉尊并八代天神並天降之神也」、【第三代の一緒に生まれた天神は角杙または角龍魂、の活杙。別の系統に天三降は一柱で変化して生れた天神の第二世だ。第四代の一緒に生まれた天神は埿土煮または埿土根。妻の沙土煮または泥土根。別系統に天合または天鏡。一柱で変化して生れた天神の第三世だ。第五代の一緒に生まれた天神は大苫彦または大戸之道または大富道または大戸麻彦。妻の大苫辺または大戸之辺または大富辺または大戸麻姫。別系統に天八百日。一柱で変化して生れた天神の第四世だ。第六代の一緒に生まれた天神は青橿城根または沫薙または面足。妻の吾屋惶城根または惶根または蚊雁姫。別系統に、天八十万魂は一柱で変化して生れた天神の第五世だ。第七代の一緒に生まれた天神は伊弉諾または天降陽神。妻の伊弉冉または天降陰神。別の系統に高皇産霊または高魂または高木は一柱で変化して生れた天神の第六世だ。高皇産霊の子の天思兼(信濃国に降り、阿智祝部の祖)次に天太玉(忌部首の祖)次に天忍日(大伴連の祖または神狭日)次に天神立(山代久我直の祖)次に神皇産霊または神祝。次に天御食持(紀伊直の祖)次に天道根(川瀬造の祖)次に天神玉(葛野鴨県主の祖)次に生魂(猪使連の祖)次に津速魂。津速魂の子の市千魂。子の興登魂。子の天児屋(中臣連の祖)次に武乳遺(添県主の祖)次に振魂。子の前玉(掃部連の祖)次に天忍立(纏向神主の祖)次に万魂。万魂の子の天剛川(高宮神主の祖)上記の第七代の天つ神、伊弉諾尊・伊弉冉尊、および第八代の天神は、天降った神だ。】と訳した。

また、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「次成神名宇比地迩止神次妹須比智迩去神次角杙神次妹活杙神次意富斗能地神次妹大斗乃辨神次於母陀琉神次妹阿夜止訶志古泥神次伊耶那岐神次妹伊耶那美神上件自國之常立神以下伊邪那美神以前并稱神世七代」、【次に成り代わった神の名は、宇比地迩止、次に妻の須比智迩去。次に角杙、次に妻の活杙。次に意富斗能地、次に妻の大斗乃辨。次に於母陀流、次に妻の阿夜上訶志古泥。次に伊邪那岐、次に妻の伊邪那美。上の國之常立より後、伊邪那美より前を、併せて神世七代という。】と訳した。

  ともに、埿土煑・沙土煑、大戸之道・大苫邊、面足・惶根、伊弉諾・伊弉冉と亦の名を含めて同じで、建国の最初の王が「埿」すなわち素戔嗚に与えられた根の国の男が「沙」にやって来て、「沙」国が「大」国を併合し、その大国は 面足・惶根が建国した根国を併合していたことを述べ、「沙」の建国は伊弉諾が「沙」にやって来て伊弉冉が建国した国だったことを示し、『日本書紀』を作成した平郡氏も、『舊事本紀』を作成した物部氏も、『古事記』を作成した巨勢氏と元明天皇も伊弉冉の神話を伝承し、『魏略』の「前漢書 卷二十八下 地理志 燕地 顔師古注」に「倭在帯方東南大海中依山島爲國度海千里復有國皆倭種」と倭種の系統なのだろう。

  平郡氏は男系の葛城氏や女系の紀氏の出自を基本とはしたが、統合された王朝の史書を記述する責任から、多くの功績が有った日向王や倭国の漢氏等の氏族が納得するよう、『日本書紀』の神話に、その氏族の神話を取り入れて記述し、その後、巨勢氏の『古事記』が出来上がって、『古事記』を取り込んだ舒明天皇の推古天皇まで記述された『日本書紀』に沿って、『舊事本紀』を記述した。

  『古事記』は、父の磐坂市辺押磐皇子の姉妹が中蒂姫なので、「なか」国の神話を取り入れた史書として記述し、『舊事本紀』は蘇我氏(倭国なので母系は天氏)と物部氏が納得させる、しかし、基本は『日本書紀』・『古事記』で、それに、天氏と物部氏の神話を追加したと考えられ、その後の『日本書紀』を知らない元明天皇が『古事記』の神話部分を夫の日並・実質の天皇の藤原氏の出自の「なか」国の最高神に修正し、系図を付け加えたが、その後、『日本書紀』を手に入れて、それほど変更を加えず発布したと考えられる。

  そのため、『舊事本紀』は『日本書紀』の國常立尊神の前に『古事記』の天御中主尊、さらに、『舊事本紀』は月國狭霧や物部系の神を付け加え、多くの氏族の支配被支配の系統樹が出来上がり、物部氏・蘇我氏・巨勢氏・平郡氏の男系・女系の始祖が同じ伊弉諾・伊弉冉であったことが示されている。

  中国は水が湧く水源を「てん」・日本は中国が「天」とよぶ地域を「あま」と呼び、天にいる神を中国は「帝」・日本は「み」と呼び、さらに、日本では「み」を対馬海流上流の神の「うみ」・川の上流の神を「かみ」、山や原野の生命を生み出す神を、中国語では霊、日本語では「ち」と呼んだと考えられる。

  これは、倭人が1万2千年前の鹿児島の栫ノ原遺跡の丸ノミ石斧を使って、丸木舟を造り、海流を利用して遠くまで航海する方法を考え出し、対馬海流が流れ出して日本海の文明と交流し、アカホヤで日本海の文明の地に侵入して混血し倭種が形成され、鍾乳石の成長や噴火による噴煙から突如現れる火山島が出来た様子や7千年前のクジラ漁に必要な石器が大量に出土した平戸のつぐめのはな遺跡のように共同で漁をする必要があるクジラ漁がはじまりクジラが子を産む様子をもとに神話が作られたと私は考えている。

  物語を発明するには、それに類する体験が無ければ作り出すことが出来ず、祖先が解らない場合は卵生の祖、仏教の輪廻は死骸から虫が出てくる事から考え出され、天国はオアシスを投影したことに過ぎないと考えている。


2021年5月12日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第二・三段1

  次の一書の、一書()一書曰國常立尊生天鏡尊天鏡尊生天萬尊天萬尊生沫蕩尊沫蕩尊生伊弉諾尊沫蕩此云阿和那伎【一書に、國常立鏡を生んだ。天萬を生んだ。天、沫蕩を生んだ。沫蕩、伊奘諾を生んだ。沫蕩、此をばあわなぎと云ふ。】と訳した。

 この一書は『舊事本紀』「天祖天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊・・・二代化生天神國常立尊・・・獨化天神第一世之神也四代耦生天神埿土煮尊・・・亦云天鏡尊獨化天神第三之神也・・・六代耦生天神青橿城根尊・・・別天八十萬魂尊獨化天神第五之神也七代耦生天神伊弉諾尊」の類型で「ね国」の埿土煮」の家系の臣下になった月(津岐)國を建国した王で後に物部と氏を名乗る狭霧の家系の神話で、多紐文の銅鏡を作成した時代の神話なのだろう。

日本書紀』の慶長版は続けて、凢八神矣乾坤之道相參而化所以成此男女自國常立尊迄伊弉諾尊伊弉冉尊是謂神世七代者矣【八は神が北西と西南からの道で出会って此の地の女神とペア神となった。國常立から伊奘諾伊奘冉迄を神世の七代という。】と神世七代を記述し、『山海經 海經 海外南經』地之所載六合之閒四海之・・・神靈所生【地の載せる所、六合の間、四海の内・・・神靈生まれる所】と、「六合」が中国からの海路と九州西部からの海路がぶつかる所と説明し、この一書の対象国は関門海峡の神話と考えられる

神話に八神など「八洲」の説話が現れるが、神武天皇以降では天武天皇の時に「明神御大八洲日本根子天皇勅命者」と出現するだけだが、その理由は、平郡王朝が『日本書紀』を編集する時、八国を『後漢書』の「大倭王」を「大八王」と理解し、倭の文字に対応させたと考えられ、神倭は「みや」で宮と考えられ、「脚摩乳手摩乳也故賜號於二神曰稻田宮主」と根国王が宮主、大三輪(大みわ)神社は大宮神社と理解できる。

すなわち、天武天皇の時代には、すでに、大八洲が自王朝の全領土を意味し、時代によって地名がインフレを起こして全く異なることが解る。

次の一書の、一書() 「一書曰男女(+)生之神先有埿土煑尊沙土煑尊次有角樴尊活樴尊次有面足尊惶根尊次有伊弉諾尊伊弉冉尊樴橛也【一書に、男女(?形どるように)神、先埿土煑沙土煑。次に角樴・活樴。次に面足・惶根。次に伊奘諾・伊奘冉。樴は橛なり。】と、埿土・沙土を神とする煑氏族の國狹槌神話で、角・活を神とする樴氏族と争ったことを示し、『日本書紀』では角樴の氏族『舊事本紀』に出現することから物部氏の臣下だったので扱わなかったと思われる。

神武天皇が支配した土地は三嶋溝杭という君主国の三国支配下の土地を八重事代主が奪った八国の土地で物部氏が天皇の爾を持っていて、樴の氏族を配下にしていたことが解る。

『伊未自由来記』の木葉比等とその同族の男女のように、独神は故郷の氏神の名、対の神は定住を始めた、定住先の氏神で母方の神名を名のり、妻の沙の煑という地域の神の女を埿と言う地域の夫が娶り、煑神を継承し、伊弉諾も同じく妻の伊奘の冉(神)の継承と思われ、侵入者のその地での同化の物語で、『山海經』の「奇肱之國・・・有陰有陽」と「三身國」の北にある奇肱国の神話を流用している