2021年5月17日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第四段1

   『日本書紀』の慶長版は続けて、先ず淡路洲、大日本豐秋津洲、伊豫二名洲、筑紫洲、億岐洲、佐度洲、越洲、大洲、吉備子洲の大八洲國を生み、さらに、對馬嶋、壹岐嶋の国生みを行う。

これは、伊奘諾伊奘冉が桟橋から矛を使って隠岐の於母島に侵略し、国のシンボルの宮殿の中柱を立て各地の州・船着き場に分国を建国し、大倭国が支配する国だと述べ、『山海經』の「冠帶」する「周饒國」出身の安芸を支配した王の天皇の神話と思われる。

『日本書紀』の国生み神話は「豊秋津洲次生伊豫二名洲」のように豊や伊予など支配者がすでに存在し、淡路島の船着き場の村で王が敗れて逃亡し、豊国の秋の津の船着き場で男王が八国の構成国の筑紫国や大国や越国などの船着き場に中継地を作って、八国が国を支配した神話を流用したもので、『山海經』の「周饒國」や「大人國」・「丈夫國」・「君子國」の神話が原点と考えられる。

それに対して一書()「一書曰天神謂伊弉諾尊伊弉冉尊曰有豊葦原千五百秋瑞穗之地宜汝往脩之廼賜 天瓊戈於是二神立於天上浮橋投戈求地因畫滄海而引舉之即戈鋒垂落之潮結而爲嶋名曰磤馭慮嶋二神降居彼嶋化作八尋之殿又化竪天柱陽神問陰神曰汝身有何成耶對曰吾身具成而有稱陰元者一處陽神曰吾身亦具成而有稱陽元者一處思敬()以吾身陽元合汝身之陰元云爾即将巡天柱約束曰妹自左巡吾當右巡既而分巡相遇陰神乃先唱曰姸哉可愛少男歟陽神後和之曰姸哉可愛少女歟遂爲夫婦先生蛭兒便載葦舩而流之次生淡洲此亦不以充兒數故還復上詣於天具奏其狀時天神以太占而卜合之乃教曰婦人之辭其已先揚乎宜更還去乃卜定時日而降之故二神改復巡柱陽神自左陰神自右殷()遇之時陽神先唱曰姸哉可愛少女歟陰神後和之曰姸哉可愛少男歟然後同宮共住而生兒號大日本豊秋津洲次淡路洲次伊豫二名洲次筑紫洲次億岐三子洲次佐度洲次越洲次吉備子洲由此謂之大八洲國矣瑞此云彌圖姸哉此云阿那而惠夜可愛此云哀太占此云布刀磨爾」、【一書に、天の神、伊奘諾伊奘冉に、「豐の葦原の千五百の秋の瑞穗の地が有る。お前が行って脩めなさい」と言った。すなわち天の瓊戈を貰った。そこで、二神は、天の上の浮橋(?桟橋)に立って、戈を投げて地を求めた。それで、滄い海をかきなでて、引き擧げたときに、戈の鋒より垂り落ちる潮が固まって嶋と爲った。名づけて磤馭慮嶋といった。二神は、嶋に降り、居住して、八尋の殿を作りった。又、天の柱を堅めた。陽の神は、陰の神に「お前の体に何の有るか」と問いかけた。「私の体に備わった、陰の元というのが一つある」と答えた。陽の神が「私の体にも備わった、陽の元というのが一つある。私の体の陽の元を、お前の体の陰の元に接合させたい云々」と行った。それで天の柱を巡ろうと「お前は左から回れ。私は右から回る」と約束した。それで分れ回って相遇した。陰の神が、まず「とても美しい、可愛く若い男よ」と唱えた。陽の神も、後に同じく、「とても美しい、可愛く若い女よ」と言った。遂に夫婦と爲って、先づ蛭兒を生んだ。それで葦の船に乗せて流した。次に淡の洲を生んだ。これも子の数に入れなかった。それで、元に戻って、天に上り詣でて、詳しくその事を報告した。その時に天の神は、占って、「婦人の言葉が先だったからだ。もう一度帰れ」と教えた。掛け声の順を占って決めて海流を降らせた。それで、二神は、改めて復、柱を回った。陽の神は左、陰の神は右回り、遭遇した時に、陽の神が、先ず「とても美しい、可愛いく若い女よ」と唱えた。陰の神が後に、「とても美しい、可愛く若い男よ」と同調した。その後に、宮で同居して子を生んだ。大の日本の豐の秋の津の洲という。次に淡路の洲。次に伊豫の二名の洲。次に筑紫の洲。次に億岐の三子の洲。次に佐度の洲。次に越の洲。次に吉備の子の洲。これを大の八の洲國といった。「瑞」、これを「みつ」と云う。「妍哉」、これを「あなにゑや」と云う。「可愛」、これを「え」と云う。「太占」、これを「ふとまに」と云う。】と訳した。

この一書は阿波出身の王が「豊葦原千五百秋瑞穗之地」と豊の葦の安芸がすでに存在すると述べるように、安芸の王家から朝廷を奪った、『日本書紀』を記述した王家と同族の神話で、この王家の時は、大国の王が配下でなく、大八国と記述しているが、実際はその前の八国の建国説話で、紀元前7世紀に君子国王の溝橛を八国王の八重事代主が支配して神八(倭)朝廷を起こし、懿徳天皇の時出雲大臣饒速日が畿内に乗り込んで、大八国王朝が始まった考えられ、世襲足姫の母系の葛城氏の神話と考えられる。

本文は矛を武器とする国が上位国であるのに対して、この一書は戈を武器とする国が上位国だったことが解り、暦と日干支を理解する人物は宮で神事を行う人々が、記録を含めて残したため、日本書紀の歴史部分となったが、多くの国は記録が無い神話の国々であったようだ。

ここに記述される「磤馭慮嶋」は『伊未自由来記』に「隠岐は小之凝呂島」と言い伝えられたり、『古事記』に「生隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別」と小島三島が忍許呂別なのだから於母嶋が忍許呂島で『山海經』の「周饒國」、三子嶋は「一身三首」の三首國」で丹波の「大人國」の於漏知に支配され、大己貴が於漏知・八王に勝って八国の八上比賣を娶って大人国王となったようだ

そして、「磤馭慮嶋」に柱を立てたのが、宮の太柱の始まりで王朝は夫婦でこの神殿建設の儀式をすることで建国したことになり、その場には神祖を祀り、前王の皇太后、そして男王と女王が居て、ここでは矛や戈を持つが、後代には天皇の爾を手にして王朝建国の宣言をしたのだろう。


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