2021年8月30日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段7

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・遂到出雲國五十狹々之少河而興言日大葦原中國本自荒芒至乃磐石草木咸能強暴然吾共理天下者盖有之乎于時神光照海忽(?然 口+)踊出波浪未爲素装束持天蕤槍浮歸來者日如吾不在者汝何能得手治此國乎若無我者何敢得造堅建大造之績哉大巳貴命問日汝命是誰耶名字云何對日吾是汝之幸魂竒魂之術魂神也大巳貴命日唯然廼知汝是吾幸魂奇魂矣今欲住何處耶對日住於日本國青垣三諸山則大倭國城上郡座是也是故隨神願奉齋於青垣三諸山即營使就而居此大三輪大神其神之子即(?)()君大三輪君等是也大巳貴神乗天羽車大鷲而覔妻妾?()下下行於節渡縣取大陶祗女于活玉依姫爲妻往來之時人非所知而密往來之間女爲妊身之時父母疑恠問日誰人來耶女子荅日神人狀來自屋上零人來坐共覆(?)耳尓時父母忽欲察顯續麻作綜以針釣係神人短裳而明旦隨係尋覔越自鎰穴經節渡山入吉野山留三諸山當知大神則見其綜遺只有三營号三輪山謂大三輪神社矣」、【出雲国の五十狭々の小河について、興にまかせて「そもそも葦原の中国は、元々荒れて広いところだった。岩石や草木まで、荒れ放題だった。けれども私達が諭して、天下はこのようになった」と言った。そのとき、不思議な光が海を照らし、忽然と波の上におどり出て、白装束に天の垂れ飾りが有る槍を持ち、やって来て「もし私がいなかったら、あなたは国を治められなかった。もし私がいなければ、国を造り堅め、大きな国を造る功績は無かった」と言った。大己貴は「あなたは誰だ。どういう名だ」と尋ねた。「私はお前の幸運・奇跡・統治の神だ」と答えた。大己貴は「わかりました。あなたは私の幸運・奇跡です。どこに住みたい」と言った。「日本国の青垣の三諸山に住みたい」と答えた。大倭国の城上郡に鎮座する神だ。そのため、願いのまま、青垣の三諸山に祀った。そして宮を造って、住まわせた。これが大三輪の大神だ。その神の子孫は、甘茂君、大三輪君達である。大己貴は、天の羽車大鷲に乗って、妻となる人を探した。節渡(?茅渟)縣に降って行き、大陶祇の娘の活玉依姫を求めて、人に知られずに通って、娘は身ごもった。娘の父母は疑いあやしんで「誰が来ている」と尋ねた。娘は「不思議な様子で来ます。屋根から人知れずやって来て、床をいっしょにするだけです」と答えた。父母は、何者かを明らかにしようと、麻をつむいで糸をつくり、針で不思議な人の衣につけた。そうして翌朝、糸を手繰って行くと、鍵穴をこえて、節渡山を経て吉野山に入り、三諸山に留った。それで、三諸山の大神とわかった。その糸の残りを見ると、ただ三つの徴だけあった。そこで、三諸山を三輪山と名づけて、大三輪神社という。】と訳した。

『舊事本記』の大己貴は、この項のように、大三輪大神と同世代で、その子達が鴨君・大三輪君と記述し、大鴨積が「磯城瑞籬朝御世賜賀茂君姓」、大友主命が「此命同朝御世賜大神君姓」と賜姓され、大三輪大神は大御氣持と言うことになり、妻が出雲鞍山祇姫、それが素戔嗚の娘で大三輪大神の嫡后の須勢理姫、すると、須勢理姫の父の素戔嗚は出雲の王だったことになり、大国主が崇神天皇の時代の人物となる。

さらに、この説話は、『日本書紀』では崇神天皇の時代に記述され、倭迹迹姫の箸墓の説話に繋り、三輪君の初出が仲哀天皇の大友主からで、大友主は垂仁天皇の時代には三輪君の祖と記述され、仲足彦も実際は垂仁天皇時代に仲国王となったことを示し、景行天皇の時代までは三輪山ではなく御諸山と呼ばれ、『舊事本記』の大友主が崇神朝に賜姓と矛盾する。

さらに、大己貴の子の事代主が大三輪大神である大御氣持、その先祖の天日方奇日方の妹の鞴五十鈴姫は神武天皇の皇后で、矛盾しているが、大己貴も事代主も襲名した人物の一人を抽出しているだけで、神話時代から其々の複数人存在する神武天皇に関係者として記述されている。

ここの神話は崇神紀に葛城氏の小国王の西道侵攻があり、その時、天日方奇日方の子孫と一緒に出雲や安芸などの仲国に侵攻して、出雲を領有した大友主が垂仁天皇の時代に朝廷の臣下となって三輪山を祀ったことを示しているようで、崇神朝の物部氏の武諸隅が出雲大神から神宝を奪って、出雲国が朝廷の支配下になったので、『舊事本紀』の神話となったのだろう。

2021年8月27日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段6

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・故大國主神坐出雲之御大之御前時自波穂乗天之羅摩舩而内剥鵝皮爲衣服有歸來神尓雖問其名不荅且雖問所從之諸神皆白不知尓多迩旦久白言此者久延毗古問時荅白此者神產巢日神之御子少名毗古那神故尓自上於神産巣日御祖命者荅告此者實我子也於子之中自我手俣久岐斯子也故與汝葦原色許男命爲兄弟而作堅其國故自尓大穴牟遅與少名毗古那二柱神相並作堅此國然後者其少名毘古那神者度于常世國也故顯白其少名毘古那神所謂久延毘古者於今者山田之首富騰者也此神者足雖不行盡知天下之事神也於是大國主神愁而告吾獨何能得作此國塾(敦)神與吾能相作此國耶是時而有光海依來之神其神言能治我前者吾能共與相作成若不然者國難成尓大國主神曰然者治奉之状奈何荅言吾者伊都岐奉于倭之青垣東山上此者坐御諸山上神也故其大年神娶神活須毘神之女伊怒比賣生子大國御魂神次韓神次曽富理神次白日神次聖神(五神)又娶香用比賣生子大香山戸臣神次年御神又娶天知迦流美豆比賣生子奥津日子神次奥津比賣命亦名大戸比賣神此者諸人以拝竃神者也次大山上咋神亦名山末之大主神此神者坐近淡海國之日枝山亦坐葛野之松尾用鳴鏑神者也次庭津日神次阿須波神次波比岐神次香山戸臣神次羽山戸神次庭高津日神次大土神亦名土之御祖神九神上件大年神之子自大國御魂神以下大土神以前并十六神羽山戸神娶大氣都比賣神生子若山咋神次若年神次妹若沙那賣神次弥豆麻岐神次夏高津日神亦名夏之賣神次秋毗賣神次久久年神次久久汜若室葛根神上件羽山之子以下若室葛根以前并八神」、【それで、大國主は、出雲の御大の御前にいる時、波の穗から天のよく磨いた船に乗って、鵝の皮を剥ぎ衣服にして、帰って来る神がいた。それでその名を問うても答えず、また従者の諸神に問わせたが、皆「知らない。」と言った。そこで多迩具久が「これは久延毘古がきっと知っている。」と言うので、久延毘古を召して問うた時、「これは神産巣日の子、少名毘古那だ。」と答えた。それで神産巣日の祖に言ったら、答えて、「これは本当に我が子だ。子の中に、我が手の俣から零れ落ちた子だ。それで、お前葦原色許男の兄弟となって、その國を作り堅めなさい。」と告げた。それで、大穴牟遲と少名毘古那の二柱が一緒に、この國を作り堅めた。その後は、その少名毘古那は、常世の國に渡った。それで、その少名毘古那を言い表した久延毘古は、今は山田の曾富騰という。この神は、出向かないが、のこらず天下の事を治めている神だ。そこで大國主は、愁えて、「私は一人でどうやってこの國を作り上げればよいのだ。誰かと一緒に、この國を作りたい。」と言った。この時に海をてらして遣って来る神がいた。その神が、「お前が治めるなら、私が一緒に作ろう。もしそうでなかったら國は成り難い。」と言った。そこで大國主は、「それならどのように治めなさる。」と言うと、「私を倭の青垣の東の山の上に祀りなさい。」と答えた。これが御諸山の上に鎮座する神だ。それで、その大年神は、神活須毘の娘の、伊怒比賣を娶って生んだ子は、大國魂神。次に韓神。次に曾富理神。次に白日神。次に聖神の五神、又、香用比賣を娶って生んだ子は、大香山戸臣神。次に御年神の二柱、又、天の知迦流美豆比賣を娶って生んだ子は、奧津日子。次に奧津比賣、またの名は大戸比賣。これは皆が拜む竃神だ。次に大山咋、またの名は山末之大主。この神は近淡海國の日枝の山にいて、また葛野の松の尾にいて、鳴り鏑をもつ神だ。次に庭津日。次に阿須波神。次に波比岐神。次に香山戸臣。次に羽山戸神。次に庭高津日。次に大土、またの名は土之御祖の九神。上の件の大年神の子は、大國御魂神以下、大土以前は併せて十六神だ。羽山戸神が、大氣都比賣を娶って生んだ子は、若山咋。次に若年神。次に妹若沙那賣神。次に彌豆麻岐神。次に夏高津日、またの名は夏之賣神。次に秋毘賣。次に久久年神。次に久久紀若室葛根。】と訳した。 

『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は第八段6に続けて「・・・大巳貴神之平國矣行到於出雲國之御大御前而且當飲食之時海上忽有聲乃驚而求之都無所見于時自浪穂乗天羅摩舩而有一箇小男以白蘞皮爲舩以鷦鷯羽爲衣亦國剥鵝皮制爲衣服隨潮水以浮到于大巳貴命所而取置掌中而翫之則跳囓其頰乃恠其物色尓雖問其名不荅且雖問所従諸神皆爲不知尓多迩且久白言世者久延彦必知之即之久延彦問時荅日此者神皇産靈神之御子少彦名那神故尓白上於天神之時髙皇産靈尊聞之日吾所産兒凡有一千五百座其中一兒最惡不順教養自指間漏落者必彼矣故與汝葦原色男爲兄弟冝愛養矣即是少彦名彦命是也其顯白少彦名神所謂久延彦者於今者山田之曽冨騰者也此神雖不行而盡知天下之神者也大巳貴神與少彦名神勠力一心經營天下矣覆爲顯見蒼生及畜産則定其療病之方也是以百姓至今咸蒙恩頼者矣大巳貴命謂少彦名命日吾等所造之國矣豈謂善成乎少彦名命對日或有所成或有不成所是談之盖有幽深之致矣于其後少彦名命行到熊野之御碕遂適於常世國矣亦云至淡嶋而後粟莖者則彈渡而至常世郷矣大巳貴命初與少彦名命二柱神坐於葦原中國如水母浮漂之時爲造号成巳訖少彦名命渡常世後國中所未成者大巳貴命獨能巡造矣・・・」とほゞ『古事記』とおなじである。

三諸山の神は大物主若しくは大三輪神と記述すべきだが、記述せず、『舊事本記』では大己貴が大三輪神で物部氏の神話が基となっているようで、大己貴は大国主と同じ前提なのだから、共に国を治めては矛盾してしまうので、記述できなかったと思われる。

少名毘古那は雄略天皇の時代より後に朝廷で活躍した人物の先祖と考えられ、『古事記』を記述した巨勢氏にとって最大の貢献者の播磨國司山部連先祖伊與來目部小楯の先祖の可能性が高く、來目部は道臣の配下で伊予は道後・道前などが有り道国の可能性が高く、出会った明石と伊予の間には吉備があり、吉備は『日本書記』に「吉備子洲」とあるように小国と考えられ、小を少と記述して小国の「名日子」神(那は「日」と同じく地名が神)と考えると理に適う。

道臣は日臣とも呼ばれていて、九州の日国の王だったようで、白日神か聖(日後)神の子孫が道臣なのだろう。

また、大氣都比賣の子が「若山咋・若年神・・・・夏之賣神」と記述されるが、大氣都比賣は和迩臣の遠祖の姥津の妹の姥津姫と同名で、姥津姫の子が日子坐王その子が水穗眞若王で、近淡海の安直の祖と近江を支配する人物、兄弟に、丹波比古多多須美知能宇斯王がいて、崇神天皇や垂仁天皇の皇后となる家系、他の兄弟の山代之大筒木眞若王は神功皇后の家系で、この頃を記述する史書『後漢書』には邪馬台国を大倭王が統治し、その地域には曰神夏磯媛が存在し、 夏之賣神は曰神夏磯媛を類推させる。

2021年8月25日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段5

   『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・茲大神初作須賀宮之時自其地雲立騰尓作御歌其歌曰夜久毛多都伊豆毛夜弊賀岐都麻碁微尓夜弊賀岐都久流曽能夜弊賀岐袁 於是喚其足名椎神告言汝者任我宮之首且負名号稲田宮主須智(賀)之八耳神故其櫛名田比賣以久美度迩起而所生神名謂八嶋士奴美神又娶大山津見神之女名神大市比賣生子大年神次宇迦之御魂神兄八嶋士奴美神娶大山津見神之女名木花知流比賣生子布波能母遅久奴須奴神此神娶淤迦美神之女名日河比賣生子深淵之水夜禮花神此神娶天之都度閇泥上神生子淤美豆奴神此神娶布怒豆怒神之女名布帝耳上神生子天之冬衣神此神娶刺國大上神之女名刺國若比賣生子大國主神亦名謂大穴牟遅神亦名謂葦原色許男神亦名謂八千矛神亦名謂宇都志國玉神并有五名故此大國主神之兄弟八十神坐然皆國者避於大國主神・・・」、【この大神が、初めて須賀の宮を作った時、ここから雲が立ち上った。それで歌を作った(略)。ここで足名椎を呼び、「お前は我が宮の首領になれ。」と命じて、官名をつけて、稻田宮主須賀之八耳とした。それで櫛名田比賣を娶って夫婦の寝所を作って、生んだ子の名は、八島士奴美という。また大山津見の娘、名は神大市比賣を娶って生んだ子は、大年神。次に宇迦之御魂の二柱。兄の八島士奴美は、大山津見の娘で名は木花知流比賣を娶って生んだ子は、布波能母遲久奴須奴。この子は、淤迦美の娘で日河比賣を娶って生んだ子は、深淵之水夜禮花神。この子は天の都度閇知泥を娶って生んだ子は、淤美豆奴神。この子は、布怒豆怒神の娘で、布帝耳を娶って生んだ子は、天の冬衣神。この子は、刺國大神の娘で刺國若比賣を娶って生んだ子は、大國主。亦の名は大穴牟遲と言い、亦の名は葦原色許男と言い、亦の名は八千矛神と言い、亦の名は宇都志國玉神と言い、併せて五つの名が有る。それで、この大國主の兄弟は八の十柱いたが、皆國は大國主の支配となった。】と訳した。

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「・・・素戔烏尊行覓將婚之處遂到出雲之清地亦云須賀須賀斯乃詔日吾清々之矣彼處建宮之時自其地雲立騰矣因作御歌日夜句茂立伊怒毛夜覇餓岐莬磨語昧尓夜覇餓岐莬倶盧贈迺夜覇餓岐迺乃相與遘合爲妃所生之兒大巳貴神矣亦名八嶋士奴美神亦名大國主神亦名清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠亦名清之繫名坂輕彦八嶋手命亦名清之湯山主三名狹漏彦八嶋野素戔烏尊勑日吾兒宮首者即脚摩乳手摩乳也故賜号於二神日稻田宮主神坐出雲國神復娶大山祇神女,-神大市姬,生二神. 兒大年神次稻倉魂神素戔烏尊曰韓鄉之嶋是金銀若使吾兒所御之國不有浮寶未是佳矣乃拔鬢髮散之是成松矣覆拔(?)毛散之是成檜矣覆拔眉毛散之是成橡樟矣覆拔尻毛散之是成柀矣〇覆定其當國乃稱之曰杦及橡樟此兩樹者可以爲浮寶也〇覆檜者可以爲瑞宮之材也覆柀者可以爲顯見蒼生奥津棄尸將(?)之具〇覆夫須噉八十木種皆能播生矣素戔烏尊居熊成峯而遂入於根國矣兒五十猛神天降之時多將八十種須(?)子樹種而不殖韓地盡以持歸遂始自筑紫於大八洲之内莫不殖播而成青山矣所謂五十猛命爲有功之神則紀伊國所坐大神是矣一(?)日素戔烏尊之子號日五十猛命妹大屋姫命次抓津姫命凡三神亦能分布八十種木種則奉渡於紀伊國即此國所祭之神是也」、【素戔烏は、結婚によい所を探し、ついに出雲の清の地に着いた。須賀須賀斯ともいう。「私はすがすがしい」言って、そこに宮を建てた。このとき、盛んに雲が立ちのぼったので、歌(略)を作った。そして妃とした。生まれた子が大己貴である。大己貴神のまたの名を八嶋士奴美、またの名を大国主、またの名を清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠、またの名を清之繋名坂軽彦八嶋手、またの名を清之湯山主三名狭漏彦八嶋野という。素戔烏が「わが子の宮の主は、脚摩乳と手摩乳である」と言った。そして、名を与えた。稲田宮主という。出雲国にいる神だ。また、大山祇の娘の神大市姫を娶って、二柱を生んだ子は大年神、次に稲倉魂神である。素戔烏は「韓国の島には金銀がある。もしわが子の治める国に、舟がなかったらよくないだろう」と言った。そこで、髭を抜いて放つと松の木になった。また、胸毛を抜いて放つと檜になった。また、眉毛を抜いて放つと樟の木になった。また、尻の毛を抜いて放つと槙の木になった。「杉と樟の木は舟をつくるのがよい。また、檜は宮殿を造る木にするのがよい。また、槙は現世の人民の棺を作るのによい。そのため沢山の種子を蒔こう」とその用途を決めて言った。素戔烏は、熊成峯に行き、ついに根の国に入った。子の五十猛は天から降るときに、沢山の樹の種や、子供たちが食べるための種を、韓国には植えないで、すべて持ち帰り、筑紫からはじめて大八州の国中に蒔き増やして、青山にならないところはなかった。このため五十猛は有功の神とされる。紀伊国にいる大神がこれである。ある説には、素戔烏の子の名は五十猛という。妹は大屋姫、次に抓津姫である。この三神がよく沢山の種を蒔いた。そして紀伊国に渡られた。この国にお祀りしている神がこれである。】と訳した。

 この須賀の地は八耳の官名が有る「八國」の支配下、素戔嗚は後付けの人物で、元々須賀の王だった足名椎が「八國」の「遠呂智」を退治して、「神八(宮・神倭)」王朝が始まり、官位が八国の「耳」になったことを示し、神武天皇や綏靖天皇の時代の官位である、手名椎と関係が有りそうな手研耳や神渟名河・八井耳と良くあてはまる。

そして、子の八島士奴美は八岐の忍神の意味と考えられ、八岐に勝った人物で、忍神は大伴氏の祖の忍日も忍日神と同じ意味となり、この神がここの説話の主人公で、この部分の天忍日や素戔嗚のモデルなのではないだろうか。

さらに、大国主の別名は活躍した時代が異なる人物で、孝霊天皇の頃までは縣を使用していた可能性が高く、この説話では、大国主ではなく大耳が妥当で、前代が大穴牟遲、後代が銅矛・銅剣が出土する時代と考えられ、『山海經』から考えても、大国だけで八十も国が無く、八国の十人と考えたほうが理に適う。

そして、素戔嗚の最終目的地は大国、すなわち、丹波・山代の東が根国と解り、刺国若比賣の子が大国主と、天孫が譲られた国を「朝日之直刺國」と呼んだ国と合致し、若狭が大国主の本拠だったことが解る。

2021年8月23日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段5

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は「・・・故切其中尾時御刀之刃毀尓思恠以御刀之前刺割而見者在都牟刈之大刀思異物而白上於天照大御神也是者草那藝之大刀也故是以其速須佐之男命宮可造作之地求出雲國尓到坐須賀地而詔之吾來此地我御心須賀々々斯而其地作宮坐故其地者於今云須賀也・・・」、【それで、その後ろを切った時、刀の刃が欠けた。それで変に思い、切っ先で刺し割いて見ると、つむがりの大刀があった。それで、大刀を取って、変に思い、天照大神に上奏した。これは草那藝の大刀である。それで速須佐男は、宮を造作する所をこの出雲國にした。そこで須賀の地に到り、「私はここに来て、私の気持ちはすがすがしい。」と言って、そこに宮を作って住んだ。そのため、そこを須賀という。】と訳した。

『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「・・・此蛇爲八段每段成雷摠爲八雷飛躍天是神異之甚矣散河變血而流至斬其尾劔刃少缺故割裂其尾而視之中有一劔名天叢雲劔蓋於大蛇所居之上常有雲氣故以名焉。素戔烏尊曰是神兵劔也吾何敢私以安乎乃取共大々刀思日遣五々世孫天之葺根神上奉於天其後日本武尊征東之時以其劔号日草薙劔矣今在尾張國吾湯市村即熱田神社所崇之神其斬蛇之劔今則在吉備神部許到出雲簛之河上是也亦云斬蛇之劔号日蛇之鹿正今在石上神宮也・・・」、【斬られるごとに雷鳴が起こり、稲妻は天にかけ昇った。とても不思議であった。川の水は赤く血に染まった。その大蛇を斬ったとき、剣の刃が少し欠けた。そこで、見てみると、剱があった。名を天叢雲剱という。大蛇がいる上には雲があったので、そう名づけられた。素戔烏は「これは不思議な剱だ。どうして私物にできようか」と言った。それで、五世の孫の天の葺根を派遣して、天に献上した。のちに、日本武が東征したとき、その剱を名づけて草薙剱といった。今、尾張国の吾湯市村にある。すなわち、熱田神社でお祀りしている神だ。また、その蛇を斬った剣は今、吉備の神部にある。出雲の簸川の川上にやって来て、大蛇を斬った剣がこれだ。または、蛇を斬った剣の名は、蛇の麁正という。今、石上神宮にある。】と訳した。

以前、私は『日本書紀』のみの検証では、神話が紀元前700年以前を前提に君子国の銅剣と丈夫国の石剣と想定したが、神話が弥生時代や古墳時代も含むことが推測され、丈夫国と君子国の石剣と銅剣から銅剣と鉄剣の説話に変化したと考えられる。

すなわち、『舊事本記』は吉備の縣守を素戔嗚に当て嵌め、素戔嗚と八岐大蛇の説話と吉備の縣守淵の笠臣祖縣守と虬(みづち)の説話が合わさった説話と考えられる。

吉備は星川皇子の後ろ盾になって、『日本書紀』の最初を完成させた清寧天皇の即位に反逆したため、『日本書紀』の神話に麁正を記述せず、吉備は顕宗天皇即位の立役者だったが、巨勢王朝が衰退すると日本府で活躍する記事には名も記述されず、「吉備五郡置白猪屯倉」と領地を没収している。

しかし、敏達天皇の時「蘇我馬子大臣於吉備國増益白猪屯倉與田部」と『舊事本記』を記述した馬子に与えられて配下になり、馬子が、麁正を献上したのではないだろうか。

一人の英雄の神話に、時代と場所が異なる2人以上の神剣を宝器とする人物を当て嵌め、また、似た説話を有する氏族の説話が融合されて、大国が出雲国に変質した説話が『日本書紀』で認定されたが、国の構成員の違いで収受選択され、『古事記』・『舊事本紀』が完成したと考えられ、『舊事本紀』は神話時代に出雲国を記述したが、系図記述では出雲国を記述せず、「出雲國造瑞籬朝以天穗日命十一世孫宇迦都久慈定賜國造」と出雲国が出来たのは崇神天皇の時と記述し、矛盾をきたした。

『日本書紀』も、崇神天皇六〇年でも「出雲人祭」と出雲国を記述せず、ここで「出雲臣之遠祖出雲振根・・・出雲臣等畏是事」と出雲臣の祖が出現してからその一族を出雲臣と記述し、この日付の「六十年秋七月丙申朔己酉」は天文学的朔の日干支に一致する。

2021年8月20日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段4

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は「故所避追而降出雲國之肥上河上名邊(鳥)髪地此時箸從其河流下於是須佐之男命以爲人有其河上而尋覓上往者老夫與老女二人在而童女置中而泣尓問賜之汝等者誰故其老夫荅言僕者國神大山上津見神之子焉僕名謂足上名椎妻名謂手上名椎女名謂櫛名田比賣亦問汝哭由者何荅白言我之女者自本在八稚女是高志之八俣遠呂知(此三字以音)毎年來喫今且(其)可來時故泣尓問其形如何荅白彼目如赤加賀智而身一有八頭八尾亦其身生蘿及檜榲其長度渓八谷峡八尾而見其腹者悉常靣(血)爛也(此謂赤加賀知者今酸醤者也)尓速須佐之男命詔其老夫是汝之女者奉於吾哉荅白恐亦不覺御名尓荅詔吾者天照大御神之伊呂勢者也故今自天降坐也尓足名椎手名椎神白然坐者恐立奉尓速須佐之男命乃於湯津爪櫛取成其童女而判(刺)御美豆良告其足名椎手名椎神汝等醸八塩折之酒亦作廻垣於其垣作八門毎門結八佐受岐毎其佐受岐置酒舩而毎舩盛其八塩折酒而待故随告而如此設備待之時其八俣遠呂智信如言來乃毎舩垂入己頭飲其酒於是飲酔死由伏寝尓速須佐之男命抜其所御佩之十拳釼切散其蛇者肥河變血而流」、【それで、逃げ出して、出雲國の肥の河上で、鳥髮といふ所に降った。この時に箸が河上から流れ下ってきた。そこで須佐の男は、人がその河上にいると思って、尋ね求めて上ったら、老夫と老女の二人がいて、童女を中に置いて泣いていた。そこで「お前たちは誰だ。」と問うた。それで、その老夫が「私は國神の大山の津見の子だ。私の名は足名椎といい、妻の名が手名椎といい、娘の名は櫛名田比賣という。」と答えた。また「お前がなくのはどうしてだ。」と問いかけたら、「私の娘は、本々八の稚女だが、高志の八俣の遠呂智が年毎に来て食らう。今がその来る時です。それで泣いています。」と答えた。それで「その風体はどんなものだ。」と問いかけたら、「その目はホオズキのように血走り、1国に頭目が八人に軍が八有る。またその身に蘿と桧や榲と着けてカモフラージュして、全軍を集めると八国の山を越えて続き、その腹を見ると、みないつも返り血を浴びている。」と答えた。「赤加賀知」と言うのは今の「ほおずき」だ。そこで速須佐の男は、その老夫に「お前の娘を私にほしい。」と命じると、「畏れ多いのですが名を知りません。」と答えた。それで「私は天照大神の弟だ。それで今、天より降ってきた。」と答えた。そこで足名椎と手名椎は、「それは畏れ多いこと。差し上げましょう」と言った。そこで速須佐の男は、童女を湯津爪櫛にして、美豆良に刺して、足名椎手名椎に「お前たちは、八の鹽を取り分ける樽(?桝)の酒を釀もし、また垣根を作り廻して、その垣根に八の門を作り、門毎に八の桟敷を組み立て桟敷ごとに酒台を置いて、台毎にその八の桝に酒を盛って待て。」と命じた。それで、言われたままに、このように置いて待っていると、八俣の遠呂智が、本当に言われたように来た。それで酒台毎に各々の頭から酒台に垂らし入れて、その酒を飮んだ。飮み、醉って、そのまま顔を伏せて寝てしまった。そこで速須佐の男は、帯びた十拳の劒を拔いて、蛇を切り散らかしたら、肥の河が血に染まって流れた。】と訳した。

『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「素戔烏尊到於出雲國簛之河上石鳥髪地之時自其河上箸流下者矣素戔烏尊以爲人有其河上而尋覔上往者聞河上有啼哭之聲故尋聲往上有一老翁與婆中間置小女而哭矣素戔烏尊問曰汝等誰也何爲哭如何之耶對曰吾是國神号腳摩乳我妻号手摩乳此童女是吾兒号奇稻田姬矣所以哭者往時吾兒有八筒少女矣是爲髙志八岐大蛇每年來喫今臨被吞時故哀傷矣素戔烏尊問其形如何荅曰大蛇一身八頭尾各有八岐眼如赤酸醬其身生蘿亦松栢椙檜於背上其長度於谿八谷峽八尾而見其腹者悉常血爛矣素戔烏尊詔老夫曰是以汝之女者奉吾之耶對曰恐矣亦不覺御名矣素戔烏尊詔日吾者天照太神之弟也今自天降焉荅曰隨勑矣奏請先殺彼蛇然後幸者爲冝也素戔烏尊立化奇稻田姬爲湯津爪櫛而插於御髻矣乃使脚摩乳手摩乳釀八醞酒八甕亦造迴垣則於其垣作立八間造八(?)庪各置槽一口而盛酒矣則隨詔而如此語備而侍之時八岐大蛇如所言蔓延於八丘八谷之間而至矣素戔烏尊勑蛇日汝是可畏之神不敢饗之午乃以八甕酒得每頭一槽領醉而睡伏寢矣素戔烏尊乃拔所帶十握之劔寸斬其蛇」で訳はほゞ同様である。

『舊事本紀』と『古事記』はほとんど同じで、違いは『古事記』が肥河・足名椎が大山津見の子、その娘八稚女で、『舊事本記』は、それに対して簛河、親の名が記述されず、八筒(?箇)少女と『古事記』は大山津見が大国の神、娘たちが稚女と「日女」が「日国」の女王なのだから、稚女は「稚国」の女王と若狭の説話の可能性が有り、『古事記』が大国建国説話で「三身国」の綱が速須佐男の力を意味し、『舊事本紀』は若狭を大国と八国とが取り合っている説話と考えられる。

この年代は、出雲国が既に出来た時代の説話とまず考えるべきで、『日本書紀』の出雲国の初出は垂仁天皇二年の「經出雲國至於此間也是時遇天皇崩」と崇神天皇が崩じた時で、出雲臣の初出は崇神天皇六〇年「以誅出雲振根故出雲臣等畏是事」で、この頃に完成した神話を疑うべきだろう。

『舊事本記』でも出雲臣は懿徳天皇の頃の「出雲臣女子沙麻奈姫」が初出で懿徳天皇の大臣の出雲醜大臣の母は「出雲色多利姫」で出雲臣ではなく、『舊事本記』の神武天皇は崇神天皇と考えられ、宇摩志麻治自体が多紐文鏡が見つかる孝元天皇頃の人物の可能性がある。

また、『日本書紀』では脚摩乳と天皇名で支配することを意味する足ではなく、脚を使ったが、『古事記』は天皇名に帯を使ったので、足名椎と足を使用しており、『古事記』の原文の表音文字が葦などでは意味をなさない『日本書紀』の足と同じ表音の人物名で有ることを示し、安万呂の時代には支配すること帯を垂らして引っ張る意味で帯を使い、平郡氏は足で踏みつける意味で足を使ったことが解る。


2021年8月18日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段3

  続いて、日本書紀慶長版一書は、一書()一書曰大國主神亦名大物主神亦號國作大己貴命亦曰葦原醜男亦曰八千戈神亦曰大國玉神亦曰顯國玉神其子凢有一百八十一神夫大己貴命與少彥名命戮力一心經營天下復爲顯見蒼生及畜産則定其療病之方又爲攘鳥獸昆蟲之灾異則定其禁厭之法是以百姓至今咸蒙恩頼嘗大己貴命謂少彥名命曰吾等所造之國豈謂善成之乎少彥名命對曰或有所成或有不成是談也蓋有幽深之致焉其後少彥名命行至熊野之御碕遂適於常世鄕矣亦曰至淡嶋而縁粟莖者則彈渡而至常世鄕矣自後國中所未成者大己貴神獨能巡造遂到出雲國乃興言曰夫葦原中國本自荒芒至及磐石草木咸能強暴然吾已摧伏莫不和順遂因言今理此國唯吾一身而巳其可與吾共理天下者蓋有之乎于時神光照海忽然有浮来者曰如吾不在者汝何能平此國乎由吾在故汝得建其大造之績矣是時大己貴神問曰然則汝是誰耶對曰吾是汝之幸魂奇魂也大己貴神曰唯然廼知汝是吾之幸魂奇魂今欲何處住耶對曰吾欲住於日本國之三諸山故即營宮彼處使就而居此大三輪之神也此神無子即甘茂君等大三輪君等又姫蹈鞴五十鈴姫命又曰事代主神化爲八尋熊鰐通三嶋溝樴姫或云玉櫛姫而生兒姫蹈鞴五十鈴姫命是爲神日本磐余彥火火出見天皇之后也初大己貴神之平國也行到出雲國五十狹狹之小汀而且當飲食是時海上忽有人聲乃驚而求之都無所見頃時有一箇小男以白蘞皮爲舟以鷦鷯羽爲衣隨潮水以浮到大己貴神即取置掌中而翫之則跳囓其頰乃怪其物色遣使白於天神于時髙皇産靈尊聞之而曰吾所産兒凢有一千五百座其中一兒最惡不順教養自指間漏墮者必彼矣宜愛而養之此即少彥名命是也顯此云于都斯蹈鞴此云多多羅幸魂此云佐枳彌多摩奇魂此云倶斯美拕磨鷦鷯此云娑娑岐」、「一書に、大國主、またの名は大物主、または國作大己貴という。または葦原醜男という。または八千戈という。または大國玉という。または顯國玉という。その子はすべてで百八十一神いる。その大己貴と少彦名と、力をあわせて心を一にして、天下を経営し、人々によく見られ、畜産の爲に、その病の治療法を定めた。また、鳥獣・昆虫の災い・異変を防御するため、そのまじない法を定めた。それで、百姓は今になるまで、のこらず恩恵を被った。むかし、大己貴は、少彦名に「私たちが造った國が、どうしてよくなったといえるのか」と言った。少彦名は「成功したところも失敗したところもある」と答えた。この話は、思うに奥深い結果をもたらした。その後に、少彦名は、熊野の御碕に行きついて、とうとう常世の郷に頼って行った。または、淡嶋について、粟莖の縁を頼ったが、彈かれ渡って常世の郷についた。後に、國の中がまだ成功していない所を、大己貴、ひとりで能く巡って造った。ついに出雲國について、「この葦原中國は、本から荒芒としていた。磐石草木にいたるまで、のこらず邪魔をした。しかし私はとうとう打ち砕いて屈伏させ、従わないものが無かった」と言った。とうとうそのため「今、この國がおさめるのは、ただ私一人だけだ。私と共に天下をおさめるべき者はいないのか」といった。その時に、神々しい光が海を照して、忽然と浮び上がってきた者がいた。「もし私でなかったら、お前はどうやってこの国を平定するのだ。私がいるから、お前の大きな業績を作り上げた」といった。この時、大己貴は「それならお前は誰だ」と問いかけた。「わたしはお前の乱れを纏める力だ」と答えた。大己貴は、「なるほど。それなら知りたいが、お前はその乱れを纏める力だ。今はどこに住みたいか」と言った。「私は日本國の三諸山に住みたい」と答えた。それで宮をそこに設営して、居る。これが、大三輪の神だ。この神の子は、甘茂君達・大三輪君達、また姫蹈鞴五十鈴姫だ。また、事代主は、八尋熊鰐に化って、三嶋の溝樴姫(あるいは、玉櫛姫)のところに通った。それで子の姫蹈鞴五十鈴姫を生んだ。これを神日本磐余彦火火出見天皇の后にした。はじめ大己貴が、国を平定したとき、出雲國の五十狹狹の小汀に行き到って、飮食しようとした。この時に、海上に人の声が聞こえた。すなわち驚いて探したが、まったく見えなかった。少しして、一人の小男がいて、白蘞の皮をはった舟を造り、鷦鷯の羽を衣にして、潮水どおりに浮んできた。大己貴は、それで取り挙げて掌中に置いて、弄ぶと、跳びあがって頬に噛みついた。それでその様子を不思議に思って、使を派遣して天神に言った。その時、高皇産靈は聞いて「私が産んだ子は、すべてで一千五百いる。その中の一子は最も劣って、教えに順わない。指の間から漏れ墮ちたのは、きっとそいつだ。愛おしんで養え」といった。これが即ち少彦名だ。顯、これを「うつし」という。蹈鞴、これを「たたら」という。幸魂、これを「さきみたま」という。奇魂、これを「くしみたま」という。鷦鷯、これを「さざき」という。】と訳した。

『日本書紀』の本文では 大國主という名は出現せず、大己貴が国譲りの対象として登場するが、同じ国譲りに登場する顯國玉が大己貴のまたの名と記述せず、全くの別人と『日本書紀』を記述していた王朝は認識した。

そして、大国主の子が百八十一神居るとして、『舊事本紀』も同じく百八十一神だが、『日本書紀』の本文では、事代主が記述されるだけ、『古事記』でも木俣神・阿遲鋤高日子根・事代主・鳥鳴海の4人で、『舊事本紀』で沼河比賣との子の建御名方と記述するが、『古事記』では記述しないで、国譲りのとき突然子と記述するように、各説話の時代に世代単位の開きがあって、各世代の大国の支配領域の王たちが大国主と合祀・習合した結果だと考えられ、大国は最大181国(集落・小字単位?)が支配下だったと考えられる。

『舊事本紀』の出雲国は安寧天皇の義兄の建飯勝が出雲臣の娘の沙麻奈姫を娶り、その子が建甕槌で、その7代後、崇神天皇の時代に賀茂君や大神君を賜姓され、崇神天皇が神武天皇とする氏族の神話で、建飯勝の頃に出雲臣、すなわち出雲の国神が居たのだから、また、同世代の出雲醜大臣の母が出雲臣を名乗っていないので、綏靖天皇の頃に出雲国が建国され、沙麻奈姫を娶った頃は出雲国ではなく葦原中国だったと記述している。

「少彦名」は『舊事本紀』では「少彦根命鳥取連等祖」・「少彦名彦」と「少彦」が記述されるが、私は「大彦」に対する「少彦」なのではと考えていて、大国将軍大彦 とその補佐をする 少彦ということだ。

そして、大国の大彦に対して、吉備の児島すなわち、吉備が小国を意味し、吉備の王と大国王が連合したと思われ、「大彦命遣北陸武渟川別遣東海吉備津彦遣西道丹波道主命遣丹波」と、吉備津彦が少彦で、「大毗古命之子建沼河別」と武渟川別は大彦の子で吉備津彦は『古事記』では記述されず、この一書はこの頃の神話と考えられる。

また、垂仁紀の常世は済州島のようだが、神話時代の常世は、「六合之閒四海之內」にあり「三身國」のある「日」国より東の地域を記述する『山海經 海外南經』の「狄山帝堯葬于陽帝嚳葬于陰・・・文王皆葬其所一曰湯山」と王を埋葬する「湯山」ではないかと考えていて、それなら、粟国や熊野から舟で運べそうだ。


2021年8月16日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段2

  続いて、日本書紀慶長版一書は、一書()一書曰素戔嗚尊欲幸奇稻田媛而乞之脚摩乳手摩乳對曰請先殺彼蛇然後幸者宜也彼大蛇毎頭各有石松兩脇有山甚可畏矣将何以殺之素戔嗚尊乃計釀毒酒以飲之蛇醉而睡素戔嗚尊乃以蛇韓鋤之剱斬頭斬腹其斬尾之時剱刃少缺故裂尾而看即別有一剱焉名爲草薙剱此剱昔在素戔嗚尊許今在於尾張國也其素戔嗚尊斷蛇之剱今在吉備神部許也出雲簸之川上山是也」、「一書に、素戔嗚は、奇稻田媛に婿入りを願った。脚摩乳・手摩乳は、「お願いします、まずその蛇を殺して、その後で婿入りするとよろしい。 その大蛇は、頭毎に各々石松が有り、両方の脇に山が有る。とても恐ろしい。どうやって殺すのか」と答えた。素戔嗚は、計略を立てて、毒の酒を醸造して飮ませ、蛇は酔って眠った。素戔嗚は、それで蛇は韓鋤の劒で、頭を斬り腹を斬る。その尾を斬った時に、劒の刃が、少し欠けた。それで、尾を裂いてみたら、別に一つの劒が有った。なづけて草薙劒という。この劒は昔、素戔嗚の許に在った。今は尾張國に在る。その素戔嗚の、蛇を絶った劒は、今、吉備の神部の許に在る。出雲の簸の川上の山がこの舞台だ。」と訳した。

一書()は出雲の勢力下の吉備の神話の様で、時代が下っていて、『日本書紀』本文が石剣対銅剣の戦いだったが、『山海經』には朝鮮半島に「帯剣」の記述が無く、「韓鋤劒」は銅剣のようで、その剣が欠けるのだから、草薙劒は鉄剣若しくは高度な技術で作った銅剣と考えられ、石上ではなく吉備に保管されているのだから、物部王朝が大和から伊勢遺跡に退いた時代、もしくは、葛城王朝が伊勢遺跡の王朝を倒した時代のかなり後代の神話と考えられる。

続いて一書は、一書()一書曰素戔嗚尊所行無狀故諸神科以千座置戸而遂逐之是時素戔嗚尊帥其子五十猛神降到於新羅國居曾尸茂梨之處乃興言曰此地吾不欲居遂以埴土作舟乗之東渡到出雲國簸川上所在鳥上之峯時彼處有呑人大蛇素戔嗚尊乃以天蠅斫之剱斬彼大蛇時斬蛇尾而刃缺即擘而視之尾中有一神剱素戔嗚尊曰此不可以吾私用也乃遺五世孫天之葺根神上奉於天此今所謂草薙剱矣初五十猛神天降之時多将樹種而下然不殖韓地盡以持歸遂始自筑紫凢大八洲國之內莫不播殖而成青山焉所以稱五十猛命爲有功之神即紀伊國所坐大神是也」、【一書に、素戔嗚の所行は上手くいかなかった。それで、諸々の神は、千日の間置戸に座らせる刑を科し、刑を終えた。この時に、素戔嗚は子の五十猛をつれて、新羅の國に降り着いて、曾尸茂梨の所に居た。それで思いついたように、「この地に私は居ようと思わない」と言って、埴土を塗って舟を作り、乗って東に渡って、出雲の國の簸の川上ある、鳥上の峯に着いた。そこに人を呑む大蛇がいた。素戔嗚は、天蝿斫劒で、その大蛇を斬った。その時に、蛇の尾を斬った刃が欠けた。それでさいてみたら、尾の中に一つの神劒が有った。素戔嗚は、「これを私の為に使ってはいけない」といって、五世の孫の天之葺根を遣いにして、天に上奉した。これが今、いわゆる草薙劒だ。はじめ五十猛は、天から降る時に、多くの樹の種をもって降った。しかし韓地に殖えないで、残らず持ち帰った。遂に筑紫から始めて、すべて大八洲國の中に、播き殖して青山に成らない所が無かった。それで、五十猛を有功の神と名付けた。即ち紀伊國にいる大神がこれだ。】と訳した。

九州から朝鮮半島を経て「肅慎之國」と北の国まで記述する、『山海經 海外西經』に「諸夭之野」という若死する地域があり、「卵食之」と記述、『三国史記』に新羅赫居世居西干に「只有大卵剖之有嬰兒出焉」と卵から生まれたと記述され、身近な卵を基にした卵生神話の発生がよく理解できる。

その赫居世居西干の建国は五鳳元年紀元前57年で、これ以前は長く生きれず、「曾尸茂梨」はかつて屍だらけの梨が茂る土地で、野生の梨は朝鮮南部に自生し、酸味が強くて食用にはならず、これらの文献と合致し、したがって、この地に樹木を植えないで、日本列島で植樹したというのも、よく対応している。

続いて、日本書紀慶長版一書は、一書()一書曰素戔嗚尊曰韓鄕之嶋是有金銀若使吾兒所御之國不有浮寶者未是佳也乃拔鬚髯散之即成杉又拔散胸毛是成檜尻毛是成柀眉毛是成櫲樟已而定其當用乃稱之曰杉及櫲樟此兩樹者可以爲浮寶檜可以爲瑞宮之材柀可以爲顯見蒼生奧津棄戸将臥之具夫湏噉八十木種皆能播生于時素戔嗚尊之子號曰五十猛命妹大屋津姫命次枛津姫命凢此三神亦能分布木種即奉渡於紀伊國也然後素戔嗚尊居熊成峯而遂入於根國者矣棄戸此云湏多杯柀此云磨紀」、【一書に、素戔嗚が、「韓郷の嶋には、金銀が有る。もしそうなら私の子が治める國に、浮く宝(?)が無いのはよくない」と言って、鬚髯を拔いて散らした。それが杉に成った。また、胸毛を拔いて散らした。これが桧に成った。尻の毛は、柀に成った。眉の毛は櫲樟に成った。その用いかたを定めた。すなわち「杉及び櫲樟は、予備の宝(船)とするべきだ。桧は瑞宮を造る材料にすべきだ。柀は人々が良く見えるの奧津の棄戸の臥の具えとしなさい。調査対象の八の十木種は、皆よく播いて生やしなさい」と言った。その時に、素戔嗚の子を、五十猛と名付けた。妹は大屋津姫。次に枛津姫。この三神も、能く木種を広めた。それで紀伊國に渡って祀った。そうした後に、素戔嗚、熊成峯に居て、とうとう根國に入った。棄戸これを「すたへ」という。柀これを「まき」という。】と訳した。

一書()も一書()も、新羅が領地と述べ、『日本書紀』垂仁紀に「新羅王子天日槍來歸焉」と友好関係をもち、それに対して『三国史記』には新羅に対して「倭」が攻撃し、『三国志』には「弁辰亦十二國・・・國出鐵,韓、濊、倭皆從取之」と弁辰は倭と友好関係で、新羅に敵対する倭が金銀を取って来るが、この一書の国はそれを手に入れられないと述べ、倭とも辰国とも異なる国である。

仲哀天皇は新羅の場所を知らず、神功皇后は新羅を侵略したが、この2人の国が、まさに、倭でも辰でもない第3の国で、神功皇后は穴門に首都を持ち、新羅征伐のため香椎から新羅を攻めて、香椎に倭が有って、倭が主で神功皇后が従だから、『三国史記』に倭が侵略と記述している。

そして、一書()も一書()もやはり、紀伊に移住した、日神に支配される、津姫と記述するように対馬出身の、神武が熊野出身の物部氏と協力関係にある氏族の神話と考えられ、穴門の国は三国時代の頃はまだ神話時代だったということが解る。

2021年8月13日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段1

 日本書紀慶長版は概略「素戔嗚は天降って出雲國の簸の川上に着いて泣き声を聞いて国神の脚摩乳・手摩乳夫妻と子の奇稻田姫が八岐大蛇に呑まれると言ったので、十握劒斬ったが尾で欠けたので見ると、尾に草薙劒(天叢雲劒・草薙劒)が有った。そして姫と結ばれて出雲の清地に宮を建て大己貴神を生み宮の頭を脚摩乳・手摩乳(稻田宮主神)にした」とヤマタノオロチ退治の説話である。

そして、一書()一書曰素戔嗚尊自天而降到於出雲簸之川上則見稻田宮主簀狹之八箇耳女子號稻田媛乃於奇御戸爲起而生兒號清之湯山主三名狹漏彥八嶋篠一云清之繋名坂輕彥八嶋手命又云清之湯山主三名狹漏彥八嶋野此神五世孫即大國主神篠小竹也此云斯奴」、【一書に素戔嗚は、天から出雲の簸の川上に降ってきた。それで稻田宮主の簀狹の八箇耳の女子の稻田媛を見染めて、奇御戸を起点に生んだ子を、清の湯山主の三名狹漏彦八嶋篠と名付けた。(清の繋名坂の輕彦八嶋手・清の湯山主の三名狹漏彦八嶋野)この神の五世の孫は、大國主だ。篠は、小竹で「しの」という。】と訳した。

『日本書紀』の脚摩乳・手摩乳の脚や手はおそらく(稲田の)地域の支配者の意味で「八」国に支配された「ま」という地域の神で、素戔嗚が「八」国の「おろ」神を退けて、支配の象徴の銅の剣を手に入れ、稲田を手に入れて、義父母を宮主という地位にした。

『古事記』では「帶」を「たらし」と読むと言っているが、その「たらし」を『日本書紀』や『舊事本紀』は「足」と記述し、『古事記』には「脚摩乳」を「足名椎」と「脚」を「足」と記述し、「脚」も「足」も「帯」も表意は「たらし」で支配者を意味する可能性があり、推定した。

しかし、一書()はすでに稻田宮主だった「八」国の「耳」という官名を持ち、素戔嗚と同じ簀狹(すさ)の地名を持っていて、素戔嗚の出自を示す古い時代の説話と考えられる。

隠岐の「すさ」も出雲の「すさ」も「八」国から独立させた王が「すさ」の男とよばれ、稲田で農民が崇拝する姫をどちらも嫁にしたので、神話が習合されたと思われる。

そして、一書()一書曰是時素戔嗚尊下到於安藝國可愛之川上也彼處有神名曰脚摩手摩其妻名曰稻田宮主簀狹之八箇耳此神正在姙身夫妻共愁乃告素戔嗚尊曰我生兒雖多毎生輙有八岐大蛇来呑不得一存今吾且産恐亦見呑是以哀傷素戔嗚尊乃教之曰汝可以衆菓釀酒八甕吾當爲汝殺蛇二神隨教設酒至産時必彼大蛇當戸将呑兒焉素戔嗚尊勅蛇曰汝是可畏之神敢不饗乎乃 以八甕酒毎口沃入其蛇飲酒而睡素戔嗚尊拔剱斬之至斬尾時剱刃少缺割而視之則剱在尾中是號草薙剱此今在尾張國吾湯市村即熱田祝部所掌之神是也其斷蛇剱號曰蛇之麁正此今在石上也是後以稻田宮主簀狹之八箇耳生兒真髮觸奇稻田媛遷置於出雲國簸川上而長養焉然後素

 戔嗚尊以爲妃而所生兒之六世孫是曰大己貴命大己貴此云於褒婀娜武智」、【一書に、この時に、素戔嗚は、安藝國の可愛の川上に下り着いて、そこに神がいて名を脚摩手摩という。その妻の名を稻田宮主の簀狹之八箇耳という。この神が丁度妊娠していた。夫妻共に愁いて、素戔嗚に「私たちが生む子は多いと言っても、生むたび毎にすぐに八岐大蛇が来て呑んでしまう。自分達だけでは決めることが出来ない。今、私は産もうとしているが、恐らくはまた呑まれだろう。それで泣いています」と告げた。素戔嗚は、「お前たちの実ったものを使って酒を八の甕に醸造しなさい。

私はきっとお前たちの為に蛇を殺そう」と教えた。二神は教えのとおり酒を置いた。産時になって、やはり大蛇は、戸を叩いて兒を呑みに来た。素戔嗚は、蛇に「お前は尊い神だ。どうして饗応しないでいられようか」と言って、八の甕の酒を、口毎に注ぎ入れた。その蛇は、酒を飮んで眠ってしまった。素戔嗚尊は、劒を拔いて斬った。尾を斬る時に、劒の刃が少しき欠けたので、割いて視たら劒が尾の中に在った。これを草薙劒と名付けた。これは今、尾張國の吾湯市の村に在る。すなわち熱田の祝部の掌りまつる神がこれだ。その蛇を斷った劒を、蛇の麁正という。これは今、石上に在る。この後に、稻田宮主簀狹之八箇耳が生んだ子の眞髮觸奇稻田媛を、出雲國の簸の川上に遷し置いて、育て養った。そうした後に、素戔嗚尊は、妃として、生ませた子の六世の孫が、大己貴という。大己貴を「おほあなむち」という。】と訳した。

一書()もすでに、安芸の国で耳の官名を持ち、女王の国で、稲田の村は、「八」国が支配する出雲の支配地になったことを示し、安芸が大八国に属している時代の神話、かなり後代の神話で、官名が「主・耳」と『三国志』の「伊都國官曰爾支」、「馬國水行二十日官曰彌彌」の彌彌と爾支で、『三国志』と同時代で、『後漢書』の「其大倭王居邪馬臺國」と後漢時代は大八国が邪馬台国を支配していて良く合致し、後漢時代の安芸・出雲近辺の神話のようだ。


2021年8月9日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第七段8

  続けて、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「・・・素戔鳥尊白日吾(?)以更昇來者衆神處我以根國今當就去若不取姉相見終不能忍離故實以清心覆上來耳今則奉覲既訖當随衆神之意自此永歸根國請姉照臨天國可乎安坐且吾以清心(?)生兒等亦奉於姉而覆還降焉大日孁貴亦名天照太神亦名天照大日孁尊亦名大日孁尊可御髙天原也又可治髙天之原也又(?)知髙天原也月夜見尊亦名月讀尊亦名月弓尊可以配日血知天事也又可以治滄海原潮之八百重也又(?)知夜之食國也素戔烏尊 亦名神素戔烏尊亦云建素戔烏尊亦名速建素戔烏尊可以治滄海之原也又可治滄海之原也可治天下也<・・・天神本紀は地神本紀の後にする・・・>素戔烏尊與天照太神共爲誓約化生三之神羸津嶋姬命湍津嶋姫命市杵嶋姫命素戔烏尊所行無狀故八十万諸神料以千座置戶而遂逐矣素戔烏尊帥其子五十猛神降於新羅曽尸茂梨之處矣乃興言日此地吾不欲居遂以埴土作舩乗之東渡到于出雲國簛之河上安藝國可愛之河上所在鳥上峯矣」、【素戔烏が日の神に「私がまたやって来たのは、諸神が根の国へ行けというので、今から行こうとしている。もし姉に会わなかったら未練が残るので心の底から会いたくてまた遣って来ました。これが最後です。神々の意のままに、これからずっと根の国にいるから、どうか姉よ、天の上を治め、平安であるように。また私が穢れなく生んだ子供たちを、姉に捧げます」と言って帰り降った。大日孁貴、またの名を天照太神、またの名を天照大日孁、またの名を大日孁といい、高天原に居るべき、また治めるべきは高天の原、また高天原を治めている。月夜見、またの名を月読、またの名を月弓といい、日の神に従って天の上を治めている。また、青海原の潮の八百重を治めるべきだ。また、夜の食の国を治めている。素戔烏、またの名を神素戔烏、または建素戔烏、またの名を建速素戔烏、青海の原を治めるべき、また治めるべきは青海の原、天の下を治めている。<・・・地神本紀の後で・・・>素戔烏が、天照と共に誓いあって、生れた三柱は、瀛津嶋姫・湍津嶋姫・市杵嶋姫。素戔烏の行いはいいようがないほどで、八の十柱の万の諸神は、千日間の置戸での座罰を科して追放した。素戔烏は、子の五十猛を率いて、新羅の曽尸茂梨に天から降った。「この地に、居たくない」と不満を言った。ついに土で隙間を埋めて船を修理し、乗って東へ渡り、出雲国の簸川の川上で安芸国の可愛川の川上にある、鳥上の峰についた。】と訳した。

 前項に続けて、『大荒東經』の「大荒之中有山名曰孽搖頵羝上有扶木柱三百里其葉如芥」の「扶木」と「扶桑」が同一なのか結論付け出来ないが、絲があって桑が無いはずがなく、「有谷曰溫源谷湯谷上有扶木」と『海外東經』の「下有湯谷」とは大荒と太平洋の中の火山で、日本海の「黑齒」国と「雨師妾國」とに挟まれた国と別国で、『西次三經』にも「而西南流注于湯谷」とあり、「湯谷」は温泉が湧き出る場所を意味し、国名ではない。

そして、栽培を始めた人物が「神皇産霊」となっていて、「神皇産霊」は「神倭伊波礼毘古」や「神沼河耳命」の神と同じで、「神(み)」国の配下の「皇産霊」と日神で、『海外東經』の湯谷や黑齒國は火炎土器などが出土する地域の近辺の可能性が高い。

そして、新羅の曽尸茂梨説話は「御間城天皇之世額有角人乘一船泊于越國笥飯浦故號其處曰角鹿也問之曰何國人也對曰意富加羅國王之子名都怒我阿羅斯等」と崇神天皇の時に新羅の皇子が遣って来たが、新羅建国が紀元前57年の崇神天皇の時代で崇神朝時代・前漢時代は畿内が辰国と考えられ、良く合致し、垂仁朝に物部分王朝が琵琶湖東岸に出来て、これが秦国と考えられ、「新羅王子天日槍來歸」の天日槍の「近江國鏡谷陶人則天日槍之從人也」と従者がこの秦国の近江に住み、日槍の末裔は田道間守で田道間守は常世の国から橘を持ち帰り、日槍の説話が流用されて神話になった可能性が有る。


2021年8月6日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第七段7

  続けて、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「八百万神倶議歸罪過於素戔鳥尊而科之以千座置戸責其祓具則抜鬢殺爪以贖其罪矣覆以手爪爲手端之吉棄以足爪爲手端之凶棄物也覆以唾爲白和弊以?()爲青和幣乃使天兒屋命掌其解除之?()辞而定焉世人慎収巳爪者此其縁也諸神嘖素戔鳥尊日汝所行甚無頼故不可住於天上亦不可居於葦原中國宜急適於底根之國乃共遂降之時乞食物於御食都姫神矣大御食都姫神自鼻口尻取出種種味物種種樂具而奉進之時素戔鳥尊立伺其態爲穢而奉進因殺其大御食都姫神其(?)殺之神於身生物者於頭生蝅於二日生稻種於二耳生粟於鼻生小豆陰生麥於尻生大豆故是神皇産靈尊合取滋成種故(?)追避而降去午時霖也素戔鳥尊結束青草以爲笠蘘而乞宿於衆神云汝是躬行濁惡而見遂謫者如何乞宿於我遂同距之是以風雨雖甚不得留休而辛苦降矣自尓以降來世諱著笠蘘以入佗人屋内此其縁矣 覆諱負束草以入侘人家内有犯此諱者必債解除此太古之遺法也・・・」、【万神達は、素戔烏を「あなたの行いは、無法だ。だから、天の上に住めません。また、葦原の中国にも居れません。すぐに根の国へ行きなさい」と責め、追いやった。去るとき、食べ物を御食都姫にお願いした。大御食都姫が鼻や口、尻から様々な美味しい物を取り出して、いろいろな料理を出すとき、素戔烏はその様子を立ち見して、汚らしいものと思った。そのため、大御食都姫を殺してしまった。その殺された神の体から生まれ出た物は、頭には桑が、二つの目には稲の種が、二つの耳には粟が、鼻には小豆が、陰部には麦が、尻には大豆が生れた。そこで、神皇産霊は、これらを取らせて種とした。素戔烏は、青草を編んで笠蓑として身につけ、神々に宿を借りたいと言った。神々は「あなたは自分の行いが悪くて追われ責められている。どうして宿を我々に願えようか」と宿を断った。それで風雨がはなはだしいのに、休むことができず、苦労して降った。これ以後、世に笠蓑を着たまま、ひとの家の中に入るのを忌むようになった。また、束ねた草を背負って、ひとの家の中に入るのを忌むようになった。もしこれに反すると、必ずつぐなわされる。これは大昔からの遺法である。】と訳した。

この項は物部王朝の資料部分で、「御食都姫」は『古事記』の神武天皇の「若御毛沼」と同地域の人物で「わか」国の「みけ」で「若」国は若狭と考えられ、「若御毛沼」は若狭から難波・紀伊・熊野と移動したことになり、『舊事本紀』の神武天皇の「狭野」の出発地の熊野と関連を持つ。

ちなみに、中国以外で桑を記述する地域は『大荒北經』では「有三桑無枝」と枝が無いと記述され、『海外北經』も「三桑無枝・・・無枝」と養蚕のため枝を切ったのかもしれないが、『大荒南經』には「蜮民之國桑姓」と桑という氏族が記述されるが、「射蜮是食」と石蚕(いさご虫)を食べると記述されるので食用だったかもしれない。

この「蜮民之國」が『大荒南經』の国なので、伊勢・紀伊・四国・九州南部がその対象地域で、『舊事本紀』の神武天皇の「狭野」の関連性が有るのかもしれない。

そして、『海外東經』に「湯谷上有扶桑・・・在黑齒北」と記述され、桑とは異なるとの説が多いが、東北も入るかもしれないが、北海道や樺太以北に桑が有って、「湯谷」より北には「雨師妾國」・「玄股之國」・「毛民之國」・「勞民國」の4国を間に置くだけの『海外北經』の地域「三桑」や「歐絲」と桑や絹糸が有るのだから、扶桑は中国人が桑と類似していると考えても不思議ではない。

絹糸の絲は『海外東經』の「青丘國在其北其人食五穀衣絲帛」と「歐絲」が記述されるだけで、殷以前では、もちろん中国に桑が有るので蚕はいたと思われるが注に蚕食と食用の可能性が有り、日本が養蚕の先進地域だったようだ。

2021年8月4日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第七段6

  続けて、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「是八百万神共議而於速須佐之男命負千位置戸亦切鬢及手足爪令祓而神夜良比夜良比岐又食物乞大氣都比賣神尓大氣都比賣自鼻口及尻種々味物取出而種々作具而進時速須佐之男命立伺其態爲穢汚而奉進乃殺其大宜津比賣神故所殺神於身生物者於頭生蚕於二目生稲種於二耳生粟於鼻生小豆於陰生於麦尻生大豆故是神産巣日御祖命令取茲成種」、【そこで八の百柱の萬の神達に議って、速の須佐男に千位の間、戸の中に置くことにし、また鬚を切り、手足の爪も拔かせて、追い出した。また食物を大氣津比賣に願い望んだ。そこで大氣都比賣が、鼻・口及び尻から、種々の美味い物を取り出して、種々の料理を進めた時に、速の須佐男は、その態度を立ち見して、汚らわしいと思って、大宜津比賣を殺した。それで、殺された体から生れた物は、頭に桑が、二つの目に稻の種、二つの耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生れた。それで神産巣日の祖は、それを取って、種とした。】と訳した。

『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版の第七段3の後述とした「伊奘諾伊弉冉二尊相生火神迦具突智與土神埴安姫二神相生稚皇産靈命則頭生桑蝅臍中生五穀矣(?)保食神欤天照太神在於天上詔日聞葦原中國有保食神冝尓月夜尊就候月夜尊奉勑降到于保食神許保食神乃廻頭嚮國則自口出飯覆嚮海則鰭廣鰭狹亦自口出覆嚮山則毛麁毛(?)亦自口出夫品物悉貯之百机而饗是時月夜見尊忿然作色曰穢哉鄙矣寧可以口吐之物敢養我乎迺抜剱擊殺然後覆命具言其事時天照太神怒甚之日汝是(?)神不須相見乃與月夜見尊一日一夜隔離而住是後天照太神覆遣天熊人命見之時此神於頭化桑蝅於目化馬牛於(?)生黍粟於腹生稻種於臍尻生麥豆於隂下生小立麥則天熊大人悉取持去而奉進于時天照太神喜日是物者則顯見蒼生可食而活者也乃以粟稗麥豆爲陸田種子以種爲水田種子因定天邑君即以其稻種始殖于天狹田及長田其秋垂穎八握莫然氣甚快也覆口裏含爾無虫(?)使得抽絲自此而始有養蝅之道乃起絍織之業者也」、【伊奘諾・伊弉冉は、火神の迦具突智と、土神の埴安姫を生んだ。この火土の二神は、稚皇産霊を生んだ。稚皇産霊の頭には桑と蚕が生れ、臍の中には五種類の穀物が生れた。この神が、保食の神だろうか。天照が天に上って「葦原の中国に保食の神がいると聞く。月読よ、お前が行って見てきなさい」と言った。月読は、言いつけを受けて保食の神のもとへ降った。保食の神が、首を回して陸を向くと、口から飯が出てきた。また海を向くと、大小の魚が口から出てきた。また山に向くと、毛皮の動物たちが口から出てきた。そのいろいろな物をすべて揃えて、沢山の机にのせてもてなした。このとき、月読は憤然と血相を変えて「けがらわしい。いやらしい。口から吐き出した物を、私に食べさせようとするのか」と言って剣を抜いて、保食の神を撃ち殺した。その後、詳しくそのことを復命した。天照は、非常にお怒って「お前は悪い神だ。もうお前とは会いたくない」と言った。そこで、月読とは、昼と夜とに分かれて、離れて住んだ。この後、天照はまた、天の熊人を遣わして様子を見させた。保食神の頭には桑と蚕が、目には馬と牛が、胸には黍と粟が、腹には稲の種が、臍・尻には麦と豆が、陰部には小豆が生れていた。そこで天の熊人は、それをすべて取って持ち帰り献上した。それで、天照は喜んで「この物は人が生きていくのに必要な食べ物だ」と言った。そこで粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。天の邑君を決め、その稲種をはじめて天の狭田と長田に植えた。その秋には穂が垂れ、八握りもあるほどしなって、とてもよく実った。また、口の中に蚕の繭を含んで糸をひく方法を得た。これで養蚕が出来るようになり絹織の業が起こった。】と訳した。

『山海經 海外南經』、「六合之閒四海之内・・・神霊所生」すなわち、六合は玄界灘周辺で海内・海外・東荒・南荒の4つの海に挟まれた関門海峡・瀬戸内周辺を記述し最後に記述された『海外南經』の帝堯葬」を前提とした『山海經 海外東經』では「サ(+)丘・・・一曰嗟丘・・・在堯葬東」から始まり、「大人國在其北・・・坐而削船」と船を有する国で、中国本土はおろかここだけに船が出現し、他は『海内經』・『大荒北經』に舟と記述され、舟は丸木舟で、大人國の船は加工された構造船で、三方五湖周辺で船の出土がある。

その北に奢比之尸」、その北に「君子國在其北衣冠帶劍」、これは『続日本紀』に「海東有大倭國謂之君子國」の元ネタ、その北に「グ(+)(+)」、 その北に朝陽之谷・・・八首人面,八足八尾」、これは、八俣大蛇の描写と同じ、その北に「青丘國在其北其人食五穀衣絲帛」とあり、絲すなわち糸は『海外北經』「歐絲之野」と「青丘國」のみ、「帛」すなわち絹は青丘國」のみに記述される。

そして、その北に「豎亥」、さらに、その北に黑齒國在其北為人黑食稻啖蛇」と米を食べ、その稻を記述する国は中国以外では黑齒國」だけで、「大氣都比賣」すなわち『山海經』的に記述すれば「大人國」が支配する「女子國」がこの地域から得たと考えられ、『古事記』では「神産巣日」と「日」神が栽培した。

五穀」は一般的に「米・麦・粟・黍・豆」で舊事本紀』には全て、『古事記』には黍が無いが、米は含まれ、黍は大荒北・東・南全てで記述され、『古事記』の神武建国時には既に栽培されていたことを示し、『日本書紀』の神話を書いた建国時は既に5穀すべて食していたことを示している。

舊事本紀』では「熊人」がこれを栽培しており、『大荒東經』「有中容之國東北海外」、大荒南經』「有臷民之國・・・食穀・・・百穀所聚」・「有小人曰焦僥之國幾姓嘉穀是食」・「有小人名曰菌人・・・百穀所在」と穀物を中国以外で栽培する地域があり、日本列島の東岸および南岸が含まれ、「小人」は「土蜘蛛」で、神武東征で大和に、景行の熊襲征伐で出現し、よく対応している。

大荒東經』には「大人之國」・「君子之國」・「青丘之國」・「黑齒之國」も記述され『大荒東經』の海內有兩人名曰女丑」と黄海に接続して、『後漢書』の「自女王國東度海千餘里至拘奴國」に隣接し、日本海から瀬戸内や太平洋まで広がる、少なくとも通行する道をもった国があり「熊人」は「稚皇産霊」すなわち「わか」(若狭)国の「日」神から種を得て、神話的には、日本は稲を船で中国から持って来て、北陸の縄文土器の中心と思われる黒歯国から全国に広まったと記述している。

すなわち、この舊事本紀』の説話は「拘奴國」の説話が元となり、『古事記』に記述されないのだから、『古事記』記述後に蘇我氏の母系の、『後漢書』の「拘奴國」の熊襲の地域の説話を持っていたと考えられる。


2021年8月2日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第七段5

  続けて、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「此種々物者布刀玉命布刀御幣登取持而天兒屋命布刀詔戸言祷白而天手力男神隠立戸掖而天宇受賣命手次繋天香山之天之日影而爲縄(?縵)天之真析而手草結天香山之小竹葉而於天之石屋戸伏汗氣而蹈登杼呂許志爲神懸而掛出胸乳裳緒忍垂於番登也尓高天原動而八百万神共咲於是天照大御神以爲恠細開天石屋戸而内告者因吾隠坐而以爲天原自闇亦葦原中國皆闇矣何由以天宇受賣者爲樂亦八百万神諸咲尓天宇受賣白言益汝命而貴神坐故歓喜咲樂如此言之間天兒屋命布刀玉命指出其鏡尓(?示)奉天照大御神之時天照大御神逾思奇而稍自戸出而臨坐之時其所隠立之天手力男神所(?取)其御手引出即布刀玉命以尻久米繩控度其御後方白言從此以内不得還入故天照大御神出坐之時高天原及葦原中國自得照明於」、【この種々の物は、布刀玉布刀御幣と一緒に持ち、天兒屋が布刀詔戸を祈禱して、天の手力男が戸の脇に隱れ立って、天宇受賣が天の香山の天の日影を襷掛けして、天の眞拆の蔓を結んで手草として、天の香山の笹の葉を手草の為に結び天の石屋戸で汗を流して足を踏み込んだ音が鳴り響き、神懸って、乳房剥き出して腰紐を陰部に垂らして押し込んだ。ここで高天の原がどよめいて、八の百柱の萬神達が大笑いした。これを天照は、変に思い、天の石屋戸を細めに開いて、中から「私が隠れているので、天の原は当然闇く、また葦原中國も皆闇いと思うのだが、どうして、天の宇受賣が楽しそうで、また八の百柱の萬の神も一緒に笑っている。」と言った。そこで天の宇受賣は、「貴方よりもっと貴い神がいる。だから、歡喜し咲って樂しんでいる。」と言った。この様なこと言っている隙に、天の兒屋・布刀玉がその鏡を差し出して、天照に示した時、天照は、益々奇妙に思い、少しだけ戸から出て臨み見た時に、その隱れて立っていた天の手力男が、その手を取って引き出し、それで、布刀玉が、しめ縄をその後方に引き渡して「これで中に帰れない。」と言った。それで、天照は出できた時、高天の原も葦原のなか國も、自然と日が照り明るくなった。】と訳した。

続けて、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「覆令中臣祖天兒屋命忌部祖天太玉命而内秡天香山之真牡鹿之肩祓而取天香山之天波波迦而令占矣覆令手力雄命隠侍窟戸之棭矣覆令天太玉命捧持褠辞白亦令天兒屋命相副祈啓矣覆天太玉命以廣厚称詞啓日吾之(?)持寶鏡明麗恰汝命之開戸而御覽焉仍天太玉命天兒屋根命共致其祈祷之時矣覆天鈿賣命以天香山之真坂樹爲蘰以天香山之天日蘿懸爲手繦矣覆天鈿賣命手繦繋天香山之天蘿而以天香山之真坂樹爲蘰以天香山之少竹葉爲手草手持著鐸之矛立天石窟之前擧庭燎巧作俳優火處焼覆槽置而蹋登杼作許斯顯神明之憑談而?()乳裳緒押?(+)於番登之時髙天原動而八百万神倶咲之時天照太神中心獨謂比吾幽居天下皆闇葦原中國必爲長夜而何由天鈿賣命?()樂如此八百万神諸咲以爲音恠細開窟戸問爲如此天鈿賣荅日汝尊至貴神坐故觀喜咲樂如此言矣天太命天兒屋命私出其鏡奉樂天照太神之時天照太神逾思奇而?()細開磐戸而窺之命手力雄神奉承其御手引而奉出引啓其扉迁座新殿則天兒屋命天太王命以因御綱縄廻懸其御後界以端出之左縄矣覆令大宮賣神侍於御前天太玉命久志備(?)生之神如今女内侍善言美詞和者臣問令宸襟恱懌焉覆令豊磐間戸命櫛磐間戸命二神守衛殿門並天太玉合之子也天照太神從天窟出坐之時髙天原及葦原中國自得照明矣當斯之時天初晴謂阿波禮言天晴也阿那於茂斯侶古語事之甚切皆穪阿那言衆面明白阿那 ?(絶阝+)能斯言伸手而舞合掯樂事謂之太乃之此意阿那佐夜?(憇 舌++)竹葉聲也?()?(憇 舌++)本名欤」、【また、中臣の祖の天児屋と忌部の祖の天太玉に、天の香山の牝鹿の肩の骨を抜きとり、天の香山の波波迦で占わせた。また、手力雄に、岩戸のわきに隠れさせた。また、天の太玉に褠を持たせて、天照の徳をたたえた。また、天児屋も一緒に祈らせた。また、天の太玉が広く厚く徳をたたえた。「私が持っている宝鏡の明るく麗しいことは、まるであなたのようだ。戸をあけてみて」と言い、そこで、天の太玉と天の児屋根は、共にその祈祷をした。このとき、天の鈿売は、天の香山の真坂樹を髪に纏い、天の香山の天の日蘿懸を襷にした。また、天の鈿売は天の香山の天の日蘿を襷に掛け、天の香山の真坂樹を髪に纏い、天の香山の笹の葉を手草として、鐸をつけた矛を持って、天の岩戸の前に立ち、焚火を焚いて巧みに踊った。火を焚いて、桶を伏せて踏み鳴らし、神がかったように乳に語りかけ、裳の紐を陰部に押しあてると、高天原に響き渡るように八の百の万神がいっせいに笑った。天照はふしぎに思い「私が籠っているから、天下は全て暗闇で、葦原の中国はきっと長い夜のはずなのに、どうして天の鈿売は大喜びで、八の百の万神も笑っているのだろう」と言い、あやしんで、岩戸をわずかに開いて、わけを聞いた。天の鈿売が「あなたよりも、とても尊い神がいるので、喜び笑っています」と答えた。天に太玉と天の児屋が鏡をそっと差し出して、天照に見せると、天照はますますふしぎに思い、もう少し岩戸をあけて、これを見た。そのとき手力雄に、天照の手をとって引き出させ、扉を引きあけ、新殿に移した。そこで、天の児屋と天の太玉は、日の綱縄を、その後ろを境に掛けて、しめ縄にした。また、大宮売を、天照の前に待機させ、これは、天の太玉が神のおつげで考え、今の女官内侍が家臣の言葉を思いやって心地よく伝え、帝の心を喜ばせるようなものである。また、豊の磐間戸と櫛磐間戸に、御殿の門を守らせた。この二神はともに天の太玉の子だ。天照が天の岩屋から出たので、高天原と葦原の中国は、日が照り明るくなった。そのときに、天がはじめて晴れた。「アハレ」の意味は、天が晴れるということだ。「アナオモシロ」は、古語で最高潮に達したことを、皆は「アナ」といい、人々の顔が明るく白くなったため「オモシロ」という。「アナタノシ」は、手を伸ばして舞うことだ。今、楽しいことを指して、「タノシ」というのはこの意味だ。「アナサヤケ」は、笹の葉が「ササ」と鳴るのが由来だ。】と訳した。

中臣氏は『古事記』ではこの項だけ、『日本書紀』ではこの項と神武東征時に「勅以菟狹津媛賜妻之於侍臣天種子命」と「菟狹國造祖」と姻戚になったことと、垂仁天皇の時に「五大夫」・「中臣連祖探湯主而卜之誰人以令祭大倭大神」・仲哀天皇崩時に「領百寮令守宮中竊收天皇之屍」・「喚中臣烏賊津使主爲審神者」・允恭天皇の時に「皇后所進之娘子弟姫」と弟姫を天皇の妃に迎え入れたと記載される。

これは、『古事記』では取り上げてもらえなかったことから、葛城氏の神武東征で平郡氏と共に活躍し、菟狹津彦は390年頃に国造を拝命し、巨勢氏とは敵対して物部氏側についたと考えられる。

中臣氏は『舊事本紀』では『日本書紀』を継承して葛城氏の神武東征説話の「莵狭津彦」との姻戚に加えて、「掌祠祀之儀」、 仲哀天皇崩時に天皇崩御を隠した記載も、守屋とともに仏教排斥を行ったことによる絆で記述されたと考えられる。

それに対して、「忌部氏」は『日本書紀』・『古事記』にはこの項目部分にしか記述されないにもかかわらず、『舊事本紀』では神武天皇の「御殿造供奉」と皇居を造り、「天璽劔奉於正安殿」天皇の爾を奉納し、物部氏の神武天皇と行動を共にし、忌部氏 の領地が「忌部(?)居紀伊國名御本(?)麁香二鄉」と紀伊で、物部氏の神武天皇が「日本磐余彦天皇・・・即少年時号狭野尊」と出発したのは熊野からで、物部氏との結び付きがうかがえる。

そして、『古事記』は鏡のみで、鐸が記述されず、会話の中になか国が記述され、『舊事本紀』は鏡と鐸が記述され、会話になか国が記載されず、『舊事本紀』の高天原は銅鐸が多く出土する琵琶湖南部から淀川沿いの地域の神話で、前2世紀以降の神話と考えられる。