続けて、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「是八百万神共議而於速須佐之男命負千位置戸亦切鬢及手足爪令祓而神夜良比夜良比岐又食物乞大氣都比賣神尓大氣都比賣自鼻口及尻種々味物取出而種々作具而進時速須佐之男命立伺其態爲穢汚而奉進乃殺其大宜津比賣神故所殺神於身生物者於頭生蚕於二目生稲種於二耳生粟於鼻生小豆於陰生於麦尻生大豆故是神産巣日御祖命令取茲成種」、【そこで八の百柱の萬の神達に議って、速の須佐男に千位の間、戸の中に置くことにし、また鬚を切り、手足の爪も拔かせて、追い出した。また食物を大氣津比賣に願い望んだ。そこで大氣都比賣が、鼻・口及び尻から、種々の美味い物を取り出して、種々の料理を進めた時に、速の須佐男は、その態度を立ち見して、汚らわしいと思って、大宜津比賣を殺した。それで、殺された体から生れた物は、頭に桑が、二つの目に稻の種、二つの耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生れた。それで神産巣日の祖は、それを取って、種とした。】と訳した。
『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版の第七段3の後述とした「伊奘諾伊弉冉二尊相生火神迦具突智與土神埴安姫二神相生稚皇産靈命則頭生桑蝅臍中生五穀矣(?盖)保食神欤天照太神在於天上詔日聞葦原中國有保食神冝尓月夜尊就候月夜尊奉勑降到于保食神許保食神乃廻頭嚮國則自口出飯覆嚮海則鰭廣鰭狹亦自口出覆嚮山則毛麁毛(?柔)亦自口出夫品物悉貯之百机而饗是時月夜見尊忿然作色曰穢哉鄙矣寧可以口吐之物敢養我乎迺抜剱擊殺然後覆命具言其事時天照太神怒甚之日汝是(?悪)神不須相見乃與月夜見尊一日一夜隔離而住是後天照太神覆遣天熊人命見之時此神於頭化桑蝅於目化馬牛於(?胸)生黍粟於腹生稻種於臍尻生麥豆於隂下生小立麥則天熊大人悉取持去而奉進于時天照太神喜日是物者則顯見蒼生可食而活者也乃以粟稗麥豆爲陸田種子以種爲水田種子因定天邑君即以其稻種始殖于天狹田及長田其秋垂穎八握莫然氣甚快也覆口裏含爾無虫(?繭)使得抽絲自此而始有養蝅之道乃起絍織之業者也」、【伊奘諾・伊弉冉は、火神の迦具突智と、土神の埴安姫を生んだ。この火土の二神は、稚皇産霊を生んだ。稚皇産霊の頭には桑と蚕が生れ、臍の中には五種類の穀物が生れた。この神が、保食の神だろうか。天照が天に上って「葦原の中国に保食の神がいると聞く。月読よ、お前が行って見てきなさい」と言った。月読は、言いつけを受けて保食の神のもとへ降った。保食の神が、首を回して陸を向くと、口から飯が出てきた。また海を向くと、大小の魚が口から出てきた。また山に向くと、毛皮の動物たちが口から出てきた。そのいろいろな物をすべて揃えて、沢山の机にのせてもてなした。このとき、月読は憤然と血相を変えて「けがらわしい。いやらしい。口から吐き出した物を、私に食べさせようとするのか」と言って剣を抜いて、保食の神を撃ち殺した。その後、詳しくそのことを復命した。天照は、非常にお怒って「お前は悪い神だ。もうお前とは会いたくない」と言った。そこで、月読とは、昼と夜とに分かれて、離れて住んだ。この後、天照はまた、天の熊人を遣わして様子を見させた。保食神の頭には桑と蚕が、目には馬と牛が、胸には黍と粟が、腹には稲の種が、臍・尻には麦と豆が、陰部には小豆が生れていた。そこで天の熊人は、それをすべて取って持ち帰り献上した。それで、天照は喜んで「この物は人が生きていくのに必要な食べ物だ」と言った。そこで粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。天の邑君を決め、その稲種をはじめて天の狭田と長田に植えた。その秋には穂が垂れ、八握りもあるほどしなって、とてもよく実った。また、口の中に蚕の繭を含んで糸をひく方法を得た。これで養蚕が出来るようになり絹織の業が起こった。】と訳した。
『山海經 海外南經』、「六合之閒四海之内・・・神霊所生」すなわち、六合は玄界灘周辺で海内・海外・東荒・南荒の4つの海に挟まれた関門海峡・瀬戸内周辺を記述し最後に記述された『海外南經』の「帝堯葬」を前提とした『山海經 海外東經』では「サ(長+差)丘・・・一曰嗟丘・・・在堯葬東」から始まり、「大人國在其北・・・坐而削船」と船を有する国で、中国本土はおろかここだけに船が出現し、他は『海内經』・『大荒北經』に舟と記述され、舟は丸木舟で、大人國の船は加工された構造船で、三方五湖周辺で船の出土がある。
その北に「奢比之尸」、その北に「君子國在其北衣冠帶劍」、これは『続日本紀』に「海東有大倭國謂之君子國」の元ネタ、その北に「グ(エ+虫)グ(エ+虫)」、 その北に「朝陽之谷・・・八首人面,八足八尾」、これは、八俣大蛇の描写と同じ、その北に「青丘國在其北其人食五穀衣絲帛」とあり、絲すなわち糸は『海外北經』「歐絲之野」と「青丘國」のみ、「帛」すなわち絹は「青丘國」のみに記述される。
そして、その北に「豎亥」、さらに、その北に「黑齒國在其北為人黑食稻啖蛇」と米を食べ、その稻を記述する国は中国以外では「黑齒國」だけで、「大氣都比賣」すなわち『山海經』的に記述すれば「大人國」が支配する「女子國」がこの地域から得たと考えられ、『古事記』では「神産巣日」と「日」神が栽培した。
「五穀」は一般的に「米・麦・粟・黍・豆」で『舊事本紀』には全て、『古事記』には黍が無いが、米は含まれ、黍は大荒北・東・南全てで記述され、『古事記』の神武建国時には既に栽培されていたことを示し、『日本書紀』の神話を書いた建国時は既に5穀すべて食していたことを示している。
『舊事本紀』では「熊人」がこれを栽培しており、『大荒東經』「有中容之國東北海外」、『大荒南經』「有臷民之國・・・食穀・・・百穀所聚」・「有小人曰焦僥之國幾姓嘉穀是食」・「有小人名曰菌人・・・百穀所在」と穀物を中国以外で栽培する地域があり、日本列島の東岸および南岸が含まれ、「小人」は「土蜘蛛」で、神武東征で大和に、景行の熊襲征伐で出現し、よく対応している。
『大荒東經』には「大人之國」・「君子之國」・「青丘之國」・「黑齒之國」も記述され『大荒東經』の「海內有兩人名曰女丑」と黄海に接続して、『後漢書』の「自女王國東度海千餘里至拘奴國」に隣接し、日本海から瀬戸内や太平洋まで広がる、少なくとも通行する道をもった国があり、「熊人」は「稚皇産霊」すなわち「わか」(若狭)国の「日」神から種を得て、神話的には、日本は稲を船で中国から持って来て、北陸の縄文土器の中心と思われる黒歯国から全国に広まったと記述している。
すなわち、この『舊事本紀』の説話は「拘奴國」の説話が元となり、『古事記』に記述されないのだから、『古事記』記述後に蘇我氏の母系の、『後漢書』の「拘奴國」の熊襲の地域の説話を持っていたと考えられる。
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