2021年8月2日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第七段5

  続けて、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「此種々物者布刀玉命布刀御幣登取持而天兒屋命布刀詔戸言祷白而天手力男神隠立戸掖而天宇受賣命手次繋天香山之天之日影而爲縄(?縵)天之真析而手草結天香山之小竹葉而於天之石屋戸伏汗氣而蹈登杼呂許志爲神懸而掛出胸乳裳緒忍垂於番登也尓高天原動而八百万神共咲於是天照大御神以爲恠細開天石屋戸而内告者因吾隠坐而以爲天原自闇亦葦原中國皆闇矣何由以天宇受賣者爲樂亦八百万神諸咲尓天宇受賣白言益汝命而貴神坐故歓喜咲樂如此言之間天兒屋命布刀玉命指出其鏡尓(?示)奉天照大御神之時天照大御神逾思奇而稍自戸出而臨坐之時其所隠立之天手力男神所(?取)其御手引出即布刀玉命以尻久米繩控度其御後方白言從此以内不得還入故天照大御神出坐之時高天原及葦原中國自得照明於」、【この種々の物は、布刀玉布刀御幣と一緒に持ち、天兒屋が布刀詔戸を祈禱して、天の手力男が戸の脇に隱れ立って、天宇受賣が天の香山の天の日影を襷掛けして、天の眞拆の蔓を結んで手草として、天の香山の笹の葉を手草の為に結び天の石屋戸で汗を流して足を踏み込んだ音が鳴り響き、神懸って、乳房剥き出して腰紐を陰部に垂らして押し込んだ。ここで高天の原がどよめいて、八の百柱の萬神達が大笑いした。これを天照は、変に思い、天の石屋戸を細めに開いて、中から「私が隠れているので、天の原は当然闇く、また葦原中國も皆闇いと思うのだが、どうして、天の宇受賣が楽しそうで、また八の百柱の萬の神も一緒に笑っている。」と言った。そこで天の宇受賣は、「貴方よりもっと貴い神がいる。だから、歡喜し咲って樂しんでいる。」と言った。この様なこと言っている隙に、天の兒屋・布刀玉がその鏡を差し出して、天照に示した時、天照は、益々奇妙に思い、少しだけ戸から出て臨み見た時に、その隱れて立っていた天の手力男が、その手を取って引き出し、それで、布刀玉が、しめ縄をその後方に引き渡して「これで中に帰れない。」と言った。それで、天照は出できた時、高天の原も葦原のなか國も、自然と日が照り明るくなった。】と訳した。

続けて、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「覆令中臣祖天兒屋命忌部祖天太玉命而内秡天香山之真牡鹿之肩祓而取天香山之天波波迦而令占矣覆令手力雄命隠侍窟戸之棭矣覆令天太玉命捧持褠辞白亦令天兒屋命相副祈啓矣覆天太玉命以廣厚称詞啓日吾之(?)持寶鏡明麗恰汝命之開戸而御覽焉仍天太玉命天兒屋根命共致其祈祷之時矣覆天鈿賣命以天香山之真坂樹爲蘰以天香山之天日蘿懸爲手繦矣覆天鈿賣命手繦繋天香山之天蘿而以天香山之真坂樹爲蘰以天香山之少竹葉爲手草手持著鐸之矛立天石窟之前擧庭燎巧作俳優火處焼覆槽置而蹋登杼作許斯顯神明之憑談而?()乳裳緒押?(+)於番登之時髙天原動而八百万神倶咲之時天照太神中心獨謂比吾幽居天下皆闇葦原中國必爲長夜而何由天鈿賣命?()樂如此八百万神諸咲以爲音恠細開窟戸問爲如此天鈿賣荅日汝尊至貴神坐故觀喜咲樂如此言矣天太命天兒屋命私出其鏡奉樂天照太神之時天照太神逾思奇而?()細開磐戸而窺之命手力雄神奉承其御手引而奉出引啓其扉迁座新殿則天兒屋命天太王命以因御綱縄廻懸其御後界以端出之左縄矣覆令大宮賣神侍於御前天太玉命久志備(?)生之神如今女内侍善言美詞和者臣問令宸襟恱懌焉覆令豊磐間戸命櫛磐間戸命二神守衛殿門並天太玉合之子也天照太神從天窟出坐之時髙天原及葦原中國自得照明矣當斯之時天初晴謂阿波禮言天晴也阿那於茂斯侶古語事之甚切皆穪阿那言衆面明白阿那 ?(絶阝+)能斯言伸手而舞合掯樂事謂之太乃之此意阿那佐夜?(憇 舌++)竹葉聲也?()?(憇 舌++)本名欤」、【また、中臣の祖の天児屋と忌部の祖の天太玉に、天の香山の牝鹿の肩の骨を抜きとり、天の香山の波波迦で占わせた。また、手力雄に、岩戸のわきに隠れさせた。また、天の太玉に褠を持たせて、天照の徳をたたえた。また、天児屋も一緒に祈らせた。また、天の太玉が広く厚く徳をたたえた。「私が持っている宝鏡の明るく麗しいことは、まるであなたのようだ。戸をあけてみて」と言い、そこで、天の太玉と天の児屋根は、共にその祈祷をした。このとき、天の鈿売は、天の香山の真坂樹を髪に纏い、天の香山の天の日蘿懸を襷にした。また、天の鈿売は天の香山の天の日蘿を襷に掛け、天の香山の真坂樹を髪に纏い、天の香山の笹の葉を手草として、鐸をつけた矛を持って、天の岩戸の前に立ち、焚火を焚いて巧みに踊った。火を焚いて、桶を伏せて踏み鳴らし、神がかったように乳に語りかけ、裳の紐を陰部に押しあてると、高天原に響き渡るように八の百の万神がいっせいに笑った。天照はふしぎに思い「私が籠っているから、天下は全て暗闇で、葦原の中国はきっと長い夜のはずなのに、どうして天の鈿売は大喜びで、八の百の万神も笑っているのだろう」と言い、あやしんで、岩戸をわずかに開いて、わけを聞いた。天の鈿売が「あなたよりも、とても尊い神がいるので、喜び笑っています」と答えた。天に太玉と天の児屋が鏡をそっと差し出して、天照に見せると、天照はますますふしぎに思い、もう少し岩戸をあけて、これを見た。そのとき手力雄に、天照の手をとって引き出させ、扉を引きあけ、新殿に移した。そこで、天の児屋と天の太玉は、日の綱縄を、その後ろを境に掛けて、しめ縄にした。また、大宮売を、天照の前に待機させ、これは、天の太玉が神のおつげで考え、今の女官内侍が家臣の言葉を思いやって心地よく伝え、帝の心を喜ばせるようなものである。また、豊の磐間戸と櫛磐間戸に、御殿の門を守らせた。この二神はともに天の太玉の子だ。天照が天の岩屋から出たので、高天原と葦原の中国は、日が照り明るくなった。そのときに、天がはじめて晴れた。「アハレ」の意味は、天が晴れるということだ。「アナオモシロ」は、古語で最高潮に達したことを、皆は「アナ」といい、人々の顔が明るく白くなったため「オモシロ」という。「アナタノシ」は、手を伸ばして舞うことだ。今、楽しいことを指して、「タノシ」というのはこの意味だ。「アナサヤケ」は、笹の葉が「ササ」と鳴るのが由来だ。】と訳した。

中臣氏は『古事記』ではこの項だけ、『日本書紀』ではこの項と神武東征時に「勅以菟狹津媛賜妻之於侍臣天種子命」と「菟狹國造祖」と姻戚になったことと、垂仁天皇の時に「五大夫」・「中臣連祖探湯主而卜之誰人以令祭大倭大神」・仲哀天皇崩時に「領百寮令守宮中竊收天皇之屍」・「喚中臣烏賊津使主爲審神者」・允恭天皇の時に「皇后所進之娘子弟姫」と弟姫を天皇の妃に迎え入れたと記載される。

これは、『古事記』では取り上げてもらえなかったことから、葛城氏の神武東征で平郡氏と共に活躍し、菟狹津彦は390年頃に国造を拝命し、巨勢氏とは敵対して物部氏側についたと考えられる。

中臣氏は『舊事本紀』では『日本書紀』を継承して葛城氏の神武東征説話の「莵狭津彦」との姻戚に加えて、「掌祠祀之儀」、 仲哀天皇崩時に天皇崩御を隠した記載も、守屋とともに仏教排斥を行ったことによる絆で記述されたと考えられる。

それに対して、「忌部氏」は『日本書紀』・『古事記』にはこの項目部分にしか記述されないにもかかわらず、『舊事本紀』では神武天皇の「御殿造供奉」と皇居を造り、「天璽劔奉於正安殿」天皇の爾を奉納し、物部氏の神武天皇と行動を共にし、忌部氏 の領地が「忌部(?)居紀伊國名御本(?)麁香二鄉」と紀伊で、物部氏の神武天皇が「日本磐余彦天皇・・・即少年時号狭野尊」と出発したのは熊野からで、物部氏との結び付きがうかがえる。

そして、『古事記』は鏡のみで、鐸が記述されず、会話の中になか国が記述され、『舊事本紀』は鏡と鐸が記述され、会話になか国が記載されず、『舊事本紀』の高天原は銅鐸が多く出土する琵琶湖南部から淀川沿いの地域の神話で、前2世紀以降の神話と考えられる。

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