2021年8月27日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段6

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・故大國主神坐出雲之御大之御前時自波穂乗天之羅摩舩而内剥鵝皮爲衣服有歸來神尓雖問其名不荅且雖問所從之諸神皆白不知尓多迩旦久白言此者久延毗古問時荅白此者神產巢日神之御子少名毗古那神故尓自上於神産巣日御祖命者荅告此者實我子也於子之中自我手俣久岐斯子也故與汝葦原色許男命爲兄弟而作堅其國故自尓大穴牟遅與少名毗古那二柱神相並作堅此國然後者其少名毘古那神者度于常世國也故顯白其少名毘古那神所謂久延毘古者於今者山田之首富騰者也此神者足雖不行盡知天下之事神也於是大國主神愁而告吾獨何能得作此國塾(敦)神與吾能相作此國耶是時而有光海依來之神其神言能治我前者吾能共與相作成若不然者國難成尓大國主神曰然者治奉之状奈何荅言吾者伊都岐奉于倭之青垣東山上此者坐御諸山上神也故其大年神娶神活須毘神之女伊怒比賣生子大國御魂神次韓神次曽富理神次白日神次聖神(五神)又娶香用比賣生子大香山戸臣神次年御神又娶天知迦流美豆比賣生子奥津日子神次奥津比賣命亦名大戸比賣神此者諸人以拝竃神者也次大山上咋神亦名山末之大主神此神者坐近淡海國之日枝山亦坐葛野之松尾用鳴鏑神者也次庭津日神次阿須波神次波比岐神次香山戸臣神次羽山戸神次庭高津日神次大土神亦名土之御祖神九神上件大年神之子自大國御魂神以下大土神以前并十六神羽山戸神娶大氣都比賣神生子若山咋神次若年神次妹若沙那賣神次弥豆麻岐神次夏高津日神亦名夏之賣神次秋毗賣神次久久年神次久久汜若室葛根神上件羽山之子以下若室葛根以前并八神」、【それで、大國主は、出雲の御大の御前にいる時、波の穗から天のよく磨いた船に乗って、鵝の皮を剥ぎ衣服にして、帰って来る神がいた。それでその名を問うても答えず、また従者の諸神に問わせたが、皆「知らない。」と言った。そこで多迩具久が「これは久延毘古がきっと知っている。」と言うので、久延毘古を召して問うた時、「これは神産巣日の子、少名毘古那だ。」と答えた。それで神産巣日の祖に言ったら、答えて、「これは本当に我が子だ。子の中に、我が手の俣から零れ落ちた子だ。それで、お前葦原色許男の兄弟となって、その國を作り堅めなさい。」と告げた。それで、大穴牟遲と少名毘古那の二柱が一緒に、この國を作り堅めた。その後は、その少名毘古那は、常世の國に渡った。それで、その少名毘古那を言い表した久延毘古は、今は山田の曾富騰という。この神は、出向かないが、のこらず天下の事を治めている神だ。そこで大國主は、愁えて、「私は一人でどうやってこの國を作り上げればよいのだ。誰かと一緒に、この國を作りたい。」と言った。この時に海をてらして遣って来る神がいた。その神が、「お前が治めるなら、私が一緒に作ろう。もしそうでなかったら國は成り難い。」と言った。そこで大國主は、「それならどのように治めなさる。」と言うと、「私を倭の青垣の東の山の上に祀りなさい。」と答えた。これが御諸山の上に鎮座する神だ。それで、その大年神は、神活須毘の娘の、伊怒比賣を娶って生んだ子は、大國魂神。次に韓神。次に曾富理神。次に白日神。次に聖神の五神、又、香用比賣を娶って生んだ子は、大香山戸臣神。次に御年神の二柱、又、天の知迦流美豆比賣を娶って生んだ子は、奧津日子。次に奧津比賣、またの名は大戸比賣。これは皆が拜む竃神だ。次に大山咋、またの名は山末之大主。この神は近淡海國の日枝の山にいて、また葛野の松の尾にいて、鳴り鏑をもつ神だ。次に庭津日。次に阿須波神。次に波比岐神。次に香山戸臣。次に羽山戸神。次に庭高津日。次に大土、またの名は土之御祖の九神。上の件の大年神の子は、大國御魂神以下、大土以前は併せて十六神だ。羽山戸神が、大氣都比賣を娶って生んだ子は、若山咋。次に若年神。次に妹若沙那賣神。次に彌豆麻岐神。次に夏高津日、またの名は夏之賣神。次に秋毘賣。次に久久年神。次に久久紀若室葛根。】と訳した。 

『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は第八段6に続けて「・・・大巳貴神之平國矣行到於出雲國之御大御前而且當飲食之時海上忽有聲乃驚而求之都無所見于時自浪穂乗天羅摩舩而有一箇小男以白蘞皮爲舩以鷦鷯羽爲衣亦國剥鵝皮制爲衣服隨潮水以浮到于大巳貴命所而取置掌中而翫之則跳囓其頰乃恠其物色尓雖問其名不荅且雖問所従諸神皆爲不知尓多迩且久白言世者久延彦必知之即之久延彦問時荅日此者神皇産靈神之御子少彦名那神故尓白上於天神之時髙皇産靈尊聞之日吾所産兒凡有一千五百座其中一兒最惡不順教養自指間漏落者必彼矣故與汝葦原色男爲兄弟冝愛養矣即是少彦名彦命是也其顯白少彦名神所謂久延彦者於今者山田之曽冨騰者也此神雖不行而盡知天下之神者也大巳貴神與少彦名神勠力一心經營天下矣覆爲顯見蒼生及畜産則定其療病之方也是以百姓至今咸蒙恩頼者矣大巳貴命謂少彦名命日吾等所造之國矣豈謂善成乎少彦名命對日或有所成或有不成所是談之盖有幽深之致矣于其後少彦名命行到熊野之御碕遂適於常世國矣亦云至淡嶋而後粟莖者則彈渡而至常世郷矣大巳貴命初與少彦名命二柱神坐於葦原中國如水母浮漂之時爲造号成巳訖少彦名命渡常世後國中所未成者大巳貴命獨能巡造矣・・・」とほゞ『古事記』とおなじである。

三諸山の神は大物主若しくは大三輪神と記述すべきだが、記述せず、『舊事本記』では大己貴が大三輪神で物部氏の神話が基となっているようで、大己貴は大国主と同じ前提なのだから、共に国を治めては矛盾してしまうので、記述できなかったと思われる。

少名毘古那は雄略天皇の時代より後に朝廷で活躍した人物の先祖と考えられ、『古事記』を記述した巨勢氏にとって最大の貢献者の播磨國司山部連先祖伊與來目部小楯の先祖の可能性が高く、來目部は道臣の配下で伊予は道後・道前などが有り道国の可能性が高く、出会った明石と伊予の間には吉備があり、吉備は『日本書記』に「吉備子洲」とあるように小国と考えられ、小を少と記述して小国の「名日子」神(那は「日」と同じく地名が神)と考えると理に適う。

道臣は日臣とも呼ばれていて、九州の日国の王だったようで、白日神か聖(日後)神の子孫が道臣なのだろう。

また、大氣都比賣の子が「若山咋・若年神・・・・夏之賣神」と記述されるが、大氣都比賣は和迩臣の遠祖の姥津の妹の姥津姫と同名で、姥津姫の子が日子坐王その子が水穗眞若王で、近淡海の安直の祖と近江を支配する人物、兄弟に、丹波比古多多須美知能宇斯王がいて、崇神天皇や垂仁天皇の皇后となる家系、他の兄弟の山代之大筒木眞若王は神功皇后の家系で、この頃を記述する史書『後漢書』には邪馬台国を大倭王が統治し、その地域には曰神夏磯媛が存在し、 夏之賣神は曰神夏磯媛を類推させる。

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