2021年8月23日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段5

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は「・・・故切其中尾時御刀之刃毀尓思恠以御刀之前刺割而見者在都牟刈之大刀思異物而白上於天照大御神也是者草那藝之大刀也故是以其速須佐之男命宮可造作之地求出雲國尓到坐須賀地而詔之吾來此地我御心須賀々々斯而其地作宮坐故其地者於今云須賀也・・・」、【それで、その後ろを切った時、刀の刃が欠けた。それで変に思い、切っ先で刺し割いて見ると、つむがりの大刀があった。それで、大刀を取って、変に思い、天照大神に上奏した。これは草那藝の大刀である。それで速須佐男は、宮を造作する所をこの出雲國にした。そこで須賀の地に到り、「私はここに来て、私の気持ちはすがすがしい。」と言って、そこに宮を作って住んだ。そのため、そこを須賀という。】と訳した。

『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「・・・此蛇爲八段每段成雷摠爲八雷飛躍天是神異之甚矣散河變血而流至斬其尾劔刃少缺故割裂其尾而視之中有一劔名天叢雲劔蓋於大蛇所居之上常有雲氣故以名焉。素戔烏尊曰是神兵劔也吾何敢私以安乎乃取共大々刀思日遣五々世孫天之葺根神上奉於天其後日本武尊征東之時以其劔号日草薙劔矣今在尾張國吾湯市村即熱田神社所崇之神其斬蛇之劔今則在吉備神部許到出雲簛之河上是也亦云斬蛇之劔号日蛇之鹿正今在石上神宮也・・・」、【斬られるごとに雷鳴が起こり、稲妻は天にかけ昇った。とても不思議であった。川の水は赤く血に染まった。その大蛇を斬ったとき、剣の刃が少し欠けた。そこで、見てみると、剱があった。名を天叢雲剱という。大蛇がいる上には雲があったので、そう名づけられた。素戔烏は「これは不思議な剱だ。どうして私物にできようか」と言った。それで、五世の孫の天の葺根を派遣して、天に献上した。のちに、日本武が東征したとき、その剱を名づけて草薙剱といった。今、尾張国の吾湯市村にある。すなわち、熱田神社でお祀りしている神だ。また、その蛇を斬った剣は今、吉備の神部にある。出雲の簸川の川上にやって来て、大蛇を斬った剣がこれだ。または、蛇を斬った剣の名は、蛇の麁正という。今、石上神宮にある。】と訳した。

以前、私は『日本書紀』のみの検証では、神話が紀元前700年以前を前提に君子国の銅剣と丈夫国の石剣と想定したが、神話が弥生時代や古墳時代も含むことが推測され、丈夫国と君子国の石剣と銅剣から銅剣と鉄剣の説話に変化したと考えられる。

すなわち、『舊事本記』は吉備の縣守を素戔嗚に当て嵌め、素戔嗚と八岐大蛇の説話と吉備の縣守淵の笠臣祖縣守と虬(みづち)の説話が合わさった説話と考えられる。

吉備は星川皇子の後ろ盾になって、『日本書紀』の最初を完成させた清寧天皇の即位に反逆したため、『日本書紀』の神話に麁正を記述せず、吉備は顕宗天皇即位の立役者だったが、巨勢王朝が衰退すると日本府で活躍する記事には名も記述されず、「吉備五郡置白猪屯倉」と領地を没収している。

しかし、敏達天皇の時「蘇我馬子大臣於吉備國増益白猪屯倉與田部」と『舊事本記』を記述した馬子に与えられて配下になり、馬子が、麁正を献上したのではないだろうか。

一人の英雄の神話に、時代と場所が異なる2人以上の神剣を宝器とする人物を当て嵌め、また、似た説話を有する氏族の説話が融合されて、大国が出雲国に変質した説話が『日本書紀』で認定されたが、国の構成員の違いで収受選択され、『古事記』・『舊事本紀』が完成したと考えられ、『舊事本紀』は神話時代に出雲国を記述したが、系図記述では出雲国を記述せず、「出雲國造瑞籬朝以天穗日命十一世孫宇迦都久慈定賜國造」と出雲国が出来たのは崇神天皇の時と記述し、矛盾をきたした。

『日本書紀』も、崇神天皇六〇年でも「出雲人祭」と出雲国を記述せず、ここで「出雲臣之遠祖出雲振根・・・出雲臣等畏是事」と出雲臣の祖が出現してからその一族を出雲臣と記述し、この日付の「六十年秋七月丙申朔己酉」は天文学的朔の日干支に一致する。

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