次に、一書(7)「一書曰先生淡路洲次大日本豊秋津洲次伊豫二名洲次億岐洲次佐度洲次筑紫洲次壹岐洲次對馬洲」、【一書に。淡路の洲を先に生む。次に大日本の豐の秋津の洲。次に伊豫の二名の洲。次に億岐の洲。次に佐度の洲。次に筑紫の洲。次に壹岐の洲。次に對馬の洲。】と訳した。
一書(7)は、一書(6)の国生みの筑紫より前に隠岐を挿入しているので、隠岐の神話を一書(6)の王朝の神話に挿入した可能性が高く、大国が大八国に含まれず、懿徳天皇より前の神話である。
次に、一書(8)「一書曰以磤馭慮嶋爲胞生淡路洲次大日本豊秋津洲次伊豫二名洲次筑紫洲次吉備子洲次雙生億岐洲與佐度洲次越洲」、【一書に、磤馭慮の嶋を胞として、淡路の洲を生む。次に大日本の豐の秋の津の洲。次に伊豫の二名の洲。次に筑紫の洲。次に吉備の子の洲。次に億岐の洲と佐度の洲とを雙に生む。次に越の洲。】と訳した。
一書(8)は一書(7)のと同様で、筑紫が吉備子国を得ているので、「吉備兒嶋謂建日方別」と熊襲が吉備を配下にした時代の神話を挿入している。
隠岐と佐渡が双子の国とされる記事が複数あり、冠帶の周饒國は三小島より先に佐渡が領地の様で、対馬海流による船の経済圏をよく示して、やはり大国がないので懿徳より前の神話の様だ。
次に、一書(9)「一書曰以淡路洲爲胞生大日本豊秋津洲次淡洲次伊豫二名洲次億岐三子洲次佐度洲次筑紫洲次吉備子洲次大洲」、【一書に、淡路の洲を胞として、大日本の豐の秋の津の洲を生む。次に淡の洲。次に伊豫の二名の洲。次に億岐の三子の洲。次に佐度の洲。次に筑紫の洲。次に吉備の子の洲。次に大の洲。】と訳した。
一書(9)は隠岐の王家の神話を挿入した神話で、神倭王の流れを汲む王家の神話の可能性が高く、懿徳以後の大八国の神話である。
次に、一書(10)「一書曰陰神先唱曰姸哉可愛少男乎便握陽神之手遂爲夫婦生淡路洲次蛭兒」
【一書に、陰の神先づ「とても美しい、可愛く若い男よ」と唱えた。便ち陽の神の手を握って、遂に夫婦となって、淡路の洲を生む。次に蛭兒。】
一書(10)は淡路国の蛭兒が、おそらく、「大日孁貴」と対の神で、淡路国出身の大蛭兒貴が大国の姫神と夫婦になった神話なのではないだろうか。
すでに、『日本書紀』以前の史書「諸國置國史記言事達四方志」と志があり、それらを知った人々が、自分たちの国や氏族が自分たちの王朝での地位・序列を考えた自分たちの氏の史書の『舊事本紀』や『古事記』などを作ったその神話部分を記述したと思われる。
『舊事本紀』の狭霧は葦牙彦舅や中主より前に記述されるが、実際の時系列は葦牙彦舅・狭霧・中主で狭霧は高天原という国がすでにある所で生まれていて、高天原を生んだ神が存在し、中主は「なか」国という数ある国の中の王で、多くの主がいて、その王の中の王の大王や「圓大使主」の大使主、「胸形大神是則今在筑紫國御使君之祖」の使君と王の王の大王がいて、大王は天皇ではなく、複数の大王がいて、大王の中で天皇の爾を得た人物が天皇となる。
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