2021年5月7日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書第一段 4

   対して『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「古者元氣混沌天地未割猶鶏卵子溟涬含牙其後清氣漸登薄靡為天浮濁重沈淹滞為地(?)謂州壤浮漂開闢別割是也譬猶游魚之浮水上于時天先成而地後定然後於高天原化生一神號日天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊自厥以降獨化之外倶生二代耦生五代所謂神世七代是也神代系紀天祖天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊一代倶生天神天御中主尊可美葦牙彦舅尊二代化生天神國常立尊亦云國狭立尊亦云國狭槌尊亦云葉國尊豊國主尊亦云豊斟渟尊亦云豊香節野尊亦云浮経野豊買尊(亦云豊歯別尊)天八下尊獨化天神第一世之神也」、【昔、もともとの状態は混沌として、天と地はまだ分かれていなかった。鶏卵の中身のように固まっておらず、中には、ほのかに何かが芽生えようとしていた。その後、澄んだ芽生えの状態は、立ち昇ってたなびいて天となり、浮き濁ったものは、重く沈み滞って地となった。いわゆる、国土が浮き漂い、開け別れたというのはこのことだ。たとえば、泳ぐ魚が水上に浮いているようである。すなわち、天が出来てから、地が出来た。その後に、高天原に生まれた一柱の神の名を、天譲日天狭霧国禅日国狭霧という。それ以降、ひとりでに生れた神の他に、共に生れた二代、二柱並んで生れた五代の、あわせて「神世七代」は、この神々である。天祖の天譲日天狭霧國禪月國狭霧、第一代の、一緒に生まれた天神の天御中主、可美葦牙彦舅、第二代の、ともに生まれた天神国常立または国狭立、または国狭槌尊、または葉木国といい、豊国主または豊斟渟、または豊香節野、または浮経野豊買、(または豊歯別?豊齧といい)、天八下は一柱で化り生れた天神の、第一世の神だ。】と訳した。

『舊事本紀』の史書部分は『日本書紀』・『古事記』の影響下の史書で一書や『古事記』の神話を併せていて、蘇我馬子が書かせた史書であることを裏付け、『舊事本紀』は、物部氏の祖神の「天狭霧國禪月國狭霧」が始祖となっており、推古天皇が物部氏であることを示している。

そして、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「天地初發之時於髙天原成神名天之御中主神次髙御産巣日神次神産巣日神此三柱神者並獨神成坐而隠身也次國稚如浮胎()而久羅下那洲多陁用弊琉之時如葦牙因萌騰之物而成神名宇摩志阿斯訶備比古遅神次天之常立神此二柱神足亦獨神成坐而隠身也上件五柱神者別天神次成神名國之常立神次豊雲上野神此二柱神亦獨神成坐而隠身也次成神名宇」、【天地が初めて別れた時、高天の原に生れた神の名は天之御中主。次に高御産巣日。次に神産巣日。この三柱の神は、共に一人で生まれて、身を隱した。次に國が出来たばかりで浮いた脂のようにクラゲのように漂っているとき葦の牙のように芽吹き伸びた物によって生まれた神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲、次に天之常立の二柱の神も、一人で居て、身を隱した。上のの五柱の神は、天の分国の神だ。次に生まれた神の名は、國之常立、次に豐雲上野。この二柱の神も、一人で居て、身を隱した。】と訳した。

『古事記』は元明天皇の祖神が御中主で、天国の配下の国で、『舊事本紀』同様、すでに国生みされた天国の中の高天原から分国した王朝の配下だと述べている。

『舊事本紀』は天国配下の狭という地域の出身の神が祖神で、『古事記』は天国の配下の、祖神ではなく中(なか)国の王が祖だと述べ、『三国志』に「伊都國官曰爾支・・・王皆統屬女王國」と女王国に属する伊都国王の官に「爾支」があるように、主という官名を与えた王、国主の冠位を与える国主の中の国主は、臣の中の臣が大臣、連の中の連が大連であるように、大国主、そして、君の中の君の大君・大王・御使君がすでに存在したことを示している。

その大国主の配下で「なか国」王の中国主が御中主で、中国主にはさらに配下の主がいて、その配下の主を使役する使い主、使主すなわち臣と呼ばれ、中臣と名乗ったと考えられ、平郡氏が物部氏の配下で連の姓を持つ表音「おみ」に表意文字で臣下を意味する臣を当て嵌め、平郡氏の配下に使った表音「おみ」に使主を表意文字としたと考えられる。

そして、狭霧を神祖とする氏族は御中主を祖とする氏族を配下にしたことを『舊事本紀』は示して、『古事記』を記述した安萬侶は、その事実を「舊辞削偽定實」と削除したようで、『日本書紀』の一書に「月國狭霧」を加えていないのは、『日本書紀』を記述した平郡氏の王朝時に、物部氏はまだ王朝として勢力があり、平郡氏と対抗していて臣下でなかったことを意味し、それが秦王国につながった。

『日本書紀』を記述した平郡氏は『後漢書』や『三国志』が記述した秦国を知っていて、雄略天皇が楼閣を作らせた時の説話に秦酒公が記述されるが、御田を物部に預けたと物部氏に付随した秦氏が存在し、雄略天皇は物部氏が支配した地域を秦国と理解していたと思われる。

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