2021年5月24日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第四段4

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「天祖詔伊奘諾伊弉冉二尊日有豊葦原千五百秋瑞穂之地冝汝住脩之則賜天瓊戈而謂寄賜也伊奘諾伊弉冉二尊奉詔立於天浮橋之上共計謂有物若浮膏其中盖有國乎廼以天元瓊矛而探之獲是滄海則投下其矛而因畫滄溟而引上之時自矛末落垂滴瀝之潮凝結為嶋名日磤馭盧嶋矣則以天瓊矛指立於磤馭盧嶋之上以為國中之天柱也伊奘諾伊弉冉二尊天降其嶋則化竪八尋殿共住同宮矣伊奘諾尊問伊弉冉尊日汝身有何成耶伊弉冉尊對日吾身者成成而有不成處一處耶伊奘諾詔日吾身者成成而有成餘處一處耶故以我身成餘處判塞汝身不成合處以為産國土如何伊弉冉尊對日然善矣伊奘諾尊詔日吾與汝矣廻天御柱而行逢遘合如此約束日汝者自左吾者自右徊逢約竟分巡天柱同會一面矣伊弉冉尊先唱曰喜哉遇可美少男焉伊奘諾尊次對曰喜哉遇乎可美少女焉伊弉諾尊告伊弉冉尊曰吾是男子理當先唱而婦人先唱事既不祥雖然共為夫婦而生子因陰陽始遇合為夫婦産之兒即是水蛭子此子入葦船而流也次生淡州亦不入子例也伊奘諾伊弉冉二尊議日今吾所生之子不良冝還覆上詣於天具奏此狀則共還覆上詣於天而奏聞也天祖詔以太占而卜合之詔日先舉婦言是不良乎冝更亦改降乃卜定時白而降矣・・・」、【天の祖神が伊奘諾・伊弉冉に「豊の葦原の秋に稲穂がたくさん実る国がある。お前たちが行って治めなさい」と言って、天の瓊矛を授けて任せた。伊奘諾・伊弉冉が命令を受けて、天の桟橋の上に立って、話し合って言った。「脂のようなものが浮かんでいる。そこに国があるだろうか」と言って、天の瓊矛で下を探って海原で国を得ようと、矛を突き下ろして海をかき回し、引き上げるとき、矛の先からしたたり落ちる潮が固まって島となった。これを磤馭盧島と名付けた。そして、天の瓊矛を磤馭盧島の上にさし立て、国の天の御柱とした。伊奘諾・伊弉冉はその島に天降り、大きな御殿を造り、共に住んだ。伊奘諾が伊弉冉に「あなたの体は、どのようにできている」と尋ねた。伊弉冉は「私の体は出来上がりつつあるが、出来上がっていないところが一か所ある。」と答えた。伊奘諾は「私の体は出来上がって、余ったところが一か所ある。だから、私の余ったところで、お前の足りないところをふさいで、国を生もうと思うがどうだ。」と言った。伊弉冉は「それがいい」と答えた。そこで伊奘諾は「それでは天の御柱を回って、相まみえましょう。」と約束して「あなたは左から回って、私は右から回って会おう」と言った。約束どおり分かれてめぐり会った。伊弉冉が先に「まぁ、何とすばらしい男に出会えた」と唱えて、伊奘諾がつぎに「おお、何とすばらしいおとめに出会えた」と答えた。伊奘諾が伊弉冉に「私は男子だ。男から先にいうべきだ。女が先に唱えるのはよくないが、夫婦となって子を生もう」と告げた。こうして陰陽が始めて出会って、夫婦となって子を産んだ。最初に生まれたのが水蛭子だ。この子は葦船に乗せて流した。次に淡島を生んだ。この子も子の数には入れなかった。伊奘諾、伊弉冉の二神が「いま、私たちの生んだ子は不吉だった。天に帰り上って、この様子を申しあげよう」と相談した。そこで、二人で天に上り、申し上げた。天の祖神は太占で占って「女が先に声をかけたのが良くなかった。もう一度天降れ」と言い、決めた日に再び降った。】と訳した。

そして『古事記』前川茂右衛門寛永版は「於是天神諸命以詔伊耶那岐命伊耶那美命二柱神修理固成是多陀用弊流之國賜天沼矛而言依賜也故二柱神立天浮橋而指下其沼矛以畫者堛許々袁々呂々迩畫鳴而引上時自其矛末垂落塩之累積成嶋是淤能碁呂嶋於其嶋天降坐而見立天之御柱見立八尋殿於是問其妹伊耶那美命曰汝身者如何成荅曰吾身者成成不成合處一處在尓伊耶那岐命詔我身者成々而成餘處一處在故以此吾身成餘處判塞汝身不成合處而爲生成國土生奈何伊耶那美命荅曰然善尓伊耶那岐命詔然者吾與汝行廻逢是天之御柱而爲美斗能麻具波比如此之期乃詔汝者自右廻逢我者自左廻逢約竟以廻時伊耶那美命先言阿那迩夜志愛上袁登古袁後伊耶那岐命言阿那迩夜志愛上袁登賣袁各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美度迩興而生子水蛭子此子者入葦舩而流去次生淡嶋是亦不入子之例於是二柱神議云今吾所生之子不良猶宜白天神之御所即共参上請天神之命尓天神之命以布斗麻迩尓卜相而詔之曰女先言而不良亦還降改言故反降更往廻其天之御柱如先於是伊耶那岐命先言阿那迩夜志愛袁登賣袁後妹伊耶那美命言阿那迩夜志愛袁登古袁・・・」とほゞ同様の内容である。

『日本書紀』では「國中之柱」とこれから生む自国の中心と記述しているが、『古事記』では「見立天之御柱見立八尋殿」と八国にはすでに尋殿という宮が中心の国が有り、同じような中心を「なか」国では御柱と呼び、新しく手に入れた淤能碁呂嶋に矛を立てて、新しい国の中心の宮と見立てて建国したと述べ、『古事記』の「なか国」はすでに「八国」王朝がすでに存在する時に建国したことを示す。

『古事記』も『日本書紀』も柱を中心に国生みしたと述べ、その柱がどんなものか記述しなかったが、『舊事本記』ではその柱が、瓊矛だったと述べ、『古事記』は瓊矛を柱と見立て御殿と見立てたと記述した。

すなわち、『舊事本記』は御殿がその爾が中心に置かれた場所だとし、そこに住んで国生みしたと述べ、瓊矛が王の爾だったことを示し、この習慣が「八」国の建国の方法で、この習慣以降、王朝建国時、いつも太柱を建てて御殿を作り、そこに天皇の爾を安置しているのだろう。

『日本書紀』には記述されない淡国が記述されるが、この淡国は粟国では当然有り得ず、『古事記』の国生みに含まれない「隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別」である『山海經』の「三首國」の東の隠岐の島後の「周饒國」・「天之忍許呂」・磤馭盧島である隠岐の於母島のことと考えられ、『古事記』や『舊事本記』の記述時代には磤馭盧島が何処の島か忘れ去られていたと考えられる。


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