2021年5月31日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段2

  次の一書は一書()一書曰日月既生次生蛭兒此兒年滿三歲脚尚不立初伊弉諾伊弉冉尊巡柱之時陰神先發喜言既違陰陽之理所以今生蛭兒次生素戔嗚尊此神性惡常好哭恚國民多死青山爲枯故其父母勅曰假使汝治此國必多所殘傷故汝可以馭極遠之根國次生鳥磐櫲樟橡舩輙以此舩載蛭兒順流放棄次生火神軻遇突智時伊弉冉尊爲軻遇突智所焦而終矣其且終之間臥生土神埴山姫及水神罔象女即軻遇突智娶埴山姫生稚産靈此神頭上生蠶與桑臍中生五穀罔象此云美都波」、【一書に、日月が既に生れた。次に蛭兒を生んだ。此の子は、年齢が、三歳になっても、脚がまだ立た無かった。初め、伊奘諾伊奘冉は柱を回った時に、陰の神が、先ず喜び言葉を発した。陰と陽の理に適わなかった。そのため、蛭兒を生んだ。次に素の戔嗚の尊を生んだ。此の神、性格が悪く、常に哭きうらむことを好み、国民が多く死に、青山を枯した。それで、その父母は、「お前がこの国を治めたら、必ず壊し傷つけることが多いとおもう。だから、お前は、遠い根の国を治めなさい」と詔勅した。次に鳥の磐の櫲樟の船を生んだ。すなはちこの船で蛭兒を乗せて、流れに任せて放ち棄てた。次に火の神、軻遇突智を生んだ。この時に伊奘冉は、軻遇突智の爲に、焦かれて死んだ。其の終ろうとする時に、臥しながらも土の神の埴山の姫及び水の神の罔象女を生んだ。即ち軻遇突智は殖山姫を娶って、稚の産靈を生んだ。此の神の頭の上に、蠶と桑と生れた。臍の中に五穀生れた。「罔象」、これを「みつは」と云う。】と訳した。

この神話は、「わか」国の神話で、蛭兒に重ね合せた素戔嗚を追い出して、伊奘冉の国を奪い、殖山姫がペア神で、初代の王が稚の産靈で「日」国出身の王で『三国志』の「狗古智卑狗」の国と考えられ、火を「か」と読む時代、すなわち、漢字の意味を知った後の神話で、霊が神で『山海經』の「神霊」を理解した上の文字使いである。

髙皇産靈の表意文字も本来「たか」神が王朝を名乗りったので、「神」を使わず「皇」の文字を使用し、「むすぶ」を「産む」と理解し、「たか」国が『山海經』の「霊」すなわち霊を「ひ」と読むように「日」国の支配者と理解していることを示し、霊はひめ・ひこのことだと述べている。

「高国」は高祖連峰が有る、糸島のことと考えられ、高祖山に高祖神社が有り、糸島半島突端部にも有って、『古事記』の「高千穂宮伍佰捌拾歳御陵者即在」は高祖山の高祖神社が相応しく、『三国志』の「伊都國官曰爾支」より前、『日本書紀』の199年の「伊覩縣主祖五十迹手」が白銅鏡を持って景行天皇を迎え、その後「縣主」となった、この年までが580年と述べていると考えられる。

「主」も『三国志』の「爾支」を使わなかった理由は、『山海經』の「君子国」と『論語』の『八佾』の「

偏遠小國有君主」と君子は天子の意味で君子の分国の王が「君主」と理解して諸王を主と当て嵌めたと考えられ、そのため、「お主」も「爾・なんじ」も同じ意味で使用された。


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