次の一書の、一書(2)「一書曰國常立尊生天鏡尊天鏡尊生天萬尊天萬尊生沫蕩尊沫蕩尊生伊弉諾尊沫蕩此云阿和那伎」、【一書に、國の常立は天の鏡を生んだ。天の鏡は天の萬を生んだ。天の萬は、沫蕩を生んだ。沫蕩は、伊奘諾を生んだ。沫蕩、此をばあわなぎと云ふ。】と訳した。
この一書は『舊事本紀』「天祖天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊・・・二代化生天神國常立尊・・・獨化天神第一世之神也四代耦生天神埿土煮尊・・・亦云天鏡尊獨化天神第三之神也・・・六代耦生天神青橿城根尊・・・別天八十萬魂尊獨化天神第五之神也七代耦生天神伊弉諾尊」の類型で「ね国」の「埿土煮」の家系の臣下になった月(津岐)國を建国した王で後に物部と氏を名乗る狭霧の家系の神話で、多紐文の銅鏡を作成した時代の神話なのだろう。
『日本書紀』の慶長版は続けて、「凢八神矣乾坤之道相參而化所以成此男女自國常立尊迄伊弉諾尊伊弉冉尊是謂神世七代者矣」、【八の神は神が北西と西南からの道で出会って此の地の女神とペア神となった。國の常立から伊奘諾伊奘冉迄を神の世の七代という。】と神世七代を記述し、『山海經 海經 海外南經』の「地之所載六合之閒四海之内・・・神靈所生」、【地の載せる所、六合の間、四海の内・・・神靈生まれる所】と、「六合」が中国からの海路と九州西部からの海路がぶつかる所と説明し、この一書の対象国は関門海峡の神話と考えられる。
神話に八神など「八洲」の説話が現れるが、神武天皇以降では天武天皇の時に「明神御大八洲日本根子天皇勅命者」と出現するだけだが、その理由は、平郡王朝が『日本書紀』を編集する時、八国を『後漢書』の「大倭王」を「大八王」と理解し、倭の文字に対応させたと考えられ、神倭は「みや」で宮と考えられ、「脚摩乳手摩乳也故賜號於二神曰稻田宮主」と根国王が宮主、大三輪(大みわ)神社は大宮神社と理解できる。
すなわち、天武天皇の時代には、すでに、大八洲が自王朝の全領土を意味し、時代によって地名がインフレを起こして全く異なることが解る。
次の一書の、一書(3) 「一書曰男女(禾+禺)生之神先有埿土煑尊沙土煑尊次有角樴尊活樴尊次有面足尊惶根尊次有伊弉諾尊伊弉冉尊樴橛也」、【一書に、男女(?形どるように)を生む神、先ず埿土の煑沙土の煑。次に角樴・活樴。次に面足・惶根。次に伊奘諾・伊奘冉。樴は橛なり。】と、埿土・沙土を神とする煑の氏族の國狹槌の神話で、角・活を神とする樴の氏族と争ったことを示し、『日本書紀』では角樴の氏族が『舊事本紀』に出現することから物部氏の臣下だったので扱わなかったと思われる。
神武天皇が支配した土地は三嶋溝杭という君主国の三国支配下の土地を八重事代主が奪った八国の土地で物部氏が天皇の爾を持っていて、樴の氏族を配下にしていたことが解る。
『伊未自由来記』の木葉比等とその同族の男女のように、独り神は故郷の氏神の名、対の神は定住を始めた、定住先の氏神で母方の神名を名のり、妻の沙の煑という地域の神の女を埿と言う地域の夫が娶り、煑神を継承し、伊弉諾も同じく妻の伊奘の冉(神)の継承と思われ、侵入者のその地での同化の物語で、『山海經』の「奇肱之國・・・有陰有陽」と「三身國」の北にある奇肱国の神話を流用している。
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