『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「三代耦生天神角杙尊亦云角龍魂尊妹活杙尊別天三降尊 獨化天神第二世之神也四代耦生天神埿土煮尊亦云埿土根尊妹沙土煮尊亦云沙土根尊別天合尊亦云天鏡尊獨化天神第三之神也五代耦生天神大苫彦尊亦云大戸之道亦云大富道亦云大戸麻彦妹大苫邊尊亦云大戸之邊亦云大富邊亦云大戸麻姫別天八百日尊 獨化天神第四之神也六代耦生天神青橿城根尊亦云沫薙亦云面足尊妹吾屋惶城根尊亦云惶根尊亦云蚊雁姫尊別天八十萬魂尊獨化天神第五之神也七代耦生天神伊弉諾尊天降陽神伊弉冉尊天降陰神別高皇産霊尊(亦名高魂尊亦名高木命獨化天神第六之神也)兒天思兼命(天降信濃国阿智祝部等祖)次天太玉命(志部首等祖)次天忍日命(大伴連等祖亦云神狭日命)次天神立命(山代久我直等祖)次神皇産霊尊(亦云神祝尊)次天御食持命(紀伊直等祖)次天道根命(川瀬造等祖)次天神玉命(葛󠄀野鴨縣主等祖)次生魂命(猪使連等祖)次津速魂尊兒市千魂命兒興登魂命兒天兒屋命(中臣連等祖)次武乳遺命(添縣主等祖)次振魂尊兒前玉命(掃部連等祖)次天忍立命(纏向神主等祖)次萬魂尊兒天剛風命(高宮神主等祖)巳上七代天神伊弉諾伊弉冉尊并八代天神並天降之神也」、【第三代の一緒に生まれた天神は角杙または角龍魂、妻の活杙。別の系統に天三降は一柱で変化して生れた天神の第二世だ。第四代の一緒に生まれた天神は埿土煮または埿土根。妻の沙土煮または泥土根。別系統に天合または天鏡。一柱で変化して生れた天神の第三世だ。第五代の一緒に生まれた天神は大苫彦または大戸之道または大富道または大戸麻彦。妻の大苫辺または大戸之辺または大富辺または大戸麻姫。別系統に天八百日。一柱で変化して生れた天神の第四世だ。第六代の一緒に生まれた天神は青橿城根または沫薙または面足。妻の吾屋惶城根または惶根または蚊雁姫。別系統に、天八十万魂は一柱で変化して生れた天神の第五世だ。第七代の一緒に生まれた天神は伊弉諾または天降陽神。妻の伊弉冉または天降陰神。別の系統に高皇産霊または高魂または高木は一柱で変化して生れた天神の第六世だ。高皇産霊の子の天思兼(信濃国に降り、阿智祝部の祖)次に天太玉(忌部首の祖)次に天忍日(大伴連の祖または神狭日)次に天神立(山代久我直の祖)次に神皇産霊または神祝。次に天御食持(紀伊直の祖)次に天道根(川瀬造の祖)次に天神玉(葛野鴨県主の祖)次に生魂(猪使連の祖)次に津速魂。津速魂の子の市千魂。子の興登魂。子の天児屋(中臣連の祖)次に武乳遺(添県主の祖)次に振魂。子の前玉(掃部連の祖)次に天忍立(纏向神主の祖)次に万魂。万魂の子の天剛川(高宮神主の祖)上記の第七代の天つ神、伊弉諾尊・伊弉冉尊、および第八代の天神は、天降った神だ。】と訳した。
また、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「次成神名宇比地迩止神次妹須比智迩去神次角杙神次妹活杙神次意富斗能地神次妹大斗乃辨神次於母陀琉神次妹阿夜止訶志古泥神次伊耶那岐神次妹伊耶那美神上件自國之常立神以下伊邪那美神以前并稱神世七代」、【次に成り代わった神の名は、宇比地迩止、次に妻の須比智迩去。次に角杙、次に妻の活杙。次に意富斗能地、次に妻の大斗乃辨。次に於母陀流、次に妻の阿夜上訶志古泥。次に伊邪那岐、次に妻の伊邪那美。上の國之常立より後、伊邪那美より前を、併せて神世七代という。】と訳した。
ともに、埿土煑・沙土煑、大戸之道・大苫邊、面足・惶根、伊弉諾・伊弉冉と亦の名を含めて同じで、建国の最初の王が「埿」すなわち素戔嗚に与えられた根の国の男が「沙」にやって来て、「沙」国が「大」国を併合し、その大国は 面足・惶根が建国した根国を併合していたことを述べ、「沙」の建国は伊弉諾が「沙」にやって来て伊弉冉が建国した国だったことを示し、『日本書紀』を作成した平郡氏も、『舊事本紀』を作成した物部氏も、『古事記』を作成した巨勢氏と元明天皇も伊弉冉の神話を伝承し、『魏略』の「前漢書 卷二十八下 地理志 燕地 顔師古注」に「倭在帯方東南大海中依山島爲國度海千里復有國皆倭種」と倭種の系統なのだろう。
平郡氏は男系の葛城氏や女系の紀氏の出自を基本とはしたが、統合された王朝の史書を記述する責任から、多くの功績が有った日向王や倭国の漢氏等の氏族が納得するよう、『日本書紀』の神話に、その氏族の神話を取り入れて記述し、その後、巨勢氏の『古事記』が出来上がって、『古事記』を取り込んだ舒明天皇の推古天皇まで記述された『日本書紀』に沿って、『舊事本紀』を記述した。
『古事記』は、父の磐坂市辺押磐皇子の姉妹が中蒂姫なので、「なか」国の神話を取り入れた史書として記述し、『舊事本紀』は蘇我氏(倭国なので母系は天氏)と物部氏が納得させる、しかし、基本は『日本書紀』・『古事記』で、それに、天氏と物部氏の神話を追加したと考えられ、その後の『日本書紀』を知らない元明天皇が『古事記』の神話部分を夫の日並・実質の天皇の藤原氏の出自の「なか」国の最高神に修正し、系図を付け加えたが、その後、『日本書紀』を手に入れて、それほど変更を加えず発布したと考えられる。
そのため、『舊事本紀』は『日本書紀』の國常立尊神の前に『古事記』の天御中主尊、さらに、『舊事本紀』は月國狭霧や物部系の神を付け加え、多くの氏族の支配被支配の系統樹が出来上がり、物部氏・蘇我氏・巨勢氏・平郡氏の男系・女系の始祖が同じ伊弉諾・伊弉冉であったことが示されている。
中国は水が湧く水源を「てん」・日本は中国が「天」とよぶ地域を「あま」と呼び、天にいる神を中国は「帝」・日本は「み」と呼び、さらに、日本では「み」を対馬海流上流の神の「うみ」・川の上流の神を「かみ」、山や原野の生命を生み出す神を、中国語では霊、日本語では「ち」と呼んだと考えられる。
これは、倭人が1万2千年前の鹿児島の栫ノ原遺跡の丸ノミ石斧を使って、丸木舟を造り、海流を利用して遠くまで航海する方法を考え出し、対馬海流が流れ出して日本海の文明と交流し、アカホヤで日本海の文明の地に侵入して混血し倭種が形成され、鍾乳石の成長や噴火による噴煙から突如現れる火山島が出来た様子や7千年前のクジラ漁に必要な石器が大量に出土した平戸のつぐめのはな遺跡のように共同で漁をする必要があるクジラ漁がはじまりクジラが子を産む様子をもとに神話が作られたと私は考えている。
物語を発明するには、それに類する体験が無ければ作り出すことが出来ず、祖先が解らない場合は卵生の祖、仏教の輪廻は死骸から虫が出てくる事から考え出され、天国はオアシスを投影したことに過ぎないと考えている。
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