2021年5月28日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段1

 『日本書紀』の慶長版は続けて、海川山を生み、木祖の句句廼馳、草の祖の草野姫亦の名は野槌をを生み、大日貴(一書に天照大神・天照大日)、月の神(一書に月弓尊、月夜見尊、月讀尊)を生んで天に送り、次に蛭兒を生み天磐樟船に載せ放棄し、次に素戔嗚尊(一書に神素戔嗚、速素戔嗚)を根の國に放逐したと、地祇・三貴子の誕生とスサノオの追放を記述する

本来の神話が、『日本書紀』のこの段の神である海・川と霊の山を生み、日国王の草野姫を生んだ説話が最初で、九州北部の『山海經 海外西經』の「女祭」・「女丑」の国の神話、その後、同じく九州の『後漢書』の「自女王國東・・・拘奴國」、『三国志』の「狗奴國・・・狗古智卑狗」の豊前と思われる山の霊の句句廼馳とペア神の野槌を生んだ神話を流用し、同じく九州の「奇肱之國・・・有陰有陽」の神話や、日孁と蛭兒の神話、「帝俊妻娥皇生此三身之國」と夫婦が3国を生んだ神話を流用して、国生みや、神3神の日孁貴・月讀・蛭兒を生み、対馬と思われる、女子國・・・兩女子居水周之」と神の月読・霊の孁貴の神話を流用した。

『日本書紀』の反乱する熊襲の拘奴国の「男神曰大倉主女神曰菟夫羅媛」とそれに対する邪馬台国の熊鰐と熊鰐を支配する大倭王の角鹿笥飯宮の神功皇后と邪馬台国を含む倭国を管理する『三国志』の「伊都國官曰爾支」と記述される伊覩縣主になる五十迹手、そして、熊襲の拘奴国が豊前を撤退して、熊鰐が岡縣主となり、「曰神夏磯媛」(奴津委襲日女・日神子・卑弥呼)が倭国を纏め上げて大倭王は撤退したと考えられる。

ここで、日女は他に媛・姫を使っているが、主要な「ひめ」には「姫」を使用して、当然、後代の梁の『野馬台詩』の姫氏国、周王朝の姻戚説は『日本書紀』作成時には有り得ず、もしそうなら、万葉仮名は不用で、全使用漢字が表意文字となるはずである。

したがって、姫氏国等では無く、『山海經』の「三身国」すなわち「三神国」・「三日別国」は帝俊が分国した国で、その前身の日国女王が「日女」、日国の諸王女が「姫」で、その影響下の女王が媛と平郡氏は分別したのではないだろうか。

『梁書』が梁王朝以外の資料を多く含むと論証した通り、『野馬台詩』は日本の平郡氏が纏めた『日本書紀』を基にした記述と考えられる。

日孁・蛭兒がペア神で、 月讀は対岐の夜神・黄泉と対馬の王で対馬海流の上流で水葬すると対馬に流れ着き、そこを死者の国とし、対馬が母の生地の根の国、素戔嗚が「なか」国出雲の根別の国を統治させ、母の生地、すなわち母国は王朝によって変質し、物部氏は熊野である。

それに対して一書は一書()一書曰伊弉諾尊曰吾欲生御宇之珍子乃以左手持白銅鏡則有化之神是謂大自()孁尊右手持白銅鏡則有化出之神是謂月弓尊又廻首顧眄之間則有化神是謂素戔嗚尊即大日孁尊及月弓尊並是質性明麗故使照臨天地素戔嗚尊是性好殘害故令下治根國珍此云于圖顧眄之間此云美屢摩沙可梨爾」、【一書に、伊奘諾が、「私は、国を治めるべき「うづ」の子を生もうと思う」と言って、左の手で白銅鏡を持ったときに、化けた神が有り、これを大の日孁という。右の手に白銅鏡を持ったときに、化けた神が有った。是を月の弓という。又、首を廻して顧り観る間に、化る神が有った。是を素の戔嗚と謂う。即ち大の日孁及び月の弓は、ともに、性質が明麗で天地を照すように臨んだ。素の戔嗚は、傷つけたり壊したりする性格だった。それで、降して根の國を治めさせた。珍、これを「うづ」と云う。顧眄之間、これをみるまさかりにと云う。】と訳した。

一書()仲哀天皇八年而上枝掛白銅鏡」とあるように、『後漢書』や『三国志』の時代に記述されたおそらく熊鰐が岡縣主になったように宗像近辺の神話で地を日孁、海を月弓、戔嗚は「根子」が「山背根子」・「大直根古」など根国の王を表すように、その王朝を建てた人物建内宿禰の母系の珍彦神話で丈夫国の末裔の様だ。

ここでは、蛭兒が素戔嗚に入れ替わり「よみ」の国から「根」の国に対象国も入れ替わっていて、「珍」を「うづ」と読ませるように『古事記』に「娶木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣生子建内宿祢」と木国造りの祖の宇豆比古の故国の珍国、これは、珍彦が曲浦すなわち鰐浦で釣りをしていて、遠賀川河口を中心とした神話である。

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