次の一書、一書(4)「一書曰天地初判始有倶生之神號國常立尊次國狹槌尊又曰髙天原所生神名曰天御中主尊次髙皇産靈尊次神皇産靈尊皇産靈此云美武湏毘」、【一書に、天地が初めてわかれたときに、始めてともに生れた神がいる。國の常立という。次に國の狹槌。又、高の天原に生れた神の名を、天の御中の主という。次に高の皇産靈。次に神の皇産靈。皇産靈これをみむすひという】と訳した。
この一書は常立の国の神話で、なか国の祖神が皇産靈でその国の王が中主でなか国を狹槌の国が奪ったと述べ、豊国となか国が入れ替わって、『古事記』の神話はこの天御中主の国すなわち中(なか)国の神話で、『古事記』を作成した王の建国後に平郡氏が建国した国に奪取されたようで、主という官位がある時代の神話だ。
神皇産靈は君子国三国の神で、神の霊が支配する日国を支配したとする神話と考えられ、その国を高皇産靈が支配したと示し、神国を三国に文字を当て嵌めたのは、神の「み」と三身国を支配下にしていたことからと考えられ、『後漢書』には邪馬台国を大倭王が支配したとある。
『日本書紀』を平郡氏が最初に纏めた時、臣が尾張王朝の姓のため、自王朝の「おみ」に使主と文字を当て嵌め、使は押や忍の意味で支配することを意味し、主は国神を意味したようで、御中主は押中国主・中臣のことで、まだ臣の姓がないのに臣を使う中臣や日臣・道臣の臣は大倭国の配下の国神の臣・使主を意味したと考えられ、景行の時代にこれらが臣下となったと考えられる。
次の一書、一書(5)「一書曰天地未生之時譬猶海上浮雲無所根係其中生一物如葦牙之初生埿中也便化爲人號國常立尊」、【一書に、いまだ天地が生れていない時に、たとへば海上に浮ぶ雲の根がどこにもつながらないようだ。その中に一の物が生れた。葦牙が初めて埿の中に生れたようだ。すなはち人と化った。國の常立という。】と訳した。
この一書は一書(2)の内容を流用して創った常立が建国した「ね」国の神話で、神話が変化していく過程がよくわかり、帝俊の国を生んだ神話が『山海經』に記述されるのは、既に殷以前から、神の合祀が始まり、帝俊に合祀していた可能性があり、その為帝俊が多くの国を生んでいる。
次の一書、一書(6)「一書曰天地初判有物若葦牙生於空中因此化神號天常立尊次可美葦牙彥舅尊又有物若浮膏生於空中因此化神號國常立尊」、【一書に、天地が初めてわかれる時に、ある物があった。葦の牙のようで、何もないところから生れた。此が化った神を、天の常立という。次に可美の葦牙の彦舅。又物あって浮かぶ膏のように、何もない中に生れた。これが化った神を、國の常立という。】と訳した。
この一書は一書(2)の王朝を常立の海流の上流の母国の「天」の王が日国を奪取した神話で、葦牙彥舅と常立を入れ替え、葦牙彥舅と常立は同等で習合・合祀した神で、おそらく、父方と母方の神話を融合したのだろう。
我々は、この神の系譜を系図と勘違いしているが、実際は神達の上下関係を表し、「亦は」は習合・合祀させた神で征服者が被征服者を同じ神と宣言することで被征服者を征服者と同等の人々と扱うことで反乱を抑え、その筆頭者の神が征服者である。
それは、270年即位の応神天皇と390年即位で応神天皇十六年「百濟阿花王薨」と記述された応神天皇と、396年即位で応神天皇二五年「百濟直支王薨」と記述された応神天皇がいるのと同じで、常立は縄文時代の常立と弥生時代の常立と古墳時代の常立がいて、ひとまとめにしてる。
大国主を「亦名謂大穴牟遅神亦名謂葦原色許男神亦名謂八千矛神亦名謂宇都志國玉神」はキリストを種々の名で呼ばないように大国主は大国王で大穴牟遅や葦原色許男などではなく、後代に大穴牟遅や葦原色許男の子孫が大国主の子孫に臣従して、初代を大国主と同じ時代に当て嵌めたのに過ぎない。
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