2021年4月5日月曜日

最終兵器の目 『日本書紀』本文と『山海經』1

 『日本書紀』は『四方志』を基に平郡氏が第一群の安康天皇までをまとめたもので、それは、森博達が雄略天皇から漢字音が変わったと述べていることからも解り、漢字も『三国史記』375年近肖古王三十年に「古記云『百濟開國已來未有以文字記事至是得博士高興始有』」と、平郡氏の応神天皇が375年以降に「習諸典籍於王仁」と漢字の用例を学び、応神天皇十六年は応神天皇三年是歳百濟國殺辰斯王以謝之」の内容が392年にあたり、応神天皇の16年は405年の事と考えられる。

すなわち、『四方志』は『梁書』の「倭国・分身国・大漢国・扶桑国」の4国の表音漢字で記述された歴史を、中国典籍をもとに『日本書紀』のような表意文字に変換したと考えられ、安康天皇までは漢字で理解しないで、読みで理解しなければならず、倭も大倭も晋時代の史書の『三国志』や『後漢書』を基に漢字を当て嵌めていて、大倭は『続日本紀』に君子国があった場所と記述し、すなわち『山海經』の日本海東部の南端が舞鶴近辺の「三国」を指していると理解すべきである。

漢字を表音文字に変換する時、『古事記』に「論語十巻千字文一巻」とあり、また、『日本書紀』には「魏史云」と『三国志』も『百濟記』も記述され、『百濟記』は476年雄略天皇二十年まで記述されていて、これ以前に書かれた文献をもとに表意漢字を当て嵌めたと考えられる。

天という文字が【

『山海經』『南次三經』「曰天虞之山其下多水」、「東五百里」に「丹穴之山其上多金玉丹水出焉而南流注于渤海・・・則天下安寧」、その東三千三百里に「雞山其上多金其下多丹雘・・・見則天下大旱」、その東四百里に「令丘之山無草木多火・・・天下大旱

『西山經』「天帝之山上多椶枏下多菅蕙」、「東二千里」に「太華之山・・・天下大旱

『西次二經』に「女牀之山其陽多赤銅・・・天下安寧」、『西次三經』「崇吾之山在河之南・・・天下大水」、「峚山・・・丹水出焉・・・天地鬼神」、「泰器之山觀水出焉西流注于流沙・・・天下大穰」、「有淫水・・・有天神焉」、「昆侖之丘・・・司天之九部及帝之囿時・・・東南流注于氾天之水洋水出焉」、「流沙・・・天之九德也」、「玉山是西王母所居也・・・天之厲及五殘」、「陰山濁浴之水出焉・・・有獸焉其狀如狸而白首名曰天狗」、「天山多金玉有青雄黃英水出焉

『北山經』「嶽法之山瀤澤之水出焉而東北流注于泰澤・・・天下大風」、『北次三經』「天池之山・・・澠水出焉」、「馬成之山・・・有獸焉・・・其名曰天馬

『東山經』「犲山・・・天下大水」、『東次二經』「空桑之山・・・天下大水」、「姑逢之山・・・天下大旱」、『東次四經』「女烝之山・・・天下大旱」、「曰欽山・・・天下大穰」、「子桐之山・・・天下大旱」、「剡山・・・天下大水」、「太山・・・天下大疫

『中山經』「金星之山多天嬰」、『中次三經』「和山其上無草木而多瑤碧・・・九水出焉合而北流注于河其中多蒼玉・・・天地氣也」、『中次五經』「尸水合天也」、『中次六經』「嶽在其中以六月祭之如諸嶽之祠法則天下安寧」、『中次七經』「堵山神天愚居之是多怪風雨其上有木焉名曰天楄方莖而葵狀」、『中次一十一經』「天井夏有水」、「几山,・・・天下大風」、「大凡天下名山五千三百七十居地大凡六萬四千五十六里

『五臧山經』「天下名山,經五千三百七十山,六萬四千五十六里,居地也・・・天地之東西二萬八千里南北二萬六千里出水之山者八千里受水者八千里出銅之山四百六十七出鐵之山三千六百九十此天地之所分壤樹穀也戈矛之所發也刀鎩之所起也」】と記述される。

このように、「天」は水源で、その近くに「天下」や「天」の付く動物や人物がいて、山經のまとめの『五臧山經』に水を出す山が天、銅や鉄を算出する山が天地を分け、木が茂り穀物を産出する場所が地で戈矛刀を作ると記述し、青銅器も鉄器も殷時代の遺跡で発掘され『山海經』が殷以前の五帝や夏の禹、殷の始祖の契の義父帝嚳を記述して矛盾しない。

 

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