2021年6月23日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段12

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾尊深恨日愛矣吾那迩妹尊唯以一兒謂易子之一本替愛我那途妹尊者乎則匍匐御頭邊匍匐御脚邊而哭流涕時御涙隨為神坐香山之畝尾丘樹下所居之神号日啼澤女神伊奘諾尊遂抜所帶十握劍斬軻遇突智頸為三段亦爲五段亦爲八段三段各化爲神一段是爲雷神一段是爲大山祇一段是爲髙寵五段各化成五山祇一則首化爲太山祇二則身中化爲中山祇三則手化爲麓山祇四則腰化爲正勝山祇五則足化爲雜(しぎ?)山祇八段各化為八山祇一則首化爲大山祇 亦名正麓山津見神二則身中化爲中山祇亦名胷(?)成津見神三則腹化爲奥山祇亦名奥山與津見四則腰化爲正勝山祇亦於陰所成神名闇山津見神五則左手化爲麓山祇亦名志藝山津見神六則右手化爲羽山祇亦名羽山津見神七則左足爲原山祇亦名原山津見神八則右足化爲戸山祇 亦名戸山津見神覆劍鐔垂血激越爲神亦走就湯津石村(?)成之神名日天尾羽張神亦名凌威雄走神亦云甕速日神亦熯速日神亦槌速日神今坐天安河上天窟之神也兒建甕槌之男神亦名建布都神亦名豊布都神今坐常陸國鹿嶋大神即石上布都大神是也覆劍鐸垂血激越爲神亦血走就湯津石村所成之神名日磐裂根裂神兒盤筒男盤筒女二神相生之神兒經津主神今坐下総國香取大神是也覆劍頭垂血激越爲三神名闇寵次闇山祇次闇罔象是時斬血激灑染於石礫樹草砂石自含火其縁也」、【伊奘諾が「愛しい私の妻。ただ一人の子のために、愛しい私の妻を犠牲にしてしまった」と深く恨んで、頭のあたりや、脚のあたりで這いまわって、悲しみの涙を流した。涙は落ちて神となった。これが香山の畝尾の丘の樹の下にいる神で、名を啼澤女という。伊奘諾はついに、腰に帯びた十握の剣を抜いて軻遇突智の首を斬り、三つに断った。また、五つに断った。また、八つに断った。三つがそれぞれ神になった。そのひとつは雷神となった。ひとつは大山祇となった。ひとつは高寵となった。五つそれぞれが五つの山の神になった。第一は首で、大山祇となった。第二は胴体で、中山祇となった。第三は手で、麓山祇となった。第四は腰で、正勝山祇となった。第五は足で、雜山祇となった。八つそれぞれが八つの山の神になった。第一は首で、大山祇または正鹿山津見という。第二は胴体で、中山祇または胸に生じた神で、瀬勝山津見という。第三は腹で、奥山祇または奥山上津見という。第四は腰で、正勝山祇または陰部に生じた神で、闇山津見という。第五は左手で、麓山祇または志芸山津見という。第六は右手で、羽山祇または羽山津見という。第七は左足で、原山祇または原山津見という。第八は右足で、戸山祇または戸山津見という。また、剣のつばからしたたる血がそそいで神となった。湯津石村に飛び散ってなり出た神を、天尾羽張またの名を稜威雄走または甕速日または熯速日または槌速日という。今、天安河の上流にいる、天窟である。天尾羽張神の子が建甕槌之男またの名を建布都または豊布都。今、常陸の国の鹿島にいる大神で、石上の布都大神がこれだ。また、剣の先からしたたる血がそそいで神となった。血が湯津石村に飛び散って、成り出た神を、磐裂根裂という。磐裂根裂神の子の磐筒男・磐筒女の二神が生んだ子が、経津主である。今、下総の国の香取にいる大神がこれだ。また、剣の柄頭からしたたる血がそそいで三柱の神となった。名を、闇寵、次に闇山祇、次に闇罔象という。このとき斬られた血がそそいで、石や砂や草木が染まった。これが砂や石自体が燃えることのある由来だ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「於是伊耶那岐命抜所御佩之十拳劔斬其子迦具土神之頸尓著其御刀前之血走就湯津石村所成神名石析神次根析神次石箇之男神次著御刀本血亦走就湯津石村所成神名甕速日神次樋速日神次建御雷之男神亦名建布都神亦名豊布都神次集御刀之手上血自手俣漏出所成神名闇游加美神次闇御津羽神所殺迦具土神之於頭所成神名正鹿山上津見神次於胸所成神名游縢山津見神次於腹所成神名奥山上津見神次於陰所成神名闇山津見神次於左手所成神名志藝山津見神次於右手所成神名羽山津見神次於左足所成神名原山津見神次於右足所成神名戸山津見神故所斬之刀名謂天之尾羽張亦名謂伊都之尾羽張於」、【そこで伊邪那岐は、身に着けた十拳劒を抜いて、その子の迦具土の首を斬った。そこでその刀の先に着いた血が、湯津石村に走り去って、なった神の名は、石拆。次に根拆。次に石筒之男。次に刀の元についた血も、湯津石村に走り去って、なった神の名は、甕速日。次に樋速日。次に建御雷之男。またの名は建布都。またの名は豐布都。次に刀の持ち手の上に集まった血が、手の俣から漏れ出て、なった神の名は、闇淤加美。次に闇御津羽。殺した迦具土の頭になった神の名は、正鹿山上津見。次に胸がなった神の名は、淤縢山津見。次に腹がなった神の名は、奧山上津見。次に陰がなった神の名は、闇山津見。次に左の手がなった神の名は、志藝山津見。次に右の手がなった神の名は、羽山津見。次に左の足がなった神の名は、原山津見。次に右の足がなった神の名は、戸山津見。それで、斬った刀の名は、天之尾羽張といい、またの名は伊都之尾羽張と言う。】と訳した。

この説話は軻遇突智によって国を獲得したことを示していて、『日本書紀』は3国、これは三身国で筑紫の豊・速・建、『古事記』は八国で八の頭を持つ山祇の遠呂智、三身国の綱で国造りしたように大国は三身国の援助を受けた国、素戔嗚は八国を統一したと主張する神話で、『舊事本紀』は『古事記』の八国から『日本書紀』の3国を除いた5国の山祇に分裂したと述べ、『古事記』・『舊事本紀』は『日本書紀』の3国豊・速・建が雷神・大山祇・高寵の 大山祇を祖とする氏族の分派だと述べている。

其々の氏族には同じような事象から神が生まれ、同じような名前がつけられ、其々の氏族の合従連衡や侵略によって神が合祀や習合や、移住もあったので、神の名も亦の名や、神名を区別するため地名が接頭語としてつけられ、神話を完成させるとき、その神の名を使えばよく、そのため、無関係な神が同一の神とし、氏族に都合の良い解釈を行ったと考えられ、天之尾羽張のように、氏族によって善にも悪にもなる。

『日本書紀』では高倉下が武甕雷から布都の剱を貰い、毒気に当たって眠っていた神武天皇が目覚めた記事があるが、文字は「韴靈」と記述して今で言う「スパっと切れる妖刀」のような意味の熟語と考えられ、それを、巨勢氏以降が「布都」とこれも切れる表音文字で表現し、樋も『日本書紀』では、素戔嗚が壊すのは畔で樋ではなく、允恭紀に下樋が記述され平郡王朝以外の王朝が使ったと考えられ、また、5世紀末においても、暦を知らない神話の歴史時代ではない氏族があったことを示している。


 

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