2021年6月21日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段11

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾伊弉冉二尊俱議曰吾已生大八州及山川草木何不生天下之主者欤先生日神号日大日靈貴亦云尊天照太神要大日委此子光華明徹於六合之内故二神喜日吾息雖多未有若此異靈之兒不宜久留此國自當早送于天而授以天上之事是時天地相去未還故以天柱奉送於天上矣次生月神号日月讀尊亦云月夜見亦月号其光綵亞日可以配日而治故奉送于天次生素戔嗚尊此尊可治天下而此神勇悍以忍安旦常以哭泣爲行故令國内人民以夭折覆使青山變枯山覆河海悉泣乾矣以惡神之音如猍蠅流万物之妖如吹風皆登矣次生蛭兒雖已三歳而腳尚不立初二神巡柱之時陰神先發喜言既違陰陽之理所以初終生此兒矣次生鳥磐橡樟舩即以此舩乃載蛭兒流放棄矣伊弉冉尊欲生火之産靈迦具穾智 亦云火焼速男命神亦云火焼炭神之時因生此子美舉登見炙而病(?)矣旦神避之時悶熱懊悩因爲吐此化爲神名日金山彦神次金山姫神次小便亦尿化為神名日罔象女神次大便亦屎化為神名日埴安彦埴安姬神次生天吉葛󠄀次生稚彦靈日神此神之子謂豊受氣比女神火神軻遇突智娶土神埴安姫生稚皇産靈神此神頭上生蝅與桒臍中生五糓伊弉冉尊生火神軻遇突智之時見焦而神退生矣伊奘諾伊弉冉二尊共所生嶋十四神四十五柱也其磤馭盧嶋者非(?)生亦水蛭子要淡嶋不入子例伊奘諾尊深恨日愛矣吾那迩妹尊唯以一兒」、【伊奘諾・伊弉冉は、「私たちはもう、大八州や山川草木を生んだ。どうして天下の主となる者を生まないでよいのか」と相談した。そこでまず、日の神を生んだ。大日孁貴という。または天照太神といい、大日孁という。この子は、華やかで光りうるわしくて、六合の中で照りわたった。それで、二柱は喜んで「わが子たちは沢山いるが、いまだこんなにあやしく不思議な子はなかった。長くこの国に留めておくのはよくない。早く天に送り、天の上の仕事をしてもらおう」と言った。この時、天と地とはまだそれほど離れていなかった。そのため、天の柱で、天の上に送った。次に、月の神を生んだ。名づけて月読という。または月夜見、月弓という。その光りうるわしいのは、太陽に次いでいた。それで日に副えて治めさせるのがよいと、天に送った。次に、素戔烏を生んだ。これは天下を治めるべきだったが、勇ましくて荒々しく、残忍なことも平気で行った。また、常に泣きわめくことがあった。それで、国内の人々が若死にさせられた。また、青々とした山を枯れた山に変え、川や海の水をすっかり泣き乾くように干上がる程で、禍いをおこす悪神のさわぐ声は、むらがる蠅のように充満し、あらゆる禍いが吹く風のように一斉に発生した。次に、蛭児を生んだ。三歳になっても脚が立たなかった。はじめ伊奘諾・伊弉冉が柱を回った時に、女神が先に喜びの声をあげた。それが陰陽の道理にかなっていなかったため、最後にこの子が生まれた。次に、鳥磐櫲樟船を生んで、この船に蛭児を乗せて流し棄てた。伊弉冉が、火産霊迦具突智または火焼男命、または火々焼炭を生もうとしたとき、この子を生んだために、陰部が焼けて病の床に伏した。そうして死ぬときに、熱で苦しんだ。そのため嘔吐して神となった。名を金山彦、次に金山姫という。次に小便をし、それが尿神となった。名を罔象女という。次に大便をし、それが屎神となった。名を埴安彦と、埴安姫という。次に、天吉葛を生んだ。次に、稚産霊日を生んだ。この稚産霊日の子を、豊宇気比女という。火の神の軻遇突智は土の神の埴安姫を妻にして、稚皇産霊を生んだ。この神の頭の上に蚕と桑が生じた。臍の中に五穀が生まれた。伊弉冉は、火の神を生むときに、体を焼かれて死んだ。伊奘諾・伊弉冉が共に生んだ島は十四。神は四十五柱になる。ただし、磤馭盧島は生んだものではない。また、水蛭子と淡島は子の数には入れない。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「故伊耶那美神者因生火神遂神避生(坐)也凡伊耶那岐伊耶那美二神共所生嶋壹拾肆嶋神参拾伍神故尓伊耶那岐命詔之愛我那迩妹命乎謂易子之一木乎乃匍匐御枕方匍匐御足方而哭時於御涙所成神坐香山之畝尾木本名泣澤女神故其所神避之伊耶那美神者葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也」、【それで、伊邪那美は、火の神を生んだので、とうとう神避った。すべての伊邪那岐、伊邪那美の二柱が、共に生んだ、十四島、神卅五神は伊邪那美がまだ神避る前に生んだ。ただ、意能碁呂島は、生んではいない。また、蛭子と淡島とは、子の例には入れない。それで伊邪那岐が「愛しい私の妻を子の一人と取り換えた。」と言って、それで枕へ這い、足へ這って哭いた時、涙が化った神は、香山の畝尾の木の元にいて、泣澤女と名づけた。それで、その神避った伊邪那美は、出雲の國と伯伎の國との堺の比婆の山に葬った。】と訳した。

『舊事本紀』は、ここでも、伊弉諾・伊弉冉が天の住人ではないと述べ、埴安彦・埴安姫が記述され、当然、政治の中枢にいる物部氏は平郡氏が既述した史書の『日本書紀』を知らないはずがなく、そこに出現する埴安姫・埴安彦親子を知らないはずがなく、埴安彦が稚皇産霊、埴安姫は河内青玉の娘なので青玉が『舊事本紀』の伊弉冉と言うことになり、『舊事本紀』の黄泉の国は和泉に当たり、埴安彦が長髓彦の物語のモデル、欝色雄が可美眞手のモデルと考えられる。

『日本書紀』では、伊弉冉の出身地が根国と記述し、葬った場所は記述しないが、原初では、水葬若しくは集落内に葬られているので、女は確実に出身集落に葬り、集落を出た男は結果的に水葬や風葬となると考えられ、『古事記』の伊弉冉は比婆の山が出身地、『舊事本紀』の伊弉冉は紀伊国熊野の「有馬村」が出身地のようで、各氏族にも独自の伊弉諾・伊弉冉のような人物が存在し、有名な伊弉諾・伊弉冉に名前を変えた。

そして、『舊事本紀』の神生みは、天照や月読ではなく、蛭子から始まり、最初に発声する順が間違いだから蛭子が生まれ、天に送ったのは蛭子で、その後で主神の火産霊迦具突智を生み、蛭子は葦で出来た舟で水葬したと考えられ、『古今和歌集 藤原興風』の「白浪に 秋の木の葉の 浮かべるを 海人の流せる 舟かとぞ見る」は海人が流す精霊流しの原型と考えられ、古代の葦舟の名残りと思うと以前述べた。

そして、天国の海流の上流から水葬して流れ着いた先が対馬(対岐)の黄泉で、その王が月読、蛭子は男だから水葬されたのであり、若しくは、男の伊弉諾は野垂れ死にを思わせる風葬で、伊弉諾から蛆がわき、草が生えて、生命を生む神と呼ばれたのだろうか。

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