『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾尊欲相見其妹伊弉冉尊追往黄泉國則到殯斂之處尓自殿騰戸出向猶平生出迎共語之矣伊奘諾尊謂日悲汝故來其愛我那迩妹尊吾與汝(?所)作之國未作竟故可還矣伊弉冉尊對日悔哉吾夫君尊何來之晩也吾巳饗泉之竃矣雖然吾當寢息然愛我那勢命入來坐之事隠故欲還具與黄泉神相論請扶也勿視吾矣如此白而還入其殿内之間甚久難侍矣伊奘諾尊不聽(?所)請于時闇也故刺左御髻湯津爪櫛索折其雄柱一箇以爲秉乃擧一片之火而見之今世人夜忌一片之亦夜忌擲櫛此其縁矣伊弉冉尊脹滿太髙腫沸虫流其上有八雷居於頭者火雷居於胷者火雷居於腹者黒雷居於陰者列雷居於左手稚雷居於右手土雷居於左足鳴雷居於右足伏雷也伊奘諾尊大驚之日吾不意到於不須也凶因語汚穢國矣乃急走廻歸之時伊弉冉尊恨日不用要言令吾恥辱汝巳見我情我覆見汝情于時伊奘諾尊(?悊)將出返之時不直黙歸而盟之日族離矣伊弉冉尊乃遣泉津配女追而留矣伊奘諾尊抜劍背揮以逃矣因投黒鬘此即化成葡萄醜女見而採敢之噉畢亦即追之矣伊奘諾尊覆投右鬘湯津爪櫛此即化生筍醜女亦抜而噉之敢畢則更亦追矣伊奘諾尊逃行且後於八雷神副千五百之黄泉軍令追尓抜所御偑十握劔而後手布里都之逃走矣伊奘諾尊乃向大樹放尿此即化成巨川泉津日狹女將渡其水矣伊奘諾尊逃到黄泉平坂則立隱桃樹採其桃子三箇待撃者黄泉雷軍皆悉逃還矣凡厥用桃避鬼(?尤)是其縁也」、【伊奘諾は、妻の伊弉冉に会いたいと、後を追って黄泉の国に行き、もがりの場所にやって来て、伊弉冉は御殿の戸を上げて出迎え、生きていたときのように語りあった。伊奘諾は「あなたが愛しくてやってきた。愛しい妻よ、私とあなたとで造った国は、まだ造り終えていない。だから帰ってこい」と言った。伊弉冉が「残念です。あなたは来るのが遅すぎた。もう、黄泉の国の食べ物を食べてしまって眠るところです。けれども愛しいあなたが、わざわざ訪ねてきたから帰りたいと思うので、しばらく黄泉の神と相談します。私を見ないで」と答えて、女神は、その御殿の中に入っていったが、その間がとても長く、待ちきれなくなった。伊奘諾は見ないでという願いを聞かず、暗かったので、左の御髻に挿していた湯津爪櫛の、太い歯の一本を折り、手灯として火をともして見た。今、夜に一つだけ火をともすことを忌み、また夜、櫛を投げることを忌むのは、これが由来だ。伊弉冉は、死体がはれ上り蛆がたかっていた。その上に八の雷があった。頭には大雷、胸には火雷が、腹には黒雷、陰部には列雷、左手には稚雷、右手には土雷、左足には鳴雷、右足には伏雷がいた。伊奘諾はとても驚いて「私は思いがけなくも汚い国に来てしまった」と言い、急いで逃げ帰った。伊弉冉は恨んで「約束を守らないで、私を辱しめた。あなたは私の本当の姿を見てしまった。私も、あなたの本心を見た」と言い、伊奘諾は恥じて、出て帰ろうとしたとき、ただ黙って帰らないで「縁を切ろう」と誓った。伊弉冉は泉津醜女を派遣して、追いかけさせて留めようとした。伊奘諾は剣を抜いて後ろを振り払い逃げた。そして髪に巻いていた鬘草の飾りを投げると、葡萄になった。醜女はこれを採って食べた。食べ終わると、また追いかけた。伊奘諾はまた、右の髪に挿していた湯津爪櫛を投げた。これは筍になった。醜女はそれを抜いて食べた。食べ終わるとまた追いかけた。伊奘諾はそこから逃げたが、その後に、八の雷神が千五百の黄泉の兵を率いて追ってきた。そこで帯びた十握の剣を抜いて、後ろを振り払いながら逃げた。伊奘諾は、大樹にむかって放尿した。これが大きな川となった。泉津日狭女がこの川を渡ろうとする間に、伊奘諾は逃げて黄泉平坂に着いた。そこになっていた桃の木の陰に隠れて、その実を三つ取って待ち、投げつけたら、黄泉の雷の兵はみな退散した。これが、桃を使って鬼を防ぐ由来だ。】と訳した。
『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「是欲相見其妹伊耶那美命追往黄泉國尓自殿滕戸出向之時伊耶那岐命語詔之愛我那迩妹命吾與汝所作之國未作竟故可還尓伊耶那美命荅白悔哉不速來吾者爲黄泉戸喫然愛我那勢命入來坐之事恐故欲還且與黄泉神相論莫視我如此白而還入其殿内之間甚久難待故判(刺)左之御美豆良湯津々間櫛之男柱一箇取闕而燭一火入見之時宇士多加禮許呂々岐弖(此十字以音)於頭者大雷居於胸者火雷居腹者黒雷居於陰者析雷居於左手者若雷居於右手者土雷居於左足者鳴雷居於右足者伏雷居并八雷神成居於是伊耶那岐命見畏而逃還之時其妹伊耶那美命言令見辱吾即遣豫母都志許賣令追尓伊耶那岐命取黒御鬘投棄乃生蒲子是摭食之間逃行猶追亦判(刺)其右御美豆良之湯津々間櫛引闕而投棄乃生筝是抜食之間逃行且後者於其八雷神副千五百之黄泉軍令追尓抜所御佩之十拳劔而於後手布伎都都逃來猶追別(到)黄泉比良坂之坂本時取在其坂本桃子三箇待撃者悉坂返也」と『舊事本記』とほゞ同じである。
前項は八柱の山祇、この項は雷で前項は「つみ」・この項は「つち」で、「ち」も「み」も1文字で神霊を表し、「つ」は「対馬」か港の「津」を表す1文字と考えられ、「む(な)ち」と宗像の霊を表すように、対馬の霊や神を表すと考えたほうが合理的である。
そして、「祇」は3・5・8と多くなって行くことから、元々、対馬1国の神が3国・8国と出張所を作った大八島の国生みの説話に繋がる神の時代毎の神を表し、それに対する港の国神である槌、物部氏・尾張氏の狭の地域から降って来た先祖神を表すと考えられる。
その大八島すなわち大倭国、『後漢書』の「大倭王」の神話がこの項の神話で、大倭王が支配する邪馬台国すなわち熊襲の地、建甕槌が支配した十握の剱を持っている建素戔嗚の地の神話を取り入れた神話と考えられ、神武天皇・懿徳天皇より後の大彦達の親の世代あたりの神話である。
そして、槌に雷を使用した理由が伊賀槌からと述べたが、それに加えて、鳴雷が有るように、弥生時代の音を鳴らす道具の銅鐸も理由で、金山彦・金山姫の金は銅鐸が鳴り響く山を表しているのかもしれない。
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