2021年6月4日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段4

 次の一書は、一書()「一書曰伊弉諾尊與伊弉冉尊共生大八洲國然後伊弉諾尊曰我所生之國唯有朝霧而薫滿之哉乃吹撥之氣化爲神號曰級長戸邊命亦曰級長津彥命是風神也又飢時生兒號倉稻魂命又生海神等號少童命山神等號山祇水門神等號速秋津日命木神等號句句廼馳土神號埴安神然後悉生萬物焉至於火神軻遇突智之生也其母伊弉冉尊見焦而化去于」、【一書に、伊奘諾と伊奘冉と、共に大の八の洲國を生んだ。その後に、伊奘諾が、「私たちが生んだ國は唯、朝霧のみ有って、薫り滿ちていない」といった。乃ち吹き撥する氣が神と化った。名を級長の戸邊という。亦は級長の津彦という。これは、風の神だ。又、飢た時に生む子を、倉稻の魂という。又、生まれた海の神達を、少童という。山の神達を山祇という。水の門の神達を速の秋の津の日という。木の神達を句句廼馳という。土の神を埴の安の神という。その後に、悉に萬の物を生んだ。火の神の軻遇突智が生れるに至って、その母伊奘冉は、焦れて化り去った。】と訳した。

この一書は本文より詳しく『古事記』と同じ背景の神話と思われ、信濃國直丁が鳥養部になる前、倭武以降に得た神話と考えられ、級長は信濃の「しな」で、『古事記』の「迫到科野国之州羽海将殺時建御名方神」と国譲りの御名方神の説話を知っている氏族の神話と考えられる

「少宮」は伊奘諾が「淡路之洲」で隠遁した宮で、また「玉依姫海童之小女」と神武天皇の母系が「少・童」の文字を使い、「少彦名」は『舊事本記』で「行到熊野之御碕」から常世に去り、海神となったと述べ、『日本書紀』は小女と少女のように漢字を使い、少彦は小彦と同義と思われ、少彦は吉備の小国の人物と考えられる。

風の神、風は伊勢の枕詞で、伊勢志摩の伊勢ではなく、伊勢遺跡の伊勢の神の可能性が高く、倉稻は『古事記』「宇迦之御魂神」「大国主神亦為宇都志国玉神而其我之女須世理毘売為適妻而於宇迦能山」の「うか」もしくは文字から考えると高倉下のいた「菟田高倉山で、さらに、「萬魂」の子は『先代舊事本紀」に「次萬魂尊兒天剛風命(高宮神主等祖)」と高の王の高木神である。

船着き場の神が豊国と呼ばれる前の速国の分国の安芸の津の日神で、日別は九州日国の分国で、『梁書』に「文身國」とあり、『山海經』に東シナ海と日本海西部と日本の太平洋側に日国「三身國」の海岸が有る国の分国が文身國で、祖の分国で安芸にいる日神と記述している。

現代に言われている蜻蛉野は神武天皇が三一年猶如蜻蛉之臀呫焉由是始有秋津洲之號也昔・・・浦安國細戈千足國磯輪上秀眞國・・・玉牆内國・・・虚空見日本國」のように秋津洲と命名していて、神武以降に建国した人物が作った神話である。

そして、土の神の埴安神は「河内青玉繋女埴安媛生武埴安彦命」と崇神紀で大彦と戦う人物の「八」国で、以前、この人物が長髓彦と証明し、この一書の氏族は君子国の流れをくむ、中の国出身の王朝であることを誇示している。

そして、その火神の軻遇突智、これはおそらく、木の神の句句廼馳と分岐した神で『後漢書』の「自女王國東度海千餘里至拘奴國」、「倭人」が「倭奴國」なら「拘奴國」には「拘人」がいて、『三国志』に「狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗」と、「狗古智」・「句句廼馳」は類似している。

すなわち、この一書は黒曜石や縄文土器の中心地の信濃から三国を支配した越国、越神の風下の野洲、そして、木国の木津、さらに、吉備の小国、安芸、豊前と大八国になる前の神倭(神八)国を建国した氏族の「火」を「か」と読む漢字と知っている、魏朝以降の神話と考えられる。



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