2021年6月18日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段10

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「伊奘諾伊弉冉二尊既生国竟更生神十柱先生大事忍男神

次生石土毘古神次生石巣比賣神次生大戸日別神次生天之吹止男神次生大屋比古神次生風木津別之忍男神次生海神名大締津見神 亦名少童命次生水戸神名建秋津彦神 亦名建秋田命次生妹建秋津姫神覆速秋津彦速秋津姫二神因河海持別生神十柱先生沫那芸神次生津那美神次生那藝神次生頬那美神次生天之水分神次生國之水分神次生天之久比賣女道神次生國之久比賣女道神次生山神名大山止津見神一云大山神祇次生野神名鹿屋姫神亦云野推神覆大山祇神野稚神因山野持別而生神八柱先生天之狭土神次生國之狭土神次生天之狭霧神次生國之狭霧神次生天之闇戸神次生國之闇戸神次生大戸或子神次生大戸或女神覆生神名鳥之石楠舩神 亦云謂天鳥舩神覆生大宜都比女神伊奘諾尊日我所生之國唯有朝霧而薫満矣乃吹揆之氣化爲神是謂風神也風神号日級長津彦命次級長戸邊神次生飢時兒號稲倉魂命次生草祖号四草姫亦名野槌次生水門神等号建秋日命次生木神等号日句句廼馳神次生土神号日埴山姫神亦云埴安姫神然後悉生万物焉」、【伊奘諾・伊弉冉は、国を生み終え、さらに十柱の神を生んだ。まず大事忍男を生んだ。次に、石土毘古を生んだ。次に、石巣比売を生んだ。次に、大戸日別を生んだ。次に、天の吹上男を生んだ。次に、大屋比古を生んだ。次に、風木津別の忍男を生んだ。次に、海神、名は大綿津見またの名を少童を生んだ。次に、水戸神、名は建秋津彦またの名を建秋田を生んだ。次に、妻の建秋津姫を生んだ。また、この速秋津彦・速秋津姫の二神が、河と海を分担して十柱の神を生んだ。まず、沫那芸を生んだ。次に、津那美を生んだ。次に、頬那芸を生んだ。次に、頬那美を生んだ。次に、天の水分を生んだ。次に、国の水分を生んだ。次に、天の久比奢母道を生んだ。次に、国の久比奢母道を生んだ。次に、山神、名は大山津見一説には大山祇神を生んだ。次に、野神、名は鹿屋姫またの名を野推を生んだ。また、この大山祇と野稚が山と野を分担して八柱の神を生んだ。まず、天の狭土を生んだ。次に、国の狭土を生んだ。次に、天の狭霧を生んだ。次に、国の狭霧を生んだ。次に、天の闇戸を生んだ。次に、国の闇戸を生んだ。次に、大戸或子を生んだ。次に、大戸或女を生んだ。また神を生んだ。名を鳥の石楠船または天鳥船という。また、大宜都比女を生んだ。伊奘諾が「私が生んだ国は、ただ朝霧がかかっているが、よい薫りに満ちている」と言った。そうして霧を吹き払うと、その息が神になった。これを風神という。風神を名づけて級長津彦という。次に、級長戸辺、次に、飢えて力のない時に生んだ子を、稲倉魂と名づけた。次に、草の祖神を生んで、名づけて草姫またの名を野槌という。次に、海峡の神たちを生んだ。速秋日と名づけた。次に、木の神たちを生んだ。名づけて句々廼馳という。次に、土の神を生んだ。名づけて埴山姫また、埴安姫ともいう。その後、全ての物を生んだ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は「既生國竟更生神故生神名大事忍男神次生石土毘古神次生石巣比賣神次生大戸日別神次生天之吹上男神次生大屋毗古神次生風木津別之忍男神次生海神名大綿津見神次生水戸神名速秋津日子神次妹速秋津比賣神速秋津日子速秋津比賣二神因河海持別而生神名沫那藝神次沫那美神次頬那藝神次頬那美神次天之水分神次國之水分神次天之久比奢母知神次國之久比奢母智神次生風神名志那都比古神次生木神名久々能智神次生山神名大山津見神次生野神名麻鹿屋野比賣神亦名謂野椎神并四神此大山津見神野椎神二神因山野持別而生神名天之狭土神次國之狭土神次天之狭霧神次國之狭霧神次天之闇戸神次國之闇戸神次大戸或子神次大戸或女神次生神名鳥之石楠舩神亦名謂天鳥舩次生大宜都比賣神次生火之夜藝速男神亦名謂火之炫毗古神亦名謂火之迦具土神因生此子美蕃登見炙而病臥在多具理迩生神名金山毗古神次金山毘賣神次於屎成神名波迩夜須毗古神次波迩夜須毗賣神次於尿成神名弥都波能賣神次和久産巣日神此神之子謂豊宇氣毘賣神」とあり、概ね『舊事本記』と同じだが、『古事記』の神話は火を「か」と読む時代の神話で「句」を「迦」にして火の神を付け加え、かなり後代の神話である。

『日本書紀』には句句廼馳と草野姫(野槌)が登場するだけなのに対し、この2書は数多くの神が登場し、多くが重なっているが、これは、巨勢王朝の立役者の祖神が付け加えられたと考えられ、そのためなのか、『日本書紀』では景行天皇以降の「豊秋津」と豊国配下としているが、「速秋津」・「建秋津」と熊襲やそれ以前の配下で記述され、景行天皇より前の説話である。

しかし、『舊事本紀』は旧史書をなぞり、最後に自分の系図を付け加えるのが常なので、ここでは、級長津彦・級長戸辺・稲倉魂・草姫(野槌)・速秋日・句々廼馳・埴山姫(埴安姫)がそれにあたり、君子国の氏族を初め多くの氏族との上下関係を述べ、5世紀までの神話を取り入れ、記録あるものを紀伝体の歴史、記録が無い説話を神話に接合したと考えられ、『舊事本紀』は同じ説話が歴史時代と神話双方に記述されていると判断される。

それで、『古事記』は『日本書紀』の一書()より詳しく、平郡氏の皇后の葛城氏より巨勢氏の皇后の母方の歴史が古く、滋賀の伊勢遺跡の王朝の和珥・丸迩・物部氏の先祖神が反映されていることが考えられ、古代の皇位継承に皇后がその象徴だったことを物語っている。

また、大宜都比女が記述されていることから、粟国と血縁があり、速吸之門の道案内の「國神名曰珍彦」と珍彦は粟国出身のようで、『日本書紀』「珍彦爲倭國造」、『古事記』「娶木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣生子建内宿祢」と珍彦の娘で後に木國造を生む山下影日賣の子が建内宿祢で、建内宿祢の子の葛城氏の神武天皇の葛城襲津彦の東征の時に粟国の人物で建内宿祢の義父の珍彦が協力して、勝利をおさめて珍彦の子で葛城襲津彦の義兄弟が倭国造、兄弟の紀角宿禰が木国造となった続柄と思われる。


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