2025年6月30日月曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 まとめ2

古代は末弟が継承すると主張するが、伊邪本和氣→水齒別→男淺津間若子、穴穗→大長谷と兄から即位している。伊邪本和氣・水齒別の在位年数は6年と5年で、兄弟の年齢差とすれば妥当である。

立太子は意味が無く、史書は皇后が決まってから太子を記述しているように、皇后の子が次の天皇になっている。そして、男子が100年後の天皇なのだから、100年間は皇后の娘が皇后の名を継承し、婿を迎えて皇位を継承すれば、皇后の()子が天皇だ。そして、娘が生まれないと、男子が他家へ婿に、または、分家の娘が皇后の名を継承し、婿を迎えれば継承される。

皇后が余曾多本毘賣になった時、余曾多本毘賣の兄の子の数代の國押人が婿に入り皇太子になる。皇后に娘が居ないとき、いつも迎えていた國押人が他家に婿入りして、婿入り先の宮で皇位を継承する。これが、合理的な継承方法だろう。皇后の男子は皇后の兄弟の婿に入って奧津余曾を襲名し、その子も次の太子の國押人である。

そして、王家を形成する人々は、人名を地名や役職名使って名前にした。同じ名前の人物は、同じ家系と考えるのが合理的だ。他家の人物が同名を使うのは、自らのアイデンティティーを捨てることになる。逆に、移住する時は、そのアイデンティティーを持って、地名を持って移住する。

このような原則に立って、神話集である『古事記』を分析した。日子坐のように多くの妃を記述するが、開化朝から崇神朝の120年の間に、何代もの意祁都比賣の子の日子坐が存在し、婿入りして分家を設けたと考えれば理に適う。

120年間あれば、親子の年齢差が20歳とすれば、6・7代の日子坐が存在する。そして、日子坐には4柱(4家)の妃が存在し、80年間、4代の天皇の分家の日子坐が存在したと考えられる。そして、1・2代の日子坐は2・3代の皇后の父だろう。妃の家系の権力を高めるためには、日子坐ブランドは利用価値が高い。

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