2025年6月13日金曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 天皇大倭根子3

  足尼の宇摩志麻治は政大夫も兼ね、食国王の配下が政大夫で、大津の根国王を兼ねたようだ。綏靖朝では彦湯支が大津の根国王の足尼と政大夫を兼ね、師木の片鹽浮穴(草津市に片岡町・穴村町がある)を首都にして安寧天皇となった。懿徳朝では皇位を出雲醜大臣に奪われ、根国は大祢が「奉齋大神」とあるように、王になった。

大神は大国の神、元々大津にあった日吉大社の気比社と考えられ、気比社が宇迦能山の石根と考えられる。その後、三見と出石心が皇位を争い、根国を支配する足尼は一般の宿祢・王となり、劔根の孫の忍鹿比賣の子と考えられる葛木氏の大諸見(?大吉備諸進)が足尼となった。大神は気比から御上神社に権力が遷り、天照大神を祀ったのが大諸見足尼、神子の天皇は大倭根子である。

しかし、孝元朝に大綜杵が神と同等の大祢、政務を司る天皇が大倭根子だったのが、開化朝では分裂した。すなわち、内色許男の娘婿の武建と大峯が大祢、天皇は大臣の比古布都押之信と若倭根子となった。そして、崇神朝に建膽心が大祢(大根・伊理泥)となり、大国の神は御上神社の天照大神と大和神社の大國魂神の分裂状態、二王朝が続いた。

大根は子の十市根が天皇になって穴太足尼、婿の大碓の子が建忍山垂根と継承し、末裔が山代の山背根子、平群の眞根子、そして河内の長江の難波根子と継承した。建忍山垂根の義子の武内宿禰、その子の襲津彦に関連した地域である。

『日本書紀』は小碓を「一書云」で稚倭根子と記述し、稚倭根子を八坂入日女の子にしているのは、太子小碓が(十市)根の婿なのだから根子と考えているのだろう。そして、難波根子の婿と考えられる圓大臣、その娘の韓比賣と婿の大長谷若建との子の白髪が伊波禮甕栗宮の天皇が大倭根子の名を引き継いでいる。

大化二年・696年に唐から独立し、由緒ある天皇の「明神御宇日本倭根子」・「明神御大八洲日本根子」を天武天皇が襲名していたとした。そして、翌年の697年に成人した文武天皇が現御神大八嶋國所知倭根子を宣言したと考えられる。中臣(藤原)氏が熊襲の政権から皇位を取り戻した。

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