2025年6月18日水曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 伊勢國造

  『舊事本紀』によると、天照大神を祀る国の国王の伊勢國造は橿原朝に粟の忌部首の祖の天日鷲が賜姓された。粟は勿論、淡海のことであるが、奇妙な記述、「伊勢國造即伊賀伊勢國造祖」とある。伊勢國造になったのに、伊勢國造の祖は矛盾しているので、後の現代の三重県の伊勢の國造の祖を意味すると考えられる。

現代の伊勢神宮の王だった人物は孝徳天皇が国造を賜姓しているので、665年頃に伊勢神宮は遷ったと考えられ、蘇我馬子大臣の頃の伊勢は御上山にあった。天照大神を祀る伊勢皇大神宮が有るのに、管理する国が伊勢国ではない、また、伊勢皇大神宮が無いのに伊勢国というのは奇異である。ただし、三重の伊勢国の前に、伊賀伊勢國造なので、伊賀が伊勢国だった可能性もあり、天武朝の時に分けているので、再度、遷った可能性がある。すなわち、日鷲は伊勢遺跡の国造で、そして、日鷲は忌部首の祖なので、忌部首の祖の天太玉の後裔である。太玉は大国王を示している。太玉の娘の大宮売は天照大神の傍に仕え、豐と櫛の磐間戸兄弟は門番、御門()を守る、天照大神を支える人物だ。櫛磐間戸は天照国照彦天火明櫛玉饒速日の可能性が高い。

その太玉の名を引き継ぐ人物の娘の鴨姫を妃にするのが2代目膽咋の高穴穂大臣、鴨姫の父は建部君の祖の大荒田と考えられた。鴨縣主の祖は櫛玉、すなわち、この、天太玉のことのようだ。玉姫の父なのだから、太玉は相応しく、玉姫の婿は大印岐の孫の建稲種なので、大荒田の妃も大印岐の娘の可能性が高い。

志紀縣主の祖の印岐美(忌君)は建稲種と思われ、忌部と印岐は職制の部と領地の国と名が異なるだけで、指し示すものは同じ意味に近く、伊勢國造を継承した人物と考えられる。大根が大印岐、娘の兄比賣の婿の大荒田(大碓)、姉妹の弟比賣の婿の伊勢麻績君の子の大筒木眞若という師木・高穴穂朝廷の関係図である。

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