2025年6月6日金曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 天皇根子1

  「根子」の「ね」の最初の記述は豐秋津島が根別だとの記述である。豊国の安芸が根国の分国だと述べている。天一根は恐らく宇摩志阿斯訶備比古遲の出身地で、天比登都柱と対と考えられ、その後、根国は「妣國根之堅洲國」と記述された。五島列島の女島・天一根から遣ってきて、壱岐を岩根に建てた柱と考え、壱岐を起点に国を生んだ。阿斯訶備比古遲は子ではないことにした淡嶋近江の伊邪那岐の王朝がその説話を奪った。それは、隠岐から近江に入って来たと考えられる。

父が多賀の出身なのだから、母も同じ近江、堅洲国は堅田のことだろう。そして、天照大神が生んだことになっているが、実際は狹霧から生まれた天子の根国王、それが凡川内國造の祖の天津日子根や活津日子根なのだろう。宇都志國玉(国王)を大国主と呼び、根国の宇迦能山本の底津石根に宮柱を建てた。宇津氏の王は宇治川の津氏(氏は嶋の「シ」)の意味だろう。そこの女王は狹霧の娘の遠津待根の可能性が高い。

宇都志國玉は大津の國玉、すなわち、天津國玉を意味する。天津日子根の子孫が淡海の忌部の祖の伊勢國造の天日鷲(天照大神を祀る日輪氏)、太玉は活津日子根なのだろうか。事代主の妃が活玉依(玉櫛)姫で、太玉と活津が無関係とは思えない。多紀理毘賣を妃にした太玉(大国主)の子は大宮賣と豊磐間戸と櫛磐間戸、櫛磐間戸は天日方奇日方を生む事代主、豊磐間戸が建御名方、大宮賣が下光比賣だろうか。『舊事本紀』に「娶大國玉神女下照姫」と記述され、下照姫は『古事記』「大國主神之女下照比賣」と大國主の娘なので、大國玉は大国主(太玉)である。

忌部の祖の太玉を祀る神社を安房に立てた天富、勿論、太玉の神社なのだから、安房は淡海の「あは」である。天富は忌部を含む諸齋部を率いて神武天皇の即位に協力した、忌部の上位者で饒速日の義兄の登美能那賀須泥毘古と考えられる。諸齋部の中に物部が含まれ、()富の那賀須泥毘古の妹が御炊屋姫だから、そして、那賀須泥毘古が食国王だから、食国王の妹の子の宇摩志麻治が政大夫になれた。

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