2025年6月11日水曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 天皇大倭根子2

  『伊未自由来記』に宇津志の奈賀は出雲から来て、美豆別之主と取って替わったと記述される。出雲は島根県ではなく若狭湾の出雲である。美豆別之主には幾多の部の民が配下にいたとされ、その中に久米物部も存在し、久米部は美豆別之主を祖神として祀った。『舊事本紀』に、高御産巣日と共に天降った物部氏(物部造の祖の天津麻良・築紫弦田物部の祖の天津赤星)には天物部達の二十五部が存在した。その中に久米物部を含み、この久米物部の首領の天津麻良の後裔に饒速日が存在したのだろう。奈賀の国()は於佐神が建国した土地、長門の須佐出身と考えられる流宮の加須屋大海祇の子と考えられる。

隠岐王は、宇都須山祇が加須屋大海祇の協力を得た宇津志の奈賀なので、大津の王と考えられる宇都須山祇(宇都志國玉)の子のようだ。根国の奈賀皇子、那賀須泥毘古はピタリと合致する名前だ。そして、天富の祖と関係が有りそうな、國忍富は八国野洲の姫と考えられる八河江比賣を妃にし、生まれた子は速甕之多氣佐波夜遲奴美と甕の人物、御炊屋姫も甕師木八姫と考えられる甕の姫である。

天富は『舊事本紀』「天富命於安房地之大玉命社謂安房社」とあるように、太玉を祀る神社()を安房に建てた。その神社が根国の宇迦能山本の底津石根に宮柱をもつ宮殿と考えられる。そして、子が宇都志の奈賀、宇都須山祇の後継の姫の婿が太玉の子と考えられる阿治志貴高日子根である。

阿治志貴高日子根は下照比賣の義兄、大国主(太玉)の子である。同じく宇都須山祇の分家の御炊屋姫で婿が饒速日、宇都志の奈賀の妃が阿治志貴高日子根の妹の丹波の須津姫である。丹波が現代の丹波か琵琶湖東岸の「たには」なのか不明である。

天若日子の妃の阿治志貴高日子根の伊呂妹の下光比賣は御上神社に祀られたと考えられる天照大神となる。天若日子は天津國玉の子とされるが、婿と考えられ、父は加須屋大海祇と考えられる。隠岐(食国)王になった那賀須泥毘古は妹の御炊屋姫の子の宇摩志麻治を大津の根を支配する足尼に賜姓して、政大夫とした。

すなわち、足尼というのは、食国に代わって根(国神)を治める(たらす)人物で、神武朝の時の足尼は宇摩志麻治だった。神を治める足尼と統治する尼の一人である神武天皇(鞴五十鈴)の傍で実際に統治するのが政大夫である。「衣冠帶劍」の君子国の神武天皇と「冠帶」の周饒国の隠岐だ。

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