2025年7月4日金曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 歴史が始まった

歴史は暦を持った記録が有って、いつの記録なのか解る、歴史と言える。『史記』の帝堯の項に「命羲和敬順昊天數法日月星辰敬授民時」と、羲和は堯の命令で天空の運行を観察し、太陽・月・星を観測して人々に農事の為の暦を授けたとされている。

『山海經』に「東海之外甘水之閒有羲和之國有女子名曰羲和方浴日于甘淵」とあるように、東海の外、すなわち、黄海の外、九州の太平洋岸側、『大荒南經』・『大荒東經』に記述されているので、日本列島の太平洋岸の東と南の接点の南九州から瀬戸内を含む紀伊半島の辺りに羲和がいた。その羲和が、「歳三百六十六日以閏月正四時」と1年366日、閏月で四季を調整したと記述している。すなわち、1年を四分割して、八十八夜のように91夜と92夜を決めた。『古事記』にも、壹拾肆島、參拾伍神、伍佰捌拾歳を記録して、数の概念は持ち合わせていた。縄文遺跡には、日時計と考えられる遺物も有る。

月や日や時間も鳥獣を表す文字の十二支を最小単位とした。勿論、鳥獣と言っても、中国人から見た鳥獣で、日本人を指し、『山海經』には、日本人を『海外南經』だけでも、「翼鳥」、「身生羽」、「鳥一脚」、「人面有翼」などとあり、「一身三首」、「小人」、「短小」と獣どころか化け物と見ている。勿論、服装や、土器の模様、祀るシンボルを表しているのだろう。すなわち、「子」は根、「丑」は主、「寅」は門(人達)、などを漢字と置き換えたのではないだろうか。

「子」や「申」や「未」は鳥獣を表す文字ではなく、他も暦や方位の為に造られた文字のようで、中国語では鳥獣と言えない。十干の文字も暦や鳥獣の意味ではなく、五行思想と関連する文字でもない。日本が五行説を取り入れて、「木・火・土・金・水」を使ったとされるが、日本の最初の日干支は紀元前666年の甲寅である。日本人は甲寅を、漢字が無いので仮名を表す記号で「木の兄の門等」と記したはずで、紀元前659年以降に書かれた『書経』より古い。しかも、「火」は「か・ほ」ではなく、「ひのえうま」はあまりにも有名で「ひ」と読み、「五行思想」ならば、日本から輸出したことになってしまう。

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