2025年7月25日金曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 孝照(孝昭)天皇1

  神武天皇三一年の「登腋上嗛間丘・・・秋津洲之號」の記事が前506年の日干支で、懿徳5年に当たり、懿徳天皇が腋上を行幸して秋津国と名付けたと記述していることに。この時に息石耳(?劔根)が同行していて、葛川近辺に遷った可能性がある。そして、腋上宮が93年続いているので、20年後の懿徳25年に、天忍男が十八歳の時に、賀奈良知姫の居る腋上宮に婿入りしたようだ。

神武即位前紀戊午年秋八月甲午朔の「天皇使徴兄猾及弟猾者」の記事の日干支は前482年と考えられ、息石耳は大伴氏の祖の日臣と宇迦能山(宇治)の宇都須山祇の後裔の王(?太玉)を滅ぼして、弟猾の娘に婿入りし、宇治王となったのだろう。また、戊午年、冬十月癸巳朔の「先撃八十梟帥於國見丘破斬之」と野洲の梟帥を撃破した。さらに、十一月癸亥朔の「皇師大擧將攻磯城彦」と安寧天皇波延の子の師木津日子と長男を殺害した。天忍人は劔根の娘と考えられる葛木出石姫を妃に、高倉下の子の弟倉下(天忍男)も劔根の娘の賀奈良知姫を妃にして姻戚関係になった。

そして、神武四年春二月壬戌朔甲申の「詔曰我皇祖之靈也自天降鑒光助朕躬今諸虜已平」の記事の日干支は前476年の事績と考えられ、出石心は前475年元年春正月丙戌朔甲午の「皇太子即天皇位」とあるように即位した。同じく、前475年夏四月乙卯朔己未の「尊皇后曰皇太后」、「秋七月都遷腋上謂池心宮」と御井宮の前皇后出石姫を皇太后と呼び、首都は劔根が住む腋上に遷した。同日、『舊事本紀』には「出石心命為大臣」と自ら政務を執ったようだ。

 

年候補

乙酉4月朔 -630 -537 -506 -413

甲午  8月朔 -663 -606 -539 -513 -482 -420 

癸巳  10月朔 -663 -606 -539 -482 -420

癸亥 11月朔 -663 -606 -539 -482 -420 

壬戌  2月朔 -631 -600 -507 -476 -414

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