2025年1月29日水曜日

新しい古代の神話 物部氏の神話24 磐余稚櫻宮王朝

  志賀高穴穂宮では多遅麻の子である印葉が大臣位を継いで、高穴穂、磐余、難波の三王朝が鼎立する形となった。そして、磐余若櫻宮は西暦400年まで、五十琴宿祢が大連である。

多遅麻の娘の山無媛が輕嶋豐明宮天皇妃とされるが、磐余若櫻宮の香兒媛と世代が異なる。香兒媛は纏向日代宮の多遅麻大連の娘、山無媛は輕嶋豐明宮大連の妹で、間に成務・神功が挟まる。磐余若櫻宮遷都の神功三年の日干支は西暦234年、神功三十四年の日干支で、纏向遺跡の桃の種と同じ頃である。輕嶋豐明宮天皇は尾綱根が大臣なのだから、尾張氏の朝廷であり、琵琶湖西岸の大荒田の娘の子なので、尾綱真若刀婢も「しこぶちさん」の安曇川近辺の輕島の姫と考えられる。

そして、尾綱根は大臣に就いても妃が記述されないが、印葉にも記述が無く、私は印葉が兄ではなく妃が物部山無媛と考える。そして、その娘の物部氏の八田若郎女の婿が大別で、大別は物部氏に記述された。物部氏から見ると大別、尾張氏から見ると意乎巳(大臣)連ということになる。329年に的臣の祖の葛木氏の砥田宿禰や賢遺臣が新羅人を連れて貢獻しているが、この貢献は葛木氏が難波朝天皇との友好関係の発端なのではないだろうか。

輕嶋豐明では五百木之入日子が大荒田の跡取り娘の玉姫の娘の尾綱真若刀婢(仲哀朝時)を妃に迎えられた。刀婢は木国造の王后名で高穴穂王の分王朝のようだ。子の品陀真若王は、やはり玉姫の娘の金田屋野姫(神功朝時)を妃に高城入姫、仲姫、弟姫を生み、その婿が尾綱根大臣と考えられる。

若帯日子命與倭建命亦五百木之入日子命此三王負太子之名」と三王が太子ということは、三王朝の太子を示している。五十琴宿祢の稚櫻宮は履中朝まで続き、400年から伊莒弗が大連になって、物部氏の神話は終わり、歴史時代に突入する。大連は大和の扶桑国王、大臣は淡海の女国王と『梁書』は記述している。また、若帯日子の宮は帯中日子の宮が閉じる、362年まで続いている。

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