2025年1月22日水曜日

新しい古代の神話 物部氏の神話21 纏向と師木の宮の併存

山代の姫が苅幡戸辨と呼ばれるように、木国の姫も荒川戸俾と称され、その王は建諸隅だ。木国の王を「トベ゙」と記述されるのは、神武東征時の名草戸畔が最初で、名草姫の名も襲名されている。

十市根は建諸隅の娘を妃にしているが、孝昭朝から建諸隅も襲名されている。そのため、十市根の妃は襲名された建諸隅の妹、八坂入日賣ともいえる。また、大新河は木国造の荒河刀辨の娘である中日女を妃にしている。どちらも、建諸隅大臣の後継者である。

意富阿麻比賣の母が中名草姫から解るように荒川戸俾を襲名していると考えられ、意富阿麻比賣もまた木国造の荒河刀辨といえる。このため、大新河と十市根は荒河刀辨(長溝)の娘を介して同世代の義兄弟、日子坐の子にもあたることになる。

大新河の別名は比古意須、伝統ある食国の継承者であり、伊理泥が十市根(大根)の妃、つまり伊理泥(入姉)が十市根の妃と考えられる。このため、十市根の別名は「入杵」と考えられ、入杵の娘婿が師木玉垣宮の須賣伊呂(皇太弟)の大中日子(2代目十市根)だ。『日本書紀』ではこれを「大中姫」と記述しているため、柴野比賣が大中姫であると考えられる。

一方、『古事記』の大中姫は纒向日代宮の姫で、子には香坂と忍熊がいることから仲哀朝の妃であり、仲哀朝は纒向日代宮を首都としている。纏向日代宮の皇妃は五十琴姫であり、纏向日代宮大連は物部武諸遇の子が高穴穂に逃れた以降は分裂して、力を弱めたと考えられる。

記録が開化期の建諸隅から景行期の物部武諸遇を中心に記述されたため、妹が娘や孫が同じ世代の妃とされており、朝廷が一部で世代をまたいで表現されている。師木と纒向が220年間併存したことを一世代で表現しているため、このような系図の混在が生じている。

纏向珠城宮の大新河、纏向日代宮の物部武諸遇及び202年以降の多遅麻と師木玉垣宮の十市根、志賀高穴穂宮の膽咋の政権は並行して存在した。『舊事本紀』では神功元年は202年、『日本書紀』の201年とズレがあり、共に正しい日干支で、2つの神功朝が存在した。志賀の高穴穗の膽咋は輕嶋豐明宮の印葉まで続き、王名は1つの王朝世代に1つの名が襲名された為の混乱である。

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