2024年12月9日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 物部氏の神話3 饒速日

美豆別之主と同祖の子である狭霧の子、速日別出身の神の末裔の忍穂耳は、同じ速日別の神を祖とする高御産巣日の娘、萬幡豐秋津師比賣に婿入りした。彼らの子である饒速日は、天火明櫛玉饒速日と記されているように、迩迩藝や火照と同世代の「櫛王」であると考えられる。

『舊事本紀』では、火明は尾張氏と同祖と記されている。そのため、火照と同世代と考えられる。『日本書紀』でも、火明と火照(火闌降)は兄弟と記述されているので、火照の妃と饒速日の妃が姉妹である可能性が高い。

奈賀命に追放された饒速日は、迩迩藝と火照の2世代にわたり兄弟に描かれている。したがって、初代饒速日は迩迩藝と同世代で、尾張連の祖である道氏の姫を妃に迎え、火照と同世代の2代目の饒速日は「中州豪雄長髄彦」の妹、長髄媛を妃にした。

この「長髄姫」は仲国の長州根、すなわち長門の姫と考えられ、長門は熊襲、豊国の姫、つまり「豊玉姫」である可能性が高い。豊玉姫の兄は大国の王になった太玉と考えられ、彼女の娘か妹が不合命の妃の玉依姫だと推測される。また、道臣の祖と思われる道氏の母は、前の代の豊玉姫である可能性もある。火明を火照や火火出見の兄弟にいれたのは、2代目の豊玉姫と兄弟だったからと考えれば理解できる。史書の世界で玉姫と書けばどの氏族の襲名される姫か特定できたと考えられる。

2代目の饒速日は豊国の長門から敦賀の「櫛王」・武位起となり、その子は『舊事本紀』によれば、神武天皇の狭野尊である宇摩志麻治なのだろう。久州から井ノ川に天降った食国配下の神が武位起なのだろうか。2代目饒速日は師木・野洲の御炊屋姫を妃にすることで政大夫の権力を得たようで、饒速日は、事代主と大国主の力を抑えて自らの権力を固めた。その過程で、火照の子である三国王の阿多小椅君は、事代主の娘である蹈韛五十鈴命を妃とした。また、饒速日の子である宇摩志麻治は、食国王の璽を小椅君に献上して、政大夫の地位を得た。なお、ここで言及されている「君」という称号は、君子国、すなわち三国の王を指す名称で、王と区別されており、小椅君以外、同世代に存在しない。

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