2024年12月16日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 物部氏の神話6 息石耳の矛盾

『日本書紀』では、安寧天皇の子を息石耳と懿徳天皇と記しているが、「一云」では常津彦某兄、懿徳天皇、磯城津彦としている。しかし、懿徳天皇の皇后が息石耳の娘であるため、息石耳が懿徳天皇の兄弟であるとの説明文には矛盾が生じる。むしろ、息石耳が先代の河俣毘賣の夫の沼河耳であり、息石耳の兄弟は懿徳天皇ではなく、義兄波延の安寧天皇である可能性が高い。懿徳天皇の妃は息石耳の娘の天豊津媛に「一云」で波延の娘ではなく、波延の弟の娘と記述され、波延の義弟は沼河耳で沼河耳が息石耳と合致する。

すなわち、安寧天皇の子は、常津彦某兄、懿徳天皇、磯城津彦であり、これは『古事記』や『舊事本紀』とも一致する。某兄は姉の夫を意味し、某兄の義弟は磯城津彦または懿徳天皇である。さらに、磯城津彦には義妹の「(倭志紀彦妹)真鳥姫」が存在し、懿徳天皇はその某弟であると考えられる。師木縣主の祖の河俣毘賣の娘が真鳥姫、すなわち、天豊津媛である。

すなわち、懿徳天皇は真鳥姫の夫の出雲醜であり、政大夫の地位を継承し、さらに大臣となった。これは古代の王位継承の方法に従っている。すなわち、出雲醜の母の出雲色多利姫は彦湯支の妃ではなく、娘の真鳥姫の夫の母、義母である。同様に、出石心の母の淡海川枯姫も彦湯支の妃ではなく、子の磯城津彦の義母と考えられる。

すなわち、磯城津彦は、淡海川枯姫の娘と婚姻し、出石心(和知都美)が生まれたと考えられる。和知都美の子である蝿伊呂泥と蝿伊呂杼が波延の姉の夫、妹の夫であり、波延の継承が確認される。

出雲醜は懿徳朝の大臣であり、出石心は孝昭朝の大臣だ。この二人の間には一世代の差があり、出雲醜の義兄である磯城津彦の子が出石心である場合、その世代の差に説明がつく。

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