2024年12月13日金曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 物部氏の神話5 天皇の意味

  彦湯支は、日子八井が亡くなった後、その地位である政大夫を継承したと考えられる。この政大夫という役職は、皇后の夫や()兄を意味する可能性が高い。安寧天皇は国名がつかない縣主波延と考えられ、彦湯支の妃は日下部馬津の娘である阿野姫だ。この阿野姫の名前は、阿多君の姫にふさわしいもので、後代の日下部連使主の子が吾田彦、阿多氏であることから、この系譜が裏付けられる。

天日方奇日方(別名阿田都久志尼)の娘の渟中底姫は安寧皇后となった。つまり、安寧天皇は日子八井と比賣多多良伊須氣余理比賣の娘である渟中底姫を皇后としたと考えられる。また、彦湯支が同じ世代でその夫であったとするならば、政大夫を継承したのも合理的だ。

神武天皇の時代には、天皇という呼び名はまだ無く、氏族によって政大夫、日子、縣主などと呼ばれた可能性が高い。唯一無二の支配者には国名を付けずとも支障はなく、従属者に国名が無い場合には成り立たない。たとえば、大国を付けて大国主と呼ばれるように、特定の大国という名称で認知出来た。宇摩志麻治は可美眞手とも呼ぶが、「ヂ」は土地神、「手」は補佐、食国第2位を意味し、それを、『舊事本紀』が政大夫と呼んだのは、食国から独立して最高位になったからなのだろう。

阿田都久志尼は阿田の津の櫛国の尼で、奇日方も同様に唯一無二の名ではないが、日子八井は綏靖朝の同世代に日子がいないため、天皇と呼ばれる資格がある。彦湯支も同様で、同じ安寧世代に縣主波延がいれば、どちらも唯一無二なので同一人物の天皇と呼べる可能性が高い。もし、2王朝ならば、政大夫に匹敵する人物が存在する。

比賣多多良伊須氣余理比賣の子の沼河耳は、安寧天皇と思われる波延の妹の河俣毘賣を妃にした。その子の玉手見が安寧天皇の娘と思われる阿久斗比賣を妃としたことで、大神氏、阿多氏、物部氏の3つの家系が婚姻関係を通じて一体化した。

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