2024年12月11日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 物部氏の神話4 政大夫

  宇摩志麻治は活目邑の五十呉桃の娘である帥長姫を妃とした。帥長姫も、事代主の妃である活玉依姫も同じ活目邑の出身と考えられる。五十呉桃は若狭の恐らく生倉に饒速日と共に天降りし、活玉依姫の姉妹に婿入りした可能性が高い。玉姫は美豆別之主が玉造部を率いて隠岐を統治したように、玉造部を統治する王を意味するのだろう。

事代主は玉櫛媛を妃にしたという記述もある。2代目事代主が櫛川に遷り、活玉毘賣の娘の玉櫛媛と婚姻した可能性がある。従って、宇摩志麻治は活玉依姫の娘である蹈韛五十鈴命と従妹の関係になる可能性が高く、世代的には事代主の娘である蹈韛五十鈴命と同世代だ。活玉依姫の子である天日方奇日方は、活玉依姫の義兄である五十呉桃の娘を妃にした可能性があり、そうであれば宇摩志麻治とは義兄弟の関係になる。政大夫位が天日方奇日方に移ったのは、姻戚関係があったと考えるべきだ。新しい権力者は前代の権力者との婚姻によって、継承する方法が最良である。

宇摩志麻治は食国の最高実力者である政大夫の地位を得た。政大夫の地位は皇位と同様に継承される。初代の天日方奇日方が宇摩志麻治の後を継いで政大夫・阿田都久志尼(櫛尼)、になって、玉櫛媛の尼、すなわち婿を彷彿とする。古代の王位継承法は、2代目天日方奇日方が1代目の妃の兄弟の娘に婿入りして、若しくは、その逆で継承する方法だった。政大夫の地位は神武朝76年間で親子の年齢差から考えて4代程度継承されたと考えられる。同時に最高権力者の政大夫が2名存在するのは理解できないが、継承されたのなら理に適う。

5代目天日方奇日方である日子八井が綏靖天皇の尼であり政大夫にもなり、彦湯支が足尼となった。神武天皇は三島溝咋の娘である活玉依媛の()妹の勢夜陀多良比賣、その娘の富登多多良伊須須岐比賣を妃とした。宇摩志麻治から天皇の璽を譲られた天日方奇日方は大臣の歴史を記述した『古事記』の初代大臣と同等の神武天皇に相当し、その子が日子八井であることと一致する。さらに、天日方奇日方の後裔の飯賀田須が大物主で天日方奇日方の義父が大物主なら、名前の継承法として理に適う。五十呉桃が大物主ならば、勢夜陀多良比賣を妃にして、婿が大物主の祖の天日方奇日方と宇摩志麻治ということになる。

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