2017年3月31日金曜日

最終兵器のミサ ツヅキガラって

 いままで天皇の名前を使ってきたんだけど、天皇の名前って後からつけた名前ってことなんだけど、でも書いてある名前は昔の名前で違うイエガラの本のはずなのに名前はおんなじなんだよね、すくなくともジョメイ天皇まではゲンメイ天皇のオスミツキってわけ、だから、ジョメイ天皇まではもうミンナが知ってたってこと、で、そんなことを書いた人がいたんだあよね、そお、ソガさんって人、昔の人は本があると写すもんだから、字が書ける人はみんなが写すんだからみんな知ってるはずじゃない、字を知ってる人が天皇のまわりにしかいないときは1冊か2冊しかないかもしれんけどね、だから天皇の名前と宮の名前は違わないんだけど、古っい物を見ると古事記や日本書紀とあう名前はみんな宮の名前なんだよね、人の名前が書いてあるのは無理やりこじつけないと合わないんだ、てことは、日本の古い時間は宮をもとに書かれているんだよってこと。
最初に、島根のひとのムカシ話の集まりだった本をもっていて、伊都の人が中国のコヨミを知って日記をつけだし、福岡の人が2つをくっつけてツヅキガラの本を書きだしたんだけど、福岡の人も人の名前はまとめて書いちゃったんだ、だってこの頃は人の名前って、職業と家の名前と初代の名前の何代目でみんな知ってんだもんな、で、日記はタカチホの宮ってとこに住んでいる初代の名前はホホデミって王様で古事記を書きだしたころには初代が分家してから580年たってまだ続いてるよっていってんよ。
そうすと、古事記って日記になってないよねなんで?、ようは、日記とツヅキガラを別々に書くのが普通で、日記はてっぺんになった人が持ってるものってことじゃないの、だから、古事記を書いた人は日記を盗られちゃったからいくら前にてっぺんだったからってどうやって内容を並べ替えていいのかわかんなくなちゃったんじゃないの。
だから、時間の物差しはてっぺんになった人が持ってるから、へたに変えちゃうとわけがわからなくなっちゃうから、ゲンメイ天皇はジブンチはオオモノヌシさんに連れられて奈良にやってきて、こんな地位だったんだよぉって書いて、で、最後のケイタイ天皇の宮のとき、モノノベさんのときからてっぺんの周りの偉い人になれたからてっぺんについて回るから同じ宮ってことになるんよね、で、ジョメイ天皇の宮のところまでソガさんは書いていたんだけど、殺されちゃったってことなの。
だから、天皇の名前と宮ってゆうツヅキガラはね、ゲンメイ天皇っちのジンム天皇からスイニン天皇まで、福岡の人んちのチュウアイ天皇まで、大分の人んちのニンケン天皇まで、モノノベさんっちのセンカ天皇まで、ソガさんっちのジョメイ天皇まで、で、ソガさんが死んじゃったから福岡の人んっちのテンム天皇までってことじゃないで、大分の人のところからはソガさんが福岡の人んっちの時間をつかっているってこと、だから、隋書ともあわないし、仏さんに書いてあることとあわない、だってこの時はソガさんが書いているから関係ないもんね、ソガオオオミってソガ天皇っとおんなじことでいっちばん偉いんよ。
じゃ、福岡の人が天皇って言いだしたのはいつからかなぁって思わない?、フネって王のお墓に668年に書いてあったんだけどね、日本書紀がない時オサダって宮にいた人を天皇と言ってるんだ、これビダツ天皇じゃないっておもえるんだけど、スシュン天皇のときにオサダ天皇を葬ってるんよ、で、この文ってヨウメイ天皇もスシュン天皇もシカトしてスイコ天皇・ジョメイ天皇って書いたあって奥さんがそれから27年も生きるんだ、ちょっと年の差カップル、うむうむ、オサダをスシュン天皇ってしたほうが若死ってカンジデでよさげてことで、ヨウメイ天皇の次の天皇ってことで、モノノベさんを倒した人から天皇って呼んでるんだ、で、その前はオオキミ、奥さんはオウキサキとか呼ぶときはキミってこと。

2017年3月29日水曜日

最終兵器のミサ 聖徳太子って

 倭国でもう一つオッカシイって思えるのが聖徳太子のことじゃないかな、今じゃ聖徳太子っていなかったってことにしちゃおうって、ようは日本書紀に出てこないもんでこまっちゃうんよね。
でもさ、706年にほったってゆう聖徳皇ってゆう文字が日本書紀にないってゆうことで無かったことにしていいの、うつし間違いってことにしていいの、この文って日本書紀ができる前の文なんだよ、で、この文にはウエミヤ太子聖徳皇ってほってあったって鎌倉時代の本に書いてあるだけど、ウエミヤってゆうと法隆寺の仏さんの後ろにホウコウ31年に上宮法皇が亡くなったってほってあるんだけどこの死んだ人が聖徳太子じゃないのておもっている人が多いっていうはなし。
このころは、これまで話してきた通り、みんなはスイコ天皇っていってるけど新唐書がヨウメイ天皇っていってるときで、そのなかに夜があけたら、弟に政治を任せるって言ってるんだ、で、スイコ天皇のところで、天皇になってすぐに立太子してる、これって今まで言っていた通り新しい宮の人が政治をしたってこと、で、ヨウメイ天皇ってお坊さんのような座り方をしていてるんよ、で、自分を天子って言ってるん、天子ってゆうと、隋ではヨウダイっていう元号みたいな名前をもってるよね、だ・か・らホウコウってのはこの天皇がホウコウ帝ってよびなってことになったんじゃない、で、弟の太子(天皇)も昼間は政治を行っているからもう一人の皇帝ってゆうわけでショウトク帝って呼んだんじゃないの、そんで、隋におこられたもんでこのショウトクさんを出家させて法皇にしてウエミヤ法皇ってこと。
だから、ショウトク太子ってトヨトミミって名じゃ無いかもしれないけど、でも、いろんな本にトヨトミミって書いていて、チスジは目いっぱいキャクショクしてるからよくわかんない、で、九州の年号って言われる年号でタンセイっていう年号があるんだけど、資料にスイコ天皇のタンセイとスシュン天皇のタンセイって書いてあるんよ、2代ずれるとヨウメイ天皇とビダツ天皇の兄弟だよね、で決まりに従って考えるとビダツ天皇がショウトク太子だけどお兄さんなんだな、でもツヅキガラはどうなのかな、すくなくともリカヤタフツリって太子は違うと思うよ、だってそれならふつう太子は長男なんだから太子が弟なら弟って書くよね。
ショウトク太子のことは日本書紀ができてからもいっぱい書いてあって訳がわからなくなってるんだな、もうちょっと調べさせてほしいけど、少なくとも古事記に書いたセッテイはたいていスイコ天皇はテンチ天皇のことだとおもうよ

2017年3月27日月曜日

最終兵器のミサ 邪馬台国って

 福岡の人のことを書いたんだけど、じゃ邪馬台国は、卑弥呼はって聞こえてきそうだけど、邪馬台国は書いちゃったよね、で、卑弥呼がいたところは少なくともカシイ宮のそばじゃない、じゃ、ジングウ皇后が卑弥呼って、でも卑弥呼ってドクシンだよね、でセイム天皇って古事記では子がいるけど日本書紀にはいないよね、じゃ、セイム天皇が卑弥呼ってゆうの?、そう、セイム天皇が卑弥呼なの、天皇になった年が24歳で年齢がこの時代にしては若くないし、ありがたく鏡を使って国の境を決めてるし、これ、作りがいい中国の鏡じゃない
セイム天皇ってケイコウ天皇のあとなんだけど、ずっと言ってきたように、子のいないセイム天皇って困るんよね、子がいないんなら天皇になったら立太子しなきゃね、で、スイニン天皇が立太子したときの立太子はセイム天皇のことで、一緒にケイコウ天皇も立太子したってことで、ケイコウ天皇が卑弥呼の弟ってこと、だもんで、セイム天皇が決めたイナギっていうのが本来セイム天皇のまえのケイコウ天皇のとこに出てきちゃうんだよね、で、セイム天皇が47年国を治めて死んじゃったんで、男の王様を選んだんだけど国がまとまらなかったもんでトヨさんを天皇にしたんだけどそれがジングウ皇后でいっしょにケイコウ天皇の分家のチュウアイ天皇が天皇になったんよ、で、ジングウ皇后の宮はスイニン天皇の宮だったってこと。
で、セイム天皇の宮はアワミのシカ宮で、これ、ケイコウ天皇も最後の3年間いたって書いてあるんよね、で、アワミっていうのは川の水と海水が混じったとこで、ちょうど金の印かんが出てきた志賀島の南ってそうな、で、卑弥呼がシカ宮でジングウ皇后の宮はやっぱりその近くのカシイの宮ってわけ、そら、志賀島や海の中道がフミ国って言ったけどその通りじゃない、で、このころまでいっぱい伊勢神宮って出てくるから、伊勢神宮ってのはイツキの宮もヤマダムラにあるしイノコウタイジングウのこっちゃないの。
だけど、このころはまだ力がなくって島根の国の人の力が及んでいて島根の国の位をそのまま使ったり、鏡をありがたがったりだし、大分の国の人の墓もマネたり、大分の国がコノ国を苛めるから福岡の国にコノ国が攻めてくるはでタイヘンなんで中国にお願いして守ってもらってるんだよ。
だから、朝鮮に行って島根の国の人と仲がいい国を攻めていて、大分の人と仲のいい国も自分のものって中国に訴えているんだけど残念なことに認めてくれてないんだよね、きっと大分の国の人ってうまく立ち回ってるんだね、きっと日本と倭国のカゲにカクれて目立たないようにして、朝鮮のことは仲のいい国に戦わせて自分はあまり武器を使わないで大きな墓を造り続けるんだもんね、今の日本みたいだな。

2017年3月25日土曜日

最終兵器のミサ 日本のことはわかったけど福岡の人のことって

 いままで、日本のことを書いてきたけれども、古事記の扱わない国で三国志で倭国って言っている国のことがよくわからないよね、もちろん日本ってゆう倭種の西にある国が倭国で福岡の人ってことだねぇ。
矛で王様を守ってて、鏡をたくさんもらった国で、朝鮮と戦争をくりかえして、隋の天子と対等ってうぬぼれたら怒られちゃってシッュンてなって謝っちゃって、中国とソウダンしてソガさんを暗殺しちゃって、国がアンテイするまで中国の人にいてもらったんだけどケッキョクジメツしちゃった国ってこと。
そして、てっぺんを次にとっちゃった人がブンカのナイヨウがすくないもんで天皇の宮全部使ってもらえちゃって、天皇の宮の名前が年を決めるモノサシになったってことで、ある事件はこの天皇の宮のいついつに起こったんだってみんなが言っていたから丁度よかったんだろうね。
で、福岡の人は前に書いたように、タイソ神社がある糟屋ってとこに国を造ったんだけど、紀元前88年に西の方に攻め込ん、この時ジンム天皇の本家をやっつけて、紀元前86年にアマタラシヒコをシュウメイしたってこと、本家がアマタラシヒコだったってこと。
で、中国と日本がうまくいっていないのをみて、西暦57年にシタナメズリで中国に出かけてカンノイノコクオウって印をもらっちゃって、ウッキウキってこ、糟屋郡にはイノコウタイジングウって神社があるんだけどイノ国とチョウドおんなじじゃん、で、ナ国じゃねって言ってたとこに字をホった年が125年ってかいてある板がでてきて、宮を造ったよって書いてあるんだけど、ちょうど次の年スジン天皇に天皇が変わるんよ。
で、200年にやっと福岡の大野城市や朝倉市・山門郡・そして、伊都の隣の松浦をせめているけどぉ、これが三国志に出てくる邪馬台国のシハイしているところで、ちょうどコトシロヌシの文化のカメカンがあってそれが無くなっていくところじゃないんかな、で、倭の5王は日本書紀だとインギョウ天皇なんだけどホセイすると、アンコウ天皇がサン、ユウリャク天皇の1代目がチン、2代目がセイでここまでが日本書紀ではインギョウ天皇で、日本書紀ではユウリャク天皇だけどホセイするとセイネイ天皇でコウ、日本書紀ではセイネイ天皇からブレツ天皇まででこの4人は同じ人が宮をかえたっていうことでホセイするとケンソウ天皇がブだとわかるんだ、で、イワイって人って八女に岩戸山古墳ってゆうお墓を造ってるよね、八女ってモノノベさんの居た久留米の近くなんだよね、だから、モノノベさんと糟屋郡のイワイさんがつるんでイワイさんは死んじゃったけど子供のクズコさん、この人アンカン天皇のようなんだけどこの天皇の奥さんは日本書紀ではモノノベさんの娘で、クズコさんがナカトミさんもモノノベさんについて大分の人をやっつけちゃったってことじゃないの、で、アンカン天皇の奥さんってほかは大分の人の娘さんばっかりで、大分の人の領地を日本全体から奪っていて、ようはメイジイシンのニシキノミハタってことで、この時、福岡の人は九州島を手に入れて名前を九州ってして、中国にいっていた場所を自分のものってのはオオモリのタテマエってことでもしほんとなら朝鮮の一部をはぶかないよね、ほんとうは三国志時代とあんまり変わってなかったってことで、ヨウメイ天皇まで福岡の人は筑後平野を都にしていたってこと。
で、スシュン天皇は明治の薩長とおんなじだから、ヨウメイ天皇の終わりのときにモノノベさんを大分の人のソガさんと一緒にやっつけて、このときモノノベさんの子分のナカトミさんが裏切って、最後はナカトミさんとテンチ天皇がソガさんをやっつけて、やっと島根の人も大分の人もつぶれちゃって、福岡の人が日本をてにいれちゃったってこと。

2017年3月23日木曜日

最終兵器のミサ 大分の人の国って

 古事記でジンム天皇ってトヨミケヌって人のことと言ったんだけど、その子でカミヤイミミって分家さんがいるんだけどその人ってオオオミや大分・阿蘇・火の国の他に関東地方までの親分の先祖って言ってるんよね、これ大分の人の先祖だっていってるんよね。
で、コウゲン天皇ヒコフツオシノマコトって皇子がいるんだけど、これは、コウゲン天皇の時代っていみで本当のところはトヨミケヌの子孫で、ヒコフツオシノマコトってタケウチさんのおじいさんなんだけど、どうやらこの人が西暦82年に広島と山口の境ちかくのスホウってところから福岡の京都郡に押し入って宮を建てたみたいで、そのあと、大分・宮崎・鹿児島・熊本・福岡県南部と地名をつけているけど、今まであったところに地名をつけるってことは、その地を自分のものにしたってことで、後漢書に書いてあった、倭国の東のコノ国がこの地域だったんじゃないってこと。
で、ヒコフツオシノマコトって人の分家のヤヌシオシオタケオゴコロってゆう人この人はおそらく八国は言い過ぎだから屋島を中心にしていた人なんだろうけど、この人がオオモノヌシの子孫から地位を奪っちゃったんじゃない、で、タケウチさんが島根の人から日本をうばっててっぺんになっちゃった、で、島根の人はオオトモさんがツいで、モノノベさんはクルメのほうに移されたってことで、それがタマタルの言い伝えってこと。
で、この大分の人って、日本とは名のらなかったみたいで中国の本に499年に日本から中国に坊さんがやってきて、自分の国はフソウ国といってイクサをしない平和な国で扶桑の木の皮で紙もつくってるよっていってるんだ、で、この国のお墓の形が朝鮮でも使われているんだ、どお、朝鮮のひとにそんけいされてそうだね。
で、何人かの分家がカケイを継いだんだけど、ヘグリさんからコセさんが大分の人の国を継いで、しかも、日本国もツいじゃって、中国を後ろ盾にした福岡の人をやっつけようとしたんだけど、一度はイワイって王様をやっつけたんだけど、日本国の王様だけど大分の人の子分みたいな待遇のモノノベさんが裏切って531年にコセさん一家が皆殺しされちゃって、モノノベさんが日本のてっぺんになったんだ。
だけどね、この大分の人の分家でソガさんって人がモノノベさんをやっつけて、日本って国を継いだんだけどね、福岡の人が思い上がっちゃって中国の人を怒らせるは、ソガさんがなさけにほだされて、朝鮮のつぶれそうな大分の人の友達の国を助けようとしちゃって大負け、で、福岡の人はこりゃあ大変ってゆうことで、ソガさんをフイウチしちゃって殺しちゃったんだよね。
で、福岡の人がとうとうカンペキな日本のてっぺんに立てたっておもったんだけどテンム天皇が中国とうまくやっていたオオトモ皇子を殺しちゃうもんだから、逆にテンム天皇がおいだされちゃって、あとで取り戻したんだけどケッキョク今度はフジワラさんってゆうジツリョクシャがあらわれちゃったてこと。
でもねぇ、日本も福岡の人がいたから平和な生活をたのしめたんだよねぇ、福岡の人がいなかったら日本は中国に怒られてやられちゃうか、中国と協力して朝鮮を攻めてヨケイ中国と悪いカンケイになったかもねぇ。

2017年3月21日火曜日

最終兵器のミサ 最初に天皇になった島根の人の国って

 神話ってすっごくたくさんの神様が出てくるけど、どうしてかなっておもったことなあい、土地や神の子を産むのはイザナミとイザナギってゆうクジラの神様なんだけど、その前?て思うよね、でそれより前の神様ってのはイザナミとイザナギさんの神話を持っていたお国を奪っちゃった人たちがその前にその国の神様の名前を書いちゃったってことじゃない、だって、奪った人が遠慮して後に書くなんてないよね、だから、一番最初に書いてある神様が本を書いた人たちの神様ってことで、それが、福岡の人の日本書紀の神様で大分の人の古事記の神様ってわけ。
じゃ、イザナミ・イザナギって神様ってどこの人って思うよね、で最初につくったところがオノゴロ島で、いろいろ島をつくってゆくんだけど(これはクジラが子供を産むとこと火山の島が出来るところから考えたんじゃ)その中に、隠岐の三つ子の島をつくっているんだけど、その島に名前があって天ノオシコロ別って名前なんだけど、隠岐の島って大きい島が4つあるんよね、でもう1っこいっちん大きい島がないんだよ、じゃこのいっちん大きい島ってて考えていたらふっとオシコロ島じゃないって思ったの、だって小さい島のなまえって大きい全体から分けたって感じじゃない
で、8どころじゃないけどオオヤシマって国をつくるんだけど、ようは船をこいでいろんなとこと商売をしたってことで、持ってくのはコクヨウセキってゆう武器の道具で、帰ってくるときはお宝をどっさり、お宝も多いからそれもいっしょに交換するよね、ついでにお米やブンカも仕入れてきそうだよね。
で、その国の名前がヤ国ってこと、イナバノシロウサギって神話があるけど、ウサギの親分はヤガミヒメって人でヤの神の姫、そで、その姫様をオオクニヌシ(先代のオオムナチでオオクニヌシは分家)さんが嫁さんにするってことで、ヤ国がオオヤ国になったってことじゃない、で、シロウサギって言っているけどほんとうはスウサギで、これスサノオのスとおんなじじゃない、だから、スサノオは海を与えられたってことで、シマをキって言っていたようなので、ツシマってツキって言えそうだよね、だから、ツキヨミさんはツシマの神様でツシマはヨミの国アマさんたちは死ぬと葦で造った船に乗せて流したんだけど、対馬海流にのってツシマに死体が流れてくるからヨミの国ってこと、で、アマテラスオオミカミさんはオキの大国の時の神様ってこと。
ちょっとまった、オオモノヌシやコトシロヌシってどんな神様なのって、言われそうだから考えたんだけど、オオクニヌシさんて自分の子が支配してるとこにまた押し入ったりしてるみたいなんだよね、じつは、コトシロヌシさんやオオモノヌシさんはオオクニヌシさんより前に王様だったんじゃないの、でその国をオオクニヌシさんが奪っちゃって子分にしちゃったんじゃないの、コトシロヌシさんは福岡をオオモノヌシさんは広島を、タケミナカタさんは長野、ニギハヤヒさんは大阪で王様をしていたってことじゃない、で、オオクニヌシさんはオオモノヌシさんを子分にして奈良攻めさせたってこと、福岡はどうせコトシロヌシさんのものだからいいやって福岡の人にあげちゃたってこと、で、いっちばん強かったニギハヤヒさんは紀元前88年にオオヒコさんに攻め入られて滅んじゃったってこと。
でもって、古事記を見ると、カイカ天皇の時の子供が様でいっぱいなんだな、子が王だったら親はなんてよぶんだろぅって、王様の上は皇帝しかないじゃない、で、中国にはちゃんと皇帝がいるから島根の人も皇帝になっちゃったの、それが天皇ってわけで、ジングウ皇后の時に朝鮮の人が日本って国があって天皇っていう人がいるって言ってるんよ、だから、カイカ天皇の時代に島根の人は自分の国を日本といって天皇ってゆう皇帝になったってこと。
でまた、ケイタイ天皇の時にカイゲンしたって書いてあるんだけど、皇帝は元号を持っているよねぇ、そでね、いつ皇帝になったんだろうってかんがえるとね、中国があんたは中国の部下のお王様だよぉって印を渡してるんだけど、どうしてなのかな、こう考えられないかな、日本って国の王様が皇帝だっていって元号をつくったらしい、許せんってならない、じゃあいつもアイサツに来るイノ国ってのに中国の王様ってみとめちゃって日本をイジメちゃおうじゃないってことになると思わない、だから、ちっちゃな福岡の人が生き延びることが出来ちゃったっておもわない、で中国は日本って国を無視して東にはワシュっていって国とかいていないんじゃない、で、日本が皇帝って言ったのが、紀元前94年のコウソの跡を継いだって言ったときじゃない
中国の本を見ていると朝鮮が日本を尊敬しているって書いてるんだけど朝鮮の本は攻めてきたって話ばかりなんだよね、これは日本が2つあって敵の日本と味方の日本ってことで、福岡の人って朝鮮をやっつけたって言ってるじゃない、だから島根の人は朝鮮に尊敬されていて朝鮮の皇太子も日本に宝物をいっぱい持ってやって来たってゆうこと。

2017年3月19日日曜日

最終兵器のミサ 日本書紀の日記

 王様のツヅキガラはわかったけど、日記はどうなんよって聞こえてきそうだけど、それが、日記は正しそうなんよ、てゆうのは、まず、ジングウ皇后と三国志の記事はもうばっちりあっていて、日記らしいこと書き始めるのが紀元前94年のコウソの位をもらったって初めて言い放った記事なんだよ、で、立太子で天皇を引きツいだってケイサンすると、この年ってコウショウ天皇の2年目なんだけど、この天皇の子にアマタラシヒコって名が付いているんだ、これ、おぼえてない、そぉ、ヨウメイ天皇が中国の本にこの天皇の名前ってでてきた名前だよ、で、紀元前86年に初めてアマの位をもらったって、で、アマタラシヒコってピッタリじゃない
で、そのとき何があったかってゆうと、4方に攻めたって書いてあるんだけど、書いてのは福岡の人だから、九州の西の方を攻めたってことで、これで、どうやら伊都を手に入れて文字を手にしたんじゃないかなぁ、で、島根の人たちは銅鐸の国に押し入って大阪の北部、奈良の北部、京都あたりを手に入れたってことで、このときモノノベさんの先祖がイソノカミ神宮で王様になったってこと。だって、宝物をもつのは王様で自分の手元におくしょ、これって日本の最初の正倉院ってことで、ずっと残っているってことは、ずっとこのへんが日本の中心だったってことで、違うところだったら場所が変わってるしょ。
で、カクキョセイってゆう朝鮮のバカンの王様がいるんだけど、おかしなことにこのバカンってシンカンってゆう国から独立したんだけどシンカンより先に王様がいるんだね、そんで、このカクキョセイって王様は中国のお姫様の子だってゆうんだけどなぜだか海を渡ってくるんだなぁ??、なんで海を??、これ以上は人の国のプライドに関係するからいわない、それから、このカクキョセイって王様もイジョウに長い間王様についているよ、なんか日本にているよね、んで、この国の2代目の王様に変わるちょっと前の紀元前27年に皇太子だったんだけど弟にゆずって日本にやってきてタジマってゆう兵庫県にすんだん、で、その80年後ぐらいにこのタジマのお姫さんが産んだ子がシンカンの王様になったてことだけど、なんか都合よくない。
から、銅の道具がよく出る時の真ん中ぐらいから銅鐸が減っていくんだけど、ちょうどこの頃からで、日本はその土地の姫様を嫁にしてその子たちがだんだん支配していくってゆう方法だから、変わり方がものすごくおそいから、銅鐸がなくなるのに200年くらいかかっちゃう。
でもって、銅の道具を調べたついでに、古事記で鏡を見てみると、神話ではいっぱい出てくるんだけど、それ以外は朝鮮からもらったってゆうぐらいで全く出てこないんだよ、てことは、有名なサンカクブチシンジュウキョウってゆう鏡って大分の人ってゼンゼン関心なしってゆうこと、じゃあだれが大事にしたのってゆうと、福岡の人の本をもとにしたんだから、そこからわざわざけしちゃったってことは、鏡は島根の人のものってことなんよ、で、ゼンポウコウエンフンを造り始めたころもサンカクブチシンジュウキョウがつくられるんだけど、そのうちに消えていったんだ、これは、大分の人が興味ないからみんなに分けなくなったってことだから、この時に大分のジングウ皇后が大阪に攻めて支配したってこと、で、2代ずれているからニントク天皇の時代ってことで、それがタケウチさんで日本のてっぺんになれたんでオオオミになったってことだけど、サンシュのジンキって天皇のシルシなんだけど、これって、剣と鏡と宝石ってこれ島根の人の宝じゃない、福岡の人は剣じゃなくって矛で、大分の人は鏡に興味なしってことで、天皇はもともと島根の人だったってこと。
だけど、倭の5王って有名な王様がぜんぜん書かれていないじゃない聞こえてきそうだけど、だって書く必要ないじゃない、あれは福岡の人の話で、大分の人の話じゃないんだからね。

2017年3月17日金曜日

最終兵器のミサ 王様のツヅキガラ

 福岡の人が書いた王様のイエガラッてオッカシンだよね、王様のアトツギを決めるのがものすごぉくおそいんだよね、王様になってから何十年もあとなんだよ、もう王様って長生きできることを知っていて、まぁそろそろ年取ったから決めようかってのりだ、そんなことあるはずないじゃん、その前に殺されちゃったらアトツギ争いで大変なことになっちゃうよね。
長男がツグんだ、いや、弟、いや、末っ子、いやイトコってもうダイコンランってことになっちゃうよね、まフツウは長男がツグよねぇ、だって、カギョウを一番ながく手伝っているのは長男で、王様の兄弟はぐうたらじゃなきゃドクリツするしょ、で、ドクリツしたらそれが新しい宮で兄弟の数だけできるんだけど、ふつう長男がつぐからなんにも書く必要ないけど、長男がツげない、子がいないときに独立した次男や弟がツぐことになるのがアトツギを決める立太子ってやつ。
だから、アトツギが決まるまでは何人か長男が王様業をツイでいたんじゃないの、で、分家さんに次の家業を任せるときが立太子で、家業をツイだってゆうことは実際の王様業は分家がやって本家は宗教にかかりっきりってことで、その次は分家の長男がツいでゆくってことで、だから、あとの時代だけど、兄弟で王様をツぐんだけど一番下の弟が長く王様業を続けられるてことさ。
なかには、いやぁ、このころは年を2倍にしていたんだってゆう人もいるんだけど、太子になった人の年は26歳以下だから、13歳以上は太子にしちゃいけないの、長生きってわかっているのはどうしてぇってこって、なんもカイケツできないんよね。
で、アンネイ天皇ってゆう人がいるんだけど、前の王様が25年家業についていたんだけど、アンネイ天皇が21歳の時にアトツギなったんだけど、前の王様が8年後の33年に死んじゃって、アンネイ天皇が29歳で家業をツいで38年間67歳まで家業について死んじゃったってかいておいて、実際は57歳で死んだって書いてあるんよ、えぇ?、10歳ちがうよね、そうゆうこと、じつは、アトツギになったときすでに家業をツいでいたってゆうことで、ここで、ツヅキガラが変わったってこと、わかる、これまで話したと・お・りってこと。
そしてアトツギになった年齢はオウジン天皇の3歳いがいは全部16歳以上で、オウジン天皇はジングウ皇后が摂政してるんだぜ、どうしてフツウの太子は16歳以上なの、それはね、15歳以下のコドモは政治にクチダシちゃだめよってことなんだ、だから、長男が15歳以下のバヤイは天皇の弟が家業を継いじゃうの、だから、スイコ天皇は王様の位をツイダときすぐにアトツギをきめたのは子供が小さいかいなかったからなの、そりゃそうだよね、大きい子がいたらその子が王様になっているよね
じゃっ、そのあとの大分のひとはどう書いたんだろうね、福岡の人の書き方を残してるってことはおんなじようにして、前の資料につづけてタケウチさん家、カツラギさん家、ヘグリさん家、コセさん家のことを書いたってことで、その資料から日本旧記を書いた人が当てはめ方を2ずらしちゃって日本書紀のブレツ天皇とこにケンソウ天皇を入れなきゃならなったけど入れなかったってことで、ジングウ皇后っとこはほんとうはニントク天皇だったってこと。

2017年3月15日水曜日

最終兵器のミサ 古事記と日本書紀がわかってきた

 前回までで日本の位に、天皇・オオキミ(大王)・オオオミ(大臣)・オオムラジ(大連)って偉い人がいたってことだ。
で、最初のころに古事記や日本書紀を書いた人を考えたけど、2つの本をみくらべてしらべると、神話からジンム天皇の国をつくったはなし、これはオオクニヌシとオオモノヌシのカツヤクが中心だから島根県・広島県の人、ちょっと中身がなくなっちゃって、中身ができるのがスジン天皇からジングウ皇后までで、ジングウ皇后は福岡にいたので福岡の人、で、オウジン天皇から大阪に攻め込んじゃって、古事記で中身がなくなっちゃうケンソウ天皇の大分の人、そして、日本書紀は2代ずれているから、ケイタイ天皇からヨウメイ天皇はモノノベさん、スシュン天皇からサイメイ天皇のソガさんでテンチ天皇からおわりまでのゲンメイ天皇ってこと。
で、神話は誰が書いたのって考えると、日本書紀で最初に出てくるのはイズモさん(大分の人系)とハジさん(島根の人系)、古事記はアズミさん(島根の人系)で日本書紀のほうがキャクショクが強そうだからアズミさんを大分の人が奪っちゃってハジさんが島根をツいだってことかな、で、そのあとなんで福岡の人がでてきたんだろう。
で、考えたんだけど、古い時代って字が書ける人ってもんのすごくすくないもんで、どこの人が書けたのかなって調べたら、島根の人と糸島の人が書けたみたいって、なんでかとゆうとスズリって習字のドウグが出てきてるんだな、で、古事記ではオウジン天皇がはじめて朝鮮から教わったって書いてるんだ、でも、福岡の人ってもっと前に中国から字の書いたインカンやら鏡をもらってるんだよ、で、土のヨウキにも字を掘ってるんだよ。
だから、大分の人は福岡の人の本と島根の人の本をいただいちゃってキャクショクしたってこと、で、福岡の人ってどうやって書いたのってゆうと、島根の人や糸島のひとは王様の話ともうひとつ日記を書いていたんだけど、福岡の人もおんなじで王様の話と日記を別々に書いていたんじゃないの、それが宮ごとの王様で、おなじ王様でも宮がちがえば別の王様、違う王様でも宮がおんなじなら同じ王様ってこと、で、それと日記が残っていたんだとおもうよ。
で、それをつかって、リチュウ天皇が国史・四方志を書いて、ニンケン天皇が古事記の原本を書いて、モノノベさんが日本旧記を書いて、ソガさんが天皇記・国記・本記を書いて、テンチ天皇が日本世記を書いたんじゃないの、これ、古事記以外はゼンブ日本書紀にかいてあるんだよ。
で、ゲンメイ天皇ははじめ資料がないもんで、ちょうど、ケンソウ天皇の宮が続いていたもんでその宮から古事記をいただきますしちゃったんだけど、ジトウ天皇が持っていた資料を手に入れちゃったからリッパな本がつくれちゃったってわけ。
でも、ちょっと待ってよ、違うイエガラのケイズなのに名前がおんなじじゃんって声が聞こえてきそうだけど、ゲンメイ天皇もそこまでコクミンをバカにしちゃいないよ、王様の名が違ったらバレバレじゃん、だから天皇の名前はおんなじにするしょフツウ、だからイッショだけど家族の名がちょっと違うんだけど、だいたいどの本も前に書いた本を受け継いじゃうんじゃない
だから、古事記や日本書紀はもともとそのイエガラの宮(宮殿のことだか)をまとめた資料を古いジュンに並べただけで、それに、あとから年号をあてただけじゃないの。
あっちょっと待ったっていわれそお、オオオミやオオムラジが王様ってゆうけど、この人たちって子分じゃないって、そうだよね、でも考えてよ、大分の人たちがてっぺんになったのに島根の人がまた返り咲いちゃった、で、大分の人たちの領土の中に返り咲く人がいたってことは、てっぺんになっても最初の王様のイエガラの人が名前はてっぺんだったってことじゃないのかなぁ、ようは、そのてっぺんのひとは神様に仕えるひとってわけで、キリスト教の法皇や現代の天皇みたいなものじゃないのかなぁ、日本は神様が治めていてそのお言葉を偉い人に伝えてるんだよぉって、だから日本は神の国って言ってんじゃないの
で、その法皇を中心にして書いているから、島根の人がてっぺんでも、大分の人がてっぺんでもどっちも子分に見えちゃうってことじゃないの。

2017年3月13日月曜日

最終兵器のミサ モノノベさんってどんな人

 モノノベさんのイエガラを書い先代旧事本紀って本は面白いんだよ、だって、一番偉い(最初に出てくる神様)はアマユズルヒアマノサギリクニユズルヒクニノサギリってゆう神様で次がアメノミナカヌシって神様なんだけど、ようは、神様の話を書くときはいっちん最初に自分の神様を書いちゃうってことで、モノノベさんは日の国出身ってことで、これ熊本県じゃないの。
で、九州が日本の真ん中って言い続けている人たちのなかに、久留米のタマタルタイシャって神社に祀っている神様が天皇ってゆってるんだけど、久留米ってこのころ大分の人たちが支配していて、で、福岡の人たちは天皇ってよばないで、オオキミって呼ばれていたんだってヨウメイ天皇のときの隋書って本に書いてあって、朝鮮の本にはちゃんと天皇って人がいて、ケイタイ天皇のときに天皇が死んだってかいてあるんだよね。
やっぱし、モノノベさんって日本のてっぺんだったんじゃない?、で、モノノベさんはオオムラジって位につくんだけど、このオオムラジって位はほかにオオトモさんだけってことはオオムラジになれるイエガラが決まっていてほかの人はなれなかったってことで、モノノベさんはケイタイ天皇(2代ずれているからニンケン天皇)のときこの天皇のカケイを潰しちゃて国を乗っ取ったってこと。
だから、オオトモさんも昔は天皇のイエガラだったかもしれないってことなんだけど、そういや、同じような位のオオオミって位があるんだけど、これソガさんがもらった位で天皇を取っ変える力をもっていたんだけど、もう一人天皇になろうとしたヘグリのマトリってゆうオオオミがいたんだよね、で、最初のオオオミがタケウチスクネってひとなんだけど、このひとは有名なヒミコの時代の人のようなんだ、で、その子たちがオオオミになっていて、カツラギさんやコセさんでヘグリさんもソガさんもそのカケイなんだよ。
だけんど、三国志にはオオオミもオオムラジも出てこないんだよね、てことはヤマタイコクの位じゃないってゆうことで、ヤマタイコクの東に他の日本人がいるって言っているからそっちのほうの国の位ってことで、ヤマタイコクと戦っているクノ国って国があって、三国志よりあとにできた後漢書って本には東にクノ国があるって書いてあったのが三国志に東と書いてないってことは東の地域はオオオミやオオムラジの国に追い出されちゃったってことけっして思い上がって間違いとしちゃいけないよ、三国志のヤマタイコクも本当はヤマダのイ国でヤマダイ国だったんだけどダイは天子の居るところだからヤマイ国にしただけかもしんないからねぇ、ヤマトを間違いとするために後漢書を間違いにしちゃいけないよねぇ、だいたい言い訳するところは眉にちょっと唾をつけないとね。
で、オオオミっていうのが大分の人たちがはじまりって書いてあるんだよ、てことは、オミっていうのは大分の人、じゃムラジは、モノノベさんはジンム天皇と戦ったナガスネヒコのイエガラっていってんだから、もっと前から日本の真ん中にいたんだって言ってるわけ。
でも、そう言っているだけでヒの国のシュッシンっていってんだから、これもどうやら借りもんで、古事記にナイヨウが似ているから、どうやらオオ国からかっぱらっちゃったんだろうねぇきっと、だから、ムラジってのはオオ国のカノウセイがおおきいようで、ゲンメイ天皇の先祖ナカトミさんもムラジでしかも自称オオムラジてツヅキガラの本をかいてるんだから古事記を先につくったのがわかるよね、だって、日本書紀の神様の話ってオオクニヌシがなんかみんな子にきいてって頼りないもんね。
どうやら、ムラジって人やオミって人は地元ではオオムラジ、オオオミって言わせていた、だって、関東では自分が天皇って言っている人がいたんだよ、まぁ、偉い先生たちはヤマトタケルだっていってるけどね。

2017年3月11日土曜日

最終兵器のミサ そういやおかしな年号ってどうして

 これまでみてきて、モンム天皇から新しい国が始まったんだけど、それが、日本書紀でゆうテンム天皇の宮とおんなじってことがわかったんだけど、古事記はジョメイ天皇の宮で終わっているんだよ、で、日本書紀を創ろうってとき、じゃあ天智天皇の宮(いくつか宮を変わっている)はどうしよう、じゃくっつけちゃえって、テンム天皇の宮が始まるときの年号タイカってのをハクチって年号に持ってきちゃっておっかしい話だけど続けちゃったんだ。
古事記を書くときはまだジトウ天皇んとこにくわしい文があって日本書紀のように書けないから、ゲンメイ天皇は歴史がわかんなくってこまっていたんだけど、ちょうど、ケンソウ天皇までの文が残っていたんで(日本書紀にケンソウ天皇の宮が続いていたって書いてある)そのあとをヒエダアレっていう人にツヅキガラをアンショウさせたんだね。
だから、ゲンメイ家のツヅキガラはジョメイ天皇で終わりでそのあとがモンム天皇ってことでさあタイヘンってゆうこと、だって天皇が足りない困っちゃった、で、日本書紀を創ろうってんで日本世記って本が出てきたから摘まんじゃったってこと、人んちのイエガラを使っちゃえってこと、だから、み~んなアマノさんってわけで、つなぐのをあやふやにするためにタイカとハクチを使っちゃったから、コウトク天皇を新唐書は前とのツヅキガラを書いてないんだ
じゃ、シュチョウは?ってみんなゆうよね、はじまりがつなぐためなんだから後もオンナじでタイホウって年号につなげたかったんじゃないの、だから、ついでに都もアスカキヨミハラって言っちゃっているんだ、もうとっくの昔にアスカキヨミハラウツっているのにねぇ、で、テンム天皇を殺しちゃいなくって年号を替えた後で死なせているんだ、ようは、このシュチョウっていうのはタイホウのこったよっていっているわけ。
てことは、ゲンメイ天皇っ家って、もしかしたら、ニンケン天皇からがイエガラのはじめじゃないの?、で、日本書紀を見ると、ケイタイ天皇の現れかたが変だよねぇ、ようは、もともと福井にいたのが大阪にきて最後に奈良にって書いてあるんだよね、これなんか、あ・や・し・いよね、てことは、テッペンはブレツ天皇でかわったんじゃことになるかもってこと、しかもブレツ天皇ってすっごいザンニンに書いてあるん、ふつう書く、あんな天皇はダメ、だから、変わっちゃった。
じゃだれがてっぺんになったのってだれもがきくよね、ケイタイ天皇の時代から偉そうな人って、モノノベさんって人が出てくるんだけど、この人ちって、天皇が仏教を取り入れるってゆうと反対するはでうっとしい人、で、隋書って本にタリシヒコってゆう王様のことが書いてあるんだけど、これは新唐書にメって余分についている(中国は1字の苗字で天を「あ」と読んだ?)けどヨウメイ天皇って言っているん、でそこに、東にシン王国って国があるって書いてあるだよねえ、で、天皇じゃなくて大王」の居る場所は阿蘇山が見える九州にいるんだ。
このシン王国てゆうのが日本の真ん中でテッペンにいそうなんだけど、で、このヨウメイ天皇のサイゴのころに大阪にいるモノノベさんをやっつけていて、そのあと、中国の役人と大阪で会っているんよね、どぉ、またまたツジツマがあっちゃったよね。
でもって、まだまだおわらないんだよね、ソガさんが歴史の本を書かせたって、で、ソガさんが死んじゃったからみんなでさがしまわってる、ソガさんがもしちゃったて日本書紀にも出てくるよね、で、ソガさんは天皇を決めるのにも口出ししちゃって、ふつう子分が口出しできないよね、ほんとうはソガさんのほうがえらかったんじゃないの
だいたい、イッシの変で子分のソガさんが天皇より後に刀をさして入ってくるっておかしくない?、、天皇の前で刀をはずさせているんだよ、天皇を殺しちゃうかもおっそろしい。

2017年3月9日木曜日

最終兵器のミサ 続日本紀ってほんとうに正しいの?

 前回、新唐書と続日本紀があっていないことを言い訳しながらかいたんで、新唐書がまちがってんじゃねぇて聞こえてきそうなっちゃんたんだけど、続日本紀ってほんとうに正しくかいての。
訳アリでやっぱちょっとキャクショクしてんじゃないの、ウソのウワヌリをしてんじゃないの、だって、日本書紀ってゲンメイ天皇やゲンショウ天皇が書かせたんだよね、で、日本書紀ではゲンメイ天皇の母の名前がいくつもあって1つに決めれないよぉって?、娘が見てるんよ、そんなバナ話ってあるの。
で、ゲンメイ天皇の旦那さんなんだけど、日本書紀でクサカベ皇子ってゆうんだけど、続日本紀ではヒナメシ皇子だってさ、えぇ?、母親の名前も夫の名前も忘れちゃったんだって、娘のゲンショウ天皇もだよ、そでもって、ヒナメシって名前がオオハラ寺に715年に書いた文が彫ってあるんだけど、そこにヒナメって皇太子(日本書紀のクサカベ皇子)が出てくるんだけど、キヨミハラで治めていた天皇のときヒナメのためにナカトミのアソンのオオシマって人がを造ろうとおもったんだけど、デキなかったから、アソンのヌカタって娘さんが造ったんだってかいてあるん
おっかしいとおもわない、皇太子のためにわりと位の高い子分がつくろっと思っても造れないで、25年もあとに、身分のない娘が代わりに造ってるんだよ、なんでジトウ天皇は造れなかったんだろうね、なんで、モンム天皇やゲンメイ天皇が造らなかっただろう。
でも、こう考えればどうかな、オオシマってゆうのはヒナメのお父さんでいくら身分が高くてもさすがにまだ寺を自分で作れなかったんだけど、娘が大出世して造れちゃったってこと、そで、その娘がゲンメイ天皇ってこと、えぇのさらにえぇ、あんたフクロタタキだぜ、じゃ、どうして続日本紀は書かなかったのっておもうよね、中国は最初日本は新しい国って思ってたけど、あとでやっぱ昔からずっとおんなじ国っていいなおしたんだなぁ
トチュウでまたチスジが戻ったの、そっ、コウニン天皇ってゆう天皇はチスジがしっかりしていてあやふやなところが全然ないんだよ、で、その子のカンム天皇が続日本紀を書かせたんだけど、あたりは前のチスジの人のおかげでシュッセした人ばかりで、もしかしたら、また天皇のクライを取られちゃうかもしれないよね、だから日本書紀もそのまま認めちゃって、ずっとその続きだよってツジツマを合わちゃったってこと、701年に自分のチスジの人を追い出したことを無かったことにしちゃったんだよ、フジワラさんが怖かったんだよ。
で、あとから、先祖の天皇のオマイリをする人をきめたエンギシキって本なんだけど、なぜかテンチ・コウニン・カンムって書いてるんだけど、モンムやショウム天皇がかいていないだ、なんでかぁ、でもねぇ、ショウム天皇はねイッショケンメイ追い出しちゃった天皇一家に許してってオマイリしてんだよ、呪いにうちふるえていたんだろぅか、カンム天皇が書きたかったのかどっちだろ。
ようは、日本では力をもって日本を支配しはじめると歴史の本を書いてきたってこと、で、ちょっとおかしいなっておもっても、いけすかないことでも、前に治めていた人たちがかいた文はそのまま使うってことさ。
だから、新唐書を信じたほうがいいんじゃないってことで、そのわけをしらべたらこうなったってことで、日本書紀は神の世の中から書いてあるんだから、ゲンメイ天皇までには何回かてっぺんを取ったチスジがいくつかあるんだろうけど、その人たちが書いたことをそのまま受け入れちゃっているんだってゆうことがわかったの。
日本は神様がおさめているから、新しく治めるチスジの人は自分の神様をいっちばん初めに書き直したってこと、だから余分な神様がイザナギ・イザナミの前にいらっしゃるってことで、その人数分のチスジの人が日本を治めてきたってこと。

2017年3月7日火曜日

最終兵器のミサ 新唐書ふたたび

ずっと調べてきたら、新唐書ってほとんどあっていたんだよね、キンメイの孫スイコは子じゃなくって孫みたい、テンチの子テンムも兄弟じゃなく子みたい、ただ、コウトクの子アマトヨタカラは兄弟か夫婦かどっちかわからないのと、コウトクとジョメイとアマトヨタカラをコンドウしてるみたい?、ようは、女帝ってゆうのが中国ではあまり理解ができないってゆうことで、やっぱり、なんでアトツギがあるのに母、叔父が位を継ぐのってゆうまともなギモンなんじゃないかなぁ、ようは、日本はちっちゃな子は天皇にしないよってゆう決まりがあるんじゃないのかな、中国は男のツヅキガラがゼッタイだけど、日本は前回書いたように、どっちかゆうと女王が続くことで安心して、国が安定すればいいってとこがあるんじゃないかなぁ、そ~ら言い訳、やっぱ新唐書は間違ってるじゃないっていわれそ。
たしかに、あっているあかしがないけど、まちがっているってゆうこともできるのかなぁ、続日本紀って本がまちがってるあかしになりそうだけど、これもあやしいんだよ、だいたいが、レキシの本って自分たちがど真ん中で正しいって言ってるんだから、見方がかたよってるんだからそのまま受け取っちゃうのは大人じゃないよね。
まぁ、ほんとぅに新唐書の言う通りかもしれないけど、そうだったらそれで、もういちど考え直すだけってこと、中国もおんなじで、自分とこの資料には、アマノトヨタカラっていう名前の王様が、ハクチってゆう年号を決めた人の子が中国に謝りに来たって資料があるけど、それがよく知っているテンチの親らしんだけど、日本人は、天皇のツヅキガラはコウトク・サイメイ・サイメイの子のテンチだって言っているよってこと。
おんなじように、ソウジ天皇っていうテンム天皇の子を知っていてアヨウ天皇・コウメイ天皇・タカノヒメってゆう天皇をしっているけど、日本人は違う天皇の名前をゆう、モンム天皇がテンム天皇の孫って日本人はゆうけど信用していないってことなんだけど、調べることができる天皇は新唐書が間違っていなかったってことだけは言えるってゆうこと。
新唐書を書いた人は日本人からいろいろ教えてもらっているんだから、間違っていたらしているはずだよね、旧唐書がまえの国から変わった新しい国だと日本を言っていたけど書き換えてあるんだからね、モンム天皇からチスジが変わっているってことかいているし、コウニン天皇もチスジが変わっていことをかいているんだよ。
だからいえることは、日本書紀と続日本紀と新唐書はそれぞれビミョウに違って、続日本紀は日本書紀を知っているのに違う、新唐書もきっと日本書紀を知っているけど違うんだけどわざわざ日本書紀にあわせるように書くヒツヨウがないってゆうことで、これを頭に叩き込んでみんなで考えて教えてよ。
で、ようは、日本書紀はどうやら2代ずれているみたいで、天皇の名前はいくつかあわせて1人の天皇だったり、1人の天皇に何人もの天皇が隠れていたりするってこと、テンム天皇のとこにテンム天皇・モンム天皇・ゲンメイ天皇、テンチ天皇のとこにコウトク天皇・チュウグウ天皇・テンチ天皇、ジョメイ天皇のとこにジョメイ天皇・コウギョク天皇・サイメイ天皇ってぐあいなんだ。
ただし、テンチ天皇は1人の天皇を分けてほかは3人の天皇をまとめちゃったんだけどね。
じゃ、日本書紀ってどう読めばいいのってことだけど、天皇にカンケイするはなし、日記みたいな話が別々にあったのをくっつけたってゆうことで、天皇にかんするところは別のところにいれて、でも人名がないものまで別ってのはどうかな、で、いつなにかが起こったってとこはそのままってところかなぁ、まちがっても30年だの、2年だのをうごかすってのはポリシーがなさすぎるよね。
一番わからないのは、ゲンゴウが付いたところで、タイカ・ハクチ・シュチョウってゆうネンゴウで、九州ネンゴウって呼ばれているゲンゴウの中にこのゲンゴウがあるんだけど、そっちのほうに動かしていいのか悪いのか今考えているとこだけど、シュチョウって年号はテンム天皇が終わるとこでチョットいみがちがうみたい。
それは次回のお楽しみ。

2017年3月5日日曜日

最終兵器のミサ コウソボ(高祖母)ってどんなひと?

高祖母ってなんかトクベツな言い方だけどどんないみがあるんだろうって思わない。
高祖母って呼ばれた人はキビシマ高祖母(コウギョク天皇2年死亡)、サイメイ天皇(661年死亡)、シマ高祖母(テンチ天皇3年死亡ただし687年)の3人だけど、シマ高祖母はチュウグウ天皇が高祖母だったのが天皇になったって書いてあるから中宮天皇がシマ高祖母で間違いなさそう。
で、サイメイ天皇のマエセツにアマヨロズトヨヒ天皇に天皇を譲って高祖母になったってかいてあるんだ、てことは、サイメイ天皇はアマヨロズトヨヒ天皇の母で、女性天皇が子に天皇の位を譲ると高祖母ってことじゃ、だから、高祖母ってゆうのはホゞ天皇とおんなじってことじゃないかなぁ、そで、サイメイ天皇ってゆうのはキビヒメってこと。
でも、ハクチ2年も4年にも高祖母がでてくるんだよなぁ、このときはすでにとくにハクチ4年はカクジツにキビシマ高祖母は死んでいるから、もう一人高祖母が出てきちゃった、どうしよう。
ほかに女帝はいないのスイコ天皇は死んでるし、そっそういえばサイメイ天皇ってまだ高祖母になる前だからこの人なら高祖母になれるから、で、またまたそういえば、キビヒメさんってコウギョク天皇の母親じゃてことは、舒明天皇がキビヒメで、娘のコギョク天皇に天皇を譲って高祖母になった、て、じゃもとのジョメイ天皇は?、決まってるじゃん、白雉って年号をつくってすぐに死んだと新唐書に書いてあったコウギョク天皇の夫のタムラ皇子でコウトク天皇しかないじゃん。
そうすると、キビシマ高祖母ってだれかとかんがえると、オオマタ王かヒロ姫かヌカテヒメでまえはヌカテヒメとおもっていたんだけど、訳がわからないタムラ皇子の父でキビヒメの夫のチヌ王の母でオシサカヒコヒトの妻のオオマタ王かタムラ皇子の母のヌカテヒメしか天皇の家柄と思えそうなお姫さまはいない
で、キビヒメさんはなんで娘婿のタムラ皇子にゆずったの、ふつうなら、息子にゆずりたいよねぇ、てことは、アマヨロズトヨヒに天皇がゆずられる前にタムラ皇子を天皇にしたい人がタムラ皇子を天皇にしたってゆうことじゃ、てことは、力があるキビシマ高祖母って、高祖母なんだから天皇の位を譲っていなきゃならないから、タムラ皇子の祖母のオオマタ王で、チヌ皇子に天皇をゆずったってわけじゃない、まえはヌカテヒメって思ったんだけど、ジカに天皇をゆずれないもんね。
てことは、ジョメイ天皇の前はチヌ王でその前はオオマタ王その前はスイコ天皇その前はオシサカヒコヒト皇子ってことに落ち着いちゃって、そうすと、スイコ天皇ってトヨミケカシキヤヒメの子のオハリダ皇女ってお姫様がキンメイ天皇の孫でオシサカヒコヒト皇子の奥さんでピッタリ当てはまると思わない?。
ついでに、まえはどうおもっていたかとゆうと、オオマタ王はシカトしちゃって、ヌカテヒメをキビシマ高祖母とおもって、で、高祖母は子が天皇になったら高祖母になると考えてスイコ天皇の前って考えたんだけど、それじゃ高祖母の力がちょっと弱いかなぁって思ったわけだけど、そうすっとチュウグウ天皇がちょっとおかしいから、どっちがいいかわかんねぇや、だって日本書紀にもそのほかにもかいてないもんね、ここはモウソウのセカイで、とにかく一度天皇になった女帝で子が天皇になって、かつ旦那さんが天皇になった人で、分家さんはだめって人がコウホなんだ、みんなもかんがえて、もしあかしがあったらオ・シ・エ・テ。
ただ、スイコ天皇は何年も皇太子がいなかったっていってるけど、皇太子がいないって、自分が死んだらどうすんのっておもうよねぇ、てことは、死んだときは高祖母がなんとかするってゆうことじゃねぇ、てことは、高祖母がいるときって皇太子がいないときなんじゃないのって思っちゃうわけよ。
モウソウついでに、サイオウも考えてみたいんだけど、日本書紀を読むと前のコウゴウをかざりたてたり、カミサマの娘を娶ったり、父親の奥さんを娶ったりしてフシギだよね、思ったんだけど、もともと、血のつながりをもとにした国の心の支えは女王さまで、外から支配しようとするとそこの女王さまを奥さんにしないと国が治まらないんじゃないの、で、外から来た皇子はよそ者でまだ国が治まらないから父親の奥さんの女王さまを娶って女王さまの子たちが国を受け継ぐんだけど、もし、その国がほかの国から支配されたら、誰の奥さんになっていないお姫さまが国の女王さまとして新しい支配者に差し出すってことで、この女王さまがサイオウってわけじゃねぇっておもうわけ。
サイオウって神様につかえているキムスメだから、神様のムスメってことじゃ、てことは、サイオウってカワイソゥ、だから、チスジやイエガラが変わるとき前のチスジやイエガラのオヒメさまをめとってるんじゃ、だから、皇后が天皇のイエガラだったらもしかしたらセイトウなカトクじゃないかも、わけのわからないお姫様だったらそのお姫様の国をうばってうばった国の王様になったとおもってもいいかもしんねぇってゆうモウソウ。

2017年3月3日金曜日

最終兵器のミサ 皇弟と大皇弟といわれたテンム天皇

ジンシンの乱がおかしなことになっちゃったんだけど、その主役のを張っていたテンム天皇ことオオアマ皇子ってどんな人なんだろうって思わない。
このひとってさ、664年から671年までは大皇弟って言われていたんだけどね、そのあと皇太子っていわれてみたかんじ格下げだよね、皇太子でいいんならはなっから皇太子でいいじゃん、665年から668年はテンチ天皇が皇太子じゃん、てことは664年はアマヨロズトヨヒ天皇の弟ってこと、だって、チュウグウ天皇が天皇になったとき皇太子が住んでいるところにうつったんだから、それまで、だれかがすんでたんだよね、だから、前の天皇の弟だから大がついたんじゃないの。
で、671年に出家して大皇弟をやめてハンランをおこしたんだけど、いっしょにハンランにくわわったお大臣さんといっしょに殺されちゃったんじゃないの。
だって、テンチ天皇ってまだ27歳で子はまだちっさいよね、初めての子でさえサイメイ天皇が死ぬ直前なんだから、長男でも10歳ぐらいで、テンム天皇が子らが小さいってなげくのはちょうどあてはまりそうで、しかも、テンム天皇が皇后やクサカベ皇子・オオツ皇子・タカイチ皇子・カワシマ皇子・オサカベ皇子・シキ皇子をあつめてクサカベ皇子がヤクソクするんだけど、テンチ天皇の子のカワシマ皇子とシキ皇子もクサカベ皇子が兄弟と呼んでいるんだ。
そんで、681年にクサカベ皇子が皇太子になるまえに671年から皇太子って呼ばれる人がいたってゆうことで、さらにさらに、テンム天皇に地位を奪われるオオトモ皇子がダジョウダイジンってゆう天皇の子分がいつの間にやら皇太子になっちゃっているってことは、前の皇太子が降格されちゃったってことで、690年タカイチ皇子がダジョウダイジンになったときにはオオトモ皇子が皇太子になっていたんだってこと、するとテンム天皇ってこの降格させられた皇太子、ちょうどオオツ皇子って人が天皇の代わりに日本を治めていたけど逆らって怒られているんだけど、治めていた人が自分に逆らうっておかしいよね、治めている人より上に怒られたんだから天皇が怒って辞めさせたって皇太子を止めさせらてたのとにてないんでもって、テンム天皇の名前って子分のマヒトてヤクショクがついているんよ。
この681年のクサカベ皇子を太子にしたってとこがいかにもあやしいぞぉってかんじだけど、でも、どうしてテンム天皇は降格されちゃったんだろうなぁ、どうしてオオトモ皇子がアトツギになれたんだろうね、言えることは、オオトモイ皇子が後をツグのをみとどけてからカクムソウがアンシンして日本を離れたってことかなぁ、テンム天皇はカクムソウにきらわれたんじゃない、だもんで、名前までかえエンキリしろとせまられて天皇もしかたなく子分におとしちゃったんじゃない
やったぁ、新唐書が書いていたとおりに、テンム天皇はテンチ天皇の子だったし、ここで、皇太子ってゆうのは長男が後をツぐときはなんも言わずに皇太子ってゆうけど、それ以外の子が皇太子になるときに立皇太子ってこと、だってそうだよね、長男がツぐことってとりたてていわなくてもイワズモガナってことだよねぇ。
で、大皇弟ってゆう変わったコトバにはトクシュな意味があって、もしかしたら、高祖母もなんかありそうだよねって、これ以上ナミカゼたてんなよぉ。

2017年3月1日水曜日

最終兵器のミサ 天皇の名前って?

前回テンム天皇が695年から09年まで正式にはテンム天皇の最後は朱鳥になっているが709年まで、695年って日本書紀ではフジワラの宮に都をうつしたときで、709年まで続いているん
で、天皇の名前ってテンム天皇って後からつけた名前で、テンム天皇はアスカキヨミハラ天皇、テンチ天皇はオウミオオツ天皇、サイメイ天皇は(アトノ)オカモト天皇って宮の名前で呼んでいるん
ってゆうことは、テンム天皇のことが書いてあるのはフジワラミヤ天皇って書くべきなん、で、フジワラミヤ天皇の中にテンム天皇・(ジトウ天皇)・モンム天皇・ゲンメイ天皇がいたってゆうこと、ジトウ天皇は前にも言ったようにべつのながれで子分になっちゃった。
そうすと、オカモト天皇もオカモト天皇の間にハクチっていう元号をつけた天皇もいたってゆうことなん、そして、アトノオカモト宮も662年からアマヨロズトヨヒ天皇もチュウグウ天皇もセッショウ時代のテンチ天皇もアトノオカモトの宮(名前はオハリダと変えたみたい)を都にしていたってゆうこと。
じゃ、ギャクに668年から694年までの天皇の名前ってなにって聞きたくなるよねぇ、そう、都が違っていたってゆうことのようで、668年にオウミオオオツの宮、672年にアスカキヨミハラの宮、687年にオウミオオオツの宮に都をテンチ天皇がうつしたってゆうことなんだなぁ
ほんで、オオトモ皇子がフジワラの宮で天皇になろうとしていて、アスカキヨミハラにいたらテンム天皇にやられちゃって、テンム天皇もアスカキヨミハラにそのままフジワラの宮に行けずにいて、そうしたら701年にモンム天皇に追い出されちゃって、704年やっとフジワラの宮に遷れたってゆうこと。
ここでもっのすごくおっもしろいことがあって、672年から690年のあいだに外国人へのおもてなしを福岡県でやっているんよ、ふつうおもてなしってゴシュジンがいるところでやるよねぇ、ってゆうことは、このころゴシュジンは福岡県にいたんだよねぇ?、ってことは、アスカキヨミハラって福岡県なの、うっそ、近畿奈良だろでもねぇ、大宰府ってところにフジワラの都とおんなじような都があったん
これをみて、福岡の人が日本をギュウジっていたっていってるんだけど、日本書紀はそんなことオオムカシをノゾいて(オオムカシのことはまた今度)ちょこっとも書いてないさけんでるんだけどきいてくんないんだ。どっこにもかいてないことを言うのを「エソラゴト」ってゆう日本語があるよね。
とゆうことは、中国人のカクムソウはテンチ天皇が死んでから中国に帰っているから、670年ぐらいから695年まで日本に3千人の中国人といっしょにいたんだけど、そのオヤクショが筑紫のトトクフこれ中国のオヤクショで占領した朝鮮にもあって、アメリカが太平洋戦争のあと日本を占領していた「GHQ」とおんなじ、大昔にもおんなじことがあったんだ。
でも、トトクフって日本のヤクショのはずって、それはダザイフでダザイってゆうお役人がいたの、トトクなんてゆうお役人は大昔に長野県あたりにいただけで、日本の役人にはトトクなんていないの、トトクは中国のオヤクニンなんよ、だから、那須に文がほってあって、ヒョウトクっていうヤクショクをもらったって中国の年号をつかって700年のことかいているんだ、ヒョウは今の郡、トクが偉さを言っているんだよね、ほんでアスカキヨミハラの宮って書いてる。
てことは、700年でも中国に占領されてたの、だって、いまでも首都東京に米軍基地があって空の上は東京の半分は米軍のものなんだよ、それとおんなじで、戦争には負け方があるってゆうことで、強い国と戦う場合はブキをむだつかいしないでゲリラ戦ってこと、王様がつかまっちゃてどうするの、子分はどうすりゃいいんだ