いままで天皇の名前を使ってきたんだけど、天皇の名前って後からつけた名前ってことなんだけど、でも書いてある名前は昔の名前で違うイエガラの本のはずなのに名前はおんなじなんだよね、すくなくともジョメイ天皇まではゲンメイ天皇のオスミツキってわけ、だから、ジョメイ天皇まではもうミンナが知ってたってこと、で、そんなことを書いた人がいたんだあよね、そお、ソガさんって人、昔の人は本があると写すもんだから、字が書ける人はみんなが写すんだからみんな知ってるはずじゃない、字を知ってる人が天皇のまわりにしかいないときは1冊か2冊しかないかもしれんけどね、だから天皇の名前と宮の名前は違わないんだけど、古っい物を見ると古事記や日本書紀とあう名前はみんな宮の名前なんだよね、人の名前が書いてあるのは無理やりこじつけないと合わないんだ、てことは、日本の古い時間は宮をもとに書かれているんだよってこと。
最初に、島根のひとのムカシ話の集まりだった本をもっていて、伊都の人が中国のコヨミを知って日記をつけだし、福岡の人が2つをくっつけてツヅキガラの本を書きだしたんだけど、福岡の人も人の名前はまとめて書いちゃったんだ、だってこの頃は人の名前って、職業と家の名前と初代の名前の何代目でみんな知ってんだもんな、で、日記はタカチホの宮ってとこに住んでいる初代の名前はホホデミって王様で古事記を書きだしたころには初代が分家してから580年たってまだ続いてるよっていってんだよ。
そうすると、古事記って日記になってないよねなんで?、ようは、日記とツヅキガラを別々に書くのが普通で、日記はてっぺんになった人が持ってるものってことじゃないの、だから、古事記を書いた人は日記を盗られちゃったからいくら前にてっぺんだったからってどうやって内容を並べ替えていいのかわかんなくなちゃったんじゃないの。
だから、時間の物差しはてっぺんになった人が持ってるから、へたに変えちゃうとわけがわからなくなっちゃうから、ゲンメイ天皇はジブンチはオオモノヌシさんに連れられて奈良にやってきて、こんな地位だったんだよぉって書いて、で、最後のケイタイ天皇の宮のとき、モノノベさんのときからてっぺんの周りの偉い人になれたから、てっぺんについて回るから同じ宮ってことになるんだよね、で、ジョメイ天皇の宮のところまでソガさんは書いていたんだけど、殺されちゃったってことなの。
だから、天皇の名前と宮ってゆうツヅキガラはね、ゲンメイ天皇っちのジンム天皇からスイニン天皇まで、福岡の人んちのチュウアイ天皇まで、大分の人んちのニンケン天皇まで、モノノベさんっちのセンカ天皇まで、ソガさんっちのジョメイ天皇まで、で、ソガさんが死んじゃったから福岡の人んっちのテンム天皇までってことじゃない、で、大分の人のところからはソガさんが福岡の人んっちの時間をつかっているってこと、だから、隋書ともあわないし、仏さんに書いてあることともあわない、だってこの時はソガさんが書いているから関係ないもんね、ソガオオオミってソガ天皇っとおんなじことでいっちばん偉いんだよ。
じゃ、福岡の人が天皇って言いだしたのはいつからかなぁって思わない?、フネって王のお墓に668年に書いてあったんだけどね、日本書紀がない時オサダって宮にいた人を天皇と言ってるんだ、これビダツ天皇じゃないっておもえるんだけど、スシュン天皇のときにオサダ天皇を葬ってるんだよ、で、この文ってヨウメイ天皇もスシュン天皇もシカトしてスイコ天皇・ジョメイ天皇って書いたあって奥さんがそれから27年も生きるんだ、ちょっと年の差カップル、うむうむ、オサダをスシュン天皇ってしたほうが若死ってカンジデでよさげ、てことで、ヨウメイ天皇の次の天皇ってことで、モノノベさんを倒した人から天皇って呼んでるんだ、で、その前はオオキミ、奥さんはオウキサキとか呼ぶときはキミってこと。