前回までで日本の位に、天皇・オオキミ(大王)・オオオミ(大臣)・オオムラジ(大連)って偉い人がいたってことだ。
で、最初のころに古事記や日本書紀を書いた人を考えたけど、2つの本をみくらべてしらべると、神話からジンム天皇の国をつくったはなし、これはオオクニヌシとオオモノヌシのカツヤクが中心だから島根県・広島県の人、ちょっと中身がなくなっちゃって、中身ができるのがスジン天皇からジングウ皇后までで、ジングウ皇后は福岡にいたので福岡の人、で、オウジン天皇から大阪に攻め込んじゃって、古事記で中身がなくなっちゃうケンソウ天皇の大分の人、そして、日本書紀は2代ずれているから、ケイタイ天皇からヨウメイ天皇はモノノベさん、スシュン天皇からサイメイ天皇のソガさんでテンチ天皇からおわりまでのゲンメイ天皇ってこと。
で、神話は誰が書いたのって考えると、日本書紀で最初に出てくるのはイズモさん(大分の人系)とハジさん(島根の人系)、古事記はアズミさん(島根の人系)で日本書紀のほうがキャクショクが強そうだからアズミさんを大分の人が奪っちゃってハジさんが島根をツいだってことかな、で、そのあとなんで福岡の人がでてきたんだろう。
で、考えたんだけど、古い時代って字が書ける人ってもんのすごくすくないもんで、どこの人が書けたのかなって調べたら、島根の人と糸島の人が書けたみたいって、なんでかとゆうとスズリって習字のドウグが出てきてるんだな、で、古事記ではオウジン天皇がはじめて朝鮮から教わったって書いてるんだ、でも、福岡の人ってもっと前に中国から字の書いたインカンやら鏡をもらってるんだよ、で、土のヨウキにも字を掘ってるんだよ。
だから、大分の人は福岡の人の本と島根の人の本をいただいちゃってキャクショクしたってこと、で、福岡の人ってどうやって書いたのってゆうと、島根の人や糸島のひとは王様の話ともうひとつ日記を書いていたんだけど、福岡の人もおんなじで王様の話と日記を別々に書いていたんじゃないの、それが宮ごとの王様で、おなじ王様でも宮がちがえば別の王様、違う王様でも宮がおんなじなら同じ王様ってこと、で、それと日記が残っていたんだとおもうよ。
で、それをつかって、リチュウ天皇が国史・四方志を書いて、ニンケン天皇が古事記の原本を書いて、モノノベさんが日本旧記を書いて、ソガさんが天皇記・国記・本記を書いて、テンチ天皇が日本世記を書いたんじゃないの、これ、古事記以外はゼンブ日本書紀にかいてあるんだよ。
で、ゲンメイ天皇ははじめ資料がないもんで、ちょうど、ケンソウ天皇の宮が続いていたもんでその宮から古事記をいただきますしちゃったんだけど、ジトウ天皇が持っていた資料を手に入れちゃったからリッパな本がつくれちゃったってわけ。
でも、ちょっと待ってよ、違うイエガラのケイズなのに名前がおんなじじゃんって声が聞こえてきそうだけど、ゲンメイ天皇もそこまでコクミンをバカにしちゃいないよ、王様の名が違ったらバレバレじゃん、だから天皇の名前はおんなじにするでしょフツウ、だからイッショだけど家族の名がちょっと違うんだけど、だいたいどの本も前に書いた本を受け継いじゃうんじゃない。
だから、古事記や日本書紀はもともとそのイエガラの宮(宮殿のことだからね)をまとめた資料を古いジュンに並べただけで、それに、あとから年号をあてただけじゃないの。
あっちょっと待ったっていわれそお、オオオミやオオムラジが王様ってゆうけど、この人たちって子分じゃないって、そうだよね、でも考えてよ、大分の人たちがてっぺんになったのに島根の人がまた返り咲いちゃった、で、大分の人たちの領土の中に返り咲く人がいたってことは、てっぺんになっても最初の王様のイエガラの人が名前はてっぺんだったってことじゃないのかなぁ、ようは、そのてっぺんのひとは神様に仕えるひとってわけで、キリスト教の法皇や現代の天皇みたいなものじゃないのかなぁ、日本は神様が治めていてそのお言葉を偉い人に伝えてるんだよぉって、だから日本は神の国って言ってんじゃないの。
で、その法皇を中心にして書いているから、島根の人がてっぺんでも、大分の人がてっぺんでもどっちも子分に見えちゃうってことじゃないの。
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