福岡の人が書いた王様のイエガラッてオッカシンだよね、王様のアトツギを決めるのがものすごぉくおそいんだよね、王様になってから何十年もあとなんだよ、もう王様って長生きできることを知っていて、まぁそろそろ年取ったから決めようかってのりだ、そんなことあるはずないじゃん、その前に殺されちゃったらアトツギ争いで大変なことになっちゃうよね。
長男がツグんだ、いや、弟、いや、末っ子、いやイトコってもうダイコンランってことになっちゃうよね、まあフツウは長男がツグよねぇ、だって、カギョウを一番ながく手伝っているのは長男で、王様の兄弟はぐうたらじゃなきゃドクリツするでしょ、で、ドクリツしたらそれが新しい宮で兄弟の数だけできるんだけど、ふつう長男がつぐからなんにも書く必要ないけど、長男がツげない、子がいないときに独立した次男や弟がツぐことになるのがアトツギを決める立太子ってやつ。
だから、アトツギが決まるまでは何人か長男が王様業をツイでいたんじゃないの、で、分家さんに次の家業を任せるときが立太子で、家業をツイだってゆうことは実際の王様業は分家がやって本家は宗教にかかりっきりってことで、その次は分家の長男がツいでゆくってことで、だから、あとの時代だけど、兄弟で王様業をツぐんだけど一番下の弟が長く王様業を続けられるてことさ。
なかには、いやぁ、このころは年を2倍にしていたんだってゆう人もいるんだけど、太子になった人の年は26歳以下だから、13歳以上は太子にしちゃいけないの、長生きってわかっているのはどうしてぇってこって、なんもカイケツできないんだよね。
で、アンネイ天皇ってゆう人がいるんだけど、前の王様が25年家業についていたんだけど、アンネイ天皇が21歳の時にアトツギになったんだけど、前の王様が8年後の33年に死んじゃって、アンネイ天皇が29歳で家業をツいで38年間67歳まで家業について死んじゃったってかいておいて、実際は57歳で死んだって書いてあるんだよ、えぇ?、10歳ちがうよね、そうゆうこと、じつは、アトツギになったときすでに家業をツいでいたってゆうことで、ここで、ツヅキガラが変わったってこと、わかる、これまで話したと・お・りってこと。
そしてアトツギになった年齢はオウジン天皇の3歳いがいは全部16歳以上で、オウジン天皇はジングウ皇后が摂政してるんだぜ、どうしてフツウの太子は16歳以上なの、それはね、15歳以下のコドモは政治にクチダシちゃだめよってことなんだ、だから、長男が15歳以下のバヤイは天皇の弟が家業を継いじゃうの、だから、スイコ天皇は王様の位をツイダときすぐにアトツギをきめたのは子供が小さいかいなかったからなの、そりゃそうだよね、大きい子がいたらその子が王様になっているよね。
じゃっ、そのあとの大分のひとはどう書いたんだろうね、福岡の人の書き方を残してるってことはおんなじようにして、前の資料につづけてタケノウチさん家、カツラギさん家、ヘグリさん家、コセさん家のことを書いたってことで、その資料から日本旧記を書いた人が当てはめ方を2代ずらしちゃって日本書紀のブレツ天皇とこにケンソウ天皇を入れなきゃならなったけど入れなかったってことで、ジングウ皇后っとこはほんとうはニントク天皇だったってこと。
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