王様のツヅキガラはわかったけど、日記はどうなんだよって聞こえてきそうだけど、それが、日記は正しそうなんよ、てゆうのは、まず、ジングウ皇后と三国志の記事はもうばっちりあっていて、日記らしいことを書き始めるのが紀元前94年のコウソの位をもらったって初めて言い放った記事なんだよ、で、立太子で天皇を引きツいだってケイサンすると、この年ってコウショウ天皇の2年目なんだけど、この天皇の子にアマタラシヒコって名が付いているんだ、これ、おぼえてない、そぉ、ヨウメイ天皇が中国の本にこの天皇の名前ってでてきた名前だよ、で、紀元前86年に初めてアマの位をもらったぞって、で、アマタラシヒコってピッタリじゃない。
で、そのとき何があったかってゆうと、4方に攻めたって書いてあるんだけど、書いてるのは福岡の人だから、九州の西の方を攻めたってことで、これで、どうやら伊都を手に入れて文字を手にしたんじゃないかなぁ、で、島根の人たちは銅鐸の国に押し入って大阪の北部、奈良の北部、京都あたりを手に入れたってことで、このときモノノベさんの先祖がイソノカミ神宮で王様になったってこと。だって、宝物をもつのは王様で自分の手元におくでしょ、これって日本の最初の正倉院ってことで、ずっと残っているってことは、ずっとこのへんが日本の中心だったってことで、違うところだったら場所が変わってるでしょ。
それで、カクキョセイってゆう朝鮮のバカンの王様がいるんだけど、おかしなことにこのバカンってシンカンってゆう国から独立したんだけどシンカンより先に王様がいるんだね、そんで、このカクキョセイって王様は中国のお姫様の子だってゆうんだけどなぜだか海を渡ってくるんだなぁ??、なんで海を??、これ以上は人の国のプライドに関係するからいわない、それから、このカクキョセイって王様もイジョウに長い間王様についているだよ、なんか日本にニているよね、んで、この国の2代目の王様に変わるちょっと前の紀元前27年に皇太子だったんだけど弟にゆずって日本にやってきてタジマってゆう兵庫県にすんだんだ、で、その80年後ぐらいにこのタジマのお姫さんが産んだ子がシンカンの王様になったてことだけど、なんか都合よくない。
それから、銅の道具がよく出る時の真ん中ぐらいから銅鐸が減っていくんだけど、ちょうどこの頃からで、日本はその土地の姫様を嫁にしてその子たちがだんだん支配していくってゆう方法だから、変わり方がものすごくおそいから、銅鐸がなくなるのに200年くらいかかっちゃう。
でもって、銅の道具を調べたついでに、古事記で鏡を見てみると、神話ではいっぱい出てくるんだけど、それ以外は朝鮮からもらったってゆうぐらいで全く出てこないんだよ、てことは、有名なサンカクブチシンジュウキョウってゆう鏡って大分の人ってゼンゼン関心なしってゆうこと、じゃあだれが大事にしたのってゆうと、福岡の人の本をもとにしたんだから、そこからわざわざけしちゃったってことは、鏡は島根の人のものってことなんだよ、で、ゼンポウコウエンフンを造り始めたころもサンカクブチシンジュウキョウがつくられるんだけど、そのうちに消えていったんだぁ、これは、大分の人が興味ないからみんなに分けなくなったってことだから、この時に大分のジングウ皇后が大阪に攻めて支配したってこと、で、2代ずれているからニントク天皇の時代ってことで、それがタケノウチさんで日本のてっぺんになれたんでオオオミになったってことだけど、サンシュのジンキって天皇のシルシなんだけど、これって、剣と鏡と宝石ってこれ島根の人の宝じゃない、福岡の人は剣じゃなくって矛で、大分の人は鏡に興味なしってことで、天皇はもともと島根の人だったってこと。
だけど、倭の5王って有名な王様がぜんぜん書かれていないじゃないてぇ聞こえてきそうだけど、だって書く必要ないじゃない、あれは福岡の人の話で、大分の人の話じゃないんだからね。
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