2017年3月29日水曜日

最終兵器のミサ 聖徳太子って

 倭国でもう一つオッカシイって思えるのが聖徳太子のことじゃないかな、今じゃ聖徳太子っていなかったってことにしちゃおうって、ようは日本書紀に出てこないもんでこまっちゃうんよね。
でもさ、706年にほったってゆう聖徳皇ってゆう文字が日本書紀にないってゆうことで無かったことにしていいの、うつし間違いってことにしていいの、この文って日本書紀ができる前の文なんだよ、で、この文にはウエミヤ太子聖徳皇ってほってあったって鎌倉時代の本に書いてあるだけど、ウエミヤってゆうと法隆寺の仏さんの後ろにホウコウ31年に上宮法皇が亡くなったってほってあるんだけどこの死んだ人が聖徳太子じゃないのておもっている人が多いっていうはなし。
このころは、これまで話してきた通り、みんなはスイコ天皇っていってるけど新唐書がヨウメイ天皇っていってるときで、そのなかに夜があけたら、弟に政治を任せるって言ってるんだ、で、スイコ天皇のところで、天皇になってすぐに立太子してる、これって今まで言っていた通り新しい宮の人が政治をしたってこと、で、ヨウメイ天皇ってお坊さんのような座り方をしていてるんよ、で、自分を天子って言ってるん、天子ってゆうと、隋ではヨウダイっていう元号みたいな名前をもってるよね、だ・か・らホウコウってのはこの天皇がホウコウ帝ってよびなってことになったんじゃない、で、弟の太子(天皇)も昼間は政治を行っているからもう一人の皇帝ってゆうわけでショウトク帝って呼んだんじゃないの、そんで、隋におこられたもんでこのショウトクさんを出家させて法皇にしてウエミヤ法皇ってこと。
だから、ショウトク太子ってトヨトミミって名じゃ無いかもしれないけど、でも、いろんな本にトヨトミミって書いていて、チスジは目いっぱいキャクショクしてるからよくわかんない、で、九州の年号って言われる年号でタンセイっていう年号があるんだけど、資料にスイコ天皇のタンセイとスシュン天皇のタンセイって書いてあるんよ、2代ずれるとヨウメイ天皇とビダツ天皇の兄弟だよね、で決まりに従って考えるとビダツ天皇がショウトク太子だけどお兄さんなんだな、でもツヅキガラはどうなのかな、すくなくともリカヤタフツリって太子は違うと思うよ、だってそれならふつう太子は長男なんだから太子が弟なら弟って書くよね。
ショウトク太子のことは日本書紀ができてからもいっぱい書いてあって訳がわからなくなってるんだな、もうちょっと調べさせてほしいけど、少なくとも古事記に書いたセッテイはたいていスイコ天皇はテンチ天皇のことだとおもうよ

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