2021年7月16日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段5

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「素戔鳥尊以天照太神御手(?)纏髻鬘八咫瓊五百箇御(?)王濯浮於天真直井亦云去來真名井齬然咀嚼而吹棄氣吹狹霧之中化生六男之神乃含左御鬘玉左手掌中化生之神号日正哉吾勝勝速天穂別尊覆含左御鬘玉右手掌中化生之神号日天穂日命覆含左御髻玉著於左臂化生之神号日天津彦根命覆含右御髻玉著於右臂化生之神号日活津彦命覆含左御手腋玉自左足中化生之神号日熯之速日命覆含右御手腋玉自右足中化生之神号日熊野豫樟日命」、【素戔烏が、天照太神の手と髻鬘に巻いた八咫の瓊の五百筒の玉の御統を、天の真名井(または去来の真名井)にすすぎ浮かべて、噛み砕いて吹きだすと、息吹の霧の中から、六柱の男神が生まれた。すなわち、左の鬘の玉を含んで左の手のひらに生まれた神の名を、正哉吾勝々速天穂別という。また、右の鬘の玉を含んで右の手のひらに生まれた神の名を、天穂日という。また、左の髻の玉を含んで左の肘につけて生まれた神の名を、天津彦根という。また、右の髻の玉を含んで右の肘につけて生まれた神の名を、活津彦という。また、左の手の玉を含んで左足に生まれた神の名を、熯速日という。また、右の手の玉を含んで右足に生まれた神の名を、熊野豫樟日という。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「速須佐男命乞度天照大御神所纏左御美豆良八尺勾璁之五百津之美須麻流珠而奴那登母々由良尓振滌天之真名井而佐賀美迩迦美而於吹棄氣吹之狭霧所成神御名正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命亦乞度所纏右御美豆良之珠而佐賀美迩迦美而於吹棄氣吹之狭霧所成神御名天之菩卑能命亦乞度所纏右御美豆良之珠而佐賀美迩迦美而於吹棄氣吹之狭霧所成神御名天津日子根命又乞度所纏左御手之珠而佐賀美迩迦美而於吹棄氣吹之狭霧所成神御名活津日子根命亦乞度所纏右御手之珠而佐賀美迩迦美而於吹棄氣吹之狭霧所成神御名熊野久須毘命并五柱」、【速須佐之男は、天照大神が左の美豆良に巻いた5百の貫いた八の玉を30cmに繋げたの美須麻流の珠を渡してもらって、玉の音がもゆらとするように、天の眞名井に振って滌いで、何度も噛みしめて、吹きつけた息吹の狹の霧によって成った神の名は、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳。また右の美豆良に巻いた珠を渡してもらって、何度も噛みしめて、吹きつけた息吹の狹の霧によって成った神の名は、天の菩卑能。また美豆良に巻いた珠を渡してもらって、何度も噛みしめて、吹きつけた息吹の狹の霧によって成った神の名は、天津日子根。また左の手に巻いた珠を渡してもらって、何度も噛みしめて、吹きつけた息吹の狹の霧によって成った神の名は、活津日子根。また右の手に巻いた珠を渡してもらって、何度も噛みしめて、吹きつけた息吹の狹の霧によって成った神の名は、熊野久須毘。あわせて五柱だ。】と訳した。

『日本書紀』・『舊事本紀』・『古事記』の神話は、本来、『山海經』海外南經の「六合之閒四海之内照之以日月經之以星辰紀之以四時要之以太歳神靈所生其物異形或夭或壽唯聖人能通其道」と六合の地である日本海・黄海・東シナ海・太平洋の間にあって、異形の神が生まれる土地の説話で、まさしく神話だ。

伊弉冉死後、自然の摂理に反する物体が神に化けるという神生みが始まり、これは、子を産むのではなく、侵略したり、侵略されて王権が交代する現象を記述したのであり、女王は王だが侵略するのではなく、防衛が役割で、男王が他国へ侵略して婿入りし、女王をもうけて侵略地を支配するという方法で国を広げ、あるいは侵略地の女王を人質として連れ去った神話だと考えられる。

そして、『日本書紀』も『古事記』も葛城王朝の後裔の史書なのだから、本家は葛城だが平郡・巨勢と分流の「なか」国の安芸出身で、葛城氏は日向国王となった日向襲津彦の母方、日向髪長大田根の先祖で、母方の本家があった日向は『古事記』に「肥国謂建日向日豊久士比泥別」と「肥国」の一部で日向髪長大田根の先祖は『三国志』に「一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史」と伊都国が検察した配下で、「投馬國水行二十日官曰彌彌」と耳という官位を持った一族である。

この項は、実質の皇祖の記述で、『古事記』の官位は耳と『日本書紀』に同じ、大八国に支配されていた『三国志』より以前の人物、穂という地域に侵略した人物で、『舊事本記』の皇祖は、その侵略された穂という地域から逃げたか、忍穂耳の国を分国させた人物を示しているようで、『舊事本記』の推古天皇まで記述した蘇我馬子と『古事記』の巨勢氏、『日本書紀』の平郡氏の素性が理解できる。

それ以外の人物は、葛城氏・平郡氏・巨勢氏のバックボーンになった王家の王祖の人物で、出雲臣の祖の天穂日は君子国の王家の建飯勝を迎え入れ、その末裔で建飯賀田須が大物主で『古事記』の巨勢氏はその娘婿の家系と主張し、巨勢氏や蘇我氏は蘇我氏の韓子宿禰が紀氏の大磐宿禰に殺され、蘇我氏が殺した紀氏の大磐宿禰の墓を土師連小鳥が「作冢墓」と敵対して、『日本書紀』で穂日が祖とする土師氏を『古事記』や『舊事本紀』は祖と記述せず土師氏をバックボーンとしていない。

2021年7月14日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段4

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「則掘天之眞名井三處矣天照太神與素戔鳥尊共隔天之安河而相對乃立誓約曰汝若有姧賊之心者汝所生之子必女矣如生男者即以為子令治天原矣天照太神素戔鳥尊共誓約曰吾以(?)纏之玉可以授汝矣汝以(?)帶劔可以授吾矣如此約束相共換取巳畢天照太神乃以素戔鳥尊(?)帶三劔亦云十握劔爲三以化生三神振濯於天真直井 亦云去來真名井 齬然咀嚼而吹棄氣(?嘖 口+賣)狹霧之中化生三女之神十握劔化生之神号曰瀛津嶋姬命亦名忍姬亦日田霧作九握劔化生之神号曰湍津嶋姬命八握劔化生之神号曰市杵嶋姬命」、【そして天の真名井の三ヶ所を掘って、天照太神と素戔烏尊は天の安河をへだてて向かい合い、「お前にもし邪心があるのなら、お前の生む子はきっと女だ。もし男を生んだら、私の子として、天原を治めさせよう」と誓約した。天照太神は、「私が身につけている玉をお前に授けよう。お前が帯びている剣を私に授けなさい」と素戔烏に誓約した。このように約束してお互いに取り替えた。天照太神は、素戔烏が帯びていた三ふりの剣(または十握剣を三つにして、生じた三神)を、天の真名井(または去来の真名井)で振りすすいで、噛み砕いて吹きだすと、息吹の霧の中から三柱の女神が生まれた。十握剣から生まれた神の名を、瀛津嶋姫(または田心姫、または田霧姫)という。九握剣から生まれた神の名を、湍津嶋姫という。八握剣から生まれた神の名を、市杵嶋姫という。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「故尓各中置天安河而宇氣布時天照大御神先乞度建速須佐之男命所佩十拳劔打折三鍜(?段)而奴那登母由良尓振滌天之真名井而佐賀美尓迦美而於吹棄氣吹之狭霧所成神御名多紀理毗賣命亦御名謂奥津嶋比賣命次市寸嶋比賣命亦御名謂狭依毘賣命次多岐都比賣命」、【そのため各々天の安河を間に置いて誓約する時に、天照大神はまず建速須佐之男が帯びた十拳の劒を頼まれて渡して、三つに折って、玉の音がもゆらとするように天の眞名井で振って滌いで、何度も噛みしめて吹きつけた息吹の狹霧によってなった神の名は、多紀理毘賣。亦の名は奧津島比賣という。次に市寸島上比賣。亦の名は狹依毘賣という。次に多岐都比賣の三柱。】と訳した。

これまで、後継者は一人若しくは夫婦であったのに、三貴神から三人以上の後継者を記述するが、実際は三貴神でも国を統治するのは素戔嗚で、この説話で素戔嗚から天照大神に子を取り換えて変更しているのであって、実際は王朝交代を述べているのに過ぎず、元々の神話は一組の夫婦の後継者が記述されたと考えられ、奇肱之国や女子国の神話が基となっている殷時代以降の神話の可能性がある。

『古事記』の基の説話は狹国の霧から生まれたのだから多紀理毘賣と狹依毘賣と多岐都比賣と解り、『舊事本紀』が隠岐・対岐・壱岐の女神に引き継がれているのだから、隠岐の3女神の神話、すなわち、多岐は「おき」と本来は呼ばれていたものが大国の大岐が建国されて、「多岐」→「湍」と表意文字は変化したが、表音は変わらず「おき」なのではないだろうか。

『古事記』は剣で生むのに「奴那登母由良尓」と玉の擬音を記述し、もともと、素戔嗚の瑞八坂瓊と天照の八咫瓊のどちらも王の爾で、どちらが支配するかを決めたと考えられ、基の説話は、剱が無い時代の説話で、その後に剣を使用しだした君主国・八国が受け継いだ神話と考えられ、『舊事本紀』は複数の矛を用いた青銅器時代の神話と考えられ、これらの姫がそれぞれの国の日国の配下の女王となる。

そして、後継女王は其々の王朝の女王で『舊事本紀』では羽明玉から貰った瑞八坂瓊から生まれたのだから、豊国の秋瑞穂之地の女王がおそらく対馬の湍津嶋姫と隠岐の瀛津嶋姫と壱岐の市杵嶋姫で安芸の国の影響下にあると述べている。

2021年7月12日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段4

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「素戔鳥尊請日吾令奉敎將就根國故欲暫向於髙天原與姉相見而後(?)退矣勑許之乃昇(?)於天也伊奘諾尊功既至矣徳亦大矣神(?)既畢當(?)登矣天報命留宅於日之少宮覆孁運當遷是以搆幽宮於淡路之洲寂然長隱亦坐淡路之多賀者矣<重複▽-素戔鳥尊請日吾令奉敎將就根國故欲暫向髙天原與姉相見而後(?)退矣伊奘諾尊勑許之乃昇(?)之於天也-△>素戔鳥尊將昇天時有一神號羽明玉此神奉迎而進以瑞八坂瓊之曲玉矣素戔鳥尊持其瓊玉而昇天之時溟渤以之鼓盪山岳為之鳴呴此則神性健雄使之然也矣於天上詣之時天鈿賣命見而告言於日神矣天照太神素知其神暴惡至聞來詣之狀乃勃然驚動曰吾弟(?)以來者豈以善意當有奪我高天原之心欤夫父母既任諸子各有其境如何棄置當就之國敢窺窬此處乎乃解御髮纏御髻結御髮為御鬘縛御裳為御袴而即於左右鬘亦於左右御手及腕各纏八咫瓊之五百箇御統之瓊玉覆背負千箭之靭並五百箭之靭覆臂著稜威之高柄振起弓彇急握劔柄踏堅庭而陷股若沫雪蹋散而舊稜威之雄詰發稜威之(?嘖 口+賣)讓而徑詰問何故上來焉素戔鳥尊對曰吾元無黑心但父巳有嚴勑永將就于根國如不與姉相見吾何能敢去亦欲獻珎寶八坂瓊之曲玉耳不敢別有意也是以跋渉雲霧遠自來叅不意阿姊翻起嚴顏于時天照太神覆問日若然者何以將明尓之赤心汝言虛實何以為驗素戔鳥尊對曰請與姉共誓約之中必當生子如吾(?)生是女者可以為有濁心若是男者可以為有清心」、【素戔烏が「私は、命令に従って、根の国に行きます。そこで高天原に行って、姉に会ってから別れしようと思います」と願い出て、伊奘諾尊が「許す」と言ったので、天に上った。伊奘諾は、仕事を終え、偉大で徳が有るとの名声を得て将軍を引退し、天に帰って報告し、日の少宮に留まり住んだ。そして、また、孁に行こうとした。そこで、隠居の宮を淡路の地に造って、静かに永く隠居した。また淡路の多賀にいるともいう。素戔烏が「私は今、命令にしたがって、根の国に行きます。そこで高天原に行って、姉に会ってお別れしたいと思います」と願い出た。伊奘諾は「許す」と言ったので天へ海流を昇った。その時、一柱の神がいた。名を羽明玉という。この神が迎えて、瑞の八坂瓊の勾玉を献上した。素戔烏がその玉を持って天に昇る時、大海はとどろき渡り、山岳も鳴りひびいた。これはその性格が猛々しいからだ。天に昇る時に、天鈿売がこれを見て、日の神に報告した。天照太神は、もとからその神の荒くよからぬことを知っていて、やってくる様子を見て、とても驚いて「私の弟がやってくるのは、きっと善意ではない。きっと高天原を奪おうとしているのだろう。父母はすでに子供たちに命じて、境を設けた。どうして自分の行くべき国を棄てて、こんなところに来るのか」と言い、髪を解いて髻にまとめ、髪を結いあげて鬘とし、裳の裾をからげて袴とし、左右の鬘、左右の手および腕にもそれぞれ玉五百を緒に貫いた2mの統を巻きつけた。また、背には大型の靱と半靱を負い、腕には立派な高鞆をつけ、弓弭を振り立て、剣の柄を握り、堅い地面を股まで嵌まり込むほど踏み、土を沫雪のように散らし、勇猛な振る舞いと厳しい言葉で「どういうわけで上って来た」と詰問した。素戔烏は「私にははじめから邪心はない。ただ父の厳命があって、長く根の国に就くのに、姉に会わないで、私はどうしておいとまできますか。また、珍しい宝の八坂瓊の勾玉を献上したいと思うだけだ。他に考えていません。そのため雲霧を踏み越えて、遠くからやって来たのです。思いがけなく姉の厳しい顔を見ようとは」と答えた。すると天照太神がまた「そうなら、何でお前の潔白を証明するのか。お前のいうことが嘘か本当か、どのように証拠とするのか」と尋ねた。素戔烏が「どうか私と姉とで、ともに誓約して子を生みましょう。もし私の生んだ子が女だったら、邪心があると思いなさい。もし男だったら、潔白です」と答えた。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は「故各随依賜之命所知看之中速須佐之男命不治所命之國而八拳須至于心前啼伊佐知伎也其泣状者青山如枯山泣枯河海者悉泣乾是以悪神之音如狭蝿皆満満物之妖悉發故伊耶那岐大御神詔速須佐之男命何由以汝不治所事依之國而哭伊佐知流尓荅白僕者欲罷妣國根之堅洲國故哭尓伊耶那岐大御神大忿怒詔然者汝不可住此國乃神夜良比尓夜良比賜也故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也故於是速須佐之男命言然者請天照大御神將罷乃参上天時山川悉動國土皆震尓天照大御神聞驚而詔我那勢命之上來由者必不善心欲奪我國耳即解御髪纏御美豆羅而乃於左右御美豆羅亦於御縵亦於左右御手各纏持八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠而曽毗良迩者負千入之靭比良迩者附五百入之靭亦所取佩伊都之竹鞆而弓腹振立而堅庭者於向股蹈那豆美如沫雪蹶散而伊都之男建蹈建而待問何故上來迩速須佐之男命荅白僕者無邪心唯大御神之命以問賜僕之哭伊佐知流之事故白都良久僕欲往妣國以哭尓大御神詔汝者不可在此國而神夜良比夜良比賜故以爲請將罷往之状参上耳無異心尓天照大御神詔然者汝心之清明何以知於是速須佐之男命荅白各宇氣比而生子」、と凡そ同じだ。

根の国が、『古事記』では出雲、『舊事本紀』では紀伊熊野と其々の王朝によって異なったように、伊弉諾の出身地も天照大神を生んで、大神なのだから大国と考えられ、『舊事本紀』が「孁」に帰ろうとしたと記述するが、「孁」は「大日孁」の「孁」で、蛭子が対であるように、子に対する「孁」で女神を表し、母のもとの日国に帰ろうとしたことを示す。

伊弉諾の出身地が『日本書紀』は淡路島で、そこを追い出されて安芸で建国して、淡路島に葬られ、『古事記』は淡島が出身地で、淡島を追い出されて淡路島で建国して、志賀淡海の多賀に葬られ、『舊事本紀』では淡路が出身地で、淡路島へ移動して伊予で建国して淡路島で葬られている。

日の少宮は恐らく淡路島近辺に有ると考えられ、少はこ・小・子の表意文字の一つで、日の兒宮と考えられ、「吉備兒嶋謂建日方別」と吉備の小国は建日の分国で、まさに日国の小宮を意味すると考えられる。

史書がどの文字を使うかは史書を書いた時代の感覚で「あわ」が粟か淡かそれとも別か解らないが、史書を書いた時期では巨勢氏のおそらく、母系の出身地が近江で「あわ」と呼ばれたようで、物部氏のおそらく母系の出身地が淡路島で、平郡氏も淡路島と考えられる。

『山海經』の九州から朝鮮半島東部を記述する「海外西經」に日本海と黄海に面した壱岐を思わせる女丑、その北に二女王が支配する女子国が記述され、まさに、天照と月弓で、共に天国に戻され、当然、古代は王が武器を持って戦い、天照が武器を持った様子を生き生きと示している。

2021年7月9日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段3

  次の一書は、一書()一書曰日神與素戔嗚尊隔天安河而相對乃立誓約曰汝若不有奸賊之心者汝所生子必男矣如生男者予以爲子而令治天原也於是日神先食其十握剱化生兒瀛津嶋姫命亦名市杵嶋姫命又食九握剱化生兒湍津姫命又食八握剱化生兒田霧姫命巳而素戔嗚尊含其左髻所纒五百箇統之瓊而著於左手掌中便化生男矣則稱之曰正哉吾勝故因名之曰勝速日天忍穗耳尊復含右髻之瓊著於右手掌中化生天穗日命復含嬰頸之瓊著於左臂中化生天津彥根命又自右臂中化生活津彥根命又自左足中化生熯之速日命又自右足中化生熊野忍蹈命亦名熊野忍隅命其素戔嗚尊所生之兒皆已男矣故日神方知素戔嗚尊元有赤心便取其六男以爲日神之子使治天原即以日神所生三女神者使隆居于葦原中國之宇佐嶋矣今在海北道中號曰道主貴此筑紫水沼君等祭神是也熯干也此云備」、【一書に、日神と素戔嗚が天の安河を隔てて、相対して立って誓約して、「お前がもし反逆心が無いのなら、お前が生む子は、必ず男だろう。もし男が生まれたら、私の子として、天原を治めるだろう」と言った。ここで、日神は、まずその十握劒を食べて生れた子は、瀛津嶋姫。または市杵嶋姫。又、九握劒を食べて生れた子は、湍津姫。又、八握劒を食べて生れた子は、田霧姫。すでに素戔嗚は、その左の髻に纏めた五百箇の統の瓊を含んで、左の掌中に置いて、男を生んだ。それで「私が勝った」と言った。それによって名づけて、勝速日天忍穗耳という。また右の髻の瓊を含んで、右の掌中に置いて、天穗日を生んだ。また頚にまわした瓊を含んで、左の腕に置いて、天津彦根を生んだ。又、右の腕の中から、活津彦根を生んだ。又、左の足の中から熯之速日を生んだ。又、右の足の中から熊野忍蹈を生んだ。亦の名は熊野忍隅。それが素戔嗚が生んだ子で、皆男だ。それで、日神は、素戔嗚の、清心だったことを知り、その六人の男を取って、日神の子として、天原を治めさせた。すなわち日神の生んだ三人の女神は、葦原中國の宇佐嶋に降り住まわせた。今、海の北の道の中に在る。名付けて道主の貴という。これは筑紫の水沼君達が祭る神がこれだ。熯は、干。これをひという。】と訳した。

一書()は一書()・一書()と異なり「田心姫」が「田霧姫」と記述され、本文の最初の田心姫の接頭語の「濯於天真名井然咀嚼而吹棄氣噴之狹霧所生神號曰田心姫」の元となった姫の名で、神も日神で、九州の神話と考えられ、その神話を景行天皇が「拘奴國」を破ったあとの「拘奴國」の神で、豊後の宇佐の神だった。

恐らく宇佐の神は姫島の神で、姫島は「亦名謂天一根」と壱岐の故地で、その神が「田霧姫」で三女神がいて、後の道臣・日臣の道主貴が瀬戸内の東部から関門海峡を支配し、そこが豊国で、安芸も豊国に含まれ、後に「なか」国となるが、拘奴・熊襲が姫国の宇佐を支配し、その王が『後漢書』「自女王國東度海千餘里至拘奴國」から『三国志』「其南有狗奴國」と筑後の水沼君となり、この一書(3)は水沼君が残した神話と思われる。

そして、その宇佐を支配した熊襲の王が「其官有狗古智卑狗」と官名が狗国熊襲の狗ち彦と考えられ、「むち」・「つち」・「つみ」などは、女神「姫」に対する土地神の男神で「むち」は宗像の神、「つち」が対馬の神、「こち」はおそらく狗国の神で、大己貴神が『舊事本紀』に「大己貴神・・・先取宗像興都嶋神田心姫命」と宗像を支配し大己貴と素戔嗚を同一の人物という神話になった。


2021年7月7日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段2

  次の一書は、一書()一書曰素戔嗚尊将昇天時有一神号羽明 玉此神奉迎而進以瑞八坂瓊之曲玉故素戔嗚尊持其瓊玉而到之於天上也是時天照大神疑弟有惡心起兵詰問素戔嗚尊對曰吾所以来者實欲與姉相見亦欲獻珍寶瑞八坂瓊之曲玉耳不敢別有意也時天照大神復問曰汝言虛實将何以爲驗對曰請吾與姉共立誓約誓約之間生女爲黑心生男爲赤心乃掘天真名井三處相與對立是時天照大神謂素戔嗚尊曰以吾所帶之剱今當奉汝汝以汝所持八坂瓊之曲玉可以授予矣如此約束共相換取已而天照大神則以八坂瓊之曲玉浮寄於天真名井囓斷瓊端而吹出氣噴之中化生神号市杵嶋姫命是居于遠瀛者也又囓斷瓊中而吹出氣噴之中化生神号田心姫命是居于中瀛者也又囓斷瓊尾而吹出氣噴之中化生神號湍津姫命是居于海濱者也凢三女神於是素戔嗚尊以所持剱浮寄於天真名井囓斷剱末而吹出氣噴之中化生神號天穗日命次正哉吾勝勝速日天忍骨尊次天津彥根命次活津彥根命次熊野櫲樟日命凢五男神云爾」、【一書に、素戔嗚が天に上ろうとする時に、一神がいた。名は羽明玉。この神が迎えて、瑞の八坂瓊の曲玉を進呈した。それで、素戔嗚は、その瓊玉を持って、天に上った。この時に、天照は、弟に邪心があると疑い、挙兵して問い詰めた。素戔嗚が「私が来た理由は、本当に姉と会いたかっただけだ。亦、珍寶の瑞の八坂瓊の曲玉を献上したいだけだ。あえて別の気持ちはない」と答えた。その時に天照は、また「お前は言辞の虚実をどのように証明するのか」と聞いた。「お願いです、一緒に誓約しましょう。誓約の間に、女を生んだら、邪心が有るとしましょう。男を生んだら、清心です」と答えた。それで天の眞名井の三所を掘って、共に向かい合って立った。この時に、天照が、素戔嗚に「私が帯びた劒を、今、お前に進呈しよう。お前はお前が持っている八坂瓊の曲玉を、私に授けなさい」と言った。このように約束して、共に交換して取った。天照は、八坂瓊の曲玉で、天の眞名井に浮かせ引き寄せて、瓊の端を食いちぎって、吹き出した物が化った神を、市杵嶋姫と名付けた。これは遠海に居る者だ。また瓊の中程を食いちぎって、吹き出したものが化った神を、田心姫と名付けた。こは中程の海に居る者だ。又、瓊の尾部を食いちぎって、吹き出た物が化った神を、湍津姫と名付けた。これは海濱に居る者だ。すべて三女神。ここで、素戔嗚は持った劒で天の眞名井に浮べ引き寄せて、劒の末を食いちぎって、吹き出した物が化った神を、天穗日と名付けた。次に正哉吾勝勝速日天忍骨。次に天津彦根。次に活津彦根。次に熊野櫲樟日。すべて五の男神と、云々。】と訳した。

この一書()は、一書()と同系列だが、時代はもっと後で、すでに、大日孁が天照大神と習合・合祀された頃の神話で、市杵嶋、すなわち壱岐の神話と考えられ、『三国志』で、もし、伊都に一大率を置いたことを背景にしているのなら、『古事記』の「日子穂ゝ手見命者坐高千穂宮伍佰捌拾歳」と伊都に高千穂の宮で統治した日王の神話の可能性がある。

もし、そうなら、高千穂宮の記録が580年前から記録が有り、それが、前667年頃なのだから、前90年頃に伊都が一大率を置く倭奴国を建国した可能性が高く、この頃、壱岐の神が宗像の神に合祀された可能性がある。

一書(1)は三女神を降したというように、配下と考えているが、一書(2)は生んだと言っているが、既に、宗像に祀られた女神と矛盾した表現となっていて、三女神を産む瑞の八坂瓊の曲玉と言っているのだから、湍津姫のいる八国から貰った宗像の曲玉で3女神を生んだことになる。

『後漢書』には「大倭王居邪馬台國」と大八国が邪馬台国を統治して、「東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種而不屬女王」と、その東の「拘奴國」も倭奴国ではなく、壱岐は倭奴国なのだから、壱岐の3女神が宗像に逃れたことを意味する。

漢の朝鮮北部への侵略は、倭が燕との交易路が無くなり、九州西部の島から六合・朝鮮半島へ進出し、畿内政権とぶつかる事となり、『三国志』の時代に、安芸の政権の「なか国」と同盟して、邪馬台国は卑弥呼が手に入れたようだ。

2021年7月5日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段1

 『日本書紀』の慶長版は続けて、概略、【素戔嗚は根の國に就任するので高天原に向い姉と会ってその挨拶をした。始め素戔嗚が天に上った時、大声で暴れまわったと天照が知り、その後で天照のもとに遣って来たので、なにか悪い考えがあると考え、國を奪おうとしていると思い闘う準備をした。 素戔嗚尊は挨拶に来ただけと言い、邪心が無い事の証明に誓約の中で子を生み、女なら邪心、男なら清心と訴え、天照が素戔嗚の十握劒を天眞名井に濯いで、生れた神が、田心姫・湍津姫・市杵嶋姫の三女。素戔嗚が天照の八坂瓊の五百箇御統を天眞名井に濯いで、生れた神が、正哉吾勝勝速日天忍穗耳・天穗日・天津彦根・活津彦根・熊野樟日併せて五男だった。この時に、天照が「八坂瓊之五百箇御統は我が物だから」と男神を得た。又、「その十握劒は、素戔嗚の物だから三女神は、お前の子」と素戔嗚に授けた。】のように「うけい」を記述する。 

そして、一書()一書曰日神本知素戔嗚尊有武健凌物之意及其上至便謂弟所以来者非是善意必當奪我天原乃設大夫武備躬帶十握剱九握剱八握剱又背上負靫又臂著稜威髙鞆手捉弓箭親迎防禦是時素戔嗚尊告曰吾元無惡心唯欲與姉相見只爲暫来耳於是日神共素戔嗚尊相對而立誓曰若汝心明淨不有凌奪之意者汝所生兒必當男矣言訖先食所帶十握剱生兒號瀛津嶋姫又食九握剱生兒號湍津姫又食八握剱生兒號田心姫凡三女神矣已而素戔嗚尊以其頸所嬰五百箇御統之瓊濯于天渟名井亦名去来之真名井而食之乃生兒號正哉吾勝勝速日天忍骨尊次天津彥根命次活津彥根命次天穗日命次熊野忍蹈命凡五男神矣故素戔嗚尊既得勝驗於是日神方知素戔嗚尊固無惡意乃以日神所生三女神令降於筑紫洲因教之曰汝三神宜降居道中奉助天孫而爲天孫所祭也」、【一書に、日神は、本から素戔嗚の、武健しく凌ぐ意志が有ることを知っていた。上って来たので、弟が来た理由は、善い考えではない。きっと天原を奪おうとしているので、すごい武備を準備した。躬に十握劒・九握劒・八握劒を帯びて、又、背に靫を負い、又、臂に 神聖な高鞆を着け、手に弓箭を捉って、親ら迎えて防御した。この時、素戔嗚は「私は元々邪心が無い。唯、姉と会いたかっただけで、ほんの少しだけ来ただけだ」と告げた。そこで、日神は、素戔嗚と共に、向かい合って立ち、「もしお前の心が清澄で力づくで奪う気持ちが無いのならば、お前が生む子は、きっと男だろう」と誓った。言い終わって、まず帯びていた十握劒を食べて生んだ子は、瀛津嶋姫と名付けた。また九握劒を食べて生んだ子を、湍津姫と名付けた。又、八握劒を食べて生んだ子を、田心姫と名付けた。三女神だった。すでに素戔嗚は、その頚に巡らした五百箇の御統の瓊で、天の渟名井、亦の名は去来の眞名井に濯いで食べた。それで生れた子を、正哉吾勝勝速日天忍骨といった。次に天津彦根。次に活津彦根。次に天穗日。次に熊野忍蹈。五男神だった。それで、素戔嗚はすでに勝った印を得た。そこで、日神は素戔嗚には、本当に邪心が無い事を知って日神の生んだ三女神を、筑紫洲に降した。それで 「お前たち三神は、道の中に降って住み、天孫を助けて、天孫に祀ってもらいなさい」と教えた。】と訳した。

この一書は剱が3本、しかも、八から十握と長柄で、剣ではなく、矛で、多くを所有する銅矛の可能性が高く、さらに、日神と呼んでいるので、肥国の神話の可能性が高く、天原と呼んでいるのだから、すでに、天降りしていて、生んだ娘にも天が付加されないので、銅矛のある前漢時代の説話と考えられる。

そして、筑紫の宗像・速(日の)素戔嗚の家系の人物が海流を上って侵略し、すなわち、『後漢書』の大倭王が統治する邪馬台の東の天でない拘奴国を勢力下にし、海の道、すなわち、制海権を奪ったと考えられる。

『後漢書』に西暦5年「中元二年」に光武帝の印綬の力を背景に大倭王を排除しようとしたが、西暦107年「永初元年」の訪漢時には『三国志』で伊都に「一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史」と女王国以前は伊都国が力を持ち、倭王から倭奴国と伊都の倭国に記述が変わり、この政変と82年の景行天皇の侵略によって、桓・靈間の戦乱状態に陥り、大倭王が退却して卑弥呼が倭国王となった資料がある時代に移行していく、そんな時代の神話の1書と考えられる。

2021年7月2日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第五段16

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて、「伊奘諾尊滌御身之時(?)生之神三柱洗左御目時所成之神名天照太御神洗右御目時所成之神名月讀命並坐五十鈴以且謂伊勢齊大神洗御鼻之時(?)成之神名速素戔鳥尊坐出雲國熊野築杵神宮矣伊奘諾尊大歡喜詔日吾生之子而於生終時得三貴子召其御頭珠之玉緒母由良迦斯而賜詔其御頭珠名謂御倉板舉神伊奘諾尊詔天照太神云汝命者所知髙天原矣謂寄賜矣次謂月讀命汝命者所知夜之食國矣謂寄賜也次詔素戔鳥尊云汝命者所知海原矣謂寄賜矣故各隨寄賜命所知者之中速素戔鳥尊不治所命之國而八拳鬢至千心前啼泣矣伊奘諾尊詔日吾欲生御寓之珎子即化出之神三柱矣左手持白銅鏡則有化出之神是謂大日孁尊右手持白銅鏡則有化出之神是謂月弓尊廻顧(?目丐)之間則有化出之神是謂素戔鳥尊即大日孁尊及月弓尊並是質性明麗故素戔鳥尊是性好殘害故令下治根國矣伊奘諾尊勑任三子日天照太神者可以御治髙天之原也月讀尊者可以治滄海原之潮八百重也後配日而知天事所知夜之食國也素戔鳥尊者可以治天下覆滄海之原也素戔鳥尊年巳長矣覆生八拳髻鬢雖然不治所寄天下當以啼泣悉恨伊奘諾尊問之日汝何故恒啼如此耶素戔鳥尊對日吾欲從母國於根國只爲泣耳伊奘諾尊悪之日可以任情行矣乃退矣伊奘諾尊勑素戔鳥尊日何由不治所寄之國泣啼之矣素戔鳥尊日欲罷妣國恨之堅州國故泣矣伊奘諾尊大忿怒詔日汝甚无道不可以君臨宇宙不可住此國當遠適於根國遂矣」、【伊奘諾が体をすすいだときに三柱の神が生まれた。左の目を洗ったときに生まれた神の名は、天照大神。右の目を洗ったときに生まれた神の名は、月読。この二柱の神は、一緒に五十鈴川の河上いる伊勢にお祀りする大神だ。鼻を洗ったときに生まれた神の名は、速素戔烏。出雲の国の熊野神宮と杵築神宮にいる。伊奘諾尊は「私が生んだ子を生み終え、三柱の尊い子を得た」と、とても喜んだ。その首の首飾りの玉の緒を、ゆらゆらと揺り鳴らして授けた。その首飾りの珠に名を与え、御倉板挙という。伊奘諾が天照大神に「あなたは高天原を治めなさい」と詔勅して委任した。次に、月読に「あなたは夜の食国を治めなさい」と詔勅して委任した。次に、素戔烏に「あなたは海原を治めなさい」と詔勅して委任した。こうして、それぞれの言葉にしたがって治めたが、その中で速素戔烏だけは、委任された国を治めず、長い顎髭が胸元にとどくようになるまで、ずっと泣きわめいていた。伊奘諾は「私は天下を治めるべきすぐれた子を生もうと」と言って三柱の神が生れ出た。左手で白銅鏡を取ったときに、生まれた神が大日孁という。右手で白銅鏡を取ったときに、生まれた神を月弓という。首を回して後ろを見たときに、生まれた神を素戔烏という。このうち、大日孁と月弓は共にひととなりが麗しいのに、素戔烏の性質はよく物を誤ってい壊すところがあった。そこで、降して根の国を治めさせた。伊奘諾尊は三柱の子に「天照太神は高天原を治めなさい。月読は青海原の潮流を治めなさい」と任命した。月読は後に、日の神にそえて天のことを司り、夜の世界を治めさせた。素戔烏に、天下および青海原を治めさせた。素戔烏は歳もたけ、また、長い髭が伸びていた。けれども、統治を任された天下を治めず、いつも泣き恨んでいた。伊奘諾が「お前はなぜ、いつもこんなに泣いているのか」とそのわけを尋ねた。素戔烏は「私は母のいる根の国に行きたいと思って、ただ泣くのです」と答えた。伊奘諾は、「勝手にしろ」と憎んだ。そうして素戔烏は親神のもとを退いた。伊奘諾が、素戔烏に「どうゆうわけで、私の任せた国を治めないで、泣きわめいているのか」と言い、素戔烏尊は「私は亡き母のいる根の堅州国に行きたいと思うので、泣いているのです」と言った。伊奘諾は、お前はたいへん無道だ。だから天下に君臨することはできない。この国に住んではならない。必ず遠い根の国に行きなさい」とひどく怒った。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「是洗左御目時所成神名天照大御神次洗右御目時所成神名月讀命次洗御鼻時所成神名建速須佐之男命右件八十禍津日神以下速須佐之男命以前十柱神者因滌御身所生者也此時伊耶那伎命大歓喜詔吾者生子而於生終得三貴子即其御頸珠之玉緒母由良迩取由良迦志而賜天照大御神而詔之汝命者所知高天原矣事依而賜也故其御頸珠名謂御倉板舉之神次詔月讀命汝命者所知夜之食國矣事依也次詔建速須佐之男命汝命者所知海原矣事依也」、【そこで左の目を洗った時に、生まれた神の名は、天照大御神。次に右の目を洗った時に、生まれた神の名は、月讀。次に鼻を洗った時に、生まれた神の名は、建速須佐之男。この時伊邪那伎は、とても歓喜して「私は子生んで、生み終に三はしらの貴い子を得た。」言って、即ち首輪の玉の端をゆらして、天照大神に「お前は、高天の原を治めなさい。」と言って与えた。それで、その首輪の名を、御倉板擧という。次に月讀に「お前は、夜の食国を統治しなさい。」と言った。次に建速須佐之男「お前は、海原を治めなさい。」と言った。】と訳した。

『舊事本紀』は既に三貴神を生んだのに、また白銅鏡を使って伊弉諾が生んでいるが、しかし、ここでの三貴神生みは『日本書紀』本文に従っていても、これまでの『舊事本紀』のように、後ろに物部氏の神話を追加したのであり、前項で述べたように『古事記』の巨勢氏は皇后の家系の神話を纏め上げたと考えられ、この神話は銅鏡が作られだした紀元前2世紀頃の多紐文鏡の時代の神話と考えられる。

『日本書紀』には崇神天皇の時に「出雲人祭眞種之甘美鏡」と出雲人が鏡を持ち込んでいて、出雲では鏡が祭祀に使われていたが、畿内では使われていないようで、崇神天皇まで銅鐸が主流の王朝だったと考えられ、「出雲色多利姬」の子の「出雲醜大臣」、孫の世代の「欝色雄」、弟の「伊香色雄」の子が崇神天皇なのだから、紀元前200年頃に畿内に鏡を持ち込んだ勘定になる。

『舊事本紀』に記述されているように、渟中底姫の甥の建飯勝が出雲臣の娘の沙麻奈姫を娶っているが、出雲大臣の母「出雲色多利姬」には臣も国も記述されず、崇神天皇時に記述される大田田祢古の子の大御氣持の妻が出雲の鞍山祇姫、建飯勝と出雲臣の娘の沙麻奈姫の子が建甕槌、大物主神が大田田祢古の父なのだから、建飯賀田須が大物主で、『古事記』の神武天皇につながる神話の時代を含む説話で、出雲醜は兄大祢が大国に「奉齋大神」と大神にあたり、本人は大の国神すなわち臣の大国の臣の大臣を受け継ぎ、大国のNo2になった。

饒速日は「乘天磐舩而天降坐於河内國河上哮峯則遷坐於大倭國鳥見白庭山天降」と河内・鳥見に天降り、その河内の青玉繋の娘が波迩夜須毘賣、その子が波迩夜須毘古と建氏の神の名で、地名による名なら河内彦若しくは鳥見に移って鳥見彦、すなわち、『古事記』の登美毘古・登美夜毘賣と合致し、登美毘古の姻戚に出雲醜の孫の鬱色謎がなり、大物主の阿田賀田須は和迩君の祖で和迩臣の祖の姥津の孫は彦坐王と最初に王と呼ばれる人物である。

そして、『舊事本紀』の神武天皇の皇后は大三輪神の娘、すなわち、事代主が大三輪神で大田田祢古の孫大鴨積が崇神朝に賀茂君を大友主が大神君を賜姓され、『舊事本紀』の神武東征は崇神紀にあったことを示している。

すなわち、『日本書紀』は事代主の娘婿の三八(神倭)国の神武、『古事記』は大物主の娘婿の葛城氏の説話を流用した扶桑国の神武、舊事本紀』の大三輪(大宮)の娘婿の神武天皇を記述している。