2021年7月5日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段1

 『日本書紀』の慶長版は続けて、概略、【素戔嗚は根の國に就任するので高天原に向い姉と会ってその挨拶をした。始め素戔嗚が天に上った時、大声で暴れまわったと天照が知り、その後で天照のもとに遣って来たので、なにか悪い考えがあると考え、國を奪おうとしていると思い闘う準備をした。 素戔嗚尊は挨拶に来ただけと言い、邪心が無い事の証明に誓約の中で子を生み、女なら邪心、男なら清心と訴え、天照が素戔嗚の十握劒を天眞名井に濯いで、生れた神が、田心姫・湍津姫・市杵嶋姫の三女。素戔嗚が天照の八坂瓊の五百箇御統を天眞名井に濯いで、生れた神が、正哉吾勝勝速日天忍穗耳・天穗日・天津彦根・活津彦根・熊野樟日併せて五男だった。この時に、天照が「八坂瓊之五百箇御統は我が物だから」と男神を得た。又、「その十握劒は、素戔嗚の物だから三女神は、お前の子」と素戔嗚に授けた。】のように「うけい」を記述する。 

そして、一書()一書曰日神本知素戔嗚尊有武健凌物之意及其上至便謂弟所以来者非是善意必當奪我天原乃設大夫武備躬帶十握剱九握剱八握剱又背上負靫又臂著稜威髙鞆手捉弓箭親迎防禦是時素戔嗚尊告曰吾元無惡心唯欲與姉相見只爲暫来耳於是日神共素戔嗚尊相對而立誓曰若汝心明淨不有凌奪之意者汝所生兒必當男矣言訖先食所帶十握剱生兒號瀛津嶋姫又食九握剱生兒號湍津姫又食八握剱生兒號田心姫凡三女神矣已而素戔嗚尊以其頸所嬰五百箇御統之瓊濯于天渟名井亦名去来之真名井而食之乃生兒號正哉吾勝勝速日天忍骨尊次天津彥根命次活津彥根命次天穗日命次熊野忍蹈命凡五男神矣故素戔嗚尊既得勝驗於是日神方知素戔嗚尊固無惡意乃以日神所生三女神令降於筑紫洲因教之曰汝三神宜降居道中奉助天孫而爲天孫所祭也」、【一書に、日神は、本から素戔嗚の、武健しく凌ぐ意志が有ることを知っていた。上って来たので、弟が来た理由は、善い考えではない。きっと天原を奪おうとしているので、すごい武備を準備した。躬に十握劒・九握劒・八握劒を帯びて、又、背に靫を負い、又、臂に 神聖な高鞆を着け、手に弓箭を捉って、親ら迎えて防御した。この時、素戔嗚は「私は元々邪心が無い。唯、姉と会いたかっただけで、ほんの少しだけ来ただけだ」と告げた。そこで、日神は、素戔嗚と共に、向かい合って立ち、「もしお前の心が清澄で力づくで奪う気持ちが無いのならば、お前が生む子は、きっと男だろう」と誓った。言い終わって、まず帯びていた十握劒を食べて生んだ子は、瀛津嶋姫と名付けた。また九握劒を食べて生んだ子を、湍津姫と名付けた。又、八握劒を食べて生んだ子を、田心姫と名付けた。三女神だった。すでに素戔嗚は、その頚に巡らした五百箇の御統の瓊で、天の渟名井、亦の名は去来の眞名井に濯いで食べた。それで生れた子を、正哉吾勝勝速日天忍骨といった。次に天津彦根。次に活津彦根。次に天穗日。次に熊野忍蹈。五男神だった。それで、素戔嗚はすでに勝った印を得た。そこで、日神は素戔嗚には、本当に邪心が無い事を知って日神の生んだ三女神を、筑紫洲に降した。それで 「お前たち三神は、道の中に降って住み、天孫を助けて、天孫に祀ってもらいなさい」と教えた。】と訳した。

この一書は剱が3本、しかも、八から十握と長柄で、剣ではなく、矛で、多くを所有する銅矛の可能性が高く、さらに、日神と呼んでいるので、肥国の神話の可能性が高く、天原と呼んでいるのだから、すでに、天降りしていて、生んだ娘にも天が付加されないので、銅矛のある前漢時代の説話と考えられる。

そして、筑紫の宗像・速(日の)素戔嗚の家系の人物が海流を上って侵略し、すなわち、『後漢書』の大倭王が統治する邪馬台の東の天でない拘奴国を勢力下にし、海の道、すなわち、制海権を奪ったと考えられる。

『後漢書』に西暦5年「中元二年」に光武帝の印綬の力を背景に大倭王を排除しようとしたが、西暦107年「永初元年」の訪漢時には『三国志』で伊都に「一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史」と女王国以前は伊都国が力を持ち、倭王から倭奴国と伊都の倭国に記述が変わり、この政変と82年の景行天皇の侵略によって、桓・靈間の戦乱状態に陥り、大倭王が退却して卑弥呼が倭国王となった資料がある時代に移行していく、そんな時代の神話の1書と考えられる。

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