2021年7月19日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段6

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「天照太神勑日原其物根則玉者是吾物也故化生六男悉是吾兒乃取而子養令治天原也其劔者是汝物也故吾(?)生三女是(?尓・爾)兒也授素戔鳥尊則降居于葦原中國也宜降居築紫國菟狹嶋在北海道中号曰道中貴因教之曰奉助天孫而爲天孫(?)祭則宗像君(?)祭之神一云水沼君等瀛津島姬命者是(?)居于遠瀛者此田心姬命也邊津島姬命者是(?)居于海濱者此瑞津嶋姬命也中津島姬命者是(?)居于中嶋者此市杵嶋姬命也」、【天照太神が「その元を考えると、玉は私の物だから、この成り出た六柱の男神は全部私の子だから、引き取って子として養い、高天原を治めさせよう。その剣はお前の物だから、私が生んだ三柱の女神はお前の子だ」三柱の女神たちを授けて素戔烏は、葦原の中国に降らせた。筑紫国の宇佐嶋に降らせるのがよい。北の海路にいる、名が道主貴は「天孫を助け、天孫のために祀りなさい」と示した。これがすなわち、宗像君が祀る神だ。一説には、水沼君らが祀る瀛津島姬神がこれである。瀛津嶋姫は、遠沖にいる田心姫命のことだ。辺津嶋姫は、海浜にいる瑞津嶋姫のことだ。中津嶋姫は、中嶋にる神で、市杵嶋姫のことだ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「於是天照大御神告速須佐之男命是後所生五柱男子者物實因我物所成故自吾子也先所生之三柱女子者物實因汝物所成故乃汝子也如此詔別也故其先所生之神多紀理毘賣命者坐胸形之奥津宮次市寸嶋比賣命者坐胸形之中津宮次田寸津比賣命者坐胸形之邊津宮此三柱神者胸形君等之以伊都久三前大神者也故此後所生五柱子之中天菩比命之子建比良邊命(此出雲國造无耶志國造上菟上國造下菟上國造伊自牟國造津嶋縣直遠江國造等之祖也)次天津日子根命者(凡川内國造額田部湯坐連木國造倭田中直山代國造馬來田國造道尻岐閇國造周芳國造倭淹知造高市縣主蒲生稲寸三枝部造等之祖也)尓」、【ここで天照大神は、速須佐之男に「この後で生れた五柱の男子は、元はと言えば私の物からなったので、私の子だ。先に生れた三柱の女子は、元はと言えばお前の物によってなったからお前の子だ。」と言った。それで、その前に生れた神、多紀理毘賣は、胸形の奧津宮にいる。次に市寸島比賣は、胸形の中津宮にいる。次に田寸津比賣は、胸形の邊津宮にいる。この三柱の神は、胸形君達が祀る伊都久三前の大神だ。それでこの後で生れた五柱の子の中で、天の菩比の子、建の比良鳥は出雲國造、无邪志國造、上菟上國造、下菟上國造、伊自牟國造、津島縣直、遠江國造等の祖だ。次に天津日子根は、凡川内國造、額田部湯坐連、木國造、倭田中直、山代國造、馬來田國造、道尻岐閇國造、周芳國造、倭淹知造、高市縣主、蒲生稻寸、三枝部造等の祖だ。】と訳した。

この三女神が『舊事本紀』のみ水沼君が祀るとしているのは、「物部大市御狩・・・譯語田宮御宇天皇御世」の同世代の「目大連之子・・・物部阿遅古連公水間君等祖」と『古事記』の記述後に物部氏の領地になったからで、物部阿遅古の母が瀛津嶋姫の出自だったからと考えられる。

同じように、『日本書紀』の「天穗日」は出雲臣と土師連の祖と記述されるが、『古事記』では、その子の建比良邊が出雲だけでなく7国の国造や国造を含む氏姓の直を得て、出雲臣が先で、一部が土師連に分岐し、出雲臣の子孫の家系が多くの国造りになって、物部氏が出雲大臣も含めて、それぞれの国に婿入りして、国造りになったということである。

出雲醜の母の出雲色多利姫の兄弟が出雲臣を賜姓され、その娘出雲臣女子沙麻奈姫が事代主の孫、綏靖天皇の甥、安寧天皇の義兄の建飯勝の子の建(武)甕槌が「經津主武甕槌二神降到於出雲國」と物部氏は懿徳天皇の頃に出雲臣の力を借りて大臣すなわち大国の王となった。

臣は国神・国の王の意味で、恐らく、元々は周饒国・隠国の神・隠神のことで、君子国の王の岐神(きみ)に対して、支配された隠岐神は隠神・臣と呼ばれ、君子の配下の王を臣と呼び大人国・大国の臣が大臣で、君も臣もインフレを起こし、王の王は大君・大王となり、臣下の臣の臣が大臣となり、天皇は本来皇后が主役で、大君・大臣の妃が天皇の家系の姫を娶っている者が天皇になった。

出雲氏の出自は島根県の出雲ではなく、雲が出るのは暖かい対馬海流に大陸の寒気がぶつかる日本海の嶋の地域が当てはまり、壱岐の津岐に藻が湧く様に見た地名と考えるべきで、出雲氏は壱岐対馬から丹波大国の醜と言う地域に勢力を得て、その後、島根に領地を得て崇神朝の頃に出雲と呼ぶようになったのだろう。

『舊事本紀』では、「出雲國造」が「瑞籬朝以・・・定賜國造」と崇神朝に国造りになっていて、この時は出雲大臣の曽孫で出雲臣の子孫、「三野後國造」(物部連祖)・「无耶志國造」(出雲臣祖)・「参河國造」(出雲大臣之子が祖)・「嶋津國造」(出雲臣祖)・「无耶志國造」(出雲臣祖)・「菊麻國造」(无耶志國造祖兄)・「上海上國造」(天穗日命八世孫)・「遠淡海國造」(物部連祖伊香色雄命兒)が政務朝、「下海上國造」(上海上國造祖)が応神朝と物部氏の系列で「天穗日」が実際の物部氏の初代、崇神朝から応神朝が物部王朝の時代だったことが解る。


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