日本書紀慶長版は「後に、素戔嗚が蛮行を行い(実際は善政)怒って天の石窟に籠ったので六合が暗闇に。 萬神は考えて思兼神が常世長鳴鳥あつめて鳴せ、手力雄神に磐戸の側に置き、中臣連の遠祖の天兒屋・忌部の遠祖太玉は天香山の眞坂樹を掘って上枝に八坂瓊の五百箇御統を懸け、中枝に八咫鏡を懸け、<あるいわ眞經津鏡と云う>下枝に青和幣白和幣を懸けて祈った。 又、猨女君の遠祖天鈿女は手に茅纏の茅を持ち、天の石窟の戸の前に立ち、演じた。 天の香山の眞坂樹を鬘とし、蘿を手繦として、火處を燒き、覆槽を置き、顯神明の憑談をした。それを天照が聞いて、自分がいないのに賑やかなので奇妙に思い磐戸を開いて窺ったので手力雄神が引き出した。 中臣神・忌部神、端出之繩で結界して、諸神は罪過を素戔嗚尊に科して、千座置戸に幽閉罪を贖わせ、手足の爪を拔き放逐した」と天石窟の説話である。
本文は、銅鏡を使う時代の神話で、「なか国」の安芸での説話で、後に中足彦より前に「なか国」王となる天兒屋や珍彦と関係がありそうな鈿女と神武東征の協力者の神話を使っている。
そして、一書(1)「一書曰是後稚日女尊坐于齋服殿而織神之御服也素戔嗚尊見之則逆剥斑駒投入之殿內稚日女尊乃驚而墮機以所持梭傷體而神退矣故天照大神謂素戔嗚尊曰汝猶有黑心不欲與汝相見乃入于天石窟而閉著磐戸焉於是天下恒闇無復晝夜之殊故會八十萬神於天髙市而問之時有髙皇産靈之息思兼神云者有思慮之智乃思而白曰宜圖造彼神之象而奉招禱也故即以石凝姥爲冶工採天香山之金以作日矛又全剥真名鹿之皮以作天羽韛用此奉造之神是即紀伊國所坐日前神也石凝姥此云伊之居梨度咩全剥此云宇都播伎」、【一書では、この後に、稚日女が齋服の御殿にいて神の服を織っていた。素戔嗚はそれを見、斑駒を逆剥して御殿の中に投げ入れた。稚日女は驚いて機から墮ち、持った杼で体を傷つけて死んでしまった。それで、天照は素戔嗚に「お前にはまだ邪心が有る。お前とは会いたくない」と言って、天石窟に入り、磐戸を閉じ、天下を真っ暗にして昼夜の区別が無くなった。それで、八十萬の神を天高市に集めて聞いた。その時に高皇産靈の子の思兼という者がいて思慮分別が有った。「神の象を造り、祈祷しよう」と考えて言った。そのため、石凝姥を冶工として、天香山の金を採って、日矛を作った。また眞名鹿の皮を全て剥ぎ、天の羽鞴を作った。これを用いて造った神は、即ち紀伊國に坐す日前神だ。石凝姥をいしこりどめと言う。全剥、をうつはぎと言う。】と訳した。
この神話は、天照ではなく大倭国の日女と銅矛を使う丈夫国発の素戔嗚の神話と考えられ、それは、大国が三身の綱で建国しているので、丈夫国の支援の中に大倭国があると思われるからである。
そして、丈夫国の横暴に対して、八国である君主国の十人の王・つみが集まって『舊事本記』に「八意思兼」と記述されるように八国の信濃の王の活躍で丈夫国を懐柔したと考えられ、八岐大蛇の説話に繋がるのだろう。
次の一書は、一書(2)「一書曰日神尊以天垣田爲御田時素戔嗚尊春則塡渠毀畔又秋穀已成則冒以絡繩且日神居織殿時則生剥斑駒納其殿內凢此諸事盡是無狀雖然日神恩親之意不慍不恨皆以平心容焉及至日神當新嘗之時素戔嗚尊則於新宮御席之下陰自送糞日神不知俓坐席上由是日神舉體不平故以恚恨廼居于天石窟閉其磐戸于時諸神憂之乃使鏡作部遠祖天糠戸者造鏡忌部遠祖太玉者造幣玉作部遠祖豊玉者造玉又使山雷者採五百箇真坂樹八十玉籤野槌者採五百箇野薦八十玉籤凢此諸物皆来聚集時中臣遠祖天兒屋命則以神祝祝之於是日神方開磐戸而出焉是時以鏡入其石窟者觸戸小瑕其瑕於今猶存此即伊勢崇祕之大神也已而科罪於素戔嗚尊而責其秡具是以有手端吉棄物足端凶棄物亦以唾爲白和幣以洟爲青和幣用此解除竟遂以神逐之理逐之送糞此云倶蘇摩屢玉籤此云多摩倶之秡具此云波羅閉都母能手端吉棄此云多那湏衞能餘之岐羅毗神祝祝之此云加武保佐枳保佐枳枳遂之此云波羅賦」、【一書に、日神は天の垣田を御田とした。ある時に素戔嗚が春には渠を埋めて畔を壊す。又、秋の穀物が実った時に、向う見ずに縄で結ぶ。また日神が織殿に居る時に、斑駒を生きたまま皮を剥いで、御殿の中に置いた。すべてこの諸々の事、残らず非道だ。しかし、日神は温情があって咎めず恨まなかった。全て平静を保って容認した。日神が新嘗した時に、素戔嗚は新宮の席に密かに糞を放った。日神は知らずに直接席の上に坐った。これで、日神は立ち上がって心がおだやかでないようだった。それで、怒って天石窟に入ってその磐戸を閉じた。その時に、諸神は、憂えて、鏡作部の遠祖の天糠戸に鏡を造らせた。忌部の遠祖太玉に幣を造らせた。玉作部の遠祖豐玉に玉を造らせた。又、山雷は五百箇の眞坂樹の八十玉籤を採らせた。野槌は五百箇の野薦の八十玉籤を採らせた。すべてこの諸物をもって、みな集まり来た。その時に中臣の遠祖の天兒屋は神を祀った。ここで、日神は磐戸を開けて出てきた。この時に、鏡を以て石窟に入ったら、戸に觸れて小さな瑕がついた。その瑕は今もある。これが伊勢に密かに崇拝される大神だ。すでに罪を素戔嗚に科して、お祓いの道具で責めた。これで、手の端の吉い棄物と足の端の悪い棄物が有った。また唾を白和幣として、洟を青和幣として、これを祓いに用いて、神逐の方法で追い祓った。送糞をくそまるという。玉籤をたまくしという。祓具をはらへつものという。手端吉棄をたなすゑのよしきらひという。神祝祝之をかむほさきほさききという。逐之をはらふという。】と訳した。
一書(2)は天照が記述されない、おそらく、一番の元となった神話と考えられ、素戔嗚が農耕を改良したが、保守派が怒り、素戔嗚の粗相(本来は田に肥料を撒いた)に怒り岩戸に籠ったので神を祀って戻ってもらったと、太玉や天兒屋達神主の始まりの神話で、山雷・野槌と対馬の神の神話が大元のようで、豐玉彦は神武天皇の母方の祖父なので、日向襲津彦の母系の先祖神、豊国の神話と考えられる。
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