2021年7月9日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第六段3

  次の一書は、一書()一書曰日神與素戔嗚尊隔天安河而相對乃立誓約曰汝若不有奸賊之心者汝所生子必男矣如生男者予以爲子而令治天原也於是日神先食其十握剱化生兒瀛津嶋姫命亦名市杵嶋姫命又食九握剱化生兒湍津姫命又食八握剱化生兒田霧姫命巳而素戔嗚尊含其左髻所纒五百箇統之瓊而著於左手掌中便化生男矣則稱之曰正哉吾勝故因名之曰勝速日天忍穗耳尊復含右髻之瓊著於右手掌中化生天穗日命復含嬰頸之瓊著於左臂中化生天津彥根命又自右臂中化生活津彥根命又自左足中化生熯之速日命又自右足中化生熊野忍蹈命亦名熊野忍隅命其素戔嗚尊所生之兒皆已男矣故日神方知素戔嗚尊元有赤心便取其六男以爲日神之子使治天原即以日神所生三女神者使隆居于葦原中國之宇佐嶋矣今在海北道中號曰道主貴此筑紫水沼君等祭神是也熯干也此云備」、【一書に、日神と素戔嗚が天の安河を隔てて、相対して立って誓約して、「お前がもし反逆心が無いのなら、お前が生む子は、必ず男だろう。もし男が生まれたら、私の子として、天原を治めるだろう」と言った。ここで、日神は、まずその十握劒を食べて生れた子は、瀛津嶋姫。または市杵嶋姫。又、九握劒を食べて生れた子は、湍津姫。又、八握劒を食べて生れた子は、田霧姫。すでに素戔嗚は、その左の髻に纏めた五百箇の統の瓊を含んで、左の掌中に置いて、男を生んだ。それで「私が勝った」と言った。それによって名づけて、勝速日天忍穗耳という。また右の髻の瓊を含んで、右の掌中に置いて、天穗日を生んだ。また頚にまわした瓊を含んで、左の腕に置いて、天津彦根を生んだ。又、右の腕の中から、活津彦根を生んだ。又、左の足の中から熯之速日を生んだ。又、右の足の中から熊野忍蹈を生んだ。亦の名は熊野忍隅。それが素戔嗚が生んだ子で、皆男だ。それで、日神は、素戔嗚の、清心だったことを知り、その六人の男を取って、日神の子として、天原を治めさせた。すなわち日神の生んだ三人の女神は、葦原中國の宇佐嶋に降り住まわせた。今、海の北の道の中に在る。名付けて道主の貴という。これは筑紫の水沼君達が祭る神がこれだ。熯は、干。これをひという。】と訳した。

一書()は一書()・一書()と異なり「田心姫」が「田霧姫」と記述され、本文の最初の田心姫の接頭語の「濯於天真名井然咀嚼而吹棄氣噴之狹霧所生神號曰田心姫」の元となった姫の名で、神も日神で、九州の神話と考えられ、その神話を景行天皇が「拘奴國」を破ったあとの「拘奴國」の神で、豊後の宇佐の神だった。

恐らく宇佐の神は姫島の神で、姫島は「亦名謂天一根」と壱岐の故地で、その神が「田霧姫」で三女神がいて、後の道臣・日臣の道主貴が瀬戸内の東部から関門海峡を支配し、そこが豊国で、安芸も豊国に含まれ、後に「なか」国となるが、拘奴・熊襲が姫国の宇佐を支配し、その王が『後漢書』「自女王國東度海千餘里至拘奴國」から『三国志』「其南有狗奴國」と筑後の水沼君となり、この一書(3)は水沼君が残した神話と思われる。

そして、その宇佐を支配した熊襲の王が「其官有狗古智卑狗」と官名が狗国熊襲の狗ち彦と考えられ、「むち」・「つち」・「つみ」などは、女神「姫」に対する土地神の男神で「むち」は宗像の神、「つち」が対馬の神、「こち」はおそらく狗国の神で、大己貴神が『舊事本紀』に「大己貴神・・・先取宗像興都嶋神田心姫命」と宗像を支配し大己貴と素戔嗚を同一の人物という神話になった。


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