2021年7月26日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第七段2

  次の一書は、一書()一書曰是後日神之田有三處焉號曰天安田天平田天邑幷田此皆良田雖經霖旱無所損傷其素戔嗚尊之田亦有三處號曰天樴田天川依田天口鋭田此皆磽地雨則流之旱則焦之故素戔嗚尊妬害姉田春則廢渠槽及埋溝毀畔又重播種子秋則捶籤伏馬凢此惡事曾無息時雖然日神不慍恒以平恕相容焉云云至於日神閉居于天石窟也諸神遣中臣連遠祖興台産靈兒天兒屋命而使祈焉於是天兒屋命掘天香山之真坂木而上枝懸以鏡作遠祖天拔戸兒巳凝戸邊所作八咫鏡中枝懸以玉作遠祖伊弉諾尊兒天明玉所作八坂瓊之曲玉下枝懸以粟國忌部遠祖天日鷲所作木綿乃使忌部首遠祖太玉命執取而廣厚稱辭祈啓矣于時日神聞之曰頃者人雖多請未有若此言之麗美者也乃細開磐戸而窺之是時天手力雄神侍磐戸側則引開之者日神之光滿於六合故諸神大喜即科素戔嗚尊千座置戸之解除以手爪爲吉爪棄物以足爪爲凶爪棄物乃使天兒屋命掌其解除之太諄辭而宣之焉世人愼收己爪者此其縁也既而諸神嘖素戔嗚尊曰汝所行甚無頼故不可住於天上亦不可居於葦原中國宜急適於底根之國乃共逐降去于時霖也素戔嗚尊結束青草以爲笠蓑而乞宿於衆神衆神曰汝是躬行濁惡而見逐謫者如何乞宿於我遂同距之是以風雨雖甚不得留休而辛苦降矣自爾以来世諱著笠蓑以入他人屋內又諱負束草以入他人家內有犯此者必債解除此太古之遺法也是後素戔嗚尊曰諸神逐我我今當未去如何不與我姉相見而擅自俓去歟廼復扇天扇國上詣于天時天鈿女見之而告言於日神也日神曰吾弟所以上来非復好意必欲奪之我國者歟吾雖婦女何當避乎乃躬裝武備云云於是素戔嗚尊誓之曰吾若懷不善而復上来者吾今囓玉生兒必當爲女矣如此則可以降女於葦原中國如有清心者必當生男矣如此則可以使男御天上且姉之所生亦同此誓於是日神先囓十握剱云云素戔嗚尊乃轠轤然解其左髻所纒五百箇統之瓊綸而瓊響瑲瑲濯浮於天渟名井囓其瓊端置之左掌而生兒正哉吾勝勝速日天忍穗根尊復囓右瓊置之右掌而生兒天穗日命此出雲臣武藏國造土師連等遠祖也次天津彥根命此茨城國造額田部連等遠祖也次活目津彥根命次熯速日命次熊野大隅命凢六男矣於是素戔嗚尊白日神曰吾所以更昇来者衆神處我以根國今當就去若不与姉相見終不能忍離故實以清心復上来耳今則奉覲已訖當隨衆神之意自此永歸根國矣請姉照臨天國自可平安且吾以清心所生兒等亦奉於姉已而復還降焉廢渠槽此云祕波鵝都捶籤此云久斯社志興台産靈此云許語等武湏毗太諄辭此云布斗能理斗轠轤然此云乎謀苦留留爾瑲瑲此云乎奴儺等母母由羅爾」、【一書に、この後、日神の田が三所有って名付けて天の安田・天の平田・天邑幷田という。これは皆良田だ。長雨や旱魃にあっても、被害を受けなかった。素戔嗚の田も三所有った。名付けて天の樴田・天の川依田・天の口鋭田という。此は皆やせ地だ。雨なら流され、旱魃だと枯れた。それで、素戔嗚は、妬んで姉の田を害した。春は溝を壊したり埋めたりして、畔を壊し、重ねて種子を播いた。秋は作物を串刺しし、馬を伏せて土を固めた。すべて悪事で止めようとしなかった。それでも、日神は、怒らず、いつも平静を保って容認した、云云。日神が、天の石窟に閉じ籠るに至って、諸神は、中臣の連の遠祖の興台産靈の子の天の兒屋を派遣して祈った。そこで、天の兒屋は、天の香山の眞坂木を掘って、上枝に、鏡作の遠祖の天の拔戸の子の石凝戸邊が作った八咫鏡を懸げ、中枝には、玉作の遠祖の伊奘諾の子の天の明玉が作った八坂瓊の曲玉を懸げ、下枝には、粟の國の忌部の遠祖の天の日鷲の作った木綿を懸げて、忌部の首の遠祖太玉に執らせて、広く厚く称えて祈った。その時に、日神が聞いて、「この頃は、人が多く誓願するといっても、未だこの様にりっぱで美しい言葉はなかった」と言った。それで細く磐戸を開けて窺った。この時に、天の手力雄が磐戸の側に控えて、引き開けたので、日神の光が、六合に滿ちた。それで、諸神は大変喜んで、素戔嗚に千座置戸の解除を科して、手の爪を吉の爪の棄物とし、足の爪を凶の爪の棄物とした。それで天の兒屋に、その解除の太祝詞を司って宣べた。世の人は、愼んで自分の爪を集めるのは、これがその縁だ。既に諸神は、素戔嗚を、「お前の所行は甚だ無頼だ。それで、天上に住んではならない。また葦原の中國にも居てはならない。すみやかに底根の國にゆけ」と責めて、それでみなで放逐して去らせた。その時に、長雨が降った。素戔嗚は、青草を結び束ねて、笠蓑として、宿を衆神に乞うた。衆神は、「お前は自分の行いが汚らわしくて、放逐された者だ。どうして宿を私に乞う」と言って、同じように拒んだ。それで、雨風が甚しくても、留って休むこと得が出来ず、辛く苦しみながら降った。

それ以来、世間では、蓑笠を着けて、他人の屋内に入ること諱む。また束の草を負って、他人の   家内に入ること諱む。これを犯した者は、必ず解除を求めた。これは、太古の遺法だ。この後に、素戔嗚は「諸神が私を放逐した。私は、今から永遠に去る。どうして私の姉と会わないで、かって気ままに自らまっすぐに去れるか」と言って、また天を扇いで國を扇いで、天に上り至った。その時に天の鈿女が見て、日神に告げた。曰神が、「私の弟が上って来た理由は、きっと好い心掛けでは無い。必ず私の國を奪うつもりだ。私は、婦女と言ってもどうして避けずにいられようか」と言って、それで身体に武器を備え装い、云云。ここに、素戔嗚は、誓って、「私は、もし善くないことを考えて、上って来たのなら、私は、今玉を囓んで生む子はきっと女だ。それなら、女を葦原の中國に降してください。もし清い心が有ったら、必ず男を生むから、男に天上を御させてください。また姉の生むのも、この誓に同じでしょう」と言った。ここで、日神は、まず十握劒を囓み、云云。素戔嗚は、すなわち轆轤のように、その左の髻に纏いた五百箇の統の瓊の綸を解いて、瓊が静かに響き合い、天の渟名井で濯いで浮くその瓊の端を囓んで、左の掌に置いて、生れた子は、正哉吾勝勝速日天忍穗根。また右の瓊を囓んで、右の掌に置いて、生れた子は、天穗日。これは出雲臣・武藏國造・土師連の遠祖だ。次に天津彦根。此は茨城國造・額田部連の遠祖だ。次に活目津彦根。次に熯速日。次に熊野大角。すべてで六男。そこで、素戔嗚は、日神に「私がまた来た理由は、衆神が、私を根國に所払いした。今すぐに就きに去ろうとしている。もし姉と会えなければ、どうして忍んで離れることが出来ましょう。だから、ほんとうに清い心で、上って来ただけだ。今、会うことが出来た。ほんとうに衆神の思うように、ここから永遠に根國へ行きます。お願いだから、姉よ、天國を照して臨むことで、自ずから平安になりましょう。また私が清い心で生んだ子達を、また姉に差し上げます」と言った。それでまた還り降った。廢渠槽これをひはがつという。捶籤をくしざしという。興台産靈をこごとむすひという。太諄辭をふとのりとという。轆轤然ををもくるるにという。瑲瑲をぬなとももゆらにという。】と訳した。

この神話は一書()より後の時代の神話で、中臣氏に伝わる神話のようで、兒屋の父が興台産靈と「日」の出身で、『舊事本紀』に「素戔鳥尊將昇天時有一神號羽明玉此神奉進以瑞八坂瓊之曲玉」と明玉は曲玉を素戔嗚に献上した安芸の神、安芸は以前は豊日国に支配され、中臣氏は「なか」国の王で、足仲彦の臣下になった頃の神話だろうか。

また粟国の日鷲は一書()では忌部の遠祖が太玉だったのが忌部首の遠祖に代わって、忌部の遠祖とされ、すなわち、女系は同じ忌部だが、一書()の神話を造った時代の忌部の祖が太玉で、一書()の時代は日鷲の男系が忌部氏に婿入りし、太玉の男系はその配下にされたということだろう。

天穗日に武蔵国造の祖が含まれ、武蔵国造は政務天皇が付与しているので、政務天皇以降に纏められた説話と解り、天津彦根に「凡川内直山代直等祖」が記述されず、『日本書紀』本文には「茨城國造・額田部連」が記述されないのは、天津彦根が平郡氏とは疎遠で、それに対して、中臣氏は物部氏・尾張氏・葛城氏全てに仕えたようで、尾張氏の氏姓の臣の中臣烏賊津と物部氏の氏姓の連の烏賊津連を持ち、中臣烏賦津使主と平郡氏に臣従している。

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